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最終日・私より先に死んではならない。これは命令である。
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社畜は今日も会社へ行く。
ここ最近は「いってきますポンちゃん」の言葉もない。口数が少ないので、私を崇める単語すら吐かなくなってしまった。
私はそれが不満だったが、鳴いて不満を訴えても社畜は反応しない。
昨晩というより今日の夜中の1時辺りにパソコンを眺めながら死んだ目をしていたし、ベッドに入ってもまんじりともしなかったようだ。
いよいよ社畜はやばい域に入ってしまったようである。
私は猫様である。
人間社会の事情など知る由もない。
だから社畜が何を思っているのか、何を抱えているのかはわからない。
言われなきゃ気づけない。わかるわけがないだろう。
私にここまで心配掛けさせて…実に、腹立たしい。奴隷のくせに生意気である。
社畜が家を出たのを確認すると、私はいつものようにベランダの窓から外に出ると……柵を乗り越えてジャンプした。
…そして道路に降り立つと、トボトボ歩く社畜に気づかれぬように尾行を開始した。
社畜はいつも電車に乗って職場へ行くらしい。駅付近は音がうるさいので私は近づいたことがない。
歩道と車道の境が曖昧で、犬猫が歩くにはちょっと道が危ないな。途中私が暮らしていた河川敷を通過したが、社畜は前だけを見て歩いていた。その後姿はぐったりとしており、まるで生気を感じられなかった。
駅に到着すると、社畜は慣れた様子で改札を通過する。ICカードの電子音が鳴り渡った。
私は駅員に気づかれぬようにそこを通過すると、音を立てぬよう社畜の後ろにピッタリ張り付く。
──時間はまだ早い。
勤め人や学生が数人駅のホームに居るだけ。閑散としている。……皆スマホを見ており、前を見ていない。現代人はスマホを見ていないと落ち着かないのだろう。私とチャオ○ゅーるの関係と同じかな。まぁそのお蔭で私の存在に気づいてないみたいだが。今はバレるとマズいからな。
社畜は駅のホームに設置されたベンチに座ってぼんやりしていた。スマホを見ることなく、前を見ていた。
社畜が悩み苦しむ理由は仕事しかない。馬鹿な上司に搾取されて苦しんでいるのは知っていたからな。
だけどそれはいつものことだったはずだ。……何故かここ最近悪化の一途を辿っている。
私は社畜を注視していた。社畜はただ電車の到着をじっと待っている。
そう時間を置くことなく、電車到着合図のベルがジリジリ鳴り響いた。
『上りの列車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ち下さい』
フラリ…と社畜は立ち上がった。
連日の激務で社畜は体が重怠いはずだ。そもまま奴はフラフラしながら黄色い線に近づく。……大丈夫か?
「あ、猫ちゃんがいる」
「かわいい」
人間どもが私の存在に気づいたらしく、無断で写真撮影を始めたが、今は制裁する暇がない。背後でパシャパシャとカメラ音が鳴っているが、その音が聞こえていないかのように社畜はぼーっと突っ立っている。
線路の向こう側から電車がホームへ、減速してゆっくり入ってきた。フラ、フラ、と社畜の足が前へと進む。覚束ないその足が黄色い線を踏みしめた。
それを見た私は、ビッと毛を逆立てた。
…おい、社畜待て、まだだ!
黄色い線の内側で待てと言われたろう! そんな前に出たら……!
──パァァァァン!
耳を塞いでしまいたくなるような大きな警笛に、私を撮影していた女どもが「きゃあ!」と悲鳴をあげる声が聞こえた。なのに、社畜はその足を止めない。
社畜よ、何故足を止めない。お前どうしちゃったんだ。
「ニギャーッ!」
ふざけるな社畜!
お前は私を拾ったんだ。それすなわち、猫様を養い、崇め奉る義務があるんだ! それを放棄して電車のミンチになることは許さぬぞ!!
私は力強く地を蹴りつけた。
猫の素早さを舐めるな。世界最速の人類にも勝る猫様の速度をな!
私はにゅっと爪を伸ばして、社畜の頭に突き立てた。普段は爪を立てたりしない。私かて鬼ではない、訳もなく怪我させることはしないさ。
今は緊急だ、見逃せ。
「痛っ!? なに、えっポンちゃん!? なんでここにいるの!」
「ミギャーッ!! ギャォォォォン」
「痛い痛い痛い! ポンちゃん抜ける! 髪が抜けるよ!!」
やっと正気に戻ったか愚か者め!
髪の10本や20本くらい我慢しろ! お前がふざけた行動を起こそうとするからだ!
