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【拾弐】
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季節は巡った。
梅が芽吹き、桜が散る。若葉が香り、落ち葉が地面を彩る。
彼がいなくとも無常に時は過ぎた。
彼がいない私の世界がセピア色の世界に変わっても、時代は流れ続けた。
私は以前にも増して学業に励むようになった。耳に入ってくる戦況に心を痛めながら、寂しさや不安を忘れるために。周りの同級生が結婚していくのを見送りながらも、自分は自分で選んだ道をまっすぐに進んでいった。今も遠くの地で戦い続けている彼を想い続けながら。
そして私は女学校を卒業後に念願の帝大に合格し、大学生となったのだ。
女子が大学に入学すること自体が珍しすぎて色々言われたけど、周りの言葉なんて気にしないことにした。
きっと彼なら、そんな私を誇りに思ってくださるはずだから。
【大日本帝国、勝利!!】
号外の新聞が空を舞う。
戦争が終わったという知らせが入ってきたのは私が入学して間もない頃だった。
大学近くの新聞社前で配られた号外新聞を握りしめた私は駆け出した。
私は無我夢中で駆けていた。息切れで喉の奥が引きつるように痛んだ。
帰ってきた。彼が帰ってきたのだ。ずっと我慢していた想いが溢れ出して、抑えきれない。
彼の安否はわからない。それに戦争に出向いていた彼らがいつ帰国するかとか、どこに帰港するかとかも新聞には書かれていない。だけどもしかしたら、あの場所に帰っているかもしれない。私達が別れたあの港に……
そう考えると気が急いて走らずにはいられなかった。
軍施設のある港。私が数年前に彼を見送った場所に辿り着くと、戦いの痕跡を色濃く残した軍艦が数隻停泊していた。
ちらほら人はいたが、みんな軍関係の人のよう。私は視線を巡らせて彼の姿を探す。
背の高い彼のことだ。もしもこの軍艦に乗っているならすぐに見つかるはず……
「……亜希ちゃん?」
私が目を皿のようにして、軍艦周辺を睨みつけていると、背後から声をかけられた。
その呼び慣れた、懐かしい声に私はビビッと電気が身体に走った錯覚を覚えた。
私が16歳の時に離れ離れになった彼。今では私は大学1年生。
彼の写真は残っていたのでその造形は覚えていたが、声の記憶はどんどん薄れていった。
優しくて深みのあるその声。私は「亜希ちゃん」って呼ばれるのが大好きだった。
「た、忠お兄様っ!」
私が振り返った先には、シャツ姿の彼がいた。彼は左目に眼帯をしており、胸元にちらりと見える白い包帯が痛々しく見えた。だけど手足は欠けることなく、しっかり地に足を着いている。
私は両手を広げて彼に抱きついた。彼は「おっと」と驚いた様子だったが、そっと抱きしめ返してくれた。
忘れないこの熱くて逞しい体。私はこの腕に抱かれたかったのだ。
「おかえりなさい、おかえりなさい…!」
あのドラマ、大正浪漫・夢さくらでも、戦争で日本は僅差で勝利。忠お兄様は生きて帰ってくる流れだった。
だけどそれでも不安だった。
ドラマとは流れが変わってしまったこの世界で、彼が絶対に無事に帰ってくる保障なんてどこにもなかったから。
私は人目憚らず、彼の胸に抱きついて涙を流した。きっと周りからは、はしたないと目を向けられるが、それどころじゃない。
「亜希ちゃん、顔を見せて。ほら、泣き止んで」
両手で私の顔を持ち上げる彼。
過酷な状況にいたせいか、痩せて栄養不足な様子に見える。だけどその目は……
「お兄様…目…」
私はそっと彼の左目に手をやった。
黒の眼帯の下に傷跡が覗く。怪我をしたんだ。
「爆撃を受けてね。左目だけ視力が弱くなったんだ。同時に左耳の聴力も弱くなってる」
無傷でいられるわけがない。
戦争に行っていたんだ。きっと私が想像できない過酷な状況だったに違いない。
「この胸の包帯も?」
「大丈夫だよ、これはだいぶ前に火傷して…今も薬を塗りつけて包帯しているだけなんだ」
私が痛そうな顔をしてそっとそれを撫でていたからか、忠お兄様は苦笑いしていた。
「…亜希ちゃん、今も気持ちは変わらないかい?」
静かに問われたその言葉に私はガバッと顔を上げた。
何を言うんだ。私の気持ちを疑うというのか! 私は頬を膨らませて彼を見上げた。
「まぁお兄様ひどいです! 男なら責任取るとびしっと決めてくださいな! 私はあなたを待ち続けて嫁き遅れに足を突っ込んでいる状態なのですよ!」
私が怒ってみせると、彼は肩を竦めてくすぐったそうに笑っていた。
あれから何年も経っている。心変わりしていないか念のために聞いたのだろうけど、心外すぎる。
彼は私の手をそっと握ると、そのまま片膝をついて私の前に跪いた。
「…待たせてごめんね」
手の甲を、彼の硬い親指の腹で撫でられるとくすぐったい。自分の足元に跪く彼を見下ろしながら、彼の言葉を待つ。
「俺は見ての通り怪我をしてしまった。それでも手足は問題なく動くし、これから頑張って働くつもりだ。俺には継ぐ家はないから君のお家に婿入りも出来る……きっと君を幸せにしてみせる」
彼は許しを乞うように、私に訴えてきた。忠お兄様は怪我のことを気にしていらっしゃるようだけど、私にとったら些末なこと。
ずっとずっと待ち続けた愛しい人の無事。それだけで充分だ。私はずっとあなたを待ち続けてきたのだから。
「こんな俺だけど、結婚してくれますか?」
「はいっ!」
飾った言葉のない求婚。
だけどそれが彼らしくてそれでも良かった。私は彼の首に抱きついて、その求婚を受け入れた。
ただ、結婚するとなると引っかかるのが私の在学問題だ。幾度となく、お見合い相手に学など必要ないと説教されてきた私はそれが怖かった。
だけどそこは私のことをよくわかっていらっしゃる彼だ。あっさりお認めくださった。
「俺は勉強家の亜希ちゃんが好きなんだ。気にすることなく思うがまま学んでおいで。それに勉学に励む女子たちのお手本になるから君はこのまま頑張ったほうがいい」
むしろ応援してくれた。
私は規格外の女子だと思うけど、彼も結構革新的な価値観の持ち主だなと思う。
そしてそんなお方に求婚された私はやっぱり恵まれている。
「お兄様、」
私が呼びかけると、唇をちょんと人差し指で突かれた。私は目を丸くして黙り込む。彼は困ったような笑みを浮かべるとこう言ったのだ。
「もうお兄様じゃないだろう?」
「…はいっ忠さん!」
彼に褒められたくて
彼に認められたくて
彼に追いつきたくて
自分のことを敗走兵と揶揄していた癖に、この恋心を諦めきれなかった。
彼が身を屈めてきた。私は瞳を閉じて彼の唇を待つ。
彼から贈られたのは優しい、優しい口づけだった。
私はやっと彼の隣に並べたのである。
■□■
彼は怪我を理由に退軍し、このまま我が家で療養しながら私の父から事業のことを学んだ。
私は大学へ通いながら彼と結婚。この時代に珍しい女子大学生が在学中に結婚。画期的すぎて後ろ指さされることも少なくなかったが、私は平気だった
優しい旦那さん、両親に囲まれた私は、学びたい意欲を隠さず、大学で学び続けた。
そしたらその姿勢を見て認めてくれる理解者が続々現れ、大学生活は更に充実した。私を見て一念発起した同じ母校の後輩も入学してくる珍事も起きた。
この世界はきっと、私が前世で生きた時代のように変わっていくのだろう。
不変なものはない。時代は変わる。
これから100年後くらいには、女子大生なんて、珍しい存在じゃなくなるに違いない。私はただその先を行っていただけ。
「これは見事な紅葉だ」
庭の楓の木が立派に色づき、葉を赤く染めている。忠さんはそれを見て目を細めていた。
戦争で生と死の間にいた日常を送っていた彼の右目には、色を変えた楓の葉がとても美しく映ったようだ。
戦争ではどの国も無傷じゃなかった。彼は語らないけど、部下や同僚を亡くしたというし、彼の抱えている心の傷は決して小さくない。
私はそんな彼を優しく包み込む存在で有りたいと考えている。
私はドラマが終わった後の世界を知らない。
もしかしたら、ドラマを見ていた私が生きていた世界のように、再び悲惨な世界大戦がこの先に待ち構えているかもしれない。
だけど恐れることはない。
私は今ある幸せを大切にして生きていく。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることはない
「今日はいい天気ですから、散歩にでかけましょう」
散歩に行こうと彼を誘った。
庭で紅葉を愛でるのもいいけど、この時期川沿いのイチョウ並木もとてもきれいなんだ。彼の右目にはきっと黄金に輝いて見えるはずだ。
我が家の庭を一望できる縁側に座っている彼の手を引いて、私は左側に立った。
「忠さん、こちら側は私が歩きますよ」
私は彼の手をしっかり握る。
「ありがとう、亜希子」
「私はあなたの半身であり、左耳・左目役ですからお任せください」
私が笑うと、彼は優しく笑い返してくれた。あなたが笑う度に愛おしさが溢れて、私は幸せになるのよ。知っていた?
守られてばかりだった幼かった私が今度はあなたを支えます。
あなたが笑うと、私も嬉しくなるから。
あなたが悲しむと、私まで涙が出てしまうから。
幸せも苦しみも喜びも悲しみも全てあなたと分かち合いたいから。
あなたと歩みましょう、一度しかない人生を。
「忠さん」
紅色に染まった楓の葉がひらひら庭の池の中へ落ちて行く。もうすっかり街は秋の雰囲気に変わってしまった。
秋から冬へ季節が変わり、物哀しい季節になるけれど、あなたと一緒なら寂しくはないの。
「あなたを愛しています」
何度季節が巡っても、あなたのお側に居させてください。
【完】
梅が芽吹き、桜が散る。若葉が香り、落ち葉が地面を彩る。
彼がいなくとも無常に時は過ぎた。
彼がいない私の世界がセピア色の世界に変わっても、時代は流れ続けた。
私は以前にも増して学業に励むようになった。耳に入ってくる戦況に心を痛めながら、寂しさや不安を忘れるために。周りの同級生が結婚していくのを見送りながらも、自分は自分で選んだ道をまっすぐに進んでいった。今も遠くの地で戦い続けている彼を想い続けながら。
そして私は女学校を卒業後に念願の帝大に合格し、大学生となったのだ。
女子が大学に入学すること自体が珍しすぎて色々言われたけど、周りの言葉なんて気にしないことにした。
きっと彼なら、そんな私を誇りに思ってくださるはずだから。
【大日本帝国、勝利!!】
号外の新聞が空を舞う。
戦争が終わったという知らせが入ってきたのは私が入学して間もない頃だった。
大学近くの新聞社前で配られた号外新聞を握りしめた私は駆け出した。
私は無我夢中で駆けていた。息切れで喉の奥が引きつるように痛んだ。
帰ってきた。彼が帰ってきたのだ。ずっと我慢していた想いが溢れ出して、抑えきれない。
彼の安否はわからない。それに戦争に出向いていた彼らがいつ帰国するかとか、どこに帰港するかとかも新聞には書かれていない。だけどもしかしたら、あの場所に帰っているかもしれない。私達が別れたあの港に……
そう考えると気が急いて走らずにはいられなかった。
軍施設のある港。私が数年前に彼を見送った場所に辿り着くと、戦いの痕跡を色濃く残した軍艦が数隻停泊していた。
ちらほら人はいたが、みんな軍関係の人のよう。私は視線を巡らせて彼の姿を探す。
背の高い彼のことだ。もしもこの軍艦に乗っているならすぐに見つかるはず……
「……亜希ちゃん?」
私が目を皿のようにして、軍艦周辺を睨みつけていると、背後から声をかけられた。
