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番外編
昔々あるところに、貴子という美しき女性がいた。
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あやめ大学2年の12月辺りのお話。
あやめ視点から三人称視点に途中切り替わり有り。
ーーーーーーーーーーーーーーー
先輩の可愛いセラピーを受け続け、私はギャルメイクを卒業した。お化粧自体はするものの、今や地味系女子に戻ってしまった。
だけど先輩がいつも可愛いって言ってくれるから全然気にならない。先輩のおかげで自分のコンプレックスも愛おしく感じるのだ。
だが卒業した途端、私はまたもや奴らの餌食になってしまったのだ。
奴らというのはCHIKAN。そう、痴漢である。
電車に乗って1人で帰宅していると、私は奴に遭遇してしまった。痴漢は事もあろうに私のお尻をさわさわといやらしく撫でている。…ここに私の彼氏様がいなくてよかったな。バレたら血を見ていたかもしれないぞ、不埒な痴漢め。
ここで黙ってやられてばかりの私ではない。情け容赦無く踵落としを噛ましてやろうとヒールパンプスを履いた足を持ち上げた。
「いででで!」
だけど私が相手の足を踏み潰す前に、痴漢は別の人間によって現行犯逮捕されていた。
その人物は顔色ひとつ変えずに、痴漢の腕を捻り上げていた。流石本職。手慣れている。
「お父様!」
「次の駅で一緒に降りなさい。コイツを突き出すから」
彼は痴漢を捕獲したまま次の駅で降りると駅員に突き出していた。
現役の警察官なので、そのまま逮捕しなくていいのかと尋ねたけど、今は勤務時間外であり、担当外のことでしゃしゃり出ると内部でやっかみを買うから、駅員に任せると言っていた。警察官にも色々複雑な事情があるらしい。
「お父様! 助けて頂きありがとうございました!」
駅員室を出ると、私は深々と頭を下げた。彼氏様のお父様はあくまで冷静に「大したことはしていない」と返してきた。
うん、クール。こういうところは橘兄にそっくりである。
「電車を乗る時はできるだけ壁に背中を付けなさい。無防備に背中を見せないように。できれば女性のいる場所にいたほうがいい」
「ですよねぇ…すいません。ギャルメイクしていた時は痴漢に遭わなかったので、その時の癖が抜けなくて油断していました」
ギャルメイクをやめて清楚系メイクに変えたのはいいが、それが仇となって痴漢に狙われるという…なんて皮肉なのだろうか。
橘父は私の話を聞いて眉間にシワを寄せている。その顔やっぱり先輩に似ているな。
「…だが…服装で挑発していると判断されることもあるから、自衛のためにも派手じゃないほうが良いと思うんだが」
「いやいや、痴漢は地味で大人しそうな女の子を狙うんですよ? おしゃれをしていない時本当に痴漢被害が多かったので」
ギャルの格好が逆に私を守ってくれていたんだよ実際。受けはよろしく無いが、戦闘能力Maxの私には痴漢が寄ってこなかったのだから。
いくら警察官でも担当管轄外、そして男性だと理解できないのだろうか。仕方ないか。
「…亮介はそれを知っているのか?」
「知っていますけど、実際の被害はお付き合いする以前の話ですよ?」
あの時は怒られたけどさ。私…被害者なのに。
「だから自衛のために格闘技を習おうとしたのに、亮介さんたら止めるんですよ! ひどいと思いません?」
「…いや、君は何もしないほうが良いと思う」
「お父様まで!?」
橘父まで先輩と同じこと言ってくるし!
なんでよ、自分の身は自分で守るべきでしょ! 自衛のためなのに!
