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番外編・大学生活編
誤解と乱暴なキス
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「どういうことだよ! あの男は誰なんだよっ」
その怒鳴り声は、バレー部が活動する体育館に大きく反響した。部活の練習中だった私は動きを止めてそちらに視線を向けた。他の部員らも同様で、静かに争いの現場を眺めている。
「だからあの人はゼミの先輩だって言っているでしょう!」
「はぁん? ただのゼミの先輩とお前は抱き合ってキスし合うのか! このクソビッチ!」
同じバレー部の先輩方が痴情のもつれを起こしている。原因は彼女の浮気みたいで、クソビッチと罵倒された女性側は目を見開いて顔を赤くしたり青くしたり大忙し。
「ちがっ、あれは無理やりされたの! 仕方ないじゃない先輩相手なんだから!」
「しらねーよ! お前とはもう終わりだ」
「いやっ別れたくない!!」
痴話喧嘩がとうとう別れ話に発展した。
恋愛にはいつか終わりが来るものだが……こんな、大勢のバレー仲間の前で恥を晒しても平気なのだろうか……
別れると決めた男の先輩に女の先輩がすがりついて泣いている。部外者としては部活に戻りたいのだが、こんな状況で知らん顔してバレーの練習を再開できるわけがない。
困る、とても困るぞ。今度他の大学と練習試合があるんだ。それに向けてみんな頑張っているのに。一組のカップルの痴話喧嘩に邪魔されたらかなわん。
皆が固まっている中、私は動いた。
「あのっ」
私が声を上げると、険悪ムードのカップルの視線がこちらに向いた。切れている男と、涙目の女。下手したら余計に状況を悪くしてしまう恐れがあるので、慎重にだ。
「大変なところすみませんが、ここは部活動をする場なので、改めて二人になれる場所で話し合いをしていただけませんか!」
要約すると『他所でやれ』である。
この先輩方と親しくない私には仲裁する権限もない。なので場所を変えて好きなだけ痴話喧嘩してくれと言うしかない。
「そーそー、エリカちゃんの言う通り。一旦頭冷やしてから改めて2人で話し合いしなって」
私に賛同してくれたのは、大学でもバレーを続けている二宮さんだ。二宮さんにとっては同期生の彼ら。なので彼は軽い感じであしらっている。
賛同してくれるのは心強い。だがしかし……私の隣に並ばないで欲しい。身長差が憎くなるから。
「そういうわけだから、かいさーん!」
パンパンと手を叩いてカップルに解散を促す。
二宮さんのひょうひょうとした態度にカップルは目を丸くして固まっている。だけど二宮さんは二宮ペースを維持して、「さー練習練習」と切り替えていた。
そうだな、練習だな。そうしよう。
くるっと方向転換すると、女子バレー部が練習しているスペースに戻って、先程までパス練習していたぴかりんのそばに戻っていった。
「あんたまた変なことに首突っ込んでー。ほっとけばいいのに」
「何かあったら加納様が心配されますよ?」
「だってあのまま放置してたら練習出来ないで終わりそうだったから」
大学でもバレーを続けているぴかりんと阿南さんから注意されたけど、何事も起きなかったからいいじゃないか。止めなきゃ話は平行線のまま、部員の士気はだだ下がりのままなんだぞ。
無関係の人だけどさ、人の争う姿は見ていても美しくないし、終わらせたほうが平和でしょ?
■□■
その日の部活が終わったので、私はお迎えの車が着くまで大学構内のど真ん中にある噴水そばのベンチに座って待っていた。
大学生になっても送り迎えというのはいささか過保護にも思えるが、二階堂家の娘になってしまったからには身を守るためには必要なことだと今では理解している。
「二階堂さん」
「え…」
スマホでネット記事を眺めていた私に誰かが声を掛けてきた。顔を上げるとそこには長身の男。だけどそれは二宮さんではない。慎悟でもない。
…先程までの部活中に痴話喧嘩をしていたカップルの片割れであった。彼は苦笑いを浮かべると、私に了承を得ることなく、隣に座ってきた。何だこいつ、馴れ馴れしいな。
私は距離を作るべく椅子の端まで寄った。
「…あのさ、相談したいんだけど…聞いてくれるかな?」
「……」
私は困惑した。
相談なら友達にしたらどうだ。まともに会話したことのない後輩女子に相談しても仕方がないだろう。後輩に相談って…情けないと思わないのか。
「…すみませんが、他をあたってください」
……ここに居たらまずい気がしてならない。
まだお迎えは来ていないだろうが、駐車場近くで待っていたほうがいいかも。素早く立ち上がってその場から立ち去ろうと足を動かした。
パシッ!