その呼び慣れた、懐かしい声に私はビビッと電気が身体に走った錯覚を覚えた。
私が16歳の時に離れ離れになった彼。今では私は大学1年生。
彼の写真は残っていたのでその造形は覚えていたが、声の記憶はどんどん薄れていった。
優しくて深みのあるその声。私は「亜希ちゃん」って呼ばれるのが大好きだった。
「た、忠お兄様っ!」
私が振り返った先には、シャツ姿の彼がいた。彼は左目に眼帯をしており、胸元にちらりと見える白い包帯が痛々しく見えた。だけど手足は欠けることなく、しっかり地に足を着いている。
私は両手を広げて彼に抱きついた。彼は「おっと」と驚いた様子だったが、そっと抱きしめ返してくれた。
忘れないこの熱くて逞しい体。私はこの腕に抱かれたかったのだ。
「おかえりなさい、おかえりなさい…!」
あのドラマ、大正浪漫・夢さくらでも、戦争で日本は僅差で勝利。忠お兄様は生きて帰ってくる流れだった。
だけどそれでも不安だった。
ドラマとは流れが変わってしまったこの世界で、彼が絶対に無事に帰ってくる保障なんてどこにもなかったから。
私は人目憚らず、彼の胸に抱きついて涙を流した。きっと周りからは、はしたないと目を向けられるが、それどころじゃない。
「亜希ちゃん、顔を見せて。ほら、泣き止んで」
両手で私の顔を持ち上げる彼。
過酷な状況にいたせいか、痩せて栄養不足な様子に見える。だけどその目は……
「お兄様…目…」
私はそっと彼の左目に手をやった。
黒の眼帯の下に傷跡が覗く。怪我をしたんだ。
「爆撃を受けてね。左目だけ視力が弱くなったんだ。同時に左耳の聴力も弱くなってる」
無傷でいられるわけがない。
戦争に行っていたんだ。きっと私が想像できない過酷な状況だったに違いない。
「この胸の包帯も?」
「大丈夫だよ、これはだいぶ前に火傷して…今も薬を塗りつけて包帯しているだけなんだ」
私が痛そうな顔をしてそっとそれを撫でていたからか、忠お兄様は苦笑いしていた。
「…亜希ちゃん、今も気持ちは変わらないかい?」
静かに問われたその言葉に私はガバッと顔を上げた。
何を言うんだ。私の気持ちを疑うというのか! 私は頬を膨らませて彼を見上げた。
「まぁお兄様ひどいです! 男なら責任取るとびしっと決めてくださいな! 私はあなたを待ち続けて嫁き遅れに足を突っ込んでいる状態なのですよ!」
私が怒ってみせると、彼は肩を竦めてくすぐったそうに笑っていた。
あれから何年も経っている。心変わりしていないか念のために聞いたのだろうけど、心外すぎる。
彼は私の手をそっと握ると、そのまま片膝をついて私の前に跪いた。
「…待たせてごめんね」
手の甲を、彼の硬い親指の腹で撫でられるとくすぐったい。自分の足元に跪く彼を見下ろしながら、彼の言葉を待つ。
「俺は見ての通り怪我をしてしまった。それでも手足は問題なく動くし、これから頑張って働くつもりだ。俺には継ぐ家はないから君のお家に婿入りも出来る……きっと君を幸せにしてみせる」
彼は許しを乞うように、私に訴えてきた。忠お兄様は怪我のことを気にしていらっしゃるようだけど、私にとったら些末なこと。
ずっとずっと待ち続けた愛しい人の無事。それだけで充分だ。私はずっとあなたを待ち続けてきたのだから。
「こんな俺だけど、結婚してくれますか?」
「はいっ!」
飾った言葉のない求婚。
だけどそれが彼らしくてそれでも良かった。私は彼の首に抱きついて、その求婚を受け入れた。
ただ、結婚するとなると引っかかるのが私の在学問題だ。幾度となく、お見合い相手に学など必要ないと説教されてきた私はそれが怖かった。
だけどそこは私のことをよくわかっていらっしゃる彼だ。あっさりお認めくださった。
「俺は勉強家の亜希ちゃんが好きなんだ。気にすることなく思うがまま学んでおいで。それに勉学に励む女子たちのお手本になるから君はこのまま頑張ったほうがいい」
むしろ応援してくれた。