「相手に怪我をさせたら不利になる。君のその靴で思いっきり踏んでいたら、間違いなく痴漢の足にはヒビが入っていただろう。そうすれば君が傷害で訴えられてしまう」
私が反撃に出ようとしたところまで見ていたらしい。そんなところまで見られていただなんて…私は手のひらで顔を覆って嘆いた。
まさかこの時間に同じ電車に乗り合わせるとは思っていなかった…もしかして夜勤帰りだったのかな…
「見た感じ、君は考えるよりも先に体が動くタイプだから、逆に格闘技を習わないほうが良い」
「だ、大丈夫ですよ…昔よりはちゃんと落ち着いて考えられるようになったので」
「…怪我をするだけだろうから止めておいたほうが良い」
そんな淡々と分析しないでください。先輩に反対された時よりも、ダメージが大きいよ…
ガクッと項垂れていると、橘父が「立ち話じゃなんだから、ここにある喫茶店に入りなさい」とお誘いというよりも命令してきたので、私はフラフラと後をついて行った。
私と橘父が入ったのは駅前にある落ち着いたカフェだが、女性が好みそうなメニューが取り揃えてあった。
通された窓際のテーブル席に着くなり、橘父は言った。
「好きなものを頼みなさい」
そう言ってメニュー…スイーツの写真がずらりと並ぶページを開いて見せられたが、そんなにお腹空いていないのでコーヒーでいいです…
「ブレンドコーヒーでおねがいします」
私がコーヒーを頼むと、橘父はハッとした表情をしていた。咳払いをすると、少々恥ずかしそうな顔をして目をそらした。
「…ついいつもの癖で…失礼した」
「…英恵さんですか? 夫婦で喫茶店に一緒に行くなんて仲いいですね」
英恵さんとのデートでいつもスイーツのメニューを開いて見せてあげているのか。なんだかんだでこの橘父は英恵さんのことが大好きなんだな。微笑ましい。
「…君のご両親も仲がいいだろう」
「仲は悪くないですけど、ウチの母さんは父さんと買い物に行くのあまり好きじゃないみたいですよ。ペースが乱れるから疲れるって」
「…そんなものか」
何十年も連れ添ってベタベタってのはあまりないと思うけど。そんなものなんじゃないだろうか。
「そもそもウチの両親はお互い想い合って交際に至ったというわけじゃないので…ある意味お見合いみたいなものなんですよね」
「…見合い…?」
「又聞きなんですけどね。娘の私が言うのはなんですけど、母は美人なので昔から変な男の人に付き纏われることが多くて…男性不信だったんです」
私は母や母方の祖母から聞かされたことのある、両親の馴れ初めを何故か彼氏の父親に話していた。
ちょっとした話題のつもりだったんだけど、意外と橘父は興味深そうに話を聞いていたからついつい話し込んじゃったよ。
恋バナが好きなのか、橘父は。
◆◆◆◆◆
「貴子ちゃん、今夜ご飯一緒に行かない? 俺奢っちゃうよ~?」
「…いえ、母が食事を作ってくれているので悪いんですけど…」
「えー? まだ実家ぐらししてるの? 実家ぐらしだと嫁ぎ遅れちゃうよ?」
その言葉に、目鼻立ちの整った美しい女性の眉がピクリと震えた。だが彼女は目の前にいるのが自分の上司(40代既婚者)だということを思い出して、無理やり笑顔を作った。
「えぇ、それでも構いません。お疲れ様でした」
彼女は荷物を手に取ると、退勤の挨拶をして職場から立ち去った。
高校卒業してから入社したこの会社も今年で3年目だ。仕事にもこなれだしてきた頃で、ゆとりも生まれてきたはずなのだが、彼女はいつまで経っても息苦しさを覚えていた。
昔から彼女が街を歩けば、10人中9人は目で追う。スカウトを受けたことは一度ではないし、ストーカーや勘違いした既婚者からの不倫のお誘いは日常茶飯事であった。
簡単に言えば彼女は美人すぎた。それ故にその美貌故に昔から苦労を抱えてきた。トラブルの多くは大体が男性関係。しかも貴子自身が望んだのではなく、あちら側から勝手にやってくるという運の悪さ。
彼女はひどい男性不信に陥っていた。
おかしな男だけでなく、まともな男性も世の中にいるというのはわかっていたが、今までの被害のせいで臆病になっていた貴子は自ら男性を避けて生きていた。
