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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。

この心臓が止まるまで、君のそばにいたい。

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 念願のインターハイ3回戦に出場した英学院女子バレー部。残念ながらそこで敗退となった。2回戦の相手校よりも更に強い相手の粘り勝ちだ。
 負けたのは当然悔しいことだが、英学院女子バレー部の確かな成長を感じた。これから更に、英学院女子バレー部は強くなれると確信できた。

 それでも準々決勝に進めなかったことが悔しくて、私は膝のアイシングをしながら悔し涙を流していた。
 
「最後までよく頑張ったな」

 約束通り最後まで応援してくれた慎悟の顔を見ると、じわっと目頭が熱くなった。
 私は彼に向かって手を伸ばす。慎悟はその手をしっかり握ってくれた。

「…私、生きているんだよ。戦い抜いたんだよ」

 去年は途中で天に召された私だけど、今回は最後まで戦った。
 私は生きているんだ。
 コートの外に出ても生きている。エリカちゃんの心臓は元気よく鼓動しているんだ。

「…そうだな。ちゃんと観てた」
「でもやっぱり悔しい…」
「秋口にまた、春の高校バレー予選があるんだろ、まだ終わりじゃない…あんたはまだまだバレーボールを楽しむチャンスが有る。…あんたは今を生きているんだから」

 慎悟にそれを言われると胸いっぱいになった。
 私はパイプ椅子から立ち上がると、慎悟の胸に飛び込む。私の事情を何も知らない周りからは「いちゃつくな」と冷やかされてしまったが、私は慎悟の肩に顔を埋めて、涙を流した。
 この涙は後悔や悲しみではない。
 私にはまだ次がある、生きていけるのだという希望の涙。
 慎悟の胸の鼓動を近くで感じると、私がここにいるという証明となって、私はひどく安心した。

 運動後のこの心臓はバクバクと鼓動を続けている。
 …慎悟は、心臓が止まる感覚を知らないだろう。死ぬ直前は苦しいし痛いしで辛いけど、心臓が止まると、自然と脳に酸素が行かなくなって、体中の感覚がふっと抜けるんだ。そしていつの間にか意識がなくなる。その時にならなきゃわからない感覚である。
 死ぬのが怖いと言うより、私はいつだって後悔ばかりであった。
 …もしも次、この身体の心臓の動きが止まり、私が三度みたび死ぬ時は、今度こそ人生を謳歌して、満足して逝きたい。後悔しないで生きたい。
 
 最期のその瞬間まで、君はそばに居てくれるだろうか。



 私の母校で強豪である誠心高校は準々決勝へと勝ち進み、多分明日には準決勝、決勝戦の舞台に立っていることであろう。
 私達が考えるのは次だ。
 次は春高予選が待っている。ここから転落するわけには行かない。私達3年にとっては最後の春高大会。油断して予選負けだなんて無様な結果を出したくはない。
 その前に今年の文化祭でまた姉妹校との招待試合があるそうなので、まずはそっちのことを考えないとな。
 最後のインターハイはこうして幕を下ろしたのである。



 お盆休みを挟んで、その後またいつもの日常が戻ってきた。高校最後の夏休みだけど、私にはぐーたらしている暇はない。
 部活して、家庭教師に勉強を教わり、お嬢様教育の一環である習い事をぼちぼち習って……充実し過ぎな夏休みを送っていた。ちょいちょい休みを挟んでいるからパンクすることはないけど、それでもちょっとキツい。
 だが目標のためだ。私は頑張れる。…私が頑張るのは慎悟との未来のためだ。

「あの笑がねぇ…好きな男の子のためにバレー以外のことに力を注ぐことが出来るなんて大したもんだわ」
「だって…」
「複雑な身の上であるあんたを受け入れてくれた男の子だもんね。逃しちゃダメよ」

