上 下
3 / 48

第2話

しおりを挟む

 そしてふと、フィリップ様の隣に立っていたカリナ様を思い出す。

 長い髪は栗色で、小動物のようなつぶらな瞳は翡翠色をしている。きめ細やかな白い肌にふっくらとした頬はバラ色。ぷるんとしている唇は瑞々しい。
 愛らしさも相まって見る人の庇護欲をかき立てる容姿をしている。
 一方で私はというと、パーツそれぞれは整っているものの、全体的に平々凡々な顔立ちで可愛らしさとは無縁だ。肌の白さは彼女と同じだが真っ直ぐな長い髪は赤みを帯びた金色でアーモンドの形をした目はスミレ色をしている。主張の激しい色合いのせいで余計に顔全体がぼんやりとしてしまう。
 だから勉学の合間を縫って、髪型やメイクを研究したり、ファッションの勉強をしたりとたゆまぬ努力を重ねてきた。

 いつかフィリップ様が私に振り向いて優しくなってくれますように――ただそれだけを願って。
 だけどその努力はすべて無駄だった。私が頑張っている間に、フィリップ様はカリナ様に現を抜かしていたのだから。
 ――浮気されていたことに気づかないなんて……私ったら本当に馬鹿ね。
 恋愛に疎いにも程がある自分に呆れ返って深い溜め息を吐くと顔を伏せる。

「……これからどうしようかしら。フィリップ様に婚約破棄されてしまったから、今の私に相手はいない。私がカリナ様を虐めていたという話は、私と婚約破棄するために彼がでっち上げた作り話だけれど、大勢の前で真実のように語られたから、周りはきっと私を悪女だと思い込んだはず。爵位だけはあるとはいえ、家が没落しかかっている性格最悪な女と結婚したい殿方なんていないわ」
 人の口に戸は立てられない。面白おかしく脚色されてさらに噂は広まり、私の評判は下がるだろう。
 社交界に足を運んでも暫くは白い目で見られそうだ。それならいっそのこと傷心旅行も兼ねて世界樹を見に行く旅に出てみようか。

 世界樹はすべての魂の輪廻転生場所とされている。
 海の上に浮かんでいるまほろば島に大樹はあり、メルゼス国の南西部の港町からそれを眺めることができる。けれど、いくら船を出しても島へ近づくことはおろか、上陸することは叶わない。
 何故ならまほろば島は世界樹を妖魔から守る魔法使いの一族によって結界が張られている上、船で近づけないよう普段から複雑な海流が流れているからだ。上陸するにはそれ相応の理由と魔法使いの許可が必要で各国の王族や要人ですら不可能だと言われている。
 世界樹をこの目で確かめるにはどういった手段を取れば実現するだろうか。もしかしたら死ぬことでしか近づくことはできないのかもしれない。

 そこまで考えて完全に現実逃避に走っていることに気がついた。
 私は苦い表情を浮かべる。
 婚約破棄されたからといって自暴自棄になっていいわけじゃない。もっと実のある行動をした方が今後の自分の人生にとって堅実的だ。
 ――……一縷の望みを掛けて婚活してみる?
 そんな考えが頭を過ったがすぐに否定した。
「もう恋愛なんて懲り懲りよ。今回で身を以て痛感したけど、あれは完全に私とは縁のない世界だわ」
 それに私は今年で二十歳を迎える。結婚適齢期は二十歳までだからギリギリの状況だし、婚活したところで悪い噂が立っているので近寄ってくる殿方に碌な者はいない。
 熱りが冷める頃にはさらに歳を重ねてしまっているだろうから誰も寄りつかなくなり、社交場ではいき遅れとさげすいた陰口を言われるだろう。
 それならこのまま独身を貫いた方が自由が利くし何かと楽かもしれない。


 幸いなことに私には双子の弟と妹がいる。歳は六つ離れていてまだ十四歳だけれど、弟は将来侯爵になって家を再建するために日々勉学に勤しんでいるし、妹は幼馴染みの伯爵令息と既に結婚が決まっている。二人がいれば侯爵家の未来は希望が持てる。
「これからはどこかで慎ましく暮らしていきたいわ。フィリップ様と婚約している間は常に彼に相応しい立派な貴婦人になることを意識して息が詰まりそうだったから。とは言っても、このまま侯爵家のお荷物でいることはよくないわね。現時点でも借金で首が回らなくなっているんだから将来的に自力で生活していけるようにしていかないと。借金返済にも協力していきたいし。うーん、私にできそうなこととなると、あれかしら……」
 私は控え室から持ち帰ってきたコートに手を伸ばす。コートのポケットには唯一の特技だと言っても過言ではないものが入っている。
 私がポケットに手を突っ込んでそれを取り出そうとしていると、突然馬車が音を立てて大きく揺れた。

 カーテンを開いて外の様子を窺うと停まった場所は森の中だった。そこはキュール家と街の間にある森で、日常的に使っている安全な道だ。
 一体何があったんだろう?
 そう思って私が扉を開くと御者が報告にやって来た。
「申し訳ございません。道の真ん中に少年が蹲っておりまして、気づくのが遅れて急停車してしまいました」
「蹲っているって怪我でもしているの? 意識はちゃんとある?」
 心配から気が急いてしまった私は矢継ぎ早に質問する。
 御者はそんな私に落ち着くようにと一言つけ加えてから一つ一つ丁寧に答えてくれた。

「少年に外傷はありません。声を掛けたところ意識もあります。なんでも空腹で動くことができないようで」
「まあっ、それは大変だわ!」
 私はコートを持ったまま御者の手も借りずに馬車から降りると少年のもとへと小走りで駆け寄った。
「ねえしっかりして。お腹が空いているの?」
 声を掛けると少年がおもむろに顔を上げて私の方を見てきた。

 十二歳くらいだろうか。ふわふわとした白金色の髪に紺青色の瞳を持つ少年は、幼いながらも恐ろしいほどに顔が整っていた。細い鼻梁と薄い唇は愛らしく、一見少女と見間違えるような可愛らしさも持っている。美丈夫と言われているフィリップ様なんて非じゃないくらい、その少年はとても美しかった。
 見とれてしまっていた私はハッと我に返ると、少年の目線と同じになるように膝を曲げてしゃがみ込む。
「今はこれしかないんだけど。良かったら食べて。私が作ったクッキーよ」
 私はコートのポケットから小さな包みを取り出した。真っ赤なリボンの結び目を解くと小鳥の形をしたクッキーとチェッカー柄のクッキーが五枚ずつ入っている。

 少年は余程お腹が空いていたらしく、クッキーを一目見るや夢中で食べ始めた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

処理中です...