地味に装ってなるべく目立たないようにしてきたがそれでも目立つ自分の容貌。それに彼女は苦悩していた。
もしも彼女が気の強い性格ならその美貌で男を転がして利用してやれたのだろうが、生憎、貴子はそういう性格ではなかった。
周りにいる女性には、美しい貴子を妬む人間もいたが、その多くは貴子が被害にあっているのを傍で目撃しているもあって同情的だった。
「貴子ちゃんっちょっとちょっと!」
「…? どうしたんですか」
彼女に転機が訪れたのは、同じ部署で入社時からお世話になっているベテラン女性社員が持ちかけたある話だ。
先輩社員は一枚の写真を見せて来た。そこには自分よりいくつか年上の青年が穏やかに微笑んでいた。何故か手元に巨大なブロック肉を持っているのが気になるが…背景は緑に囲まれたキャンプ地…友人たちとバーベキューをしている時の写真らしい。
「この人どう思う!? 今27歳なんだけどね、本当にいい子なのよ。私の息子の友達なんだけどね…」
「あ…いえ…私そういうのはまだ…」
「騙されたと思って会ってみてよ! ひとりじゃ怖かったら、お母さんと一緒に会えばいいし」
仕事だけでなく、つきまといからも何度かこの人には助けてもらった。貴子はその恩もあったので、彼女の顔を立てるために渋々頷いた。
「貴子ちゃんはとてもいい子だから幸せになってほしいのよ。あなたはとっても美人なのにいつも背を丸めて生きているから…だって勿体無いでしょ? 彼氏ができたら、きっと自信にもつながるはずだから」
貴子自身の為を想って話を持ちかけたのであると、貴子もわかっていた。
だけど自分が知らない相手と会うということは貴子にはハードルが高すぎる…なので母親同伴での流れにしてもらったのである。
その相手と会うまでの間、貴子は憂鬱だった。
その男性が女性社員にとってはいい子でも、私の前ではどうなのだろうか…と自問自答している間に時間は過ぎて……とうとう、その日はやってきて、お相手と初対面を交わしたのだ。
「あ、どうもはじめまして。田端真人といいます」
「…樋口貴子です…はじめまして」
貴子が直接見た、田端真人という人間は…呑気そうな印象の青年だった。
何かに似ている…そうだあれだ……しっぽがクルンとした、赤毛の……
「…柴犬…」
「えっ?」
「あ、いえ、何でもありません」
貴子は咳払いして誤魔化すが、首を傾げているその仕草もやっぱり似ている。
それが二人の出会いだった。
あやめ視点から三人称視点に途中切り替わり有り。
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先輩の可愛いセラピーを受け続け、私はギャルメイクを卒業した。お化粧自体はするものの、今や地味系女子に戻ってしまった。
だけど先輩がいつも可愛いって言ってくれるから全然気にならない。先輩のおかげで自分のコンプレックスも愛おしく感じるのだ。
だが卒業した途端、私はまたもや奴らの餌食になってしまったのだ。
奴らというのはCHIKAN。そう、痴漢である。
電車に乗って1人で帰宅していると、私は奴に遭遇してしまった。痴漢は事もあろうに私のお尻をさわさわといやらしく撫でている。…ここに私の彼氏様がいなくてよかったな。バレたら血を見ていたかもしれないぞ、不埒な痴漢め。
ここで黙ってやられてばかりの私ではない。情け容赦無く踵落としを噛ましてやろうとヒールパンプスを履いた足を持ち上げた。
「いででで!」
だけど私が相手の足を踏み潰す前に、痴漢は別の人間によって現行犯逮捕されていた。
その人物は顔色ひとつ変えずに、痴漢の腕を捻り上げていた。流石本職。手慣れている。
「お父様!」
「次の駅で一緒に降りなさい。コイツを突き出すから」
彼は痴漢を捕獲したまま次の駅で降りると駅員に突き出していた。
現役の警察官なので、そのまま逮捕しなくていいのかと尋ねたけど、今は勤務時間外であり、担当外のことでしゃしゃり出ると内部でやっかみを買うから、駅員に任せると言っていた。警察官にも色々複雑な事情があるらしい。
「お父様! 助けて頂きありがとうございました!」
駅員室を出ると、私は深々と頭を下げた。彼氏様のお父様はあくまで冷静に「大したことはしていない」と返してきた。
