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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
誠心高校の女子バレー部監督と私の過去。
しおりを挟む年が明けたばかりの1月上旬。今年も始まった春の高校バレー大会。女子バレー部顧問、コーチ同伴で前日には会場近くのホテルに宿泊して現地入りしていた英学院女子バレー部員たちは万全の体制で試合の日を迎えた。
開会式が終わるといよいよ試合が始まった。
今回の目標は2回戦勝利である。インターハイでは私が倒れた後に2回戦敗退したからね…でも今回は大丈夫。もう不整脈で倒れたりしないから!
それなのに色んな人に苦しくなったら試合を抜けろと念押しされた。慎悟ですら昨晩わざわざ電話で念押ししてきた。あんたにはあの不整脈は閻魔大王が起こしたことだって話しただろうが。まさか嘘だと思っているのか?
私をもっと信じろよ!
1回戦目の試合は順調だった。英学院側が3セット先取して1回戦を勝ち進むことが出来た。それは相手が弱いんじゃなくて、私達が強くなったのだと信じたい。
私はマネージャーに手渡されたドリンクを飲みながらなにとなしに観客席に目をやると、彼の姿を見つけた。
春高大会の観客席は大勢の人でひしめき合っているというのに、すぐに見つけてしまったのは彼が目立つからであろうか? それともこの身体の視力がいいのかな?
今の試合全部観ててくれたかな? 私カッコよかったかな?
観に来てくれるとは言っていたけど、実際に来ている姿を見ると嬉しくなる。
私は今しがたの第1試合に勝利した高揚感もあって気が大きくなっていた。観客席に座っている慎悟に向けて腕をブンブン振ってみた。
相手が小さく手を振り返したのを確認すると、私は自然と笑顔になっていた。
「今の見ました?」
「堂々といちゃついてるよね。あーあー、でれでれしちゃって」
「いちゃついていないし、でれでれもしてないよ! だってわざわざここまで観に来てくれたんだよ? 普通に嬉しいでしょ!」
阿南さんとぴかりんが後ろでまた何か言ってきたので反論したのだけど、2人は生暖かくこっちを見てくるだけ。
本当になんなのこの2人は!
「私は3ヶ月後ですわね」
「あたしは半年かな…」
何やら2人はヒソヒソと賭け事をし始めた。感じ悪いなぁ。
それはそうと2回戦だよ。私達は大会に集中するべきなんだ。2回戦に向けて気合を入れねば!
2回戦目の試合までちょっと時間が出来たので、私は暇を見て他校の試合を観に行った。…別にこれはスパイ活動ではないよ。
誠心高校は今年どこまで行けるかな。去年の春高大会では惜しくも準優勝だったんだよね。
同じコートでもう一度依里と戦いたかったけど、流石に今の英学院の実力ではそこまでは行けないかなぁ…諦めたくない気持ちはあるけど、現実は厳しい。
「偵察にでも来たのか」
「!?」
試合はこれからって時。私は空いていた観客席の端の席に座って試合開始を待っていた。そこで横から誰かに声を掛けられたのだ。
見上げてみれば、そこには誠心高校女子バレー部の監督の姿があった。それには驚きを隠せなくて、私はギョッとした顔をしてしまった。
私が思ったのは「なんでここにいるの。監督なんだからベンチで選手たちを激励しなきゃダメでしょうが」ということである。
「…今度代替わりするんでな。あそこの若造に指示は任せてる」
「……そうなんすか」
思ったことを口に出していないのに返事が返ってきた。監督が指差した先には…おそらく40代くらいの男性の姿。……若造とは…?
監督はもう70歳をとうに過ぎている。なので監督の任を若い人に引き継ぐことにしたらしい。
「ちょっと詰めてくれ」
「あ、はい」
言われるがまま私は1つ奥の席に座った。よくわからないけど監督が私の隣の席に座ってきたんだけど。なんで?
「先程の英学院の試合を見ていたが…二階堂君はリベロに転身しないのか」
「…最初はそう考えていましたけどね、リベロになろうって…」
ボールを打つ時の、ジャンプをした感覚が好きなのだ。重力が存在しないと錯覚するあの感覚がたまらなく好きなのだ。それでもって、自分が打ったスパイクで相手からポイントを奪えた時の快感を忘れることは出来ない。
「…わかってるんです。日本女子代表のスパイカーの平均身長は180cm前後です。私はスパイカーとして致命的に背が低すぎると」
スパイカーに固執すればするだけ、私の道は狭まっていくことはわかっていた。
「…でもプロになれなくても私はスパイカーとしてバレーを続けたいんです。私は守るよりも攻撃するほうが性に合っているんです」
監督はなにも返してこなかった。なんとなく気になったから問いかけてきただけなのかも。
話している間にコートの中では誠心の試合が始まっていた。依里が勢いよくジャンプサーブしている姿が生き生きして見える。
「…松戸の遺志を継いだのか」
その言葉に私はバッと横にいる監督に目を向けた。監督はコートに視線を向けたままである。私の方を見ちゃいなかった。
監督は二階堂エリカが事件の関係者だと知っていたのかな。エリカちゃんの名前は報道されていないはずなのに。何処からか噂が流れ込んだのであろうか。…依里が話すわけがないし…
「……松戸笑は、あれは…もっと伸びるはずだった…」
会場内は熱気と声援にあふれているのに、監督の言葉が私の耳にはっきり届いた。
…まさかここで自分の話になるとは思わなかった私は、次に発する言葉を口に出来なかった。
