生き抜くのに必死なんです。〜パンがないならカエルを食べたらいいじゃない〜

スズキアカネ

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公妃になるなんて無茶難題過ぎます。

生まれと育ちはどうあがいても埋められませんわ。

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『──』

 その名は、私がリゼットになる前の名前。今は誰もその名で私を呼ぶことはない。もう会えることのない人たちの夢を見て涙を流して起きる朝。その夢もここ最近は見ることも少なくなっていた。久々の夢は私の心を感傷的にさせた。
 今の私はリゼットでしかない。今を生きると決めた私ではあるが、深層心理の中ではきっと前世の家族に会いたいという未練を抱えているのだろう。涙を拭いながら身を起こした私は少し気分が沈んでいた。
 もう会えない人の夢を見て、朝起きたら居ないというのはとても虚しい気持ちに襲われるのだ。

 ……もう会えないと言えば、ヴィックはどうなのだろうか。
 ヴィックが14の時にご両親は殺害され国を追われた。そして現在ヴィックは18歳だが、それでもまだ4年しか経過していないのだ。何年経っても親しい人の死は苦しいはずなのに彼はそれに関して弱った姿を見せない。スラムで生活していたあの時以降彼が両親を想って涙する場面を私は見たことがない。

 こちらに帰ってきた際、被害者全員合同のお葬式をした。本来であれば亡き大公夫妻の葬儀は盛大にしたかったであろうが、状況が状況だったので、この国内にいる人たちが集まるだけの小規模な合同葬。ひっそりとしめやかに亡くなった人たちを弔った。
 私もそこに参列していたのだが、喪主を勤めていたヴィックは泣かなかった。きっと泣けなかったんだろう。そばに居て寄り添いたかったけど、彼は忙しそうに動き回っていたので邪魔をしてはいけないと考えた私は、少し離れた位置で彼を見守っていた。

 会いたいけど会えない。それを理解していても諦めきれない。ヴィックも私のようにもう会えない人たちの夢を見ているのだろうか。
 誰にもその弱音を吐かない。きっと辛いはずなのに。私はそんなに頼りないのだろうかと少し寂しく思う。



 私がヴィックの婚約者となり、結婚式に向けて教育を受けているという話が周辺国に広がると、周りの国から横やりが入ってきた。そしてそれをスルーしていると業を煮やしたあちら側から使者が来るようになった。
 他国の人間の結婚と言えど、身分差がありすぎる私達の結婚を許せないのだそう。きちんとした家柄の娘を公妃として迎えて、スラムの娘は妾にしてはどうだと面と向かって言ってくる使者も居た。青い血を持つヴィックは同じ青い血を持つものと結婚すべきだと熱く訴えていた。
 青い血って……タコか。ヴィックはタコ扱いなのか。いくらなんでも大公様に失礼ではないか。

 スラム出身の私には何を言っても構わないだろうって言った雰囲気をもった使者は私を見下し好き勝手に言ってくれる。
 とはいえ私も反論できずに黙り込んでいたのだけど。こういう人に舌で勝てるとは思ってない。口を開けば、そのまま誘導されて不利な発言に持っていかれそうなので、ここでは口を開くべきじゃないと判断したのだ。
 ヴィックはしばらく目をつぶったまま無言で使者の話を聞いていたが、ぱちりと目を開いて横を見た。彼の視線の先には紅茶のお代わりをサーブしようとしているメイド長の姿。

「──サリー、馬丁を呼んでこい」
「かしこまりました」

 何故かここで馬丁を呼びつけたヴィック。私がそっと彼の表情を覗き込むと彼は無表情で激怒していた。
 使者もヴィックのお怒りにようやく気づいたのか、あれっ? と言った反応をしている。もう挽回は無理だろうねぇ…

「お呼びですか、ヴィクトル様」
「あぁ、彼がお帰りだそうだ。城の外までお送りして差し上げてくれ」
「かしこまりました」

 ヴィックに呼ばれてやってきたムキムキマッチョマンの馬丁は口下手で無愛想だけど馬をこよなく愛する心優しき力持ちだ。彼はひょいと使者(男)をお姫様抱っこすると、のっしのっし部屋から退出した。
 彼は言われたことを素直に受け取るタイプなので、ちょっとお見送り方法がおかしいけど、丁重に送ってくれているみたいだからまぁいいだろう。

「これは廃棄処分しておいてくれ」
「はい」

 執事に絵姿の書かれた絵画を処分するように命じたヴィックは少しげんなりしていた。ここ最近こんなのばっかりだから流石に嫌気も差すよね。
 このエーゲシュトランドは復興が進むにつれて人の流れが以前より活発になった。国境沿いに検問所みたいな場所はあるのでそこで許可を貰った人間しか通過できない決まりだ。当然通行料も取られる。
 警備も強化しているとは言え、それが絶対というわけではない。面倒くさい人間はどんな手段を使ってでも入国してくるものなのだ。


