竜の巣に落ちました

小蔦あおい

文字の大きさ
上 下
50 / 64

50話

しおりを挟む


 火照った頬を両手で押さえながら急ぎ足で放牧区域を歩いて行く。
 初夏の太陽から降り注ぐ日射しのせいではない。もっぱらの原因はシンティオである。

 人目がないからってあんなことをされるとは思ってもいなかった。マーキングとか言っているけれど、あれはただのセクハラだ。
 彼から受けた触れ合いの嵐を思い出せば顔に熱がいっそう集中する。きっと今の私は耳の先まで真っ赤だろう。

「待つのだルナ。歩くのが早いのだ」
 少し離れたところからシンティオに呼び止められる。
 歩みを止め、振り返るとシンティオが駆け寄って来た。
 竜の鱗の様にキラキラと輝いたオーラを放ち、さらに纏う空気は甘い。

「恥じらう其方も可愛いが、もうすぐ町に入る。いつものルナに戻ってくれ。他の雄どもにその顔は見せられぬ」
 クスクスと笑いながらとろりとした瞳を向けられる。
 あまりにも聞き慣れない甘ったるい言葉に、私は露骨に口元を歪めた。

「……悪い冗談言うのやめてくれる?」
 胡乱な目を向けると、今度は彼の両手に顔を挟まれる。やがて顔が近づいてきて、鼻先が触れるか触れないかのところで見つめあう状態になった。
 視線を逸らしたいのに、黄金の神秘的な瞳に魅了されて吸い込まれていく――
「冗談? 我は冗談など言っておらぬぞ。ルナは可愛い。これは世辞ではなく、我の本音だ」

 私は目を瞬かせて今の発言を頭の中で繰り返す。
 ダメだ。頭の処理が追いつかない。
 私が可愛い? 本音ってなんだっけ?
 だって小さい頃から男の子たちに死骸コープスと揶揄われてきた私ですよ?
 母からは愛情をもって育ててもらったし、可愛いと言ってもらった。だけどそれは単なる身内びいきで……世間の評価は違う。だから現実はよく分かっている。
 性格や容姿をみても私には可愛い要素がどこにもない。それを補うように私はずっと強気な態度を取ってきた。
 そうすれば男の子たちから何を言われようと平気でいられるから。


「ところでルナは先日食べた白パンとオレンジのマフィン、どちらが優れていると思う?」
「……へ?」
 唐突な質問に戸惑いながらも私は二つのパンを比較する。

 白パンは上等な小麦粉で作られていて、表面は空に浮かぶ雲みたいにふわふわしているのに、中はしっかり弾力がある。
 オレンジマフィンは果汁が使われているから生地はしっとりしていて、柑橘系のすっきりした香りは日頃の疲れを癒してくれる。
 どちらが優れているかなんて比べられない。どちらも個性があって、美味しいのだから。
 するとシンティオが「そうだな」と頷いた。

「白パンやオレンジマフィンと同じで、ルナは他の誰かと比べられない。其方はその誰かではないからな。つまり、ルナはルナにしかない良さを持っておる。それを否定し、ないもの強請りをしていては、却って自分が苦しいだけ。向けるべきは自分の長所、比べるべきは過去の自分ではないか?」
 私は言葉を詰まらせた。
 自分には他人と比べてしまう部分があると薄々気がついていた。そんな自分に嫌気がさしていることも分かっていた。

「ルナ」
 力強く名前を呼ばれる。
「誰かと比べなくていい、そのままで十分だ。我は今のルナが好きなのだ。だから自信を持って欲しい」
 胸の奥がむず痒くて、熱い何かが込み上げてくる。
 私はシンティオの両腕を掴んで解くと、額を彼の胸につけた。
 シンティオは私に優しい言葉も、勇気づける言葉も掛けてくれる。そればかりか私の価値観まで変えてしまうような言葉まで言ってくれて。
 目頭が熱くなるのを感じて、私は瞳を閉じた。

「……ありがとう、シンティオ」
「我はルナにはもっと自分を大事にして欲しいだけなのだ。誰かと比べて生きるのは苦しいし、終わりはないからな。特に明日は何があっても自分を信じてあげるのだ。……これはお守りとして肌身離さずつけておれ」
 そう言うと、シンティオが私の左手の薬指に月長石の指輪を嵌めた。不思議なことに指輪のサイズは私の薬指にぴったりだった。

「え、でもこれがないとシンティオは……」
「黄金のリンゴを食べた我は指輪がなくても欲にのまれないから平気だ」
 そうきっぱり言うと、シンティオは私の手をしげしげと見つめる。
「我は件の関係者ではないから明日は傍にいられない。だからつけていて欲しいのだ。勿論、陰からルナを見守っている」
「分かった。ありがとう」

 いよいよ明日は決着の時。アンスさんの計画を成功させるためにも、店のためにもシンティオの言う通り、自分を信じて臨まなければ。
 私は強く拳を握り締めると眼下に広がる町を見据えた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】いいえ。チートなのは旦那様です

仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。 自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい! ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!! という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑) ※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...