監督は試合中のコートから視線を外すことがなかった。だけど今の監督が見ているものは試合ではなく過去。遠くに思いを馳せているように見えた。
「あいつはな、朝も昼も夜もバレーのことばかり考えていていた。キツい指導をしても食いついてくる松戸は、貪欲にするすると技術を身に着けていった。背も伸びている最中だったから、きっと世界の舞台でも活躍できるレベルに達することが出来たはずだ」
私は驚いていた。
笑として誠心高校に在学中、私はこの監督に特別ビシバシ指導された。自分なんか悪いことしたかなと思うくらい厳しくて、なんで私ばかりなんだ? と首を傾げたことも多々ある。
…そんなに評価してくれていたとは寝耳に水である。
「もしかしたら、松戸が世界と戦う姿を俺が死ぬ前に見られるかもなと思っていたんだがなぁ…」
「……」
「…あんな、自分勝手な通り魔に殺されやがって…死ぬのが早すぎるってんだ…死ぬのは年寄りの俺が先だろうが…」
…私の死を監督も惜しんでくれていたらしい。監督は眉間にシワを寄せてコートを睨みつけていた。…あんなに厳しくて怖かった監督が、何故か今は小さく見えた。目が少し潤んでいるように見えたが、私の気のせいかもしれない。
そんな中でも誠心は怒涛の勢いで得点をゲットしていっている。依里のスパイクボールが相手方のブロッカーの手をすり抜けてコート内にバウンドした。
「…松戸笑の弟が4月に誠心に入学することは聞いているか?」
「……はい、12月に推薦で決まったと聞きました…」
中学でバレーを続けている渉は私と同じ様にバレー推薦で誠心高校への入学が決まっている。渉はバレーを趣味みたいな気持ちでやっているのかと思っていたけど、実は本気だったらしい。
「面接で松戸渉がなんて言ったか知っているか?」
監督の問に私は目を丸くした。面接…私も中学3年の推薦入試の時に受けたけど…その時の私と同じことでも言ったのであろうか?
「“姉をオリンピックの舞台に連れて行くのが目標”だとよ」
「…!」
「遺影を持ってオリンピックの舞台を生で見せてやるつもりなんだろうな……姉と同じく、いい目をしていた」
今までそんな事一言も言わなかったくせに。あの弟はそんな事を考えていてくれたのか。
依里も私と同じ夢を叶えようとしてくれている。…そうか、私は2人の叶えた夢を近くで見ることが出来るかもしれないのか。
ジン、と鼻が熱くなった。だけどここで私が泣いては不自然なので、涙が出ないように落ち着かせる。
「…姉の遺志を継いで夢を叶える……あれはきっと化けるぞ」
誠心の監督は静かな声音でそう言うと、ゆっくりと観客席を立ち上がった。その姿がまるで老人のようで…いや、監督はもう立派なお年寄りの年代なのだと思うと、私は感傷的な気分になった。
生き物は皆平等に老いていく。死んでしまった私だけは皆の記憶の中で17歳のあの頃のままなのだろうが、他の人は年をとって寿命を終えるのだ。
あんなにも厳しく怖かった監督が弱々しく見えてしまって、私は急に怖くなってしまった。
「あの!」
そのまま立ち去ろうとしたので、私は慌てて呼び止めた。どうしても訂正したいことがあったのだ。きっと監督は誤解しているから。
監督は立ち止まってゆっくり振り返ってきた。私はしっかり監督の目を見返して、さっきの監督の問いに自分の答えを返した。
「訂正させてください、私は自分の意志でバレーボールをしているんです。…私は私のためにバレーをしている…誰かのためなんかじゃありません」
「…そうか」
「はい」
監督は厳しい人だった。時代錯誤と言われても、昔ながらの指導を貫いていた。私はそんな監督が怖かった。…今でも顔を見ると反射的に構えてしまう。
でも、悪い人ではなかった。バレーにひたむきな指導者だった。
…私を覚えていてくれて、嬉しかった。
去っていく監督の後ろ姿を見送っていた私の視界が歪んだ。…今泣いている暇なんてない。私は2回戦を戦わないといけないんだ。感傷的になるのは大会が終わってから。
目元を拭うと、私は自分のチームメイトが待機している場所までゆっくり歩き始めた。
■□■
「あぁあぁぁ…」
「エリカ、挨拶するから立ちなって」
英学院は2回戦目で負けてしまった。
1セット目は先取できたけど、結局3-1で負けた。今度こそ2回戦突破を目指していたのに…!
私はショックで燃え尽きてしまいそうだ。力いっぱいスパイクを打ったのに拾われ、ブロックされるボール。全国の壁に阻まれてしまった…己の力不足に自己嫌悪していたのだ。
今の3年が卒業したら、次のレギュラーのセッターとスパイク×スパイクの特訓しなきゃ。次のセッター候補は1年生なんだ。
試合終了の挨拶を済ませると、私たち敗退者は撤退の準備を始めた。
荷物を詰めた鞄を肩に掛けて通路に出た私は再び、誠心の監督と遭遇した。監督は私をちらりとみて、小さく呟いた。
「…スパイクジャンプ直前の2歩の地面の蹴りをもっと強くしろ。スパイクの威力が変わる。…あと、全身の力を入れ過ぎだ。もう少し力抜いて打て」
「え…」
監督は私の横を通り抜けてスタスタと立ち去って行った。
まさかのライバル校の選手に向けてのアドバイスに私はフリーズしていたが、我に返ると監督に届くくらいの大声を出した。
「…ご指導ありがとうございました!」
頭を深々と下げると、私は踵を返して、廊下を歩き進めていく。
私と誠心高校監督の謎のやり取りに英学院の関係者は不可解な表情をしていたが、私の心は少しだけ軽くなった気がした。
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