ブチブチと手元で音が聞こえるが、私は手を離してやらん! お前がアホな行動をしないと誓うまでは!!
『──電車が発車します』
プシューッと音を立てて電車の扉が閉まる。
私は社畜の頭にしがみついたままそれを見送った。
「……あぁ…行っちゃった……」
「ナーォ」
「…もう……どうしてくれるの…ポンちゃん……っ」
諦めたような、ホッとしたような声で社畜は文句を言っていた。
私は社畜から離れてやらなかった。離れたらマズいと思ったのだ。
社畜、お前は知らないと思うが私は家族を一気に失ったのだ。再び同じ思いをさせるのは勘弁してくれ。
そんな悲しい選択をするなら逃げても良いんだよ。…お前がいなきゃ私は生きていけないんだぞ。私を置いていくんじゃない。
社畜は首にしがみついていた私を両腕で抱きかかえると、私の背中に顔を押し付けて泣き始めたのだ。声を押し殺して泣いていた。ちいさく「ごめんね、ポンちゃん」と謝ってきた社畜は鼻をすすって目元を拭っていた。
落ち着いた様子の社畜は私を抱え直すと、地面に落としたかばんを持って踵を返した。
私を家に送り返すと、奴は再び家を出てどこかへ出かけていった。てっきり会社に行ったのかと思ったのだが、その日は夕方に帰ってきた。
「ふふ、仕事サボっちゃったよ。でも労働局の人が電話で交渉してくれたから、しばらく有給消化で休めそう」
帰ってきた社畜は泣き腫らした顔をしていたが、その表情はスッキリしていた。
「…クビになっちゃうかなぁ……でも、それで良かったのかも……先輩たちに悪いことしちゃったかなぁ」
私に抱きついて、毛皮に顔を埋めた社畜はボソボソと独り言を呟いていた。だけど糸が切れた操り人形のようにガクッと脱力してそのまま社畜は寝落ちしてしまった。
安心して気が抜けたのだろうか。
「キャワ!」
多分、社畜が帰ってきたことを歓迎しに来たのであろう。隣の家からベランダを伝って、ひょっこり登場した茂吉が元気よく鳴いたので、私が猫パンチで黙らせておいた。
パンチを喰らった茂吉はヒューンとフローリングを滑っていき、楽しそうにワフワフ駆け寄って来たが、寝落ちしている社畜を見ると、ベッドに突っ伏している社畜におとなしく寄り添っていた。
まったく、猫様をヒヤヒヤさせおって。仕方のない社畜である。とにかくお前は寝ろ。睡眠が足りないから思考停止するんだ。
寝て休息を取ってから、これからを考えても遅くはないはずだ。
私は枕元に立つと、そこにおとなしく収まった。社畜の疲れた寝顔を一瞥したのち、目を閉じたのであった。
■□■
社畜は一週間休んだ。
その間社畜のスマホは静かなものであった。普段は鳴り響いてうるさいってのに、こんなに静かになるもんなんだな。労働局すげぇ。
休みの間に社畜は沢山休み、部屋の掃除をし、美味しいものを食べてリフレッシュをした。パソコンで新しい求人を探したり、問い合わせをしたりしていた。
前を見て歩き始めた社畜は、自主退職を勧められることを覚悟の上で、退職届も作成していた。
もう腹は決まっていたようである。
「よし。…じゃあ、行ってくるねポンちゃん」
「にゃーご」
「もう大丈夫だから追いかけてこないんだよ?」
迷惑を掛けた同僚のために菓子折りと、いつもよりも綺麗に手入れしたスーツと革靴、新調した鞄を持った社畜は一週間前よりも若返っていた。
お前…若かったんだな。見違えて他人かと思っちゃったぞ。
そのまま退職宣言して帰ってくるのかなと思ったけど、その日社畜は帰ってこなかった。
帰ってきたのは翌日の午前である。
また社畜に逆戻りかなと思ったが、奴は酔っ払って帰ってきたのだ。
「聞いてぇぇーポンちゃぁぁぁん!」
酒くさい息がかかる。私は足を伸ばして社畜の顔を蹴りつけた。だが社畜はその足を掴んで「肉球ぷにぷにー」と頬に押し付けていた。お前は変態か。
「あのクソ上司、左遷だってー!! そんでね、別の営業所に行っていた元上司が戻ってきてくれるんだ! あーっ良かったー!!」
社長や元上司に誘われて飲みに行って謝罪と説得されたとかで、社畜は残留を選んだそうだ。
元はと言えばクソ上司がホンマモンのクソで、だけど外面が良かったので上の人も気づかなかったとか。今回社畜の告発が上に知られることになり、クソ上司の悪行がボロボロ出てきたらしい。左遷ということは、結構やばいことをしていたのだろうか。
とはいえ、それに気づかない上も上だと思うけど、社畜は嬉しそうなので私は何も言わない。
これでまともな生活が送れるよぉぉと嬉しそうにゴロゴロしている社畜はご機嫌だ。
良かったな、社畜。
「ニャァァァン…」
功労者である私にも見返りがあってもいいと思うんだがな?
