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43話
しおりを挟む「僕はサンドラさんに拾ってもらって運がいい方だと思います。他の人たちも難癖をつけられて追い返されていたので。その人たちは働けなくて困っていると思います」
表情を曇らせるニコラにアンスさんは「君は思いつめなくていい」と言って肩の上に分厚い手を置いた。
「さっきもそのことについてニコラと話していたんだ。商業組合の行動はどうも不審だ。この領内でこれ以上好き勝手されてはこちらも困る。私やニコラは誰もが安心して豊かに暮らせる領にしたいと思っているからね」
アンスさんは今までずっとおろしていた長い前髪を搔き上げた。
ニコラはその仕草を見るとソファから立ち上がった。アンスさんの後ろに回り込むと、前髪を他の髪と一緒に束ねて紐で一括りにする。
そうして現れた顔は白霧山で会った時に感じた頼りない印象とは違い、威厳に満ちていた。これがお屋敷勤めの人間の風格とでもいうのだろうか。彼の鋭い瞳と合った途端、無意識に背中がスッと伸びる。
「君たち二人に協力をお願いしたい」
「協力?」
シンティオと顔を見合わせてから再びアンスさんの方を見る。
「私やニコラはこの町の者ではない。商業組合のことについて調査したいのは山々だが、表立って行動すればきっと警戒されてしまう。だからこの町に住む君たちが、周りから情報を仕入れてくれないかな?」
その申し出に私は首を縦に振ることはできなかった。だって、私も商業組合の実質トップである元恋人とは敵対関係だ。下手をすれば私の方が警戒されているかもしれない。
それに加えて、黄金のリンゴという突拍子もない賭けの話を二人にするべきだろうか。
腕を組み、どう応えるべきか思い悩んでいるとシンティオが口を開いた。
「残念だが我も其方らと同じ外者だ。ルナはこの町の者ではあるが、商業組合の実権を握っている男とこの店の命運を賭けて戦っている最中なのだ」
シンティオは婚約破棄に始まり、今に至るまでの私の境遇を詳らかに話した。
黄金のリンゴという眉唾物の話を聞いて、私は二人から軽蔑されるんじゃないかと内心冷やりとする。けれど私の心配をよそに二人は軽蔑も、驚く素振りも見せなかった。
それどころかアンスさんは眉を上げて嗚呼、と思い出したような声を上げた。
「確か今年は黄金のリンゴがまだ実る期間だったねえ。君たち白霧山にいると思えばそういう理由だったのか!」
「えっ、驚かないんですか!?」
私の方が困惑して尋ねれば、興奮したアンスさんは少年のような澄んだ瞳を向ける。
「今回私が竜探しの旅に出たのは、黄金のリンゴの文献が屋敷の宝物庫から出てきたからだよ。リンゴの木はこの国と竜の国との友好の証として二百年前に竜王様から贈られたものらしい。贈られてから最初の百年間はきちんと記録がつけられていて、いつ黄金のリンゴが実るかも記されていた。それに合わせて竜がやって来ることもね」
勿論最初は疑ったらしい。けれど日付や木の状態がこと細かに記された記録を見ていくうち、本当なんじゃないかと調べたくなって屋敷から出て来たらしい。
童心に返ったアンスさんの後ろで、ニコラは深い溜息を吐いてこめかみを押さえた。
「僕はアンス様と違って現実主義者です。ただ百年にも渡って書き記された記録があるってことは、そういう類の話があっても特に不思議ではない、と思います。実際に見ないことには信じられませんけど……」
非科学的なことは信じない。けれど今回記録が出てきたことでその考え覆り、ニコラの中で黄金のリンゴは真実か否か揺れ動いているのだろう。彼は自分でも歯切れが悪い意見だと感じて微苦笑を浮かべた。
「ねえねえ、それで黄金のリンゴは手に入ったの? 私にも見せてくれないかい? 勿論、食べたら大変なことになると書かれていたから齧ったりしないよ。私、酷い目に遭いたくないし!」
ニコラの見解をよそに、アンスさんはさっきからずっと瞳をキラキラと輝かせ、落ち着かない様子で身体を揺らしている。
「もう十分痛い目に遭いましたもんね!」
ニコラはオットマンに乗った足を一瞥して嫌味を言うと、ソファに座り直した。
私はシンティオをちらりと見る。彼は良いという意味で頷いたので、鞄の奥底にしまっておいた黄金のリンゴを取り出した。
瑞々しさもそのフォルムも通常のリンゴと全く同じ。違うのは全てが黄金色に輝き、とても神秘的で美しいということ。
アンスさんはやっぱり本当にあったんだ、と破顔して頬を真っ赤に上気させる。一方のニコラは目を見開き、口を半開きにして暫く放心していた。
私は黄金のリンゴを布で包んで鞄にしまうと、二人には決して他言しないようお願いした。
賭けの前に元恋人側の手に渡ってしまえば私が負けは確定になる。だから、それだけは絶対に防がなければいけない。
暫くして、正気を取り戻したニコラがおずおずと手を上げた。
「あの……一つ気になることが。ルナさんの恋人を奪ったというブルネット女の特徴を詳しく教えてくれませんか?」
私は不思議に思いつつもニコラに彼女のことをできるだけ話した。とは言っても性格までは分からないから外見的な特徴だけにはなるけれども。
彼女のことを話していくうち、彼の顔はみるみるうちに険しくなっていった。
「は? あの女、一体何を考えてるの? お願いだからこれ以上馬鹿なことやらかさないで欲しいんだけど!!」
「ええと、彼女のこと知ってるの?」
ニコラは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……知ってるも何も。あの脳みそゆるふわ女は僕の義姉なんです!」
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