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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
もしも出会い方が違えば【二階堂エリカ視点】
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「ご、ごきげんよう二階堂様」
「……ごきげんよう礒川様」
…この人の事は知っている。実際には笑さんが当事者だったけど…彼女も瑞沢姫乃によって婚約者を奪われ、苦しめられた人だった。…私を隠れ蓑に嫌がらせをする…そういう事をする人とは思わなかった。
だけど笑さんは一体何をしたのかしら? この人、廊下ですれ違うたびに私を怯えた目で見てくるのだけど。
それに一般生イビリで悪名高い玉井さんは私を敵対視してくる。幹さんをターゲットにした後は“二階堂エリカ”に目を付けようとしたが家柄の関係もあって、笑さんと仲のいい特待生の山本さんに目標を移したとか。
それで…玉井さんの行いに腹を立てた笑さんが激怒して、玉井さんのスマホを破壊したと。【二階堂エリカはスマホ破壊モンスターみたいに思われてる。本当にゴメンね】と日記帳には書かれていたわ。
それに赤城さん…まさか彼女が倫也さんに懸想していて、婚約者だった私を妬み悪評を流していたとは知らなかった。彼女も遭遇すると私を睨みつけてくる。なにか手出しして来ることはない。彼女は私の姿をした笑さんを他の生徒達の目の前で陥れようとして、失敗したらしい。それで敵対視してくるのだそうだ。
本当に笑さんは何をしてるの? 私の予想を斜め上に突っ走って。…でも、そんな笑さんだったから、この学校でもやって行けたのかしら?
「エリカ、あんた病院の先生にはどんな風に言われてるの?」
「…なにを?」
「心臓のこと! だってあんた電気ショックで仮死状態になったのよ?」
「あぁ…」
新学期が始まって半月以上が経過した。
週イチペースで近くの総合病院に通っているが、私は至って健康だ。不整脈が起きたのは笑さんの魂を切り離して、私を戻す処置のために必要なことだったから、滅多なことがない限り問題ない。
だけど現実世界では説明の付かない話だ。それを話す訳には行かず、私は幾度となく病院で精密検査を受け、医師からの事細かな診察を受けている。
「…大丈夫。すこぶる健康よ」
「なら、またバレー出来るの?」
山本さんのその言葉に私は閉口した。
私は笑さんじゃない。バレーなんて興味ないし、やりたいとも思わない。
私は彼女から目を逸らした。
「…多分、出来ないわ」
「…やっぱり心臓悪いのね…」
「心臓は問題ないわ。運動も問題なくできる健康な体と言われたから。…ただ、私はバレーに関心が持てないの」
私は私だもの。笑さんじゃない私がバレーなんかできる訳がない。私は山本さんに自分の正直な気持ちを伝えた。
「…なに、それ…」
だけど、山本さんは失望したような目で私を見てきた。
何故そんな目で私を見るの? 仕方ないじゃないの、私は笑さんじゃないのだもの。バレーどころか運動もあまり好きじゃないの。静かに穏やかに過ごすのが好きなのよ。
「…あんた本当にどうしちゃったのよ」
「…別にどうもしていないわ。…私はずっと前からこうだもの」
私が本物の二階堂エリカなの。今まであなたが親しくしていたのは別の人間。…もうここにはいないの。
「……あんた、誰なの? …本当にエリカなの?」
「……」
山本さんは怯えたような表情で私にそう言うと、ハッとして自分の失言に気づいた様子だった。そして気まずそうに目をそらすと「ごめん、今の忘れて」と告げるなり、私に背を向けて立ち去っていった。
……その場に残された私は彼女の背中を静かに見送っていた。
笑さんならああいう場面ではどう言ったの? どうしたら不自然じゃなくなる?
ドクドクドクと心臓が速いテンポで動く。怖い。私の身体なのに、別人の世界に潜り込んでしまったようで…怖い。
1年前のあの日、私は周りからどんな目で見られていた?
わからない。私は一体誰なの? 私がしたことは間違っていたの? ならば私はどうするべきだった?