私はチャオち○ーるが仕舞われている棚をヒタヒタと叩く。社畜はそれをぼんやりした顔でこちらを見て、フッと笑った。
「そうだね、ポンちゃんのおかげだもんね。夜遅いけど特別だ。何にする? マグロ? かつお? ササミ?」
全部だ。
社畜が棚を開けた瞬間、私はそこに顔を突っ込み、3本強奪した。
「ちょっダメだよポンちゃん! それ塩分が入っているから食べ過ぎは良くないの!!」
黙れ社畜! 私は猫様ぞ! 好きなときに食べ、好きなときに寝る!
猫様のすることが全て正しいのだ!
なのに、私は社畜に捕獲されて、ち○ーる2本を没収された。
「フシャーッ……」
「はいはい、おいしい?」
鼻腔にひろがる風味、舌に馴染む味。こりゃたまらにゃい……
いいか、社畜。許すのは今回だけだからな。今度は許さんからな。私は猫様ぞ。猫様の望みを叶えないのは奴隷失格だからな。
一心不乱にチャオ○ゅーるを貪る私を社畜はデレデレやに下がった顔で見つめていた。その顔は幸せそう。
先日までの幽霊のようだった社畜はどこかへと消えたようだ。
「…ねぇポンちゃん、ずっと一緒にいてね」
社畜の言葉に私は思わず半眼になってしまう。
──あのなぁ。いくら私が孤高の麗しい猫様でも寿命ってものがあるんだぞ? 頑張って20年生きる猫はいるけども……
……いや、私なら可能だな。
後悔するなよ社畜。…最後まで責任持って私を養うことだな。
お前が幸せになるなら、お前のために20年生きてやるよ。
だから明日も、私のために頑張ってこいよ、私のご主人さま。
そしてチャオ○ゅーるを献上するのだ。今度はホタテ味を買ってこい。
反論は聞かんぞ。
なんたってお前は猫様の奴隷だからな!
ここ最近は「いってきますポンちゃん」の言葉もない。口数が少ないので、私を崇める単語すら吐かなくなってしまった。
私はそれが不満だったが、鳴いて不満を訴えても社畜は反応しない。
昨晩というより今日の夜中の1時辺りにパソコンを眺めながら死んだ目をしていたし、ベッドに入ってもまんじりともしなかったようだ。
いよいよ社畜はやばい域に入ってしまったようである。
私は猫様である。
人間社会の事情など知る由もない。
だから社畜が何を思っているのか、何を抱えているのかはわからない。
言われなきゃ気づけない。わかるわけがないだろう。
私にここまで心配掛けさせて…実に、腹立たしい。奴隷のくせに生意気である。
社畜が家を出たのを確認すると、私はいつものようにベランダの窓から外に出ると……柵を乗り越えてジャンプした。
…そして道路に降り立つと、トボトボ歩く社畜に気づかれぬように尾行を開始した。
社畜はいつも電車に乗って職場へ行くらしい。駅付近は音がうるさいので私は近づいたことがない。
歩道と車道の境が曖昧で、犬猫が歩くにはちょっと道が危ないな。途中私が暮らしていた河川敷を通過したが、社畜は前だけを見て歩いていた。その後姿はぐったりとしており、まるで生気を感じられなかった。
駅に到着すると、社畜は慣れた様子で改札を通過する。ICカードの電子音が鳴り渡った。
私は駅員に気づかれぬようにそこを通過すると、音を立てぬよう社畜の後ろにピッタリ張り付く。
──時間はまだ早い。
勤め人や学生が数人駅のホームに居るだけ。閑散としている。……皆スマホを見ており、前を見ていない。現代人はスマホを見ていないと落ち着かないのだろう。私とチャオ○ゅーるの関係と同じかな。まぁそのお蔭で私の存在に気づいてないみたいだが。今はバレるとマズいからな。
社畜は駅のホームに設置されたベンチに座ってぼんやりしていた。スマホを見ることなく、前を見ていた。
社畜が悩み苦しむ理由は仕事しかない。馬鹿な上司に搾取されて苦しんでいるのは知っていたからな。
だけどそれはいつものことだったはずだ。……何故かここ最近悪化の一途を辿っている。
私は社畜を注視していた。社畜はただ電車の到着をじっと待っている。
そう時間を置くことなく、電車到着合図のベルがジリジリ鳴り響いた。
『上りの列車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ち下さい』
フラリ…と社畜は立ち上がった。
連日の激務で社畜は体が重怠いはずだ。そもまま奴はフラフラしながら黄色い線に近づく。……大丈夫か?