□■□


「ごきげんよう、ヴィクトル様」
「…先触れも何もなしにやってくるのは少々無礼なのでは?」
「わたくしと貴方の仲ではありませんか」

 アポなし訪問してきたのはこれまた高飛車そうな貴族の令嬢であった。銀色に近い色素の薄い髪を縦ロールにした彼女はローズピンクのフリルの多いドレスを身にまとっている。何というかロシアやベラルーシのスラブ系の美女っぽい。ただ、彼女のその目は意地悪そうで…どうにも好きになれそうにない。…またヴィックの元婚約者候補かなと私が眺めていると、令嬢と目がパチリと合った。
 そして彼女は何を思ったのか、手に持っていた扇子を持ち上げた。それは私に向かって振りあげられる。叩かれると思った私が頭を庇って身構えると、バシリと痛々しい音が響いた。

「…いきなり何をするのかな?」
「卑しい娘が頭も下げずにわたくしを見ていたので躾をと」

 令嬢の扇子を掴んで止めたのはヴィックだ。
 令嬢の言葉の裏を読み取った彼は冷たく彼女を見下ろしていた。

「彼女は私の大切な人だ。頭を下げる必要はない」
「まぁ、由緒正しき青き血を持つわたくしにそれは失礼じゃありませんこと?」
「この城の主は私だ。文句があるならまず私に言え」

 それらしい理由を付けて私を害そうとした令嬢から私のことを守ってくれたヴィック。多分私が見えないところでも色々口うるさい人間を相手しているのだろう。私にそれを気づかせないのは彼の優しさなのだろう。
 美しい令嬢を前にしてもヴィックの態度は変わらなかった。彼が彼女になびく様子は1ミリもなさそうである。
 ──だけど彼らが2人で並ぶ姿は美しい。

 私はらしくもなく嫉妬していた。
 ヴィックに求婚された当初は混乱もあってお試し期間とか提案していたけど、こっちにきて一緒に過ごす時間を重ねる内にどんどん好きの気持ちが大きくなった。今の私は他の人に彼をとられたくないと思っている。
 おかしいな、もっと前なら私にも余裕があったはず。ヴィックが他の女性を選ぶかもしれないからとお付き合い期間を設けて一線をおこうとしたりしてさ。なのに今の私は独占欲でいっぱい。……私はなんて身勝手なんだろうか。

 ヴィックのお怒りに触れているとわかっていない令嬢は「まぁいいわ」と鼻を鳴らした。

「もちろんわたくしにはいいお部屋をご用意してくださるわよね? わたくし馬車の旅でもうくたくたなの。マッサージが上手な召使いをお願いね」
「…客室に案内しよう」

 厚かましいな。押しかけておいて偉そうに要求するとは何様のつもりなのだろうか。滞在させてくれることに感謝しないのかな…貴族ってのは。

「あら、公妃様がお使いになっていたお部屋でもよろしくてよ?」
「今は我が婚約者殿が使用しているので無理だ」

 おっと、招かねざる客のくせに城で2番目にいい部屋を望むとは…。
 ヴィックからあっさり断られたことで令嬢は一瞬動きをとめる。そしてさぁっと血相を変えていた。

「正気ですの!? スラム生まれのものをあの部屋に住まわせるなど、お母様がお知りになったら」

 私もあの部屋は豪華すぎるとは思っているよ、わかってる。
 でも急な客である令嬢が気軽に滞在できる部屋ではないのは確かだよ。

「ここは私の城であって、君は部外者だ。口出すなら城への滞在は許可しない。今すぐ国へ帰るんだな。もしくは馬車で寝るなり野宿なり好きにすればいい」

 文句を付けて騒ぐ令嬢に不快感を示したヴィックは追い出そうとする素振りを見せると、令嬢もまずいと思ったのかおとなしくなった。しかし、私を睨むのを忘れない。
 汚い、浅ましい存在に向けられるそれは軽蔑。スラム生活をしていた頃に浴びていた視線を思い出して私は警戒で身を固くする。私が彼女の睨みに怯みそうになっていると、エプロンドレスの女性が視線を遮るように私の目の前に立った。

「さぁリゼット様、午後の学習のお時間ですよ」

 新しく入職したメイドのハンナさんが笑顔で午後の公妃教育の時間をお知らせしてきた。
 通常であれば客人の前での行いとしては落第点だが、彼女の行動は私を守る壁になろうとしているのだと判断されたのか周りの使用人も主人のヴィックも何も言わなかった。

「そうだったねリゼット。勉強頑張るんだよ」
「うん…」

 ヴィックは優しく微笑むと私のおでこにキスを落としてきた。そしてハンナさんに私を託すと、そばに居たメイド長とアイコンタクトを交わしていた。私はハンナさんに誘導される形でその場から離され、ほっと息を吐き出した。

 ──大丈夫、蔑まれるのは慣れてるから。スラムの住民として蔑まれてきたのだもの、こんなの全然平気。
 なのに、慣れているはずなのに……心が痛い。
 あの針のむしろみたいな視線を久々に浴びた私はスラム時代を思い出してしまった。こっちではみんなに優しくされていたので勘違いしていたのだろう。

 本当ならば私はここに居なくて、ヴィックは家柄のいいお嬢さんと結婚しているはずだったんだ。私はここで傅かれるような存在じゃないんだって。
 そう考えると、ヴィックとの距離を遠く感じた。
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