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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。
そのまま離さないで。でないと心と体がバラバラになりそうなんだ。
しおりを挟む今年のGWも部活だったり、休みだったりした。連休中は習い事が休みなので、のびのび過ごせた気がする。
連休中のある日の夜、早めに仕事を切り上げて帰ってきた二階堂パパママと私は一緒に過ごした。どこかに出かけるわけではなく、二階堂家の広いリビングでお茶するだけだが、お互いの理解を深めるためのお茶会なので形はどうでもいいのだ。
「もうすぐ2年ね」
ママが優雅にティーカップを傾けながら呟いた。彼女の表情は暗く陰っている。
私は手元のカップの中の紅茶に視線を落とす。琥珀色の液体に映るのは、あの日よりも大人っぽくなったエリカちゃんの顔であった。
そう、私が死んでから2年、エリカちゃんに憑依した私と二階堂夫妻の奇妙な同居生活が始まったのも2年前である。
「長かったようであっという間だった気がする」
「えっちゃんは今年もあのバス停に行くんだろう? 実家には寄って帰るのかい?」
「気持ちが落ち着いていたら帰ろうかなとは思ってる。…お母さんを心配させたくないから、気分が落ち込んでいた場合は帰らないよ」
私は松戸の家族には弱いところを見せないようにしている。だって辛いのは家族も一緒。せめて久々に会う時は明るく笑顔で会いたいと考えているのだ。
2年だ。時間が経過するにつれて悪夢の回数も減ったけども、5月に入って再びあの日の夢を見た。…メンタルを整えるために、一度カウンセリングに行っておいたほうがいいのかもしれない。
私の家族も事件直後は周りのすすめでカウンセリングに通っていたようだが、日常に追われ、経済的な理由もあって今は通っていないようだ。50分程度で1万円くらい飛ぶからねカウンセリング…
お母さんたちは行かなくても大丈夫だとは言っていたけど…。まぁ、カウンセリングも万能ではないからな…
時が経って犯罪者が服役を終えて出てきても、被害者家族の心は事件当日に囚われたまま、取り残されているのだとカウンセリングの先生が話してくれたことがある。
…トラウマという心の傷はそう簡単には癒えない。時間が解決するわけではなく、心の奥底に隠すのが上手になっただけなんだと私は思う。前を見ようと進んでも、また後ろから足を引っ張ってくる。それが心の傷だ。
でもこの間家族と会った時は元気そうだから…大丈夫かな。私も過去を振り返りつつも、前を見ている。
……家族も大丈夫だろう。
「そうだ聞いてよ。渉がもしかしたら秋口の予選に出場できるかもなんだ」
「今年入学したばかりなのに?」
「さすがえっちゃんの弟だね。活躍が楽しみだね」
二階堂夫妻との団欒の時間に暗い話をしているのは勿体ないので、私は話を切り替えた。
弟は誠心高校男子バレー部の監督と、女子バレー部の前監督に目をつけられ、相変わらずバレー三昧の毎日を過ごしているようだ。
引退したはずの女子バレー前監督はどうやら、私の意志を継いだ渉に光るものを見つけたようで、ちょいちょい男子バレー部の練習場所に出没するらしい。ダブル鬼監督に囲まれた渉は毎日しごかれているそうだ。【あの人何なの、怖い】という渉のヘルプメッセージが週に2回位送られてくるが、それがあの監督の期待値なのでなんとか頑張ってほしい。
そんでもって入学したての1年生なのに監督に目をかけられている渉が上級生にいびられるかといえばそれはなかった。私と依里の存在が大きくて、むしろ可愛がられているようだ。
死んでも尚、私の影響があるのがすごい。私すごい。
「あ、それとね、大学進学のことなんだけど……私、経営学部を狙おうと思うんだ」
「本当にそれでいいの?」
「将来役に立てそうな学科で勉強したほうがいいかなと」
私が将来どういう形で仕事に従事するのかはよくわからない。でも、二階堂パパママの仕事を手伝うにしても、嫁入り先の事業を手助けするにも、きっと役に立つと思うんだ。
経済学部も選択肢にあったけど、経営側に立つことになるなら経営学部が妥当だと判断した。
普段幹さんに迷惑を掛けているが、これからは自分でも勉強を頑張っていこうと思う。
「そしたら家庭教師も増やしましょうか」
「えっ」
「いつまでもお友達に頼ってはいられないでしょう? お友達だって受験生になるのだもの。その幹さんって子は奨学生なんでしょう? なおさら頼れないわ」
「そうだね、そのほうがいいかもね」
進学先の話をしていたら更に習い事が増えてしまった。パパママの間では決定事項のようだ。
確かに幹さんにも都合があるし、いつも悪いなぁとは思っていたからその方がいいとは思うけども…更に、更に習い事が増えるだと……
この間華道の先生に「今度生け花展覧会を行うので、エリカさんも是非展覧会へ作品を提出してくださいね」とか言われちゃって…私の芸術を世間様にお披露目しないといけなくなりそうだし…私、心労で倒れたりしないよね?
■□■
「…というわけなんだ…」
「…まぁ、あんたのためにもなるからいいんじゃないか?」
「詰め込みはよくないと思うんだけどな…」
「華道や茶道は嗜み程度でいいって言われているんだろ? 立ち振舞いや知識を覚えるついでで、気楽にやればいいじゃないか」
慎悟に家庭教師が新たに追加されたと話したら、ドライな返答が返ってきた。そんな反応があるとは思っていたが、ダメージは大きい。
私が唸り声をあげていると、慎悟がため息を吐いた。
「…この間、上杉に言い放った言葉を撤回するのか?」
「そういうわけじゃないよー…ちょっと不安になっただけだよ」
私は今、慎悟と一緒にあの事件現場に向かっていた。エリカちゃんが辿ったルートでバスを乗り継いで向かっているのだ。
今日は日曜日。休みの日に学校近くのバス停から出発するのは手間だと考えた慎悟から車で行こうと提案されたが、私はバスで行くことをゴリ押しした。これは一風変わったデートルートだと思って欲しい。
「優先順位を決めていけばいい。言ってしまえば、華道や乗馬は歳を重ねてからでも習得することも出来るから」
「待って、乗馬は優先したい!」
私は某白馬の将軍のように馬で駆け抜けたいのだ。乗馬は外せない。
私としてはバレー→勉強(教養マナー・英会話含む)→乗馬→その他という優先順位で行きたい。それで行かせて欲しい。…勉強類が上位に来ただけ進歩していると思うんだけどな。
「そんな事言っている余裕あるのか? 笑さんのことだからバレーは絶対に外せないんだろう?」
「そうだよ…わかっているけど、」
真面目で現実主義な慎悟は冷静な言葉を返してくる。わかってんだよ、慎悟の言っていることは正しいと。
だけどガチガチに縛られていたらそのうちパンクしてしまうってものだろう。
「…大丈夫、焦るなよ。二階堂のおじさんおばさんもあんたのために習わせようとしているんだ。無理をさせようとしているんじゃない」
「ん…わかってる…弱ったらまた愚痴るかも…その時は聞くだけでもいいから聞いてね」
私は隣に座っている慎悟の肩に、頭を軽く乗せた。
どんどんやることが増えてきて、私はプレッシャーを感じていた。好きでやっていたバレーとは違う。…上杉にドヤ顔で頑張る宣言した手前、弱音を吐きづらかったけど、つい吐き出してしまった。
諦めるわけではない。だけど私だって弱気になることもあるのだ。多分、今日が命日だからその所為で余計に気が弱くなってしまっているのだと思う。
慎悟が手を握ってきたので、私も握り返した。
もうすぐあのバス停に到着する。2年前のあの時間に戻るんだ。
今年は去年よりもお供え物は減っていた。
まぁそんなもんだ。故人と親しかった人でない限り、いつまでも人の死を憶えて悼む人はいないはずだ。いつまでも過去に囚われ続けるわけには行かないから。
だけど…遺族はそうは行かない。前に進みたくとも過去が足を引っ張り続けて…忘れることなんて出来ない。許すことが出来るならばこんなにも苦しまなくてもいいのにと苦悩する人が大半であろう。
私は持ってきた花をそこに手向けた。これはサラリーマンのおじさんと、エリカちゃんの魂に向けた花だ。他の人が供えた花々の上にそっと置いた。
やはりここに来ると、私は感情が高ぶってしまう。それは恐怖や怒り、哀しみが入り混じった複雑な感情で、寒くもない時期だと言うのにブルブルと体が震えた。
自分を落ち着かせるために深呼吸すると、私は手を合わせた。隣にいる慎悟も私に合わせて手を合わせている。
あの日もこんな風に穏やかな日だった。あんな惨劇が起きる前兆なんて何もなかった。
…あの日の記憶を思い出すとやっぱり駄目だ。我慢しようとしたけども嗚咽が漏れた。頬を熱い涙が伝う。慎悟を心配させてしまうとわかっていたけど止められなかった。
泣くつもりはなかったんだ。
だけど駄目だ。2年経って落ち着いたとは思っていたけど、殺された時の心の傷はまだまだ癒えていない。苦しい感情を爆発させた私は泣きじゃくった。このやり場のない怒りや悲しみを、泣いて発散するしか出来ない。
エリカちゃんの身体で生きているという現状とはいえ、私は間違いなく2年前の今日死んだ。それは紛れもない事実。エリカちゃんの人生を奪うようにして今を生きているのも全て2年前のあの事件が始まりなのだ。
自分の中で何度整理して納得させようとしても、心では理解できない。エリカちゃんの分まで生きて幸せになると決めているけども、2年前の悪夢は私の心を蝕んだままだ。
慎悟は黙って私を抱き寄せてきた。背中を擦り、私の気が済むまで泣かせてくれた。
その腕は力強く、苦しさを感じるくらいだったけど、その苦しさは私がここで生きている証明に感じた。そのまま離さないで欲しくて、私も強く抱きしめ返した。
この苦しみが昇華されたらいいと私はずっと願っていた。
だけどそれは不可能で、この苦しみを受け入れて生きなければならないのだ。だけど心がばらばらになりそうで怖い。
私が犯人を許す日は来るのだろうか。
そしたら、心は楽になれるのだろうか。
泣きすぎて目が腫れぼったい。耳もおかしい。
だけど少しだけ心がスッキリした。多分慎悟が思う存分泣かせてくれたからだ。
「…そろそろ帰るか?」
「…ん」
慎悟の肩口に顔を埋めていた私は頷いた。
もう時刻は18時。私が息絶えた時刻辺り。…いつまでもここにいても仕方がない。明日は普段どおり学校がある。またいつもの日常に戻るんだ。
過去を振り返っていては、前に進めない。
【♪♬♫…】
「ん? ごめん電話だ。ちょっと待って」
帰宅するために反対車線のバス停に向かおうとしたら、鞄の中に入れていたスマホの着信音に足止めを食らった。慎悟に断ってスマホを見ると、液晶に弟の渉の名前が表記されていた。
いつもメッセージなのに電話というのは珍しいなと思いながら、私は電話に出た。
「もしもし」
『姉ちゃん…? 大丈夫?』
「え? なにが?」
『…その、家に…』
急に私の安否を尋ねてきた弟。今日が命日だから心配して掛けて来たのかと思えば、それも含めて、別のことを心配していたらしい。
『……二階堂さんの家に、加害者からの手紙とか届いてねーよな?』
「…え?」
渉の言葉に私は呆然とした。
加害者、つまり私を殺した少年X…幾島要だ。彼は私と同じ年だったから、今年19歳になるはずだ。それから手紙。何故、今更…
泣いてスッキリしたはずの私の頭に再度、あの惨劇の日から裁判で再会した時の記憶が蘇ってきて。
──忘れたいのに、過去が追いかけてくる。
「…どうしたんだ笑さん」
電話口の渉の呼びかけではなく、隣にいた慎悟の声で私は我に返ったのであった。
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