生き抜くのに必死なんです。〜パンがないならカエルを食べたらいいじゃない〜

スズキアカネ

文字の大きさ
上 下
47 / 66
公妃になるなんて無茶難題過ぎます。

先約済みですの。貴女には差し上げられませんわ。

しおりを挟む
 ドレスを脱がせる経験などさほど無いヴィックは悪戦苦闘していた。私も一人で脱げと言われたら同じくもたつくであろう。少しずつ緩むドレスの編み上げ紐。私達の呼吸音と衣擦れの音が場を支配していた。
 お預け状態だな…なんか私が本当に小悪魔みたいじゃないか。ヴィックは器用そうだからあっさり脱がしてしまうだろうと思っていたけど、全然そんなことなく。…悪いことをしたと思う。

「──ヴィクトル様、リゼット様、お戻りでしたか」

 そこに影のように入り込んできたメイドの声にビクッとするヴィック。…今ものすごく珍しいものを見た気がするぞ。私もびっくりしたけど、ドレス脱がすのに躍起になっていた彼は集中しているようだったので尚更驚いたことであろう。
 異国の地でも監視の目が光るのか。使用人の気配がなかったのでもうとっくに寝ているのかと思っていた。いつものお仕着せ姿のハンナさんは姿勢よくベッド脇に立って私達を見下ろしていた。……変な場面をまた目撃されてしまったぞ…。

「……ハンナ、用があったら呼ぶから今は下がっておいてくれ」

 少しばかり機嫌が悪いヴィックがそう命じるも、ハンナさんは首を横に振った。何が何でも婚前交渉阻止するというメイド長の執念を感じる。ハンナさんはここでもメイド長の「ふたりきりにするな」の命令を遂行する方針らしい。

「私はこちらで待機をします。それでもよろしければ同衾なさってくださいませ」
「……」

 ヴィックは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。きつく命令したとしてもきっとハンナさんは居座るであろう。ハンナさんも意地悪がしたいわけじゃないとわかっているからかヴィックも渋々諦めたようだ。
 
「…本当、君は職務に忠実だな…ハンナ」
「恐れ入ります」

 ハンナさんは深々と頭を下げた。真面目な人だなぁと思っていたけど、ヴィックを動揺させるとはなかなか大物かもしれないな。
 ハンナさんがこの状態なので一緒の部屋で休むのも難しそうだ。仕方ないので私に割り当てられた部屋に戻ることにする。ヴィックが部屋まで送ろうとしてくれたけど、「お胸元が乱れておりますので」とハンナさんが止めていた。ここがエーゲシュトランド城なら良いけど、人様の敷地内だからね、乱れた服装でうろつくのはアレなんだろう。
 なのでヴィックのお見送りはドアの前までってことで、私はハンナさんを伴って用意された部屋に戻ることにした。

 ──コツコツ
 部屋へ戻る前に身だしなみを整えなくてはならない。脱がされた靴下を衝立の後ろで穿き直していると、扉を叩く小さな音が聞こえてきて私は顔を上げる。こんな時間に誰だろうか?

「何かあったのでしょうか。対応してまいります」

 パーティ開催中とは言え、訪問するには非常識な時間帯だ。もしかしたら急ぎの用事かもしれない。ハンナさんが応対して、扉のむこうの訪問者とやり取りしていた。小さく開けられた扉から話し声が聞こえるが、相手の声が小さくて全部は聞き取れない。
 ちょうど扉が見える場所に座っていたヴィックは訪問者の顔が見えたようで、怪訝な表情を浮かべていた。やってきたのは誰だろうと私がひょっこりと覗き込むと、そこにはこのお屋敷の持ち主、本日の主催である子爵の娘さんが立っていた。
 彼女はヴィックの姿を見てポッと頬を赤らめ、私の存在に気づくとぎょっとしていた。

「何か御用で?」
「あ……」

 ハンナさんも子爵令嬢の様子を不審に思ったのか用件を聞き出そうと再度問いかけたが、子爵令嬢は口元を抑えてその場から逃げるように小走りで去ってしまった。
 ……怪しさ満点である。

「え、なに今の」
「……」

 私が何事かとヴィックとハンナさんを見比べていると、ヴィックは無表情になっており、ハンナさんは何かを察したような表情を浮かべていた。

「…ヴィクトル様のしどけないお姿に衝撃を受けられたのでは? リゼット様も髪が乱れていらっしゃいますし」

 そう指摘を受けて自分たちの格好を思い出す。
 なるほどそういうことね。…いかがわしいことをしていたと誤解されたと…誤解ではないが、それは確かに気まずいな。
 私が今更になって恥ずかしくなっていると、ヴィックが私の手を引っ張ってきた。そのまま彼の膝にストンと座る形となる。私を膝抱っこしたヴィックはさっきの無表情ではなく、いつも私に向けてくる甘い笑顔を浮かべていた。

