生き抜くのに必死なんです。〜パンがないならカエルを食べたらいいじゃない〜

スズキアカネ

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公妃になるなんて無茶難題過ぎます。

あなたの涙を掬うのはわたくしの特権でしてよ。

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 ここ最近ヴィックはあまり眠れていないらしく、調子が悪そうだ。ただでさえ色白なのに、あまりの顔色の悪さに周りも休んでいたほうがいいとヴィックを気遣う始末である。
 エーゲシュトランドが襲撃された日と同じ日が繰り返しやってきたせいで、連日あの日の夢を見てしまうのだという。

 辛そうな彼を見ていられなくて、重要で急ぎの仕事だけを片付けたヴィックを寝室に押し込んだ。
 なに、ヴィックには有能な側近さんがいる。できる範囲で仕事を片付けてくれると言ってくれたので心配いらない。私が肩代わりできればいいんだけど、まだ政治ができるほどのレベルに達していないので今日はヴィックのメンタルケアのためにそばにいてあげることにした。
 いつもは私達を二人きりにはしない使用人たちも今回は空気を読んで、そっとしておいてくれた。

 睡眠不足は一日程度ならいいけど、何日も続けば精神的にも肉体的にも追い詰められる。だけど原因の悪夢はヴィックの心の傷で、未だに彼の心のカサブタをいとも簡単に剥がしてしまう。ヴィックだって人間である。弱ることもあるし、悲しいという感情もある。こんなときに無理に働かせたらヴィックの心が壊れてしまう。
 とにかく彼は寝たほうがいい。私は専門家じゃないから彼の心の傷を治すことはできないけど、そばにいてあげることはできる。

「ほら、寝ている間私がずっと側にいてあげるから。魘されていたら起こしてあげるよ」

 私はヴィックの隣に腰掛けると、ベッド脇に座っていた彼の体を倒して膝枕してあげた。彼のサラサラの髪を撫でながら、しばし沈黙する。横向きになっていた彼は眠そうな眼をしていたが、目を閉じることなくぼんやりとしていた。

「……あの日、急に蛮族が城に押し寄せてきたんだ。時間は夕食のあとの時間で」

 ヴィックがポツリとつぶやいた言葉に私は頭を撫でる手を止めた。
 当時は人気観光名所なのもあって、エーゲシュトランドも今ほど警備されていなかったらしい。国民も裕福な人が多く、穏やかな気質で治安も良かった。そのせいで平和ボケしていたのだと彼は言った。

「統率の取れていない集団だったけど、数が多くて…目の前で使用人たちが次々に殺された。……母は、私が路銀に困らぬよう金銀宝飾品を手当たり次第に袋に詰めて私を逃してくれた。父は剣を片手に敵と戦って粘ってくれていた。ふたりとも私を守ろうと最後まで戦っていた。それが両親の最期の姿だった」

 この城の秘密の抜け穴から抜け出すも追っ手にみつかり、側近さん達と散り散りになったのだという。遠い昔属国だった隣国に助けを求めようと幌馬車に乗ったのだが、エーゲシュトランド公国を襲うように仕組んだのがサザランド伯で、それを指示したのが隣国だったのだと知り、復讐のためだけにひとりでサザランドに乗り込んだ。
 彼がスラムで行き倒れていたのもその途中で、飲み食いせずに復讐心だけで歩き回っていたが電池切れを起こしてあぁなっていたのだという。私がたまたまあそこを通り過ぎたことで命拾いしたと。

 ……幼馴染たちに引っ張られて炊き出しに参加しなければヴィックと最初に遭遇するのは私じゃなかったのかな。タイミングが悪ければ、お花畑なキャロラインと遭遇して……ヴィックがヤケを起こしていた可能性もあるな。キャロラインが地雷を踏み抜いてヴィックがブチ切れるって意味でね。
 私はその経緯に対してなんと言えばいいのかわからなかったので、とりあえず彼の髪を撫でてあげた。

「…どんなご両親だったの」

 ヴィックの口からあまりご両親の話を聞かない。
 絵姿はみたことあるけど、一度も会ったことがないからどんな人だったのかはわからない。ヴィックにとってどんな存在だったのだろう。

