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第4話【差し伸べられた手】
しおりを挟む目の前の芳雄さんは違うと思っていた。だけど彼は私の痛ましい前世を知っているのだ。
だめだ、耐えられない。彼にだけは知られたくなかったのに。視界が涙でゆがむ。
私が何をしたというのか。
神様は私が憎いのか。なぜ何度も何度も私を苦しめようとするのか。
十分苦しみぬいたのに、新たな恥辱を私に与えようとするのか……!
「……年老いて亡くなった僕は、なぜかまた自分に生まれた。…そして図書館で生きている君と出会ったんだ」
話したこともない、赤の他人だったけど、それが嬉しかった。と彼は言った。
「君の安否が気になってね。図書館に行くたびに君の元気な姿を探していた。親しくなれた時は嬉しかったよ。…でも疑問にも思った。君は貧しい家の娘でもないのに、なぜあんな死に方をしたのかって」
「…それは」
家は見かけだけは見栄を張っている没落しかけの名家なのだ、婚約者を奪われた私はよそに売られるようにして嫁に出されてそこで虐待を受けていたのだ、と言おうとしたら、芳雄さんが先に発言した。
「……前回君が僕と図書館で別れた後、自害したのを知っているんだ。…別れ際の君の雰囲気が危うい気がして君の家へ訪ねたんだけど遅かった…」
──そこまで知っているのか。
私は同じ運命を辿るくらいなら、何度でも自害してやろうと決めていた。
これ以上の辱めはごめんだからだ。
「…君の家の事情もその後知った。僕は君がいなくなった世を生き抜いたけど、後悔をしたままで、ずっと君のことを引きずっていた」
君は助けを求めていたのに、僕はそれを見落としていた。
だから今回こそは君に天寿を全うしてほしかったんだ。
芳雄さんは真っ直ぐな瞳でそう言った。
私にとっての11回目の生を彼も知っているのだと思っていたが、その前から彼は私を知っていたのか。
彼は優しい人だ。責任感もあってこうして私に良くしてくれているんだ。そうか、私を気に入ったとかそうじゃなかったのか…と私はがっかりした。
「私を哀れんでくださったのですね…」
「言い方はあれだけど……あの家にこれ以上君を置いておけないと思ったんだ」
芳雄さんはなにか言い淀んでいたが、何も言わなかった。そういえば彼はうちの家族に対しては慇懃無礼だ。……もしかしたらうちの両親や妹がなにか失礼なことを……!
「それにね、僕は好奇心旺盛な君が楽しそうにしている姿を見るのが好きなんだ」
「…芳雄さん」
「僕が何度も同じ人生を繰り返しているなら、静子さんも同じくらい、それ以上同じ人生を繰り返しているのかもしれない。…前の君は諦めているように見えた」
図星だ。
私は諦めていた。
何度も何度も繰り返すうちにどうせ今回も無駄だと思うようになっていた。何にも希望を見いだせず、好き勝手に生きて早く死ぬことだけを目標にしていたくらい、私の未来は暗いものだったから。
ひどい顔をしていたのだろう、私の顔を覗き込むように屈んだ芳雄さんの眼鏡越しの瞳はキラキラ輝いていた。
私には眩しくて、手の届かない存在に見えた。
「一人じゃ運命から逃れられないなら、僕が助けるよ。自分で行った行為の結果は必ず自分に帰ってくる。自分の行動については全て自分の責任なんだ」
どんな目にあっても君のせいにはしないと約束する。だから今回は僕を信じて欲しい。
芳雄さんはそう言って私に手を差し伸べた。
私の頬を熱いものが流れ落ちた。
……そうか、私は誰かに助けてほしかったのかもしれない。
手を伸ばそうにも私の周りは優しくなかった。
自分の力で運命をねじ伏せようとしても運命は容赦なく私を叩き潰す。やる気も意欲もぺしゃんこにされた私は諦めて、ただ死ぬまでの時間を淡々と生きるようになったのだ。
私を何度も繰り返しの生へ突き落とす神が飽きるまで、私はこの苦行に耐えなくてはならないのだと絶望していた。
なのに彼は地獄になるかもしれない生を一緒に歩む覚悟をしてくれたのだ。
「…私と、生きてくれるんですか?」
「もちろん。僕らは婚約者同士だ。君はあの家を離れて僕と家族になる。人間だからケンカもするだろうし、価値観の相違はあるだろう。だけど僕は君を一人の女性として尊重すると約束する」
彼の手のひらにそっと乗せた私の手。
その手をギュッと握りしめると、太鼓判を押すように約束してくれた。今まで抑え込み、我慢していた感情の箱が崩壊しそうだった。
「…抱きしめても、いいかな?」
私がこくりと頷くと、芳雄さんがそっと私を抱き寄せた。
紳士な彼は決して無理強いしない。
私を裏切る男でも、辱めを与える男でもない。
私ははじめて、男性に優しく抱きしめられたかもしれない。嬉しくて嬉しくて、私は彼の腕の中でこのまま息絶えたらいいのにと願った。
「静子さんさえ良ければ、早めにうちに来てもいいんだよ? まだ僕が学生だから、婚約者としてという形にはなるけど」
『僕の両親や祖父母もその案に頷いてくれてるんだ。君にはいずれ僕の代わりに家のすべてを指揮してもらわなきゃならない。学ぶのは早いほうがいいと母や祖母もそう言っているんだ』と彼が言った。
彼の生家である斎藤家は工場を経営していると初めに紹介されたが、それは1つ2つではない。全国主要都市に1つはある大きなものなのだ。彼が家の事業を継いだら、嫁になる私が家のすべてを指揮しなきゃならなくなる。
こう言っては何だが、前の生までの婚約者だった正男さんの家とは事情が少々異なる。彼の家はほぼこっち任せで放任もいいところだったのだ。責任の大きさがまるで違う。
心の準備をする期間が長いならこちらとしてもすごく助かる。それに私にとってあの家は地獄の釜のような場所。できるなら早く離れてしまいたかった。
私のこれまでの繰り返しの生を一部とはいえ、知った上で私を受け入れてくれた芳雄さん。私は人を信じる勇気を得た。
私は幸せになるのだ。苦しい枷を取り払って、運命を切り捨ててしまおう。
彼が一緒だから、もうなにも怖くないのだ。
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