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第2話
しおりを挟むそしてふと、フィリップ様の隣に立っていたカリナ様を思い出す。
長い髪は栗色で、小動物のようなつぶらな瞳は翡翠色をしている。きめ細やかな白い肌にふっくらとした頬はバラ色。ぷるんとしている唇は瑞々しい。
愛らしさも相まって見る人の庇護欲をかき立てる容姿をしている。
一方で私はというと、パーツそれぞれは整っているものの、全体的に平々凡々な顔立ちで可愛らしさとは無縁だ。肌の白さは彼女と同じだが真っ直ぐな長い髪は赤みを帯びた金色でアーモンドの形をした目はスミレ色をしている。主張の激しい色合いのせいで余計に顔全体がぼんやりとしてしまう。
だから勉学の合間を縫って、髪型やメイクを研究したり、ファッションの勉強をしたりとたゆまぬ努力を重ねてきた。
いつかフィリップ様が私に振り向いて優しくなってくれますように――ただそれだけを願って。
だけどその努力はすべて無駄だった。私が頑張っている間に、フィリップ様はカリナ様に現を抜かしていたのだから。
――浮気されていたことに気づかないなんて……私ったら本当に馬鹿ね。
恋愛に疎いにも程がある自分に呆れ返って深い溜め息を吐くと顔を伏せる。
「……これからどうしようかしら。フィリップ様に婚約破棄されてしまったから、今の私に相手はいない。私がカリナ様を虐めていたという話は、私と婚約破棄するために彼がでっち上げた作り話だけれど、大勢の前で真実のように語られたから、周りはきっと私を悪女だと思い込んだはず。爵位だけはあるとはいえ、家が没落しかかっている性格最悪な女と結婚したい殿方なんていないわ」
人の口に戸は立てられない。面白おかしく脚色されてさらに噂は広まり、私の評判は下がるだろう。
社交界に足を運んでも暫くは白い目で見られそうだ。それならいっそのこと傷心旅行も兼ねて世界樹を見に行く旅に出てみようか。
世界樹はすべての魂の輪廻転生場所とされている。
海の上に浮かんでいるまほろば島に大樹はあり、メルゼス国の南西部の港町からそれを眺めることができる。けれど、いくら船を出しても島へ近づくことはおろか、上陸することは叶わない。
何故ならまほろば島は世界樹を妖魔から守る魔法使いの一族によって結界が張られている上、船で近づけないよう普段から複雑な海流が流れているからだ。上陸するにはそれ相応の理由と魔法使いの許可が必要で各国の王族や要人ですら不可能だと言われている。
世界樹をこの目で確かめるにはどういった手段を取れば実現するだろうか。もしかしたら死ぬことでしか近づくことはできないのかもしれない。
そこまで考えて完全に現実逃避に走っていることに気がついた。
私は苦い表情を浮かべる。
婚約破棄されたからといって自暴自棄になっていいわけじゃない。もっと実のある行動をした方が今後の自分の人生にとって堅実的だ。
――……一縷の望みを掛けて婚活してみる?
そんな考えが頭を過ったがすぐに否定した。
「もう恋愛なんて懲り懲りよ。今回で身を以て痛感したけど、あれは完全に私とは縁のない世界だわ」
それに私は今年で二十歳を迎える。結婚適齢期は二十歳までだからギリギリの状況だし、婚活したところで悪い噂が立っているので近寄ってくる殿方に碌な者はいない。
熱りが冷める頃にはさらに歳を重ねてしまっているだろうから誰も寄りつかなくなり、社交場ではいき遅れとさげすいた陰口を言われるだろう。
それならこのまま独身を貫いた方が自由が利くし何かと楽かもしれない。
幸いなことに私には双子の弟と妹がいる。歳は六つ離れていてまだ十四歳だけれど、弟は将来侯爵になって家を再建するために日々勉学に勤しんでいるし、妹は幼馴染みの伯爵令息と既に結婚が決まっている。二人がいれば侯爵家の未来は希望が持てる。
「これからはどこかで慎ましく暮らしていきたいわ。フィリップ様と婚約している間は常に彼に相応しい立派な貴婦人になることを意識して息が詰まりそうだったから。とは言っても、このまま侯爵家のお荷物でいることはよくないわね。現時点でも借金で首が回らなくなっているんだから将来的に自力で生活していけるようにしていかないと。借金返済にも協力していきたいし。うーん、私にできそうなこととなると、あれかしら……」
私は控え室から持ち帰ってきたコートに手を伸ばす。コートのポケットには唯一の特技だと言っても過言ではないものが入っている。
私がポケットに手を突っ込んでそれを取り出そうとしていると、突然馬車が音を立てて大きく揺れた。
カーテンを開いて外の様子を窺うと停まった場所は森の中だった。そこはキュール家と街の間にある森で、日常的に使っている安全な道だ。
一体何があったんだろう?
そう思って私が扉を開くと御者が報告にやって来た。
「申し訳ございません。道の真ん中に少年が蹲っておりまして、気づくのが遅れて急停車してしまいました」
「蹲っているって怪我でもしているの? 意識はちゃんとある?」
心配から気が急いてしまった私は矢継ぎ早に質問する。
御者はそんな私に落ち着くようにと一言つけ加えてから一つ一つ丁寧に答えてくれた。
「少年に外傷はありません。声を掛けたところ意識もあります。なんでも空腹で動くことができないようで」
「まあっ、それは大変だわ!」
私はコートを持ったまま御者の手も借りずに馬車から降りると少年のもとへと小走りで駆け寄った。
「ねえしっかりして。お腹が空いているの?」
声を掛けると少年がおもむろに顔を上げて私の方を見てきた。
十二歳くらいだろうか。ふわふわとした白金色の髪に紺青色の瞳を持つ少年は、幼いながらも恐ろしいほどに顔が整っていた。細い鼻梁と薄い唇は愛らしく、一見少女と見間違えるような可愛らしさも持っている。美丈夫と言われているフィリップ様なんて非じゃないくらい、その少年はとても美しかった。
見とれてしまっていた私はハッと我に返ると、少年の目線と同じになるように膝を曲げてしゃがみ込む。
「今はこれしかないんだけど。良かったら食べて。私が作ったクッキーよ」
私はコートのポケットから小さな包みを取り出した。真っ赤なリボンの結び目を解くと小鳥の形をしたクッキーとチェッカー柄のクッキーが五枚ずつ入っている。
少年は余程お腹が空いていたらしく、クッキーを一目見るや夢中で食べ始めた。
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