わからない。自分が何をすべきか、どう生きるべきなのかすらわからない。
……笑さん、あなたは私のために色々してくれたのかもしれない。
だけど、その親切は私を余計に苦しめているわ。
なぜこうもうまく行かないのかしら。
■■■■■
「エリカ、今から病院行くのか?」
「…そうよ」
「…どうした? いつもにも増して暗い顔して」
通院のために早退する私に声を掛けてきたのは慎悟さんだった。
…この人はどう思っているのかしら。…笑さんが逝ってしまった事をどう感じているのかしら…?
私は慎悟さんを見上げた。彼はいつも通りだ。何も変わらないように見える。
「……息苦しいのよ」
「…エリカ?」
慎悟さんはぽかんとした表情で私を見ていた。…私ははっとして、手のひらで口を抑えつけた。
情けない。あんなに苦手だった慎悟さんに対して弱音を吐くなんて。きっとこの人のこと、キツい叱責をしてくるに違いないわ。いつもそうだった。口を開けば二言目に二階堂家の話ばかりするのだもの。
私は今の状態で彼のお説教を耳にしたくなかったので「何でもないわ」と話を無理やり終わらせると、昇降口へと足早に向かった。
下駄箱に到着した私はため息を吐く。ひとりになって気が抜けたのか、ジン…と鼻の奥がしびれた。じわりと視界が滲んだので、手の甲で目を擦る。
苦しいのは昔から。私にとって現世は息苦しい場所で…二階堂の娘としても、学校でも、私の居場所なんかなかった…生きているのが怖い…。
今までは倫也さんがいたから…耐えられたのに…今じゃ私はひとりぼっちなのだわ…
私には笑さんの代わりなんて出来ない。だからといって、自分を貫こうとしたら、さっきの山本さんのような反応が返ってくる。それが怖い。なら一体どうしたらいいの…
「二階堂さん、もう帰るの?」
その声に私は肩を大きく跳ねさせた。悲しい気持ちが吹き飛んで、代わりに恐怖心が飛び出してきた。
「…上杉君……今から、病院なの」
「そっか。まだ心臓良くなっていないの?」
「…もう大丈夫だけど念の為に」
面倒な相手に声を掛けられてしまった。
笑さんも彼が苦手みたいだったけど、私も先入観とは別に彼に恐怖を感じている。表現するとなにかしら。笑さんの言う蛇に睨まれた蛙みたいな……
「そうだ二階堂さん、もう髪の毛は伸ばさないの?」
「え…」
「あれ、使ってくれた?」
「…あれ?」
笑さんが劇物指定していた未開封のヘアオイルのことだろうか。私の長い髪を気に入っていて幾度となく触ってきたと警告文に書かれてたけど……私も怖くてオイルは使っていない。
恋人でも婚約者でも家族でも美容師でも友達でもない女性の髪を触るのって…まずいでしょう。…なにを考えているのかしらこの人…
「…僕、前の二階堂さんも気に入っていたけど…今の二階堂さんが一番好きだな。お淑やかで可憐で……ビクビクして怯えていて可愛いなって。これって庇護欲っていうのかな?」
ぞわっと全身に寒気が走った。これはきっと防衛本能だろう。褒められているんだろうけど嬉しくない。彼の言っていることは、捕食対象に対する感想じゃないの?
まさか、私を操り人形にして…二階堂の会社を狙っているんじゃ…だって私が弱った頃につけ込もうとしていたって…
やっぱり怖い!
「わ、私もう行かなきゃ! さよなら!」
私は慌てて靴を履き替えると、その場から走り去った。
無理無理無理! 笑さんが無理だったなら私にも無理に決まっている! 上杉君は私の悪い噂を扇動していたんでしょ!? そんな相手に好意を持てるはずないじゃないの!
