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第40話
しおりを挟むパティスリー前は点灯夫たちによって点された灯りが付いていて、その下でラナが私の帰りを今か今かと待っていた。
私の姿を見つけたラナは、泣き出しそうな表情でぱっと駆け寄ってくる。
「お嬢様ぁっ!! 一体どこへ行っていたんですか? 付き人もつけないなんて。もしもお嬢様に万が一のことがあったら、私は旦那様に顔向けできませんよう! って、どうして目が真っ赤なんですか!?」
私の顔を見てラナは始終狼狽える。
「……もしかして、うちのお嬢様に何かしましたか?」
ラナは胡乱な目で私の隣に立っているアル様を睨めつけた。
アル様は浮浪者から私を助けてくれたし、危ない目に遭わないよう私を守るようにして歩いてくれた。そんな親切な人を悪者扱いして欲しくない。
私はアル様を庇うようにラナの前に立った。
「レモンが切れていたから買い出しに行っていたの。それでネル君から事情を聞いたアル様が私を心配して迎えにきてくれたのよ。目が赤いのはゴミが入ってしまったからよ。彼のせいじゃないわ」
最後の部分は適当な理由を付けて誤魔化した。
襲われたなんて話をしてラナを悲しませたくない。
「強い風が吹いたせいだよね。僕は運良く目にゴミが入らなかったけど砂埃を巻き上げるような風だったから仕方がないよ」
私の話にアル様が合わせてくれたお陰で、ラナは納得したようだ。
顎を引いてから「そうでしたか」と言って、アル様への態度を軟化させる。それからレモンの茶袋を受け取ってお店の中へ入っていく。
「シュゼット令嬢、早くエンゲージケーキを完成させてください。僕もできることがあるなら手伝います。指示してくださればその通りに動きますので!」
「お気持ちはありがたいですけどそれはちょっと……」
大事なお客様にお店の手伝いをさせるわけにはいかない。今日だって本当はお菓子を食べにパティスリーへ来てくれたはずなのにわざわざ私を迎えに来てあの浮浪者から助けてくれた。
「いつも美味しいお菓子を食べさせてもらっているし、このくらいはさせて欲しいな」
「ですが……」
決めかねているとなかなかお店に来ない私の様子を見にラナが戻ってきた。
丁度今の会話を聞いたのだろう。ラナはパンッと手を合わせるとにっこりと笑顔を作ると、アル様に話しかける。
「それではアル様は私と一緒に果物を洗うのを手伝ってください。今、猫の手も借りたいくらい忙しいんですよう」
「ちょっと、ラナ!」
私が窘めようとするとアル様が制してくる。
「僕はこのお店の常連客であり、新商品開発の相談役でもある。いわばこのお店の一員でしょ? そんな僕が手伝わないでどうするの。ほら、一緒に厨房へ行こう。これ以上手を止めていたらいよいよ間に合わなくなるよ」
言われてみれば、アル様にはこれまで何度もお菓子の相談をし、その度にアドバイスをもらってきた。
このお店にとって切っても切れない存在だと思ったのは私なのに、どうして都合の悪いときだけ彼を切り離そうとしていたのだろう。
都合良くアル様を扱っていたことに気づいて深く反省する。アル様はこれまで誠実に私に応えてくれた。だから今度は私も彼に誠実さを示さなければ。
「ありがとうございます。アル様。よろしくお願いしますね!」
「もちろん」
アル様は笑みを作るとラナと一緒にお店の中に入っていく。
私は二人の後ろ姿を見てぎゅっと拳を握り締めた。
このパティスリーのオーナーは私だけど独りで戦っているわけじゃない。たくさんの人たちに支えられてこのお店は成り立っている。
――だから絶対にやり遂げてみせるわ。
私は眉を上げると二人の後を追い、作業を再開させた。
厨房に戻ってみると作業台のすぐ下にはラナが買い付けてくれた箱いっぱいのブルーベリーとラズベリーが置かれている。予想はしていたけれどフィリップ様はいちごだけを買い占めただけで他は買い占めていなかったみたいだ。
作業台の上にはエードリヒ様から頂いたいちごに、ネル君が摘んでくれた食用花。そしてその隣にはさっき私が買ってきたレモンもある。
思い描いたケーキを形にするための準備は整った。
あとは時間との勝負。
「皆が力を貸してくれたお陰で材料はすべて揃った。だから絶対無駄にはしないわ」
私は両手で頬を叩いて気合いをいれるとエプロンの紐を締める。
いろんな人たちが助けてくれたお陰でフィリップ様に頼まれたエンゲージケーキは、夜明け前に完成することができた。
四角い赤紫色のキャンバスは真っ白な生クリームで縁取られ、カラフルなマカロンやアラザン、そしてスミレやパンジー、ヴィオラなどの食用花で彩られている。
飾り付けを始めた当初、ジャム作りを手伝ってくれたアル様とラナはケーキの完成を見届けると言って徹夜する気満々だったけれど、深夜過ぎにはこっくりこっくりと船を漕ぎはじめてそのまま眠ってしまった。
今も作業台に突っ伏した二人からはすうすうと規則正しい寝息が聞こえてくる。
私は二人にブランケットを掛けてあげると、うんっと伸びをした。
オーブンの上にある窓から外を眺めると、濃紺の空がほんの僅かに紫色に染まっている。直にオレンジ色へと変化して朝焼けの太陽が首都を照らし始めるだろう。
けれど私は太陽を拝む前に力尽きてしまった。ケーキが完成し、安心したせいでドッと疲れが押し寄せてきたんだと思う。
作業台の椅子に座った途端、私の意識は完全に夢の世界へと引き込まれていった。
「――……お疲れ様、シュゼット令嬢。これ以上、あんな男にあなたの手を煩わせるような真似はさせない。必ず守ってみせるから。そしてすべてが終わったら僕はすべてを打ち明けるから……」
微睡む意識の中で誰かの囁く声が聞こえてくる。最後の言葉は聞き取れなくて何と言ったのか分からない。ただ起きようとして瞼を震わせていると、マシュマロのようなしっとりと柔らかな感覚が頬に伝わってきて、眠りの世界へと誘われる。
私はこの感覚が何なのかを頭の隅で考えながら、再び深い眠りへと落ちていった。
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