竜の巣に落ちました

小蔦あおい

文字の大きさ
上 下
48 / 64

48話

しおりを挟む


 *****

 私は商館の執務室に単身で乗り込んでいた。
 執務用の長机の席につく元恋人は現れた意外な人物に表情を強張らせている。
 横に控えている小間使いの少年も同様の表情を浮かべていた。
「久しぶりだね。爽やかな朝だっていうのにその死骸コープスでも見たようななっさけない顔は何?」

 私は微笑みながら元恋人の表情を指摘する。
 まあ彼がこんな顔するのも無理もないだろう。だっていつもならマッチョな厳つい組合員が商館の入口で仁王立ちしていて、要注意人物の私は今いる執務室はおろか商館の中へ入ることすらできないのだから。

「……おまえ、どうやって入った?」
 テンプレのような質問をされて私は小首を傾げてみせる。
「そんなこと言われたって、誰もいなかったから入っただけなんだけど。そもそも職務怠慢の従業員を雇うなんて組合の沽券に関わるんじゃない?」
「相変わらずの減らず口だな。こっちは麦の取引が繁盛してて忙しいんだ。万事休すなおまえなんかに付き合ってる暇はない」

 そうなのだ。今この組合は悪魔の爪が宿った毒麦を掻き集めている。組合員は麦束を運ぶ行商人の列を捌くことに必死で、他の取引が疎かになっていた。
 それは警備の方も同じで、マッチョな組合員は大量の麦束を倉庫に運ぶためにほんの数分入口からいなくなる。私は出払っている隙を見て中へ入ったのだった。

「忙しそうなのは傍から見ていて分かるよ。だから決着の日を明日にしないか提案しに来たんだ」
 元恋人は胡乱げに顔をしかめる。
「まだ期限まで残り数日ある。明日にしておまえに何の得がある?」
「早めてはいけないという制約はなかったはず。それに万事休すと決めつけるのは早計に失するわ。もしかしたら、私が伝説の黄金のリンゴを既に手に入れてるかもしれないでしょ?」

 私が胸を張ってみせると、元恋人の表情はさらに険しくなった。
 やはり眉唾物の黄金のリンゴなんて信じていないのだろう。何か小細工したんじゃないか、と疑っている。
 私は腰に手を当て、もう片方の手を机の上に置いた。身を乗り出すようにして豪奢な椅子に座る元恋人を見下ろした。

「あらあら早められたら困ることでもあるの? それとも私に負けるのが怖いのかしら? 嗚呼、親の七光りに頼って今の地位にいるだけのあなたからすれば、私との賭けに負ければやっぱり父親は立派でも息子はどうしようもない馬鹿だっていう証明になるわよねえ。臆病者の商業組合長の息子さん、尻尾撒いて逃げるなら今のうちだよ」

 彼はみるみるうちに顔を真っ赤にすると、やがてあしらうように鼻で笑った。
「はんっ、別に困るかよ。こっちは今繁盛してて忙しいだけだ。それよか困るのはおまえの方じゃないのか? なんせ明日には店を失い路頭に迷い、身売りでもしないと生計が立たなくなるんだからなあ。ま、そんな貧相な身体じゃ客なんて取れないだろうがな」
 後頭部に手を当てて値踏みするような目でこちらを眺めてくる。私はその視線を無視して机から離れると、くるりと背を向けた。

「それじゃあ明日の広場で。昼を告げる鐘の音が鳴った時に決着をつけましょう」
「分かった。早速町中に広まる様に手配しよう」
 元恋人は側にいた小間使いの少年に指示すると彼は素早く駆け出して行った。
「……邪魔したわね。もうここに来ることもないと思うから」


 私は執務室を出るとふうっと一息吐いた。
 これでいい。わざと扇動することで元恋人が私の話に乗ってくることは凡その見当がついていた。問題だったのは商館の中へ入れるかどうかだったけど、これも麦の取引で大忙しだったおかげで難なくクリアできた。

 ……そろそろ悲運で可哀想な私に神様が渋々ではあるけれど味方してくれているのかもしれない。
 渋々でも嫌々でも何でもいい。ありがとう神様。

 そして敵地の中枢に単身で乗り込むなんて我ながらよくやったと思う。私は達成感でとても気分が良くなった。
 とはいえ計画はまだ始まったばかりだし、敵地にいることに変わりはない。
 私は改めて気を引き締めると再び歩き出した。


