75 / 312
本編
これが胃袋を掴むってやつか。私の作る唐揚げって結構すごいな。
しおりを挟むじゃあさ、の意味がわからない。
私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして波良さんを見上げた。
波良さんは爽やかな笑みで私に笑いかけてくる。
え、なに本気なの? それともからかってるの?
「あやめちゃんのこと良いなって思ってたんだ俺。あやめちゃん料理上手だし、家庭的な女の子好きなんだよね」
「…波良さん私の料理食べたことありましたっけ?」
「和真が持ってきてた弁当貰ったんだ。なかなかアイツ分けてくれなかったけど食べて納得したよ。あやめちゃんの作った料理美味しいから独り占めしたくなる気持ちがわかるなって」
なるほど。あの唐揚げを食べたのかな。
しかし和真はあの量を独り占めしようとしてたのか。いやしんぼめ。太るぞいい加減。
…私の唐揚げには男を引き寄せるなにかがあるのだろうか。
いや、違う。
これが胃袋を掴むってことなのか?
「あやめちゃん結構危なっかしいし、放っておけないんだよね。この間の露出狂だって目の前にしてあやめちゃん固まってたし…俺が居なかったらどうなってたかと思うと心配でさ。俺、あやめちゃんを守れるくらいには腕には自信があるよ?」
「波良さん…」
「俺、あやめちゃんのこと大切にするよ?」
波良さんの真剣な眼差しにドキッとして私は目を大きく見開いた。
おいおい恥ずかしげもなく堂々と乙女がときめくセリフを言ってくれるではないか。ちょっとキュンとしたぞ。
だけどこれは決して浮気ではない、不可抗力だ。
私はこういった事に免疫がないんだよ。
…好意を持ってくれるのは嬉しい。今まで男の人に好意を向けられたことはなかったので、もしも好きな人が居なければ二つ返事でOKしてたと思う。
だけど、今はそんな気分になれない。何が悲しくて好きな人の前で別の男にお付き合いを申し込まれなきゃならないんだろうか。
「…すいません。私、波良さんのことよく知りませんし、そういう対象で見たことないんで」
「付き合ったらわかるじゃん」
「そういう問題じゃなくて…本当にすいません」
付き合えば情は湧くだろう。だけど今は本当に無理だ。
例え叶わない恋だとしても私の心には橘先輩が存在している。恋するまではこんな風になるとは思っていなかったけど、好きな人の事が心の大部分を占めているのだ。波良さんと付き合ったとしても気持ちはそう簡単に切り替わらない。
それに先輩の代わりとして波良さんと付き合うなんて器用な真似、私には出来ない。波良さんにも失礼だと思うし。
私が頭を下げてお断りすると、波良さんは「仕方ないね」とあっさり引き下がる。
随分あっさりだなおい。真面目に返事して損した気分になったぞ。
だけど波良さんは私の手を掴み、なにかのメモを渡した。
二つ折りのそのメモを開くとそこにはメッセージアプリのIDが記入されていた。
私がキョトンとして波良さんを見上げると彼はやっぱり爽やかに笑っている。
「でもいつでも声かけて? これ、俺の連絡先ね。連絡待ってるから」
「えっ」
「じゃあねー」
爽やかに去っていくフツメン。
フツメンのくせにっていうのは偏見かもしれないが、初対面の見知らぬ人(橘先輩)がいる前で交際申し込むってあの人中々メンタル強いな。
しかもこのメモいつから用意してたの?
私はじっとそのメモを見つめていたが、側に橘先輩がいるのを思い出してハッとする。
なんてことだ。待たせたままだった。
「あっ! すいません先輩、またせ…て」
先輩に謝罪しようと慌てて顔を上げた私だったが、先輩が立ち去っていく波良さんに向かって鋭い視線を送っていたのにギクッとする。
軽々しく声を掛けられない先輩の雰囲気に私はフリーズした。
なに? 波良さんの軟派な感じが気に入らないとか?
悪い人じゃないんですよ。いやそんなに彼の人となり知らないけども。
「せ、せんぱい? あの決して悪い人じゃないんですよ。多分無理強いはしないと思うし」
「田端」
先輩の視線を受けて私は背筋を伸ばした。何だこの緊張感は。
先輩は何だか苛立たしげな様子で私を見てくる。何かの感情を抑えるかのように低い声を絞り出してきた。
「…交際を断った相手に連絡するのは相手を期待させるだけと思うが」
「えっと…だけど…」
「…ならあいつと付き合うのか?」
重々しい問いかけに私は萎縮していた。
えぇぇ、なんで先輩こんな不機嫌になったの? さっきまで普通だったよね?? 待たされたのがそんなにイライラした?
「つ、付き合わないですけど」
「…けど?」
「波良さんは…和真の兄弟子なんですよ…和真のこと可愛がってくれてて……和真が何かに熱中したことは初めてなんです。私のせいで和真の好きな空手を奪うことになったら嫌なんですもん…」
怖いよ~…
先輩と帰れてハッピーだったのになんで私、尋問受けてるの?
先輩と一緒にいられるのはこれが最後かもしれないのにこんな最後やだよ…
思わず涙目になりそうである。
私の怯えた様子に気がついたのか、先輩は少々バツの悪い表情をして一瞬目を逸らしたが、再度私の目を見た。
今度はいつもの冷静な表情の先輩に戻ったので私はホッとする。
「…武道をやっている者は、己の思い通りにならないからと言って立場の弱いものに力を振りかざすことはあってはならないと習っているはずだ」
「…そう、ですかね」
「武道は体だけでなく心を鍛えるものだ。自分自身の弱い心に打ち勝つ術を身につける。彼に武道の心得が備わっているのであれば田端の弟に圧力をかけるなんて真似をすることはないだろう」
橘先輩の言うことは説得力がある。空手も剣道もその辺の心得は同じような気がしなくもない…素人だからよくわからないけど。
「うーん…そうですよね。そうかも知れません。それに中途半端な態度も良くないですよね。連絡取ったら拗れるかもしれないし」
「…そうと決まったらほら」
「?」
そう言って私に向かって右手を差し出してくる橘先輩。
私は反射的に左手をぽん、と乗っけた。
すると先輩は呆れた目で私を見てきた。
え、違うの?
「…違う。お前は犬か」
「だって先輩が手を出してくるから!」
「それだ。もう要らないだろう」
「あ」
先輩は空いた左手で私の手にある波良さんから渡されたメモを取り上げてぐしゃりと握りつぶすと自分の制服のポケットに収めてしまった。
「…先輩?」
「…ほら、帰るぞ」
その乱暴な行動に呆然とする私の手を橘先輩が握ると引っ張って歩き出した。私は足がもつれそうになりながら先輩についていく。
彼を見上げてみるとやっぱりムッスリした顔をしていた。口がへの字になってるよ。
「先輩? なんか怒ってませんか? 待たせてしまったのは申し訳ないと思ってるんですよ?」
「うるさい」
「!?」
うちに帰り着くまで先輩はなぜか不機嫌だった。だけど私の家の前につくと私の頭をワシャワシャ撫でてきた。
思う存分撫でて満足したのか「じゃあな」と呟いて先輩は帰ってしまった。
…見事な犬撫でであった。お陰で私の髪はボッサボサである。
…あれ? 私、橘先輩にも犬認定されてる?
二月の最終日の今日。
先輩が卒業するまであと四日。
私はこのまま後輩から犬扱いに格下げされてしまうのだろうか?
11
お気に入りに追加
478
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~
雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」
夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。
そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。
全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる