25 / 48
第24話
しおりを挟む「二人ともお待たせ。ラナがクレープと一緒にお茶を運んでくれるわ」
「それは楽しみだな」
シュゼットが席につくとエードリヒが先程の殺伐とした空気を引っ込めて和やかな雰囲気を醸し出す。二人が言葉を交わしている間にラナがワゴンでお菓子とお茶を運んでくる。
テーブルに置かれたオレンジソースが掛かったクレープは見るからに美味しそうで、エードリヒは頬を緩めた。
「相変わらず美味しそうだな」
「エードリヒ様の大好物だもの。美味しく作れないでどうするの」
たちまちネルの表情は強ばる。視線をおもむろにオレンジソース添えクレープへと落とし、今聞いた言葉を頭の中で反芻する。
エードリヒが大好物のクレープ。
彼がここに来たから作った、特別なお菓子。
たちまち、ネルの心に黒い靄のようなものが現れる。黒い靄はやがて蛇のとぐろのように渦巻いて心の中全体を蹂躙していく……。
これが嫉妬だとすぐに分かった。
――これくらいで感情を呑み込まれたらダメだ。
ネルは天井を仰ぐと息をフッと吐いた。とにかく今は誰の好物とかは脇に置いていて、シュゼットが作ってくれたお菓子を堪能したい。
気を取り直してオレンジソース添えクレープに視線を落とす。
綺麗に四つ折りにされたクレープの上にオレンジソースがかかった美味しそうな見た目。食欲そそる柑橘系の爽やかな香り。みずみずしいオレンジの隣には金口で絞られた生クリーム、その上には飾り用のミントがのっている。
ネルはナイフでクレープを一口大にカットすると、オレンジを添えてソースが零れないようフォークに刺して口へと運ぶ。
口に含めばジューシーなオレンジとほんのりと甘くてしっとりとしたクレープ生地が舌の上にのる。噛めばオレンジの果肉が弾けてさらに口の中はオレンジの甘酸っぱい味に包まれる。
――うん、やっぱりシュゼット令嬢のお菓子はどれも美味しい。
「相変わらずシュゼットの作るクレープは美味だ」
同じような感想をエードリヒも口にする。
シュゼットはエードリヒの感想を聞いてはにかんだ。
「ありがとう。エードリヒ様の大好物だから美味しいと言ってもらえて嬉しい。レシピも変えずに昔のままのものを使ったの」
「それはありがたい。改良版もさぞかし美味だろうが、昔のままの味を提供してくれたら、私は子供の頃を懐かしむことができる」
「ふふ。そう言うと思いました」
幼馴染みというだけあって二人の距離は近い。
二人の間の取り方は似ていて、それが一緒に過ごしてきた時の長さを物語っている。
ネルは二人からクレープに視線を戻すと再び食べ始める。
煮詰められたオレンジソースは甘酸っぱかったはずなのに、次に口にいれるとグレープフルーツのような苦みが広がった。
黙々と食べ続けて最後の一切れを胃に収めると、ぐっと奥歯を噛みしめる。
――シュゼット令嬢のお菓子は美味しいけど、このクレープは好きになれないかも。
ネルは口の中に広がる苦みを打ち消すためにカップのお茶を流し込む。
その間も二人は昔話に花を咲かせて楽しそうに過ごしていた。
「――それじゃあ私は失礼する」
クレープに満足したエードリヒは勝手口の前に立つと別れの挨拶をする。
「また来るぞシュゼット。……あとネル君」
エードリヒはネルに近づくと、肩にぽんと手をのせて小さな声で警告した。
「私の目が黒いうちは、シュゼットに危害を加えたらただで済まないと思え。いいな?」
エードリヒはネルから離れるといつもの朗らかな笑みを浮かべて帰っていった。
「さようなら、エードリヒ様」
ネルの隣に立つシュゼットは手を振ってエードリヒを見送った。その様子をネルは横目でちらりと盗み見る。
シュゼットが伯爵令息から婚約破棄されて三ヶ月以上経つ。当時は失恋を忘れるために仕事に邁進していたかもしれないが、そろそろ立ち直って新しい恋を探し始めてもおかしくない。
国内視察から戻ったエードリヒにとってこれは逃しがたい絶好の機会だろう。シュゼットがどう思っているのか分からないが、端から見ていると二人の雰囲気は良好だと言える。
……このままではシュゼットとエードリヒが結ばれてしまうかもしれない。
そんなの絶対に嫌だ。
俯いて悶々としているとシュゼットがうーんと伸びをしてから明るい調子で口を開く。
「エードリヒ様は相変わらず素敵な方だったわ。久しぶりに会えてとても楽しかった」
昔を懐かしむ表情をシュゼットは浮かべていたが、俯いていたネルはそれに気づかない。
言葉だけで情報を判断すればシュゼットがエードリヒに対して好感を持っているようにしか聞こえなかった。たちまち、ネルの心に不安と焦燥がずうんと重くのしかかる。
ネルは唇をきゅっと引き結ぶと切ない表情を浮かべた。
――距離を縮めようと努力したところで少年の姿をして騙している以上、僕に勝ち目がないことくらい分かってる。だけど…………諦めたくない。
眉間に皺を寄せるネルは目を閉じて長い睫毛を震わせる。
「どうしたの? 元気がないわね?」
シュゼットはネルを覗き込むようにして尋ねてきた。
「あ。いえ、別に僕は……」
どう答えるべきなのか言葉を詰まらせていると、シュゼットがぽんとネルの頭の上に手を置いてから撫でてくる。続いてやにわに口元を耳元に寄せてくると、悪戯を打ち明けるように囁いた。
「実を言うとね、クレープとは別でネル君のためにクッキーも焼いてあるのよ。今から一緒に食べましょうね」
シュゼットはネルから離れると目を細める。
「クレープの味付け、ネル君の好みとは少し違っていたの。だからきちんとあなたの好きな味で楽しんでもらいたくて」
ネルは目を瞠った。まさかわざわざクレープとは別にクッキーを焼いてくれていたなんて予想していなかった。
他の誰のためでもない自分のためだけに焼いてくれたクッキー。
それだけでネルの心に重くのしかかっていた不安も焦りも苛立ちもスーッと消えて軽くなっていく。
ネルは胸の上で手を重ねると小さく息を吐く。
「うん、一緒に食べる……食べるよ。お嬢様」
近い未来、必ず真実をシュゼットに伝えなくてはいけない。だけど、今はまだこの関係のまま側にいたい。
――これが我が儘なのは分かってる。だけど、嫌われるかもしれないその前にもっとお嬢様との時間を過ごしたいから……。
「さあ、行きましょう?」
優しい眼差しを向けるシュゼットがネルの前に手を差し出す。
ネルは小さく頷くとシュゼットの手を取って、しっかりと握り締めるのだった。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
家ごと異世界ライフ
ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!
祝福のキスで若返った英雄に、溺愛されることになった聖女は私です!~イケオジ騎士団長と楽勝救世の旅と思いきや、大変なことになった~
待鳥園子
恋愛
世界を救うために、聖女として異世界に召喚された私。
これは異世界では三桁も繰り返した良くある出来事のようで「魔物を倒して封印したら元の世界に戻します。最後の戦闘で近くに居てくれたら良いです」と、まるで流れ作業のようにして救世の旅へ出発!
勇者っぽい立ち位置の馬鹿王子は本当に失礼だし、これで四回目の救世ベテランの騎士団長はイケオジだし……恋の予感なんて絶対ないと思ってたけど、私が騎士団長と偶然キスしたら彼が若返ったんですけど?!
神より珍しい『聖女の祝福』の能力を与えられた聖女が、汚れてしまった英雄として知られる騎士団長を若がえらせて汚名を晴らし、そんな彼と幸せになる物語。
【完結】伯爵令嬢が効率主義の権化だったら。 〜面倒な侯爵子息に絡まれたので、どうにかしようと思います〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「反省の色が全く無いどころか睨みつけてくるなどと……。そういう態度ならば仕方がありません、それなりの対処をしましょう」
やっと持たれた和解の場で、セシリアはそう独り言ちた。
***
社交界デビューの当日、伯爵令嬢・セシリアは立て続けのトラブルに遭遇した。
その内の一つである、とある侯爵家子息からのちょっかい。
それを引き金にして、噂が噂を呼び社交界には今一つの嵐が吹き荒れようとしている。
王族から今にも処分対象にされかねない侯爵家。
悪評が立った侯爵子息。
そしてそれらを全て裏で動かしていたのは――今年10歳になったばかりの伯爵令嬢・セシリアだった。
これはそんな令嬢の、面倒を嫌うが故に巡らせた策謀の数々と、それにまんまと踊らされる周囲の貴族たちの物語。
◇ ◆ ◇
最低限の『貴族の義務』は果たしたい。
でもそれ以外は「自分がやりたい事をする」生活を送りたい。
これはそんな願望を抱く令嬢が、何故か自分の周りで次々に巻き起こる『面倒』を次々へと蹴散らせていく物語・『効率主義な令嬢』シリーズの第3部作品です。
※本作からお読みの方は、先に第2部からお読みください。
(第1部は主人公の過去話のため、必読ではありません)
第1部・第2部へのリンクは画面下部に貼ってあります。
(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅
あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり?
異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました!
完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる