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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。
旅立ち
しおりを挟むあっという間に卒業式の日がやってきた。
私は去年誠心高校で松戸笑として高校卒業させてもらったのだが、何度経験しても卒業式特有の厳かな雰囲気には呑まれてしまう。
『3年3組、二階堂エリカ』
「はい」
憑依したての頃はその名を呼ばれても反応が遅れたり、自分の存在がわからなくなったりしたこともあるが、今は私の一部であると認められるようになった。
今ではエリカちゃんの名前を呼ばれても、私は自然と返事ができる。エリカちゃんはもう、私の一部となっていた。
卒業証書を高等部学校長直々に手渡されると、私はお辞儀をして受け取る。そして壇上から降りて自分の席へと戻っていった。
卒業式は粛々と行われ、卒業生達が3年間慣れ親しんだ学び舎を去る時間が刻一刻と近づいていた。
英学院。
私にとって、縁のないセレブ校。
エリカちゃんとして通うようになった当初はそれはまぁ居心地の悪い学校であった。
まずクラスメイトは避けてくるし、セレブ生ということで一般生から忌避されるし、元婚約者は怒鳴ってくるし、略奪女は訳のわからないことを言ってくるし……あとお前はボールに潰されるからバレー止めとけっていう絶世の美少年とかね。
セレブ生と一般生の確執はあるわ、いじめは陰湿だわ、気取った嫌味ったらしい、つまんない学校だなって、この学校が嫌いになった。
最悪だった印象が変わったのはやっぱり部活のお陰だろう。
バレーを好きでいてよかったと改めて思えた。バレーが私の居場所を作ってくれたんだ。バレーがなければ、私は未だに英学院を嫌いなままだったかもしれない。バレー部でもまぁ、しょうもないいじめはあったし、危険もあったけど、それも思い出っちゃ思い出だ。
この学校では色々あったな。嬉しいことも楽しいことも、辛いことも悲しいことも、腹立つこともたくさんたくさんあった。
バレーがなければこんな学校通いたくないと思っていたけど、今は大好きな人達に会うために通うようになった。
だけど今日でそれはおしまい。
正門前で私は、英学院の校舎を見上げた。初めて登校した日のあの衝撃を思い出しながら。
「…エリカちゃん、卒業したよ」
誰の耳にも入らないくらい、掠れた小さな声でここにはいない彼女へと呼びかけた。
あの日あの時、私が彼女を庇わなければ、彼女はきっと殺されていた。そして…私はここにいなかったであろう。
あの日狂った歯車は、狂ったまま時間を進めている。
──いつか、また会えるだろうか?
エリカちゃんは私で、私がエリカちゃん。それでも私は私でしかないけど、私は彼女としてこれからも生きていく。……彼女の人生ではなく、私の人生として生きていくんだ。
胸を押さえると、ドクンドクンと脈打つ心臓。…元気よく動き続ける心臓とともに、これからもずっと私は生きていく。
あの日失った命、夢、希望は取り戻せない。あの時には戻れない。
叶わないものは叶わない。悔しいけれどそれがこの世の理なのだ。
だけど今の私には新たな夢がある。その夢と希望を抱えて私は生きる。
いつか彼女とどこかで再会できた時、自分に恥じないよう、後悔せぬよう。
私は、私らしく、胸を張って生きるよ。
「どうした?」
「ううん」
私が校舎を見上げたまま一歩も動かないことを訝しんだ慎悟が声を掛けてきた。出会った頃よりも成長し、変わった彼はもう“年下の男の子”ではない。未来の私の旦那様だ。
彼が一緒だから私はもう迷わない。前を見て進んでいける。
私は名残惜しい気持ちを振り切ると、彼の手を取って正門ゲートを通過した。
さようなら、英学院高等部。
ありがとう、第二の学び舎。
しんみりしつつも、いい雰囲気になったところで学校を去ろうとしたら、目の前に奴が立ちはだかった。隣にいる慎悟も仏頂面になっている。
今日という晴れの日に絡んでくることはないだろうと思っていたけど、そんなことはなかった。
「また大学部で会おうね、“エミ”さん」
「うわぁ…」
せっかくの卒業式の感動が上杉のせいで消えて無くなりそうである。なにそれ、フラグ? 頼むから名前呼ばないで欲しい。
私が慎悟の腕にしがみついて警戒に当たると、奴は人差し指で自分の首を指してにっこりと笑っていた。その笑みは得体のしれぬ感情を抱えているようで、ゾッと鳥肌が立った。
「加納君、彼女に首輪をつけたみたいだけど……僕はそんなもので諦めたりはしないよ」
「首輪じゃないよ! 婚約指輪だよ! 婚約指輪を持ち歩くためのネックレス! あと諦めなくても、希望は皆無だからね!?」
奴は私が身につけている婚約指輪付きのネックレスを指摘してきたのだ。
上杉のあんまりな言い方に私はカッとなって叫ぶ。確かにネックレスは言い方によれば首輪だけど、こいつの言っている言葉は別の意味を含んでいるようで見逃せない。家畜みたいな意味合いで言ってるんだろうが!