しかし失敗した。手首を掴まれて引き寄せられた私は簡単に抱き込まれてしまったのだ。
慎悟以外の男にだ。
──ギュッ
「は!?」
「…慰めてほしいな」
「いやいやいやお断りしますけど!?」
意味がわからんよ! なんで私があんたを慰めにゃならんのだ!
あんた彼女にされて嫌だったことを自分がやっちゃだめでしょ! もうすでに彼女とは別れた気でいるのかもしれんが、私には婚約者がいるんだ。こういうの困るんだよ!
「困ります! 私には婚約者がいるんです!」
私は力の限り抵抗した。めちゃくちゃ暴れているんだけど、びくともしない。体育会系の長身野郎相手じゃ分が悪すぎる。
嫌がっているのにこっちの話聞いてくれないし、なんかじわじわと男の顔が近づいてきている気がする。首を動かしてのけぞって抵抗した。
「いやっ…!」
万事休すかと思われたが、すっ…と眼の前にザラザラしていそうな紺色の壁が現れた。不埒者の顔が遮られたのである。
「……なに、しているんですか…?」
その声。
私は救いの神を見た気がした。
「…離してくれますか? 俺の婚約者にベタベタ触れないでください」
慎悟は持っていた本で私の顔をガードしてくれたみたいだ。慎悟に睨みつけられた相手は、その迫力に怯んでいた。男の腕の拘束が解けたので素早く距離を取る。
「慎悟…!」
体格差のある男から私を救出してくれた彼に私は縋りつこうとした。なんというタイミングの良さ! 助かったよありがとう!
「行くぞ」
……なのだが、その声は冷たく、私を見る目はブリザード。氷の瞳で睨みつけられた私はギクリとした。
慎悟は私の腕を掴むと力強く引っ張ってきた。その力は加減されておらず、腕に痛みが走る。
「痛い、慎悟腕が」
痛みを訴えると少しだけ力が緩んだけど、慎悟の足は止まらなかった。いつもは私の歩調に合わせてくれるのに今日はそれがない。
引きずられるようにして、連れて行かれたのは、経営学部生である私達は利用しない医学部棟の施設前だ。
人気のない場所に連れて行かれた私を冷たく見下ろした慎悟は機嫌が悪そうであった。
「…あんた、何してた」
「慎悟、待ってあんた何か誤解してる」
慎悟は見るからに怒っていた。恐らくさっきのことを誤解しているのだ。
「誤解? 俺は自分の目で見たことを誤解とは思わないな。……やっぱりあんたはああいう男が好きなのか? …従兄みたいな」
なぜここにユキ兄ちゃんが出てくるのか。慎悟は私の初恋の人にこだわりすぎている気がする。それ以前にあの男とユキ兄ちゃんを一緒にしないでくれないか。共通点…ないぞ。どこをどう見てユキ兄ちゃんを連想したんだ?
夕日はすっかり暮れて薄暗くなった場所だ。それでも慎悟がどんな表情をしているのかがわかった。彼は明らかに嫉妬している。
「違う! あの男がいきなり抱き寄せてきたんだよ」
これ、部活中の痴話喧嘩みたいな流れになってるじゃないか! なんで私まで同じ目に合わないとならんのだ! しかも冤罪で!
「こうか?」
慎悟が私を抱き込んできた。彼の香りが鼻いっぱいに広がり、私は苦しくなった。
それは胸がときめくとかそういう意味じゃなく、力いっぱい抱きしめられて苦しくなったという意味である。
いつも抱きしめられている腕なのに、私は怖くなってしまった。
「く、くるし…」
「で、キスしようとしたのか」
「嫌だって言ったよ! だけどアイツがやめてくれなかったんだ! …んっ!」
私の弁解を阻止するかのように、慎悟が唇を塞いできた。噛み付くような、いつもよりも乱暴なキス。
それははじめて慎悟とキスをしたあの時と似ていた。感情をコントロールできなくて、自分本意なキスをする慎悟。
慎悟とのキスは好きだ。だけどこういうのは嫌。どうして私を疑うのか。あの時私は抵抗していた、嫌だと訴えていた。だけど相手はやめなかった。
慎悟は男だからわからないだろう。
どんなに鍛えても私は女で、男相手には力がかなわないのだ。必殺技をするにも体制が悪く、私には不利な状況だった。
「うぐぅ…!」
喉奥に舌を差し込まれ、私は嘔吐反射を起こす。だけど慎悟が唇を離してくれる気配はない。口元が唾液でベタベタになってもお構いなしに口内を犯すのだ。視界が涙でいっぱいになってきた。苦しい。息も胸も苦しい。……悲しい。
信じてほしいのに。
私は慎悟以外の男に身体を許す気はないのに。
私は誓ったじゃないか。慎悟と幸せになるんだって。
どうしてそれを疑うのか……!
胸を叩いても、藻掻いても、慎悟は止めてくれない。慎悟の胸板を押し返していた腕を抜き出して、大きく振りかぶる。
──バシーンと破裂音。
あの時と同じだ。
あの時も私は慎悟の頬を叩いたのだ。
「……」
「いやっ! こんなの嫌!」
叩かれた頬を抑えてうつむいた慎悟はしばらく沈黙していた。痛かったのだろうか。
だけど私だって痛い。こんな乱暴なハグ、こちらを考えていない荒いキスなんか欲しくない。慎悟らしくないよ。
「こんなの慎悟らしくない!」
いつも頭がカッとなるのは私の方なのに、冷静な慎悟らしくないよ。
どうしてこんな乱暴な真似をするの。冷静に話し合おうよ。私の話を聞いてよ。
「……なら、もういい」
ぽつり、とつぶやかれたその言葉は震えているようにも聞こえた。
「…え」
慎悟は黙って踵を返すと一人でスタスタと立ち去っていった。私をこの場に残して。
“もういい”ってどういう意味?
私と話し合ってはくれないの?
そんな一方的に話を終わらせちゃうの?
いきなり慎悟に見放されたみたいになってしまい、私はしばらくの間そこで呆然と突っ立っていたのである。
その怒鳴り声は、バレー部が活動する体育館に大きく反響した。部活の練習中だった私は動きを止めてそちらに視線を向けた。他の部員らも同様で、静かに争いの現場を眺めている。
「だからあの人はゼミの先輩だって言っているでしょう!」
「はぁん? ただのゼミの先輩とお前は抱き合ってキスし合うのか! このクソビッチ!」
同じバレー部の先輩方が痴情のもつれを起こしている。原因は彼女の浮気みたいで、クソビッチと罵倒された女性側は目を見開いて顔を赤くしたり青くしたり大忙し。
「ちがっ、あれは無理やりされたの! 仕方ないじゃない先輩相手なんだから!」
「しらねーよ! お前とはもう終わりだ」
「いやっ別れたくない!!」
痴話喧嘩がとうとう別れ話に発展した。
恋愛にはいつか終わりが来るものだが……こんな、大勢のバレー仲間の前で恥を晒しても平気なのだろうか……
別れると決めた男の先輩に女の先輩がすがりついて泣いている。部外者としては部活に戻りたいのだが、こんな状況で知らん顔してバレーの練習を再開できるわけがない。
困る、とても困るぞ。今度他の大学と練習試合があるんだ。それに向けてみんな頑張っているのに。一組のカップルの痴話喧嘩に邪魔されたらかなわん。
皆が固まっている中、私は動いた。
「あのっ」
私が声を上げると、険悪ムードのカップルの視線がこちらに向いた。切れている男と、涙目の女。下手したら余計に状況を悪くしてしまう恐れがあるので、慎重にだ。
「大変なところすみませんが、ここは部活動をする場なので、改めて二人になれる場所で話し合いをしていただけませんか!」
要約すると『他所でやれ』である。
この先輩方と親しくない私には仲裁する権限もない。なので場所を変えて好きなだけ痴話喧嘩してくれと言うしかない。
「そーそー、エリカちゃんの言う通り。一旦頭冷やしてから改めて2人で話し合いしなって」
私に賛同してくれたのは、大学でもバレーを続けている二宮さんだ。二宮さんにとっては同期生の彼ら。なので彼は軽い感じであしらっている。
賛同してくれるのは心強い。だがしかし……私の隣に並ばないで欲しい。身長差が憎くなるから。
「そういうわけだから、かいさーん!」
パンパンと手を叩いてカップルに解散を促す。
二宮さんのひょうひょうとした態度にカップルは目を丸くして固まっている。だけど二宮さんは二宮ペースを維持して、「さー練習練習」と切り替えていた。
そうだな、練習だな。そうしよう。
くるっと方向転換すると、女子バレー部が練習しているスペースに戻って、先程までパス練習していたぴかりんのそばに戻っていった。
「あんたまた変なことに首突っ込んでー。ほっとけばいいのに」
「何かあったら加納様が心配されますよ?」
「だってあのまま放置してたら練習出来ないで終わりそうだったから」
大学でもバレーを続けているぴかりんと阿南さんから注意されたけど、何事も起きなかったからいいじゃないか。止めなきゃ話は平行線のまま、部員の士気はだだ下がりのままなんだぞ。
無関係の人だけどさ、人の争う姿は見ていても美しくないし、終わらせたほうが平和でしょ?