 お母さんが運転席でカラカラ笑いながらからかってくる。私はお母さんに冷やかされたことが恥ずかしくて唸っていた。
 私は今松戸の母と一緒にドライブをしていた。ちょっと前に約束していたSNS映えするお店へ行く約束を果たすのだ。昨日から松戸家に泊まって、朝イチで出かけた。何故ならお母さんが行きたがっているお店が遠方だからだ。二階堂家のある隣市とは反対側である。
 なんでこんな遠方なのかとお母さんに尋ねた所、私達を知っている人がいたら色々憶測を呼ぶからと返ってきた。それを言われたらそうかと納得した。私達のことを誰も知らない場所であれば、堂々とお母さんを呼べるのか。
 この間の三浦君の件があるから、そのくらい用心したほうがいいだろう。

 実家から1時間ほど走らせて到着したのは緑豊かな…山麓の牧場である。
 SNS映えじゃないのかとお母さんにも確認したが、お母さんはSNSをしているわけでもない。ただ自分が気になる場所に行きたいと言う話であった。
 以前お母さんが行きたがっていたお店は、SNS映えを狙った人達によってポイ捨て問題が浮上しているというニュースを観て、行く気が失せたとかナンタラカンタラ。まぁ、気持ちはわからんでもない。 
 
 …牧場ならお父さんも着いてきてくれそうだけどな…休みが合わないからだろうか。お父さんは土日祝も仕事だ。お母さんのパートは土日祝が休み。見事に休みが合わないので、仕方がないのだろうが。
 あ、昨日久々にお父さんに会ったけど元気そうだったよ。また太ったみたいだったので、お腹をベシベシ叩いて痩せたほうがいいよと声を掛けておいた。
 クラブ花みずきのユウコママは元気かと質問したらギクッとしていたので、クラブには今も通っているらしい。職場の上司の付き合いで通っている、やましいことはなにもないとは言い訳していたが、本当のところはわからない。
 500円をそっと渡されて「好きなお菓子買っていいから、これ以上その話題はやめてくれ」と挙動不審気味に懇願された。父は相変わらずで安心した。松戸家はかかあ天下なので、父は母に弱いのだ。


 なにか参加できるイベントはないかと総合受付で掲示板を見ていると、いくつかイベントが開催されていたので、バター作り体験を予約することに。こういう牧場でベタな乳搾り体験もあったが、衛生の関係上それを飲めるわけじゃないので、自分たちで食べることが出来るものにしたのだ。

 バター作り体験では、この牧場でとれた生クリームの入った容器を渡された。それをひたすら振るという肉体労働を課せられ、3分もしない内にお母さんが早くも音を上げていたので、私が両手を駆使してシェイクする。バレーで鍛えた鋼の筋肉をナメるな!
 途中腕が疲れてきたが、休まずに振り続けた。10分くらい振り続けていると、中から水分が出てきた。それを捨てて、水で3回ほど濯ぎ、バターナイフでしっかり水気を切る。
 こうして出来上がったのはちっちゃなバターだ。あれだけ腕振りまくってこれだけかとちょっとがっかりしたが、体験教室の人が蒸してくれたじゃがいもにバターをつけて食べるとまぁ美味しい。先程の苦労が報われた瞬間である。市販のバターとはまた違った味わいがあって美味しい。
 多分ここで販売しているバターや牛乳も美味しいに違いないから、お土産に買って帰ろうかとお母さんと話していたが、この出来たての味はお届けできないんだろうな。こればっかりは仕方ないけど。

 その後は牧場内を散策したり、山の展望台から下の風景を眺めたりして過ごした。
 8月も後半に差し掛かったものの、残暑は依然として厳しい。熱中症対策で私もお母さんも日傘持参で回っている。しかし、ここは草原と土の地面なのでまだマシだ。これがアスファルトだったらもっと暑かったであろう。
 2人で牧場内を歩きながら、お母さんとは普段話せないようなことをたくさん話した。離れて暮らしている上にお互いに生活があるので、連絡を定期的に取っていても話せていないことがたくさんあるのだ。
 しかも外でこうして堂々と母娘に戻れるのはとても貴重なことだ。地元では絶対に呼べないけど、私達を知らない人しかいないこの牧場では堂々とお母さんと呼べる。そんな些細なことが私は嬉しかった。

 牧場でとれた乳で作った地産地消ソフトクリームが美味しそうだったので購入した。巻きが多い。これは満足サイズだぞ。
 ……これは写真撮影するべきなのではないか?