 アンスさんの計画は私と元恋人の賭けの決着日に商業組合と教会の悪行を暴いてしまおうというもの。賭けの結果を見物しに広場へ町の人々が集まるだろうから、そのついでに暴けば問題が一気に片づく。
 そしてここで大事な私の任務の一つは賭けの日を明日のお昼に早めること。
 町の外まで続いていた行商人の行列は減りつつある。賭けの決着日を待っていては麦が小麦粉にされてしまい、押さえたところで万が一にも持ち出されてしまえば手の施しようがない。
 まだ麦束の状態なら悪魔の爪を見れば毒麦だって分かるし、対処がしやすいのだ。

 今回の計画で二人は領主様の屋敷から大事なものを持って来る必要があるらしい。町と屋敷を往復するのに馬を飛ばして四日掛かるが、早馬なら二日で済む。
 どこから手配したのかニコラは早馬を二頭借りてきていた。アンスさんの足はほぼ良くなっていて、二人は昨日の早朝に町を立った。

 後はニコラとアンスさんが領主様の屋敷から戻って来るのを待つだけだ。
 そんなことを思いながら廊下の角に差し掛かると、清楚な身なりをしたブルネット女に出くわした。

 あっ、と思わず声が漏れ出る。彼女は目を細めると真っ赤な唇の端を吊り上げた。
 前はもっと品の良い頬笑みだった気がするのに、シンティオの話を聞いたせいかフィルターが掛かって卑俗なものに感じてしまう。
 彼女は澄んだ声で私に言った。
「うふふ。今からあの人は私のものになるけれど、悪く思わないでちょうだいね。あなたの分まで私が幸せになってあげる」
 ん? もう元恋人はあなたに骨抜きにされておりますが、今更なんのことですか?

 よく分からなくてぽかんと間抜けな顔を晒していると、ブルネット女は美しい自慢の髪を靡かせながらどこかへ行ってしまった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~

村雨 妖
恋愛
 森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。  ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。  半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。

アリア

桜庭かなめ
恋愛
 10年前、中学生だった氷室智也は遊園地で迷子になっていた朝比奈美来のことを助ける。自分を助けてくれた智也のことが好きになった美来は智也にプロポーズをする。しかし、智也は美来が結婚できる年齢になったらまた考えようと答えた。  それ以来、2人は会っていなかったが、10年経ったある春の日、結婚できる年齢である16歳となった美来が突然現れ、智也は再びプロポーズをされる。そのことをきっかけに智也は週末を中心に美来と一緒の時間を過ごしていく。しかし、会社の1年先輩である月村有紗も智也のことが好きであると告白する。  様々なことが降りかかる中、智也、美来、有紗の三角関係はどうなっていくのか。2度のプロポーズから始まるラブストーリーシリーズ。  ※完結しました!(2020.9.24)

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

竜王の花嫁

桜月雪兎
恋愛
伯爵家の訳あり令嬢であるアリシア。 百年大戦終結時の盟約によりアリシアは隣国に嫁ぐことになった。 そこは竜王が治めると云う半獣人・亜人の住むドラグーン大国。 相手はその竜王であるルドワード。 二人の行く末は? ドタバタ結婚騒動物語。

ルピナス

桜庭かなめ
恋愛
 高校2年生の藍沢直人は後輩の宮原彩花と一緒に、学校の寮の2人部屋で暮らしている。彩花にとって直人は不良達から救ってくれた大好きな先輩。しかし、直人にとって彩花は不良達から救ったことを機に一緒に住んでいる後輩の女の子。直人が一定の距離を保とうとすることに耐えられなくなった彩花は、ある日の夜、手錠を使って直人を束縛しようとする。  そして、直人のクラスメイトである吉岡渚からの告白をきっかけに直人、彩花、渚の恋物語が激しく動き始める。  物語の鍵は、人の心とルピナスの花。たくさんの人達の気持ちが温かく、甘く、そして切なく交錯する青春ラブストーリーシリーズ。 ※特別編-入れ替わりの夏-は『ハナノカオリ』のキャラクターが登場しています。  ※1日3話ずつ更新する予定です。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!

utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑) 妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?! ※適宜内容を修正する場合があります

処理中です...