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その日の部活が終わったので、私はお迎えの車が着くまで大学構内のど真ん中にある噴水そばのベンチに座って待っていた。
大学生になっても送り迎えというのはいささか過保護にも思えるが、二階堂家の娘になってしまったからには身を守るためには必要なことだと今では理解している。
「二階堂さん」
「え…」
スマホでネット記事を眺めていた私に誰かが声を掛けてきた。顔を上げるとそこには長身の男。だけどそれは二宮さんではない。慎悟でもない。
…先程までの部活中に痴話喧嘩をしていたカップルの片割れであった。彼は苦笑いを浮かべると、私に了承を得ることなく、隣に座ってきた。何だこいつ、馴れ馴れしいな。
私は距離を作るべく椅子の端まで寄った。
「…あのさ、相談したいんだけど…聞いてくれるかな?」
「……」
私は困惑した。
相談なら友達にしたらどうだ。まともに会話したことのない後輩女子に相談しても仕方がないだろう。後輩に相談って…情けないと思わないのか。
「…すみませんが、他をあたってください」
……ここに居たらまずい気がしてならない。
まだお迎えは来ていないだろうが、駐車場近くで待っていたほうがいいかも。素早く立ち上がってその場から立ち去ろうと足を動かした。
パシッ!
しかし失敗した。手首を掴まれて引き寄せられた私は簡単に抱き込まれてしまったのだ。
慎悟以外の男にだ。
──ギュッ
「は!?」
「…慰めてほしいな」
「いやいやいやお断りしますけど!?」
意味がわからんよ! なんで私があんたを慰めにゃならんのだ!
あんた彼女にされて嫌だったことを自分がやっちゃだめでしょ! もうすでに彼女とは別れた気でいるのかもしれんが、私には婚約者がいるんだ。こういうの困るんだよ!
「困ります! 私には婚約者がいるんです!」
私は力の限り抵抗した。めちゃくちゃ暴れているんだけど、びくともしない。体育会系の長身野郎相手じゃ分が悪すぎる。
嫌がっているのにこっちの話聞いてくれないし、なんかじわじわと男の顔が近づいてきている気がする。首を動かしてのけぞって抵抗した。
「いやっ…!」
万事休すかと思われたが、すっ…と眼の前にザラザラしていそうな紺色の壁が現れた。不埒者の顔が遮られたのである。
「……なに、しているんですか…?」
その声。
私は救いの神を見た気がした。
「…離してくれますか? 俺の婚約者にベタベタ触れないでください」
慎悟は持っていた本で私の顔をガードしてくれたみたいだ。慎悟に睨みつけられた相手は、その迫力に怯んでいた。男の腕の拘束が解けたので素早く距離を取る。
「慎悟…!」
体格差のある男から私を救出してくれた彼に私は縋りつこうとした。なんというタイミングの良さ! 助かったよありがとう!