まだ9月なのに私の肌は寒気に襲われたかのように鳥肌が立っていた。肌を擦りながら歩いていた私だけど、入門ゲートに向かうその途中で、ある人たちを見つけた。
私が彼らを見かけたのは、噴水のある中庭だ。まだ残暑の残るこの時期、その噴水付近で涼む生徒はポツポツいるが、この時間は彼ら以外誰もいなかった。
噴水の横に仲睦まじく寄り添って座る彼らはどう見ても交際中の男女にしか見えない。
…前もそうだった。彼のそんな姿を私は「今だけの心の迷いだから」って静観していた。私が婚約者なのだからとドンと構えていたつもりだった。
だけど本当は違う。私は心の中で激しく嫉妬していた。そんな女に触らないでって彼に訴えたかった。
今でもわからない。その女のどこが良いのかって。私に足りないのは何だったのかって。社交性? 自立心?
…その女だって、大したことないじゃないの。
……もう、彼とは無関係。私がどんなに彼を想っても、彼の奥さんになることはない。私がどんなに願っても、周りがそれを許さないでしょう。
私は、あなたの妻になるために自分が出来ることを全て頑張ってきた。…なのに今じゃ全て無駄になってしまった。
私は何のために存在するのか。何のために生きているのか。
彼らは私がじっと見ていることに気がついていない。なにか楽しげに話している。学校の生徒らは彼らに対して腫れ物扱いらしいが、彼らはとても楽しそうだ。
瑞沢姫乃は何がしたいのだろうか。賀上家、宝生家、速水家の子息を手玉に取って……いえ、もう無関係な私が勘ぐった所で何も出来ないものね。
私はギュッと心臓を握りつぶされたような痛みを感じながら、通り過ぎようとした。
だけど。
…私は見てしまった。
瑞沢姫乃が倫也さんの顔を下から覗き込む仕草を取ると、倫也さんが愛おしげに瑞沢姫乃の頬を撫でて…そして。
慣れた仕草で彼女の唇にキスを落としている姿を。
…私は知らない。
あなたがそんな瞳をするなんて。
私には向けたことのない愛おしげな瞳で他の女を見つめるなんて。
ギュッギュッと心臓が締め付けられるように苦しい。
やっぱり無理。私の心にはまだあなたが生きている。これを抱えたまま、この世界で異物のような扱いを受けて生きていくのは耐えられない。
こんなにもあなたを好きなのに、どうしてあなたは私を見てくれなかったの?
あなたの隣に立つために勉強を頑張ったわ。習い事だって真剣にやってきた。お料理も頑張ったし、綺麗でいられるように美容にも気遣った。
だけどあなたが選んだのはその女。
…私は…やっぱり誰にも必要とされていないのね。
こんな自分が嫌い。どうして私はこんななんだろう。…生きている意味なんかあるのかしら?
頬を伝う涙を乱暴に拭う。彼らはまだ口づけを続けており、やはり私の存在には気づいていなかった。
私はその場にいるのが耐えきれず、振り切るようにしてその場から立ち去った。入門ゲートの警備員の横を走って通り抜けると、外に飛び出した。学校の前には大きな一般道路があり、その向こう側に英学院関係者の利用する駐車場がある。そこを目指して私は走った。
【パパーッ!】
空気を裂くようなクラクションの音が私の耳に入ってきた。その音に驚き、パッと横を見ると、スピードを出した車が私のいる場所へと向かってきていた。私がいきなり学校から飛び出してきたことに驚いている運転手と目が合う。
ギュィィィンと無理なブレーキを掛けているが、車はそう簡単には止まらない。アスファルトと車のタイヤの激しい摩擦音が響き渡る。
私は自分の体に迫りくる痛みを覚悟して、ギュッと目を閉じた。
もう、私を助けてくれる人はいない。
こんな苦しい世界なら、いっそ私はあのままー…
思い出したのは笑さんが庇ってくれた時のこと。笑さんの最期の瞬間。
したい事が沢山あっただろうに。
バレーボールで期待されていて、友達に慕われていて、自分をしっかり持っていて、元気で明るい…優しい人。
…もしも出会い方が違ったら、私と彼女はお友達になれていたかしら?
私も彼女のように生きられたら良かったのに。そしたら、何か変えられたかもしれない。後悔しても戻らないのは知っている。だけどそう思わずにはいられない。
……彼女は死んではいけない人なのに。
何でこの世の中はこうも上手く回らないのかしら。
…まだ、間に合うかしら?
車はすぐそこまで迫っていた。
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