生き抜くのに必死なんです。〜パンがないならカエルを食べたらいいじゃない〜

スズキアカネ

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公妃になるなんて無茶難題過ぎます。

なにか言いたいことがお有りなんじゃなくて?

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 仕事をしたことのなさそうな真っ白な手が何かを握りしめると、クシャリと音がした。ぱっと開いた手の中からなにかがどちゃりと落ちた。

「そこのお前、ここにゴミが落ちていましてよ」
「…あなたが撒き散らしたのでは…」

 絨毯の上には根っこごともがれた花がぐちゃぐちゃになって散らばっていた。土もばらまかれて絨毯の毛糸の隙間に砂が入り込んでしまっている。多分これはお城の庭で育てられている花だな……もったいないことをする…
 人が使用しているお部屋の前を散らかしたりしてこの人は何がしたいのだろう。私が微妙な顔をして黙り込んだ姿を見て満足したのか、令嬢は花びらをぐりぐりを踏み潰して横を通り過ぎていった。
 そばに居たメイドさん達が絨毯を見下ろしてげんなりした顔をしていた。彼女の暴挙は今に始まったことではないけど……本当、使用人の仕事を増やすのが上手な人だな。褒めていないけど。


 押しかけ滞在して2週間経過するのに、未だに居座り続ける令嬢。毎日何かしら問題を起こしてはヴィックに怒られているのにおとなしくできないようだ。
 むしろこの令嬢はヴィックに話しかけられる機会を増やすために私をいじめているんじゃなかろうか。注意されてでも話したい…小学生男子が好きな女の子をいじめて気を引いている風にも見える。
 彼女のお父さんはヴィックのお父さんが取引をしていた隣国の大口客だったらしいけど、最近またその話が持ち上がったらしいのだ。ここに来た彼女は父親からの信書を持ってきただけで、ヴィックがそのお返事を令嬢に託したことでその用もすぐに終わった。
 それなのにまだ帰らない。
 …多分、親から信書届けるついでに公妃の座をぶんどってこいと命じられてやってきたんだろうというのがヴィックの読み。大口取引を盾に脅すつもりか…。

 なんかヴィックの知り合いのお嬢様はみんな高飛車がテンプレなんだね。カップぶん投げ令嬢と同じものを感じるよ。もっと淑やかな人はいないのかな? ヴィックの元々の好みが高飛車タイプだったりする?
 いくらお嬢様と言え、正式な招待客でもないのに居座り続けるのはどうなんだろうなと思うのだが、お貴族様の間ではそれが普通であり、ホスト側は受け入れる必要でもあるのかな…? 

 令嬢側の要望で女性使用人をそちら担当に回したけど、まぁあんまり評判が良くないみたいだ。八つ当たりで物を壊すことも多く、理不尽に怒鳴り散らす。担当になった使用人たちが元の持ち場に戻りたいと訴えてメイド長を悩ませているとか。そんな評判を聞いていたら肩代わりしてあげるって申し出る人も出てこないしで…持て余しているようである。

 もちろん、ヴィックだってただ丸投げしていたわけじゃない。
 ヴィックは再三に渡って帰国を促しているそうだけど、お嬢様は聞く耳持たない。なまじ貴族の令嬢なので無理やり追い出すこともできずに困っているのだとか。

 まさかヴィックの奥さんになるまで居座り続けるつもりなのだろうか…若い娘、それも貴族の娘を送り出すくらいだもの。そういう目論見があってもおかしくはないだろう。
 ヴィックのご両親がご存命だったら、こんなことなかったんだろうけどね。両親を亡くした年若い大公様ってことで舐められてしまう面も多いみたいだ。この国の富を狙っているのはひとりだけじゃないってことである。


□■□


 その日は朝からウェディングドレスの仮縫い調整のために拘束されていた。私の希望を受け入れてくれたドレスは憧れのプリンセスラインだ。
 私がこんなキレイなドレスを着られるなんて夢のようだ。普段ならお金のことを気にしてしまうが、ウェディングドレスを前にするとそれを忘れてしまう。服は着れたらそれで十分と思っていた自分だが、人並みにウェディングドレスに憧れていたのだ。