「お母さん、SNS映え風の写真撮ってあげようか」
「おばさんの映え写真なんか誰が喜ぶのよ。あんたのこと撮ってあげるから慎悟君に送ったら」
「だって外見エリカちゃんじゃーん…」

 写真が撮りにくいと言われてお母さんの分のソフトクリームを持たされた。両手にソフトクリームという食いしん坊スタイルで撮影された私。これを送れと言われた私はめちゃくちゃ渋ったが、仕方なく慎悟に送っておいた。
 
「あんた乗馬習ってるんでしょ? 馬には乗らないの?」
「ここじゃかっこいい所見せられないもん」

 乗馬体験をしている家族連れを見ていると、お母さんに馬には乗らないのかと聞かれた。
 職員が誘導する乗馬はポテポテとお馬さんがゆっくり歩くだけ。多分自分で動かすのは許してくれないはずだ。私はお馬さんと速歩トロットしたいんだよ。
 私は今も乗馬を習っているが、最近は月に2回くらいしか行けていない。本当はもっと通いたいが、部活や他の習い事とのバランスもあるのでね……
 あー馬に乗りたい。最近になって乗り慣れてきたので、そのうちあの武隈嬢のようにお馬さんで障害物跳躍したいなぁ……某白馬の将軍のように駆け回りたい…
 

 その時の私は実母と久々に遠方へ出かけたこと、牧場ののどかな雰囲気に少々油断していた。

 ──カシャカシャカシャッ

 隣市の松戸家から…何なら前日に二階堂家から車で松戸家へ向かっている時からずっと尾行され、この牧場でお母さんと久々の母娘水入らずで過ごしている姿を監視されていたこと、撮影されていた事に全く気づけなかった。

 ここ最近ズッコケ探偵の気配もないし、まさかここまで追いかけてくるとは思っていなかった。なによりもあのズッコケ探偵のやかましい気配がなかったから、警戒していなかったのだ。



 夏休みがあと少しで終わる8月下旬ごろのことだった。

『三浦が笑さんに謝罪したいと言っているんだ』
「えぇ…? …代わりに慎悟が謝罪聞いておいてよ」

 慎悟から電話がかかってきたと思えば、三浦君から『探偵を使って勝手に身辺調査していたことを詫びたいとの申し出があった』と伝えられた。
 しかしあの件は私の中で終わったと言うか、わざわざ三浦君のために時間を作るのが面倒だ。なんたって印象が最悪になってしまったので、いくら慎悟の友人でも私はあまり会いたくないのだ。慎悟には悪いが代わりに謝罪を受け取っておいてくれと頼んでおいた。

 だがその後更に折り返しでかかってきた電話で『言ったけど、どうしても顔を見て謝りたいんだと』と慎悟も対応に困った様子だったので、私は重い腰を上げた。
 とは言っても私も暇じゃないので、謝罪がしたいなら二階堂家まで来いと呼びつけた。慎悟同席なら何事もないであろうと思ったのだ。午前中は部活で夕方からは家庭教師の井上さんが来る。その間の時間を空けて、話を聞いてあげることにした。


■□■


 約束の当日。
 思ったよりも部活が長引いて、家に到着したのは約束の時間20分前。急いで着替えようと思ったのだが、家に入ってすぐに、二階堂家お手伝いの登紀子さんから「お客様を客間にお通ししております」と声を掛けえられた。えぇぇ来るの早いよ。
 汗かいてるからシャワー浴びたかったけど仕方がない。ジャージ姿から私服のカジュアルな服に素早く着替えると、客を待たせている客間に顔を出した。

 扉を開けると、二階堂家の客間の壁に飾られた抽象的な絵画が目に飛び込んできた。
 そして手前のソファ席には並んで男子2人が座っていた。私はその片方を見て目を細める。
 私が入室したことに気づいた彼は、顔を上げると、ニィッと不敵に笑った。

 ──私の野生の勘が囁いていた。
 反省して謝罪しに来た奴の態度ではないなと。


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