うん、クール。こういうところは橘兄にそっくりである。
「電車を乗る時はできるだけ壁に背中を付けなさい。無防備に背中を見せないように。できれば女性のいる場所にいたほうがいい」
「ですよねぇ…すいません。ギャルメイクしていた時は痴漢に遭わなかったので、その時の癖が抜けなくて油断していました」
ギャルメイクをやめて清楚系メイクに変えたのはいいが、それが仇となって痴漢に狙われるという…なんて皮肉なのだろうか。
橘父は私の話を聞いて眉間にシワを寄せている。その顔やっぱり先輩に似ているな。
「…だが…服装で挑発していると判断されることもあるから、自衛のためにも派手じゃないほうが良いと思うんだが」
「いやいや、痴漢は地味で大人しそうな女の子を狙うんですよ? おしゃれをしていない時本当に痴漢被害が多かったので」
ギャルの格好が逆に私を守ってくれていたんだよ実際。受けはよろしく無いが、戦闘能力Maxの私には痴漢が寄ってこなかったのだから。
いくら警察官でも担当管轄外、そして男性だと理解できないのだろうか。仕方ないか。
「…亮介はそれを知っているのか?」
「知っていますけど、実際の被害はお付き合いする以前の話ですよ?」
あの時は怒られたけどさ。私…被害者なのに。
「だから自衛のために格闘技を習おうとしたのに、亮介さんたら止めるんですよ! ひどいと思いません?」
「…いや、君は何もしないほうが良いと思う」
「お父様まで!?」
橘父まで先輩と同じこと言ってくるし!
なんでよ、自分の身は自分で守るべきでしょ! 自衛のためなのに!
「相手に怪我をさせたら不利になる。君のその靴で思いっきり踏んでいたら、間違いなく痴漢の足にはヒビが入っていただろう。そうすれば君が傷害で訴えられてしまう」
私が反撃に出ようとしたところまで見ていたらしい。そんなところまで見られていただなんて…私は手のひらで顔を覆って嘆いた。
まさかこの時間に同じ電車に乗り合わせるとは思っていなかった…もしかして夜勤帰りだったのかな…
「見た感じ、君は考えるよりも先に体が動くタイプだから、逆に格闘技を習わないほうが良い」
「だ、大丈夫ですよ…昔よりはちゃんと落ち着いて考えられるようになったので」
「…怪我をするだけだろうから止めておいたほうが良い」
そんな淡々と分析しないでください。先輩に反対された時よりも、ダメージが大きいよ…
ガクッと項垂れていると、橘父が「立ち話じゃなんだから、ここにある喫茶店に入りなさい」とお誘いというよりも命令してきたので、私はフラフラと後をついて行った。
私と橘父が入ったのは駅前にある落ち着いたカフェだが、女性が好みそうなメニューが取り揃えてあった。
通された窓際のテーブル席に着くなり、橘父は言った。
「好きなものを頼みなさい」
そう言ってメニュー…スイーツの写真がずらりと並ぶページを開いて見せられたが、そんなにお腹空いていないのでコーヒーでいいです…
「ブレンドコーヒーでおねがいします」
私がコーヒーを頼むと、橘父はハッとした表情をしていた。咳払いをすると、少々恥ずかしそうな顔をして目をそらした。
「…ついいつもの癖で…失礼した」
「…英恵さんですか? 夫婦で喫茶店に一緒に行くなんて仲いいですね」
英恵さんとのデートでいつもスイーツのメニューを開いて見せてあげているのか。なんだかんだでこの橘父は英恵さんのことが大好きなんだな。微笑ましい。
「…君のご両親も仲がいいだろう」
「仲は悪くないですけど、ウチの母さんは父さんと買い物に行くのあまり好きじゃないみたいですよ。ペースが乱れるから疲れるって」
「…そんなものか」
何十年も連れ添ってベタベタってのはあまりないと思うけど。そんなものなんじゃないだろうか。
「そもそもウチの両親はお互い想い合って交際に至ったというわけじゃないので…ある意味お見合いみたいなものなんですよね」
「…見合い…?」
「又聞きなんですけどね。娘の私が言うのはなんですけど、母は美人なので昔から変な男の人に付き纏われることが多くて…男性不信だったんです」
私は母や母方の祖母から聞かされたことのある、両親の馴れ初めを何故か彼氏の父親に話していた。
ちょっとした話題のつもりだったんだけど、意外と橘父は興味深そうに話を聞いていたからついつい話し込んじゃったよ。
恋バナが好きなのか、橘父は。
◆◆◆◆◆
「貴子ちゃん、今夜ご飯一緒に行かない? 俺奢っちゃうよ~?」
「…いえ、母が食事を作ってくれているので悪いんですけど…」
「えー? まだ実家ぐらししてるの? 実家ぐらしだと嫁ぎ遅れちゃうよ?」
その言葉に、目鼻立ちの整った美しい女性の眉がピクリと震えた。だが彼女は目の前にいるのが自分の上司(40代既婚者)だということを思い出して、無理やり笑顔を作った。
「えぇ、それでも構いません。お疲れ様でした」
彼女は荷物を手に取ると、退勤の挨拶をして職場から立ち去った。
高校卒業してから入社したこの会社も今年で3年目だ。仕事にもこなれだしてきた頃で、ゆとりも生まれてきたはずなのだが、彼女はいつまで経っても息苦しさを覚えていた。
昔から彼女が街を歩けば、10人中9人は目で追う。スカウトを受けたことは一度ではないし、ストーカーや勘違いした既婚者からの不倫のお誘いは日常茶飯事であった。
簡単に言えば彼女は美人すぎた。それ故にその美貌故に昔から苦労を抱えてきた。トラブルの多くは大体が男性関係。しかも貴子自身が望んだのではなく、あちら側から勝手にやってくるという運の悪さ。
彼女はひどい男性不信に陥っていた。
おかしな男だけでなく、まともな男性も世の中にいるというのはわかっていたが、今までの被害のせいで臆病になっていた貴子は自ら男性を避けて生きていた。
地味に装ってなるべく目立たないようにしてきたがそれでも目立つ自分の容貌。それに彼女は苦悩していた。
もしも彼女が気の強い性格ならその美貌で男を転がして利用してやれたのだろうが、生憎、貴子はそういう性格ではなかった。
周りにいる女性には、美しい貴子を妬む人間もいたが、その多くは貴子が被害にあっているのを傍で目撃しているもあって同情的だった。
「貴子ちゃんっちょっとちょっと!」
「…? どうしたんですか」
彼女に転機が訪れたのは、同じ部署で入社時からお世話になっているベテラン女性社員が持ちかけたある話だ。
先輩社員は一枚の写真を見せて来た。そこには自分よりいくつか年上の青年が穏やかに微笑んでいた。何故か手元に巨大なブロック肉を持っているのが気になるが…背景は緑に囲まれたキャンプ地…友人たちとバーベキューをしている時の写真らしい。
「この人どう思う!? 今27歳なんだけどね、本当にいい子なのよ。私の息子の友達なんだけどね…」
「あ…いえ…私そういうのはまだ…」
「騙されたと思って会ってみてよ! ひとりじゃ怖かったら、お母さんと一緒に会えばいいし」
仕事だけでなく、つきまといからも何度かこの人には助けてもらった。貴子はその恩もあったので、彼女の顔を立てるために渋々頷いた。
「貴子ちゃんはとてもいい子だから幸せになってほしいのよ。あなたはとっても美人なのにいつも背を丸めて生きているから…だって勿体無いでしょ? 彼氏ができたら、きっと自信にもつながるはずだから」
貴子自身の為を想って話を持ちかけたのであると、貴子もわかっていた。
だけど自分が知らない相手と会うということは貴子にはハードルが高すぎる…なので母親同伴での流れにしてもらったのである。
その相手と会うまでの間、貴子は憂鬱だった。
その男性が女性社員にとってはいい子でも、私の前ではどうなのだろうか…と自問自答している間に時間は過ぎて……とうとう、その日はやってきて、お相手と初対面を交わしたのだ。
「あ、どうもはじめまして。田端真人といいます」
「…樋口貴子です…はじめまして」
貴子が直接見た、田端真人という人間は…呑気そうな印象の青年だった。
何かに似ている…そうだあれだ……しっぽがクルンとした、赤毛の……
「…柴犬…」
「えっ?」
「あ、いえ、何でもありません」
貴子は咳払いして誤魔化すが、首を傾げているその仕草もやっぱり似ている。
それが二人の出会いだった。
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