13 / 48
第12話
しおりを挟む雨は小雨になったけれど、おやつ時になっても来店するお客様は少なかった。
店内のショーウィンドウから街行く人の様子を窺ってみてもその数はいつもよりまばらだ。ネル君には土砂降りの中お店に来てもらったけれど、活躍する場はなかった。
これ以上いてもらっても貴重な時間を奪ってしまうだけだし、また本降りになったら大変だと判断した私はネル君を早めに家へ帰すことにした。
「今日は折角来てもらったのにごめんね。お天気が不安定だから今のうちに帰って。今日のお菓子はネル君の好物をたくさん詰めておいたわ」
ネル君はお菓子の包みを受け取ると鞄の中にしまう。
「僕は少しでもお嬢様の役に立ちたいだけだから気にしないで。明日もよろしくお願いします」
礼儀正しく頭を下げたネル君は傘を広げて帰って行く。
私はネル君を見送った後、踵を返して店内にいるラナに声を掛けた。
「今日はもうお客様も来ないだろうから早めにお店を閉めましょうか」
時間を持て余していたラナはお店の棚や窓を雑巾で拭いて綺麗にしてくれていた。
「分かりました。……あっ、それなら私は材料の注文をしに商会へ行ってもいいですか? きっと商会の方もいつもより混んでいないと思うんです」
「確かにその可能性はあるでしょうね。待ってて。注文リストを渡すから」
私はあらかじめ紙にまとめていた注文リストをラナに手渡した。
ラナは厨房勝手口の脇に置いていたレインブーツへ靴を履き替え、壁に掛けていたお遣い用の手提げ袋を手に取る。
「それではお嬢様、行って参りますので閉店作業の方をお願いしますよう」
「待って。馬車の代金を渡しておくわ」
私は馬車に乗れるように銀貨を一枚差し出した。
小雨になったとはいえまだ雨は降り続いている。商会までは結構な距離があり、途中また本降りになったらラナが風邪をひいてしまうかもしれない。
ところがラナはそれを突っぱねて決して受け取ろうとしなかった。
「馬車なんて使わなくても平気ですよう。私にはレインブーツとレインコートがあるので大丈夫です。このお金は借金返済の足しにしてくださいませ」
「だけど……」
「それでは行って参りますよう」
ラナは私が反論する前にレインコートを引っつかんで出ていってしまった。
「ラナったら、変に気を遣わなくても良かったのに……」
残された私は肩を竦める。
ラナは早く借金を完済して欲しくてああ言ってくれたのだろう。その気持ちは非常にありがたいけれど、冷たい雨風に当たって風邪をひかれたら大変だ。
ラナが帰ってきたら身体の芯まで温まるジンジャーと喉に良いハチミツ入りの温かいハーブティーを淹れてあげよう。
「――さて、そうと決まればラナが帰ってくるまでに閉店作業と売り上げの確認をしておかないと」
まずは閉店作業に取り掛かる。
今日はお客様が少なかったのでいつもより多めにケーキが余ってしまった。
「結構余っちゃったから屋敷に持ち帰って皆に食べてもらおうかしら」
現在キュール家で働いている使用人はラナを含めて七人、家族は私を含めた四人の計十一人だ。
ケーキは十二個余っているので一人一個行き渡らせることができる。
カウンターのレジ後ろの棚には、包装紙や折り畳まれたケーキ用の箱がサイズごとに並んでいる。私は一番大きな箱を手に取ると組み立て始めた。
手を動かしているとチリンチリンとドアベルの鳴る音が聞こえ、店内に雨の匂いが入ってくる。
私が顔を上げると、そこには雨で全身がずぶ濡れになった青年が立っていた。
金髪からは雨粒がしたたり落ち、着ている白いシャツはぴったり肌に張りついて中が透けて見えている。程よく筋肉が付いた身体が露わになり、色気のある姿に私の心臓が一瞬止まった。
「……っ!!」
シャツを着ていても裸に近いその姿は目のやり場に困ってしまう。またさらにそれを助長させる原因は、青年の容貌が恐ろしいほど整っていることだ。
ふわふわとした金髪に紺青色の瞳は切れ長で、目鼻立ちの整った華やかな容姿は見る人を引きつけるものがある。
容姿端麗な美青年が色気マックスな格好をしているので私はどこを見て良いか分からず、暫く視線を彷徨わせた。
「あのう、お客様……」
青年は私のもとに近づいてくると、濡れた前髪を掻き上げて口を開いた。
「……すみません。まだお店はやっていますか?」
「は、はい。やっていますよ」
「間に合ったなら良かった。ここのケーキを食べたいんです。そこのショーケースにある中でおすすめを一つ用意してもらえるかな」
「かしこまりました。…………ですがお客様」
「はい?」
「ケーキを召し上げる前にその格好をなんとかしてくださいっ!!」
自分の格好に無頓着な青年は私の指摘に対してきょとんとした表情で首を傾げる。
ケーキを注文してくれるのはありがたいけれど、無自覚に色気を垂れ流されては堪ったものじゃない。
――もうっ! こんなの逆セクハラよっ!
耐えきれなくなった私は厨房から大判のタオルを持ってきて、青年の前に進み出ると王族に献上するように顔を伏せて頭上にタオルを掲げる。
自分の格好が私を困らせていることにやっと気がついた青年はすまなさそうに頬を掻いた。
「なるほど。僕がこんな格好だから困っているんだね。それなら遠慮なくこのタオルを使わせてもらおうかな」
青年はタオルを受け取ると濡れた頭や顔を拭いてからシャツの上に羽織る。
やっとまともに見られるようになったので私は安堵の息を漏らすとケーキとお茶の準備を始めた。
ずぶ濡れになっているからきっと身体は冷えているはずだ。だから身体が温まるようにはちみつとジンジャーがたっぷり入ったハーブティーを淹れた。
今回はお茶が甘めなのでケーキは甘さ控えめなミルクレープを選んだ。
可愛らしさを演出するためにクレープ生地にはいちごのジャムを練り込んでいる。全体的にほんのりとピンク色をしていて、ケーキの表面には丸く絞った生クリーム、その上に小さいピンク色のマカロンをのせ、手前にはラズベリーと葉っぱの形をしたチョコレートを飾っている。
私はケーキプレートにミルクレープをのせると生クリームと飾り用のミントを添えて、青年が座っているイートインスペースへと運んだ。
「どうぞごゆっくりお寛ぎください。ティーポットには冷めないようにティーコージーを被せておきますね」
「ありがとう」
青年はカップに注がれたハーブティーを飲んで身体を温める。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。
真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。
そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが…
7万文字くらいのお話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!
友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。
探さないでください。
そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。
政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。
しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。
それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。
よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。
泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。
もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。
全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。
そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜
平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。
だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。
流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!?
魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。
そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…?
完結済全6話
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる