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本編

私はモブだ。攻略対象の地味な姉という名の。

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「本当にいいの?」
「はい。お願いします」

 あの日、行きつけの美容室で予約の空きがないかを確認したら日曜の夜であれば空いていると言われた私は即予約した。
 これが最後になるかもしれないから髪を綺麗にして先輩を見送ろうと思う。


 そういえば金曜の夜、橘先輩に電話してみたけどもやっぱり用件を教えてくれなかった。
 なんなんだ。気になるじゃないか。

 とりあえず自分の目的を果たすため、先輩に卒業式の後挨拶しときたいから時間を作って欲しいとお願いすると「それなら俺も話したいことがあるから丁度いい」と返された。
 もう学校で先輩に会うことはないんだよなぁ…
 それを考えると切なくなる。
 

 日曜日の夜、私は美容室にてカラーリングとトリートメント、カットをお願いした。
 美容師さんの確認の後、自分の髪にカラーリングの液剤が塗布される。私は美容師さんが作業する様子を鏡越しに眺めながら明日の卒業式のことを考えていた。


 橘先輩と電話で話していたのだが、明日の卒業式には先輩のお祖父さんが来るそうだ。
 私が「え、お祖父さんが?」と疑問の声を出した所、橘先輩は「両親は忙しい人達でな。自分は祖父母に面倒見てもらったようなものだから」と話していた。

 聞く所によると橘兄弟の両親は二人揃って警察官僚と検察官というガチガチのエリートらしい。
 先輩いわく橘兄は長男ということで両親の期待を一身に背負って来たのだそうだ。橘兄はそれに応えて順調にエリートコースを進み、大学四年になる来年度は法科大学院に進むために受験生になるという。
 そして自分は高校受験で本命に落ちてしまったから両親の期待を裏切ってしまったんだと言い出した時にはついつい私は先輩を叱ってしまった。

 そんな風に自分を卑下しないで欲しい。ていうか先輩は充分すごいし。大体勉強は自分のためにするものであって、親のためじゃない。子供は親の操り人形じゃないんだから!
 
 私の電話越しの説教に先輩は笑っていた。
 なんで笑うの!? 笑うところじゃないんだけど!

『だけどこの高校に入って良かったと今では思ってる。あっという間の3年間だったよ』

 私もそれは思う。
 乙女ゲームのあやめのように女子校に通ってたらきっと先輩とここまで親しくなれなかっただろうし、恋する気持ちは味わえなかったはずだから。 

 先輩を好きになれてよかった。
 恋する気持ちを知ることが出来てよかった。自分でもいい恋が出来たと胸を張れる。

 例えお別れが来てしまっても、私はきっと前を見て歩けるはずだ。


「終わったよ」


 美容室の鏡に黒髪になった自分の姿が映った。



☆★☆



 翌日の朝、地味な顔の自分を鏡越しに眺めていた。
…偽りのない自分の姿で最後の挨拶をしたいけども化粧しないというのはもう無理だ。すっぴんだと裸で歩くような気分になるから。

「…百歩譲ってナチュラルメイク…!」
 
 私は太く描きがちのアイラインを申し訳程度にして、薄化粧に抑えた。もっとくっきり描きたい欲望を振り切って鞄を持つと、学校へと出掛けたのである。




 ガタンゴトン…と電車の音と車掌のアナウンスが響く電車内。スマホを見たり読書をしたり、人によっては朝からぐったりしている人がいたり。いつもと同じ風景だ。
 通学時間の電車内は少々混む。だけどそれでも満員ではないから電車内のスペースにゆとりはある。
 なのに私の後ろに中年サラリーマンが背後にピッタリくっついていた。やけにフスーフスーと鼻息がうるさいと思ったら…後ろにいた。

「………」

 あーそうだった。私、地味な時よく被害に遭ってたんだよね…
 くっそ足を思いっきり踏んでやろうか…

 今日という日に私は朝から痴漢に遭っていた。スカート越しに尻を触られていたのだ。
 痴漢って大人しそうな女の子ばっかり狙うんだよね…やっぱり黒髪ダメじゃん。ナチュラルメイクダメじゃん!
 明日になったら化粧だけでも絶対戻す! 
 私がそう誓って、痴漢の足を思いっきり踏みつけようと自分の右足を持ち上げていたら、尻を触られていたおっさんの手が誰かに捻り上げられた。


「いてててて!」
「よくも朝っぱらから…欲求不満ならそういう店に行けば良いものを」
「! 橘さん」
「…え?」

 私を助けてくれたのはなんと橘兄であった。
 だけど私を見て「誰?」って顔をしているので私はネタばらしした。

「私です。ほら例の安っぽい女ですよ?」
「………あやめさんか?」
「そうです」

 私の顔を見て橘兄は呆けていた。地味過ぎて衝撃を受けたのだろうか?
 そこで橘兄の拘束の手が緩んだのか、その隙を見逃さなかった痴漢は腕を振り払って逃げていく。

「あっ」
「しまっ…!」

 丁度駅に停車したタイミングで駅のホームへと痴漢は逃げてしまった。プシューッと音を立てて扉が閉まると電車は発車する。
 それには橘兄が愕然としていた。犯罪者を取り逃がしたことにショックを受けているようだ。
 がっくりしている橘兄の肩をぽんと叩く私。

「まぁまぁ、そんな日もありますよ」
「君は何を悠長なことを! 痴漢されたんだぞ!」
「痴漢は初めてじゃないし、丁度仕返ししようと思ってたんで…取り調べって時間かかるから嫌なんですよね~」

 私がそうライトに返すと橘兄はイラッとした様子で「そういう問題じゃないだろう!」と怒ってきた。
 なんでそんなに怒るんだか。

「…だって今日卒業式なんですもん。遅刻したくありません。今度遭遇したらちゃんと撃退しますよ」
「…君って人は…!」
「でも助けてくれてありがとうございます」

 私がお礼を言うと橘兄はガクッと脱力した。
 なんか私をジト目で見てくるけど言いたいことがあれば言えばいいのに。

「…それで? いきなり派手な格好を止めた理由は?」
「橘先輩に最後の挨拶しようと思ってきちんとしてみました。大丈夫ですよ。今の痴漢でまた元のギャルに戻る事決めたんで!」
「何が大丈夫なのかわからないし、亮介に最後の挨拶? あいつは大学に受かってればこっちの大学に通うんだから遠距離でもないだろうに」
「私、振られた後も会うほど神経図太くありませんよ。…あ、駅ついた」

 橘兄と喋っていたらいつの間にか駅に着いていた。いかんいかん乗り過ごすところだった。

「それじゃ!」
「ちょ、振られたとはどういうことだ!?」

 私はひらりと下車した。
 橘兄がなんか慌ててるけど電車のドアが閉まる警告ベルと駅員の警笛で何を言っているのか聞こえなかった。

 閉じられた扉の窓越しに橘兄に向かってばいばーいと手を振ると、改札に向かって駅の階段を登り始めた。





『厳冬を乗り越え、春の気配が近づいてきたこの良き日、この学び舎を巣立って行かれる卒業生の皆さま、ご卒業おめでとうございます…』

 壇上で現生徒会長が送辞を行っていた。
 卒業式ってなんか雰囲気に飲まれるよね。私も来年泣いてしまうかもしれない。
 ていうか卒業証書を授与された橘先輩を見て少し涙ぐんでしまった。化粧崩れるから泣くのは我慢したけど。
 
 卒業式は粛々と進み、三年生の中から鼻をすする音が聞こえてくる中、全員で国歌と校歌斉唱をした後、卒業生が仰げば尊しを歌っていた。
 この歌、子供の頃は意味わからずに歌ってたけど、大きくなると意味が深くて泣けてきそうになるんだよね。
 この歌に限らず、学校で歌わされる歌って深い歌が多い。
 泣きながら歌っている三年生がいて私はもらい泣きしてしまったんだけど。こりゃ大幅な化粧直し必須だな。

 三年生が退場していき、在校生も指示に従って教室に戻る。
 あぁ橘先輩が卒業していくんだなと実感が湧いてきて、私の心にぽっかり穴が空いたような気分になった。


 時間が経つにつれて元気がなくなる私にユカとリンが気遣わしげな視線を向けてくる。
 私は心配掛けたくなくて笑うようにはしてたけどやっぱりバレてしまったらしい。

「…じゃ、ちょっと先輩に挨拶してくるね」
「うん…いってらっしゃい」
「頑張れ! …待ってるからね!」

 二人にそう声をかけられ私は頷くと席を立ち上がる。

「アヤちゃん! 振られても俺がいるから大丈夫だよ!!」
「…沢渡、ちょっとこっちおいで?」
「…ホントお前はしょうもないな」
「リンちゃん? ユカちゃん? なんか顔が怖くなってるよ?」

 元気づけるために声をかけてきたらしい沢渡君は般若の形相をしたユカとリンに掃除道具入れ前に連行されて二人に包囲されていた。
 私はその様子に苦笑いして教室を出ようとしたら「あやめちゃん!」と花恋ちゃんが声をかけてきた。
 振り返ると彼女はファイティングポーズを取って「頑張って!」と激励を送ってくれたので私もポーズを返して頷いた。
 

 待ち合わせに指定されたのは風紀室だ。
 中庭とかだと、また他の人に声をかけられそうだからと先輩にここを指定された。
 今日が告白ラッシュのピークだろうからね。
 度重なる告白の対応に先輩もお疲れなのだろう。


 待ち合わせ場所の風紀室前に到着すると私は深呼吸をして、扉に手をかけた。

「失礼します」


 私は今日、モブを卒業する。
 
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