「父は…厳格な方だった。未来の大公としての心構えを厳しく指導してくださった。……私を守ろうと命を懸けてくれた。強くてお優しい人だった」

 遠い記憶を思い出すように話すヴィックの瞳から涙がこぼれ落ち、私のドレス布地の一部が色濃く染まる。
 ずっと気を張って、悲しい気持ちを抑え込んでいたのかもしれないな。ヴィックはこの公国を統治する大公だ。弱いところを見せられないと長いこと気を張り続けて、とうとうプツンと来てしまったのかもしれない。

「母は北方の国の侯爵令嬢だった。とあるパーティで父と恋に落ちて、元々持ちかけられていた縁談をすべて蹴って嫁いできた女性だ。見た目は繊細なレディだったが、誰よりも行動的で…あの時も一番早く行動に出た。母はリゼットに少し性格が似ているかもしれない」

 いやいや、私はヴィックのお母さんみたいに勇敢ってわけじゃないよ。大したことしてないし。行動といえばさつまいも作って野うさぎ狩ってたくらいで…
 ヴィックは静かに泣いていた。まるで迷子の子供のように寂しそうな顔してる。私はそんな彼をみていると自分のことのように悲しくなってしまった。身を屈めると膝枕状態の彼の頭をそっと抱きしめる。

 きっと言葉じゃ彼の心は癒せない。これは彼の傷。私は彼ではないから彼の傷を何もなかったかのように治してあげられない。
 だけどどうにかして彼を悲しみから掬いあげたかった。せめて孤独を感じないでいてほしかった。

「…私の前なら泣いても大丈夫だよ」

 泣くのは一番の心のデトックスだ。それで傷が癒えるとは限らないが、ストレスが軽減されるというのは立証されている。一人で泣けないなら、私の前で泣けばいい。四六時中立派な大公でいる必要はない。ヴィックの涙は私が隠してあげる。だから私の胸の中で泣いていい。

「ヴィックの泣き顔は何度も見たから、もう今更でしょ?」

 私の言葉に涙が引っ込んだらしいヴィックが充血して赤くなった瞳でちらりと私を見てきた。

「一度だけじゃ…」
「腐った食べ物食べてうなされた時、泣きながら寝てたよ」

 彼は半信半疑気味な反応をしていた。自分が寝ながら泣いていたのか? って顔してる。ヴィックは人前で泣くのが恥だと考えているのだろう。男の人はその辺偏見があるから辛いよね。
 でも大丈夫だよ。
 恥ずかしいことじゃないよ。
 私だってもう二度と会えない人のことを想って泣いたことが腐るほどあるもの。私の場合、どんな別れ方をしたかも覚えていない。前世の大切な人たちの記憶。今でも会いたいと思うことあるもの。今の私はリゼットなのに、前世に囚われてるの。おかしいでしょ。

「私がヴィックの泣ける場所になってあげたいの。大丈夫だよ、私が守ってあげるから」

 もしもその時誰かが来たら私が壁になってヴィックの涙を決して誰にも見せない。ヴィックの涙を拭ってあげるのは私だけなのだ。
 私はもう覚悟している、この公国を背負うヴィックの隣に立つことも、ヴィックという一人の男性と生きていくことも。私は彼の重荷を半分抱えてあげる覚悟で今ここにいるのだから。

「私はヴィックのお嫁さんになるんだよ。夫婦は嬉しいことも悲しいことも全部半分こにするんだから。これは身分関係なくみんな一緒なの」
「リゼット…」
「私はまだ頼りないかもしれないけど、いつかはヴィックの隣に堂々と立てるように頑張るから……一人で抱え込まないでよ」
「リゼット……!」

 ヴィックは身体を起こすと私に抱きついて肩に顔をうずめてきた。だけどそれはいつもの抱きしめ方ではなく、幼い子供がお母さんに泣きついているような抱きつき方だった。堪えるようなくぐもった声が聞こえた。私は彼の背中に腕を回し、震える背中を撫でてあげた。
 泣いて泣いて、スッキリしてまた明日頑張ろう。公国の復興はまだ道半ば。もっともっとこの国は興隆するんだ。ヴィックの天国にいるお父さんとお母さんがびっくりするくらい豊かな国にしてやるんだ。
 だから今のうちはご両親を想って泣いていい。ここには私しか居ないのだから。
 ──私達はしばらく抱き合って一緒に泣いていたのである。
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