「私達は婚約してるんだから別に恥ずべき事ではないよ、リゼット」

 恥ずかしがるリゼットも可愛いね、と言ってヴィックはキスしてきた。甘々な雰囲気に逆戻りしたのは良いけど、そばにハンナさんがいるんだけどな… 

「ヴィクトル様はもう少し隠す努力をしましょう。未婚のお嬢様方には刺激が強すぎますよ」

 確かに箱入り娘だとそうなるよね。ヴィックの色気に圧倒されたのだろうな…。貴族男性って基本かっちり着込んでいるから胸元晒している姿は刺激的に映るのかも……
 ハンナさんは私達がいちゃつくことに慣れてしまったようで、平然とした態度でヴィックが脱ぎ去ったジャケット類を片付けていた。

「ハンナはメイド長に似てきたな」

 ヴィックの言葉にハンナさんはニッコリと笑って「光栄です」と言っていた。ハンナさんはメイドの道を極めたいのかな。目標はメイド長のようなキャリアメイドなのだろうか。


□■□


 何事もなく子爵家のゲストハウスで一泊して、簡単な朝食を頂いたあとは早々にお暇することにした。家主の子爵からぜひ我が家で滞在をと言われたが、ヴィックは国のことが気になるからとそれを辞した。
 ……なんかこの子爵、未だに娘さんとの縁組を狙ってくるっぽいから、ヴィックはそれから逃れようとしてんのかな。

 昨晩、寝る前に冷静になって考えたんだけど、子爵令嬢はヴィックに夜這いして既成事実を作ろうとしたんじゃないかなって。貴族令嬢を傷物にしたらそれだけじゃ済まない。いくら婚約者が居てもスラム出身の娘なのでなんとでもできると思われていたのかも。
 ……私がいたから夜這い(仮)失敗したみたいだけど。

 穏健派と言ってもそこは貴族。味方というわけでもない。自分に有利な方に動きたいのだろう。今もなにかと娘を推そうとしているが、ヴィックは仮面の笑顔でやんわりお断りしていた。

 港までの道は馬車で移動する。私は先に乗り込んで待っていてと言われたので先に乗って待機していたんだが、馬車の外ではお見送りに出てきた子爵一家に対して、今後もよろしくとかそういう形式的な挨拶を交わす彼の声が聞こえてきた。
 子爵家のしつこい引き止めもやんわりお断りしたヴィックは、早々に挨拶を済ませて馬車に乗り込もうとしていた。

「あ、あのっヴィクトル様!」

 それを阻止しようとしたのはあの子爵令嬢だ。
 泣き腫らしたうるうるの瞳で子爵令嬢はずっとヴィックを見つめて物いいたげにしていたが、ヴィックが何も言わないので焦れたらしい。どうも彼女から何か言いたいことがあるようである。

「また…来てくださいませね。今度は個人的に」

 なんと、個人的に遊びに来てねって…あの、私ここにいるんですが。婚約者の前で誘うのやめてもらっていいですかね。文句を言ってやりたいが、自分の生まれのせいで口出せないのが悔しい。
 ヴィックはこれになんと返すのだろうかと聞き耳を立てていると聞こえたのはこんな言葉であった。

「私たちの挙式にはぜひお越しください。招待状を送りますね」

 お泊りのお誘いはスルーして、私との結婚式に参列してねと声をかけていた。
 まさかのお断り文句だ。
 私がバレないように馬車の窓の端から外の様子を覗き込むと、子爵令嬢が目を見開いて固まっている様子が伺えた。わなわな震えて口を半開きにさせている彼女はショックで青ざめていた。
 ……ヴィックは乙女心をいとも容易くハートブレイクさせていた。
 好意をわかりやすく向けている相手に挙式の招待するとは……鬼である。いや、思わせぶりよりも余程いいけどね。ここで社交辞令言ったら誤解が生まれそうだし、私も嫌だし。

「おまたせリゼット。さぁ早くエーゲシュトランドに帰ろう」

 馬車に乗り込んだヴィックは素の笑顔に変わり、馬車の対面席ではなく、私の真横に座ってきた。私はじっとヴィックの顔を観察した。
 うん、子爵令嬢に心揺れた様子はなさそうだな。

「どうしたの? そんな可愛い顔して」

 何事もなかったかのように私に口づけを落とすヴィック。
 これはどういう反応すればいいのだろう。愛されていると自惚れておけばいいんだろうか。

「…もっとキスして」

 なんだかそんな気分だったのでおねだりすると、私はヴィックの首に抱きついて今度は自分からキスを仕掛けた。きれいな形をしたヴィックのサンゴ色の唇にチュッと吸いつき、薄く開いた唇を舌でなぞる。一旦唇を離すと、ヴィックの薄水色の瞳を熱く見つめた。
 彼は小さく笑うと、私の右頬をそっと手のひらで包んで撫でてきた。

「…嫉妬しちゃったの? 馬鹿だな、私にはリゼットだけなのに」
「だって嫌だったんだもん」

 私とヴィックは人目がないことをいいことに馬車の中でいちゃつき、まるでなにか変な病気に罹ったかのようにデコルテや首周辺に赤い痣を沢山つけられたのである。
 港に到着した時、別の馬車で移動していたハンナさんの目が妙に生暖かったが、彼女は何も言わないでいてくれたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...