私は規格外の女子だと思うけど、彼も結構革新的な価値観の持ち主だなと思う。
そしてそんなお方に求婚された私はやっぱり恵まれている。
「お兄様、」
私が呼びかけると、唇をちょんと人差し指で突かれた。私は目を丸くして黙り込む。彼は困ったような笑みを浮かべるとこう言ったのだ。
「もうお兄様じゃないだろう?」
「…はいっ忠さん!」
彼に褒められたくて
彼に認められたくて
彼に追いつきたくて
自分のことを敗走兵と揶揄していた癖に、この恋心を諦めきれなかった。
彼が身を屈めてきた。私は瞳を閉じて彼の唇を待つ。
彼から贈られたのは優しい、優しい口づけだった。
私はやっと彼の隣に並べたのである。
■□■
彼は怪我を理由に退軍し、このまま我が家で療養しながら私の父から事業のことを学んだ。
私は大学へ通いながら彼と結婚。この時代に珍しい女子大学生が在学中に結婚。画期的すぎて後ろ指さされることも少なくなかったが、私は平気だった
優しい旦那さん、両親に囲まれた私は、学びたい意欲を隠さず、大学で学び続けた。
そしたらその姿勢を見て認めてくれる理解者が続々現れ、大学生活は更に充実した。私を見て一念発起した同じ母校の後輩も入学してくる珍事も起きた。
この世界はきっと、私が前世で生きた時代のように変わっていくのだろう。
不変なものはない。時代は変わる。
これから100年後くらいには、女子大生なんて、珍しい存在じゃなくなるに違いない。私はただその先を行っていただけ。
「これは見事な紅葉だ」
庭の楓の木が立派に色づき、葉を赤く染めている。忠さんはそれを見て目を細めていた。
戦争で生と死の間にいた日常を送っていた彼の右目には、色を変えた楓の葉がとても美しく映ったようだ。
戦争ではどの国も無傷じゃなかった。彼は語らないけど、部下や同僚を亡くしたというし、彼の抱えている心の傷は決して小さくない。
私はそんな彼を優しく包み込む存在で有りたいと考えている。
私はドラマが終わった後の世界を知らない。
もしかしたら、ドラマを見ていた私が生きていた世界のように、再び悲惨な世界大戦がこの先に待ち構えているかもしれない。
だけど恐れることはない。
私は今ある幸せを大切にして生きていく。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることはない
「今日はいい天気ですから、散歩にでかけましょう」
散歩に行こうと彼を誘った。
庭で紅葉を愛でるのもいいけど、この時期川沿いのイチョウ並木もとてもきれいなんだ。彼の右目にはきっと黄金に輝いて見えるはずだ。
我が家の庭を一望できる縁側に座っている彼の手を引いて、私は左側に立った。
「忠さん、こちら側は私が歩きますよ」
私は彼の手をしっかり握る。
「ありがとう、亜希子」
「私はあなたの半身であり、左耳・左目役ですからお任せください」
私が笑うと、彼は優しく笑い返してくれた。あなたが笑う度に愛おしさが溢れて、私は幸せになるのよ。知っていた?
守られてばかりだった幼かった私が今度はあなたを支えます。
あなたが笑うと、私も嬉しくなるから。
あなたが悲しむと、私まで涙が出てしまうから。
幸せも苦しみも喜びも悲しみも全てあなたと分かち合いたいから。
あなたと歩みましょう、一度しかない人生を。
「忠さん」
紅色に染まった楓の葉がひらひら庭の池の中へ落ちて行く。もうすっかり街は秋の雰囲気に変わってしまった。
秋から冬へ季節が変わり、物哀しい季節になるけれど、あなたと一緒なら寂しくはないの。
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何度季節が巡っても、あなたのお側に居させてください。
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