「…せいぜい、頑張ることだな」
慎悟は相手にするのも面倒なようで、鼻で笑って一蹴していた。上杉も不気味に目を細め、好戦的に笑っていた。
「今のうちに余裕ぶっていればいいよ」
「あんたはいい加減に諦めるという事を覚えて!?」
大学生になってもこいつとの縁が切れない。奴は徹頭徹尾サイコパスであった。駄目だこいつ、早くなんとかしないと。どうしても近寄ってくるんだもん。
言っておくけど、こいつの毒牙には絶対にかからないからね!?
もうやだ! 卒業式の厳かな雰囲気が台無しだよ! いい雰囲気返してくれないかな!?
「もうこいつのことは無視。いくぞ笑さん、両親たちが待っている」
そうだ、これから二階堂・加納両家の親たちと一緒に卒業祝いの食事会なんだった。
上杉のために時間と気力を消費する暇など存在しない。
私は慎悟の婚約者なのだ。しっかりせねば!
私はキリッと表情を作ると、気合を入れ直した。
だけど。
──サワッ…と髪の毛を指で梳かれる感触に私はぴしっと表情をこわばらせて固まってしまった。
「……」
「あと2年位で元の長さになるかな? …楽しみにしておくね?」
「おいっ上杉っ!」
うっとりした顔と声で言われたそれは、私にとっては蛇が獲物を狙うそれ。
エリカちゃんは…よくも無事であったと思う。このサイコパスと同じ学校だったのに、本当に無事で……
「このっ…! 変態!!」
高校最後の髪の毛に対するセクハラ行為の被害に遭った私は、今日一番の変態コールを正門前で発したのであった。
■□■
時は流れ、あの日から5度目の初夏がやってきた。早いことで私は大学2年生になっていた。
慣れない学問に毎日ヒィヒィ言っているが、そこは秀才の婚約者と、新たにできた友人達に手助けされてなんとか身についていっている。
私も日々成長していっているのだ。
惨劇の現場は、日常生活を送る人々が行き交うバス停として今でも利用されていた。
命日の今日はいくつかの花束とお供え物が置かれていた。その数が年々減っていっているのを見ると、事件の記憶は風化されていっているんだなと見て取れる。
「──」
「…笑さん、そろそろ行けるか?」
私が長いこと手を合わせていたので、慎悟が心配そうに声を掛けてきた。この時期になると情緒不安定になってしまう私を、今でも彼は支えてくれる。
本当に私には勿体ない、素敵な婚約者である。
しゃがんでいた私は立ち上がって膝に着いた砂を軽く叩くと、自分があの日絶命した場所を見て目を細めた。
──犯人にナイフを突きつけられ、可哀想なくらいに怯えたセレブ校の制服を着た美少女。
守ってあげなきゃと思ったんだ。冷静に判断する時間なんかなかった。
あの時の行動を私はもう後悔していない。正しいことではないのかもしれないが、彼女を守る選択をしてよかったと思えている。
10年経っても、20年経ってもきっと忘れられない。私の心に焼きごてで押し付けられたように、焼き付いて消えることはない…
辛い時、私は慎悟に抱きついて甘えることがある。そんな時慎悟は何も言わずに抱きしめてくれる。彼の腕のあたたかさに私は何度も救われた。
私の世界の中心がバレーボールだったはずなのに、慎悟は私の唯一無二の存在に変わっていた。
私はお嬢様なんて柄じゃない。
二階堂エリカとして勉強も習い事も社交も頑張って、セレブに馴染もうとしているけど、やっぱりハリボテのお嬢様にしかなれない。何処まで突き詰めても私にしかなれないのだ。
だけど慎悟の隣でなら、私は耐えられる。
彼と共に人生を歩むためにこれからも頑張っていく。
他の誰でもない私は私らしい、お嬢様になるよ。
「ねぇ、飛行機の時間、まだ大丈夫だよね?」
私が慎悟に時間を尋ねると、彼は腕時計をちらっと確認した。
「まぁ、もうちょっとくらいは大丈夫だろう。だが、最低でも2時間前には空港に着いていたほうがいい」
「なら! この近くに美味しいカレー屋さんがあるんだ! 大学生向けでお手頃価格なんだよ。今から食べに行こう!」
気分を切り替えるためにカレーを食べよう! 私が提案すると、慎悟は半眼になって私へ呆れた目を向けてきた。
「…あんた昨日も大学の食堂でカレーを食べてなかったか? 食べ納めとか言って」
「多分私の前世がカレーの国の人だったんだよ」
「…全く、なに言ってるんだよ」
「アメリカに行ったら、美味しいカレーに巡り会えないかもしれないでしょー。これが本当の食べ納めだよ」
私は今夜発の飛行機に乗って日本を離れ、遠いアメリカへと語学留学する。期間は約1年間だ。
不安はあるよ。未だにお察しの英会話能力の私がアメリカでうまくいくのかって不安しかない。
だけど不思議と怖くはないんだ。学校は違うけど、留学するのは慎悟も一緒だもの。きっと向こうでは素敵な出会いと色んな発見が出来るはずだ。
なんたって人間には、無限大の可能性が秘められているのだ!
ほら、行こうと慎悟の手を掴む。慎悟はため息を吐きつつも、黙って私に着いてきてくれた。
決して慎悟の手を離さない。
これからどんな苦難が待ち構えていても、慎悟となら乗り越えて行ける。そんな気がするから。
彼が私を支えてくれたように、私も慎悟を支えていく。
「さぁ、行こう!」
それが私の決めた生き方。
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