「行くぞ」
……なのだが、その声は冷たく、私を見る目はブリザード。氷の瞳で睨みつけられた私はギクリとした。
慎悟は私の腕を掴むと力強く引っ張ってきた。その力は加減されておらず、腕に痛みが走る。
「痛い、慎悟腕が」
痛みを訴えると少しだけ力が緩んだけど、慎悟の足は止まらなかった。いつもは私の歩調に合わせてくれるのに今日はそれがない。
引きずられるようにして、連れて行かれたのは、経営学部生である私達は利用しない医学部棟の施設前だ。
人気のない場所に連れて行かれた私を冷たく見下ろした慎悟は機嫌が悪そうであった。
「…あんた、何してた」
「慎悟、待ってあんた何か誤解してる」
慎悟は見るからに怒っていた。恐らくさっきのことを誤解しているのだ。
「誤解? 俺は自分の目で見たことを誤解とは思わないな。……やっぱりあんたはああいう男が好きなのか? …従兄みたいな」
なぜここにユキ兄ちゃんが出てくるのか。慎悟は私の初恋の人にこだわりすぎている気がする。それ以前にあの男とユキ兄ちゃんを一緒にしないでくれないか。共通点…ないぞ。どこをどう見てユキ兄ちゃんを連想したんだ?
夕日はすっかり暮れて薄暗くなった場所だ。それでも慎悟がどんな表情をしているのかがわかった。彼は明らかに嫉妬している。
「違う! あの男がいきなり抱き寄せてきたんだよ」
これ、部活中の痴話喧嘩みたいな流れになってるじゃないか! なんで私まで同じ目に合わないとならんのだ! しかも冤罪で!
「こうか?」
慎悟が私を抱き込んできた。彼の香りが鼻いっぱいに広がり、私は苦しくなった。
それは胸がときめくとかそういう意味じゃなく、力いっぱい抱きしめられて苦しくなったという意味である。
いつも抱きしめられている腕なのに、私は怖くなってしまった。
「く、くるし…」
「で、キスしようとしたのか」
「嫌だって言ったよ! だけどアイツがやめてくれなかったんだ! …んっ!」
私の弁解を阻止するかのように、慎悟が唇を塞いできた。噛み付くような、いつもよりも乱暴なキス。
それははじめて慎悟とキスをしたあの時と似ていた。感情をコントロールできなくて、自分本意なキスをする慎悟。
慎悟とのキスは好きだ。だけどこういうのは嫌。どうして私を疑うのか。あの時私は抵抗していた、嫌だと訴えていた。だけど相手はやめなかった。
慎悟は男だからわからないだろう。
どんなに鍛えても私は女で、男相手には力がかなわないのだ。必殺技をするにも体制が悪く、私には不利な状況だった。
「うぐぅ…!」
喉奥に舌を差し込まれ、私は嘔吐反射を起こす。だけど慎悟が唇を離してくれる気配はない。口元が唾液でベタベタになってもお構いなしに口内を犯すのだ。視界が涙でいっぱいになってきた。苦しい。息も胸も苦しい。……悲しい。
信じてほしいのに。
私は慎悟以外の男に身体を許す気はないのに。
私は誓ったじゃないか。慎悟と幸せになるんだって。
どうしてそれを疑うのか……!
胸を叩いても、藻掻いても、慎悟は止めてくれない。慎悟の胸板を押し返していた腕を抜き出して、大きく振りかぶる。
──バシーンと破裂音。
あの時と同じだ。
あの時も私は慎悟の頬を叩いたのだ。
「……」
「いやっ! こんなの嫌!」
叩かれた頬を抑えてうつむいた慎悟はしばらく沈黙していた。痛かったのだろうか。
だけど私だって痛い。こんな乱暴なハグ、こちらを考えていない荒いキスなんか欲しくない。慎悟らしくないよ。
「こんなの慎悟らしくない!」
いつも頭がカッとなるのは私の方なのに、冷静な慎悟らしくないよ。
どうしてこんな乱暴な真似をするの。冷静に話し合おうよ。私の話を聞いてよ。
「……なら、もういい」
ぽつり、とつぶやかれたその言葉は震えているようにも聞こえた。
「…え」
慎悟は黙って踵を返すと一人でスタスタと立ち去っていった。私をこの場に残して。
“もういい”ってどういう意味?
私と話し合ってはくれないの?
そんな一方的に話を終わらせちゃうの?
いきなり慎悟に見放されたみたいになってしまい、私はしばらくの間そこで呆然と突っ立っていたのである。
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