「あ、猫ちゃんがいる」
「かわいい」
人間どもが私の存在に気づいたらしく、無断で写真撮影を始めたが、今は制裁する暇がない。背後でパシャパシャとカメラ音が鳴っているが、その音が聞こえていないかのように社畜はぼーっと突っ立っている。
線路の向こう側から電車がホームへ、減速してゆっくり入ってきた。フラ、フラ、と社畜の足が前へと進む。覚束ないその足が黄色い線を踏みしめた。
それを見た私は、ビッと毛を逆立てた。
…おい、社畜待て、まだだ!
黄色い線の内側で待てと言われたろう! そんな前に出たら……!
──パァァァァン!
耳を塞いでしまいたくなるような大きな警笛に、私を撮影していた女どもが「きゃあ!」と悲鳴をあげる声が聞こえた。なのに、社畜はその足を止めない。
社畜よ、何故足を止めない。お前どうしちゃったんだ。
「ニギャーッ!」
ふざけるな社畜!
お前は私を拾ったんだ。それすなわち、猫様を養い、崇め奉る義務があるんだ! それを放棄して電車のミンチになることは許さぬぞ!!
私は力強く地を蹴りつけた。
猫の素早さを舐めるな。世界最速の人類にも勝る猫様の速度をな!
私はにゅっと爪を伸ばして、社畜の頭に突き立てた。普段は爪を立てたりしない。私かて鬼ではない、訳もなく怪我させることはしないさ。
今は緊急だ、見逃せ。
「痛っ!? なに、えっポンちゃん!? なんでここにいるの!」
「ミギャーッ!! ギャォォォォン」
「痛い痛い痛い! ポンちゃん抜ける! 髪が抜けるよ!!」
やっと正気に戻ったか愚か者め!
髪の10本や20本くらい我慢しろ! お前がふざけた行動を起こそうとするからだ!
ブチブチと手元で音が聞こえるが、私は手を離してやらん! お前がアホな行動をしないと誓うまでは!!
『──電車が発車します』
プシューッと音を立てて電車の扉が閉まる。
私は社畜の頭にしがみついたままそれを見送った。
「……あぁ…行っちゃった……」
「ナーォ」
「…もう……どうしてくれるの…ポンちゃん……っ」
諦めたような、ホッとしたような声で社畜は文句を言っていた。
私は社畜から離れてやらなかった。離れたらマズいと思ったのだ。
社畜、お前は知らないと思うが私は家族を一気に失ったのだ。再び同じ思いをさせるのは勘弁してくれ。
そんな悲しい選択をするなら逃げても良いんだよ。…お前がいなきゃ私は生きていけないんだぞ。私を置いていくんじゃない。
社畜は首にしがみついていた私を両腕で抱きかかえると、私の背中に顔を押し付けて泣き始めたのだ。声を押し殺して泣いていた。ちいさく「ごめんね、ポンちゃん」と謝ってきた社畜は鼻をすすって目元を拭っていた。
落ち着いた様子の社畜は私を抱え直すと、地面に落としたかばんを持って踵を返した。
私を家に送り返すと、奴は再び家を出てどこかへ出かけていった。てっきり会社に行ったのかと思ったのだが、その日は夕方に帰ってきた。
「ふふ、仕事サボっちゃったよ。でも労働局の人が電話で交渉してくれたから、しばらく有給消化で休めそう」
帰ってきた社畜は泣き腫らした顔をしていたが、その表情はスッキリしていた。
「…クビになっちゃうかなぁ……でも、それで良かったのかも……先輩たちに悪いことしちゃったかなぁ」
私に抱きついて、毛皮に顔を埋めた社畜はボソボソと独り言を呟いていた。だけど糸が切れた操り人形のようにガクッと脱力してそのまま社畜は寝落ちしてしまった。
安心して気が抜けたのだろうか。
「キャワ!」
多分、社畜が帰ってきたことを歓迎しに来たのであろう。隣の家からベランダを伝って、ひょっこり登場した茂吉が元気よく鳴いたので、私が猫パンチで黙らせておいた。
パンチを喰らった茂吉はヒューンとフローリングを滑っていき、楽しそうにワフワフ駆け寄って来たが、寝落ちしている社畜を見ると、ベッドに突っ伏している社畜におとなしく寄り添っていた。
まったく、猫様をヒヤヒヤさせおって。仕方のない社畜である。とにかくお前は寝ろ。睡眠が足りないから思考停止するんだ。
寝て休息を取ってから、これからを考えても遅くはないはずだ。