 針を扱っているから動かないようにと職人さんに言われたので身動き取らずに立っていた。地味にこれしんどい。けれど我慢である。
 今はまだ布だけの段階で、ドレスに縫い付ける飾り花や宝石は完成間近になってから装着するのだそう。だけど私はこのままでも十分ではないかって思う。きめ細やかな真っ白な布地はそれだけで輝いている。デザイン画を書いてもらったときにヴィックにも確認してもらったけど、実際に身にまとった姿を彼にも見てほしいな。
 挙式当日に初めてお披露目するのもいいけど、この姿を見て可愛いって言って欲しい。一日に一回以上はヴィックから可愛いと言われたい乙女心なのだ、察して欲しい。

 ──ガチャリとノックもお伺いもなく開け放たれた扉に、私は一瞬ヴィックかもと期待して、訪問者を見たらその期待はしょぼんと萎縮してしまった。
ウェディングドレスにどきどき胸を躍らせていた私だったが、そこに居た令嬢の存在にげんなりした顔をしてしまう。
 彼女は仮縫いのウェディングドレスに身を包んだ私を瞳に映すと、色素の薄いその瞳をカッと見開いていた。嫉妬に似た殺気のようなものを感じ取った私はギクリと身をこわばらせた。

「下賤の娘にはもったいないドレスですわね」

 すぐに表情を取り繕い、いつもの高慢な笑顔を浮かべる彼女はずかずかと部屋に足を踏み入れてきた。

「入られては困ります」

 すかさず同席していたハンナさんが令嬢の侵入を阻止しようとしたが、令嬢は持っていた扇子でハンナさんの肩をばしりと叩いて跳ね除けていた。

「ちょっ、何を…!」

 この人は人様のお宅の使用人に対して乱暴がすぎるぞ!
 私が物申そうとしたらギッと令嬢が睨みつけてきた。その目の鋭さに私の声は引っ込んだ。

「わたくしならもっと似合いますわ。えぇきっとドレスが霞むくらいにね」

 ずずいと顔を近づけてきた令嬢の顔はやっぱり美人だ。美人だからこそ怒っている顔に迫力があって更に怖いのだ。
 顔が近いので私がのけぞっていると、彼女の手は仮縫いのドレスに伸ばされ……ぐいっと乱暴に布地を引っ張られた。握りしめた手は力が入っており、縫い目を引き裂いてやろうという魂胆が伝わってきた。
 ドレスが破れる!

「やめて、離して!」

 彼女の手を振り払うとびりっと嫌な音がした。その音源を目で探った私は青ざめる。ドレスの肩口がぱっくりと破けてしまっていたのだ。
 呆然としている私をあざ笑うかのように令嬢は言った。

「私は触っただけですわ。あなたが暴れるから破けましたのよ? 被害者ぶらないでくださいな」

 愉快そうに笑う令嬢。自分の侍女達とくすくす小馬鹿にしながら笑うその姿は美しい容姿に見合わない醜悪な姿であった。
 この、性悪女…!
 お貴族様だから、事業取引相手の娘だからって今までの意地悪に耐えてきたが、今度という今度はもう許さないぞ…!

「あんた…!」

 私が怒りで吠えようとしたら、私と令嬢の間にさっと割り込む人影の姿。──ハンナさんだった。姿勢よく立つハンナさんをみた令嬢は眉を潜めた。

「なんですの、メイドの分際で」
「主人に危害を加えるものから守るのもメイドのお役目ですので」
「まぁっ、まるでわたくしが加害者のような言い方して…!」

 ハンナさんにはもう既に令嬢に対する敬意はない。
 だけどその令嬢は暴力的な部分があるから危険だ。私はハンナさんの腕を掴んで止めようとしたのだが、ハンナさんは動かなかった。断固として動かないぞという意志を感じる。

「お引き取りください。これ以上リゼット様に危害を加える事は私が許しません」

 静かな声で告げた言葉だが圧を感じる。
 意外とハンナさんは好戦的なタイプなんだね。私は止められそうにないや。

「お前っわたくしをどこの誰だとわかった上で…」
「──それはこっちのセリフだよ。誰の許可を得た上でこの部屋に無断で入室した?」

 令嬢はカッとなって武器となりつつある扇子を振りあげようとした。しかしそこに飛び込んできた氷のように冷たい声に、彼女はぎくりとしていた。
 いつの間にかヴィックが部屋に入ってきていたようだ。…気づかなかった。彼は腕を組んで私達のやり取りを眺めていたようだが、どこから見ていたんだろうか。口を挟むタイミングを伺っていたのだろうか。

「出ていきたまえ。君に入室を許した覚えはないよ」

 有無を言わさぬ雰囲気で令嬢を睨みつけるヴィック。
 先程まで怒りで顔を赤くしていた令嬢は今度は青色に変わっていた。なんかヴィックに対して言い訳をしようとしていたが、「聞こえなかったのか。出て行けと言っている」と切り捨てられ、すごすごと退室していった。
 だけど彼女の場合、明日には回復しているからあんまし関係なんだけどね。その前向きな性格をいい方向に持っていけなかったのかなと疑問には思う。

「すいません…破けてしまいました…」

 私のドレスを作ってくれていた職人さんに謝罪する。
 綺麗にぱっくりいった肩口。もうちょっと上手に振り払っていればこんなことにならなかったのに…

「大丈夫ですよ、軽く縫い付けていた部分の糸が解けただけです。この程度なら新しい布地を入れ替えれば挽回できます」

 職人さんが布を入れ替えれば大丈夫と言ってくれたのでホッとしたが、仕事を増やしてしまって申し訳なくなった。

「ごめんね、怖かっただろう……流石に彼女の行動は常軌を逸している。扱いに困って滞在を許す形になっていたけど、本国に連絡して迎えにきてもらおう。またもや私のリゼットに危害を加えようとしたのだから」

 許せない、とつぶやいたヴィックに私は苦笑いした。

「大丈夫だよ、わかっているから」

 お貴族様にも色々柵があるんだよね、わかってる。ヴィックも立場があるんだもん。それは仕方ない。
 各部屋は警備兵が立って厳重に守られてるし大丈夫。自分の出自でこういう目に遭う可能性があるってのは前からわかっていたから……
 口には出さないけど、ヴィックには私の考えていることが伝わったのか、彼は悲しそうな顔をしていた。

「…我慢を強いらせてごめんね」
「そんな顔しないで。それよりさ…私ウェディングドレス着ているんだよ? 他になにか言いたいことない?」

 どうせならあんな意地悪な人の話題でしんみりしたくない。
 私が感想を尋ねると、ヴィックは軽く目を見張っていた。そして私の全体図をその薄い水色の瞳に映してとろりと溶けそうなほど甘い微笑みを浮かべた。

「綺麗だよリゼット。早く君を花嫁にしたい」

 私をふわりと抱き上げると、甘く微笑むヴィック。
 彼の笑顔を見ると落ちていた気分が浮上した。彼がこんな風に愛をぶつけるのは私だけ。だから頑張れる。ヴィックの隣に立つのは私なのだ。あんな意地悪令嬢の嫌がらせなんかに泣いてやるもんか。私はそういうキャラじゃないんだぞ。

「お嬢様にまち針が刺さってしまいますよ、ヴィクトル様」

 針と糸を持った職人さんが慌てて止めてきた。
 ヴィックは残念そうに私を下ろすと、私の唇に小さくキスを落とした。

「あとは挙式のときのお楽しみに取っておくよ」

 色気を含んだ表情で言われた私はなんだか無性に恥ずかしくなって照れてしまって黙り込んだ。挙式のときって……うん、変なことは想像していないよ。顔に火がついたように熱いけど、決していやらしいことは想像していない…
 するとヴィックは私の反応が可愛いと言って更にキスしてきたので、職人さんのお仕事を再び中断させる羽目になってしまったのである。
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