私は枕元に立つと、そこにおとなしく収まった。社畜の疲れた寝顔を一瞥したのち、目を閉じたのであった。
■□■
社畜は一週間休んだ。
その間社畜のスマホは静かなものであった。普段は鳴り響いてうるさいってのに、こんなに静かになるもんなんだな。労働局すげぇ。
休みの間に社畜は沢山休み、部屋の掃除をし、美味しいものを食べてリフレッシュをした。パソコンで新しい求人を探したり、問い合わせをしたりしていた。
前を見て歩き始めた社畜は、自主退職を勧められることを覚悟の上で、退職届も作成していた。
もう腹は決まっていたようである。
「よし。…じゃあ、行ってくるねポンちゃん」
「にゃーご」
「もう大丈夫だから追いかけてこないんだよ?」
迷惑を掛けた同僚のために菓子折りと、いつもよりも綺麗に手入れしたスーツと革靴、新調した鞄を持った社畜は一週間前よりも若返っていた。
お前…若かったんだな。見違えて他人かと思っちゃったぞ。
そのまま退職宣言して帰ってくるのかなと思ったけど、その日社畜は帰ってこなかった。
帰ってきたのは翌日の午前である。
また社畜に逆戻りかなと思ったが、奴は酔っ払って帰ってきたのだ。
「聞いてぇぇーポンちゃぁぁぁん!」
酒くさい息がかかる。私は足を伸ばして社畜の顔を蹴りつけた。だが社畜はその足を掴んで「肉球ぷにぷにー」と頬に押し付けていた。お前は変態か。
「あのクソ上司、左遷だってー!! そんでね、別の営業所に行っていた元上司が戻ってきてくれるんだ! あーっ良かったー!!」
社長や元上司に誘われて飲みに行って謝罪と説得されたとかで、社畜は残留を選んだそうだ。
元はと言えばクソ上司がホンマモンのクソで、だけど外面が良かったので上の人も気づかなかったとか。今回社畜の告発が上に知られることになり、クソ上司の悪行がボロボロ出てきたらしい。左遷ということは、結構やばいことをしていたのだろうか。
とはいえ、それに気づかない上も上だと思うけど、社畜は嬉しそうなので私は何も言わない。
これでまともな生活が送れるよぉぉと嬉しそうにゴロゴロしている社畜はご機嫌だ。
良かったな、社畜。
「ニャァァァン…」
功労者である私にも見返りがあってもいいと思うんだがな?
私はチャオち○ーるが仕舞われている棚をヒタヒタと叩く。社畜はそれをぼんやりした顔でこちらを見て、フッと笑った。
「そうだね、ポンちゃんのおかげだもんね。夜遅いけど特別だ。何にする? マグロ? かつお? ササミ?」
全部だ。
社畜が棚を開けた瞬間、私はそこに顔を突っ込み、3本強奪した。
「ちょっダメだよポンちゃん! それ塩分が入っているから食べ過ぎは良くないの!!」
黙れ社畜! 私は猫様ぞ! 好きなときに食べ、好きなときに寝る!
猫様のすることが全て正しいのだ!
なのに、私は社畜に捕獲されて、ち○ーる2本を没収された。
「フシャーッ……」
「はいはい、おいしい?」
鼻腔にひろがる風味、舌に馴染む味。こりゃたまらにゃい……
いいか、社畜。許すのは今回だけだからな。今度は許さんからな。私は猫様ぞ。猫様の望みを叶えないのは奴隷失格だからな。
一心不乱にチャオ○ゅーるを貪る私を社畜はデレデレやに下がった顔で見つめていた。その顔は幸せそう。
先日までの幽霊のようだった社畜はどこかへと消えたようだ。
「…ねぇポンちゃん、ずっと一緒にいてね」
社畜の言葉に私は思わず半眼になってしまう。
──あのなぁ。いくら私が孤高の麗しい猫様でも寿命ってものがあるんだぞ? 頑張って20年生きる猫はいるけども……
……いや、私なら可能だな。
後悔するなよ社畜。…最後まで責任持って私を養うことだな。
お前が幸せになるなら、お前のために20年生きてやるよ。
だから明日も、私のために頑張ってこいよ、私のご主人さま。
そしてチャオ○ゅーるを献上するのだ。今度はホタテ味を買ってこい。
反論は聞かんぞ。
なんたってお前は猫様の奴隷だからな!
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