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40話
しおりを挟むテントに戻ると、アンスさんはまだ熟睡中だった。
眠っている彼のテントはそのままに、シンティオはもう一方のテントを解体して下山準備を始める。私はというと、残りの食材で朝食を作ることにした。
でももう、今残っている主食はあれだけなんだよなあ。
あまり好きじゃないけど、背に腹は代えられない。町へ行けば美味しいものが買えるし。一回だけの辛抱だ。
私は鞄の奥底にしまっていた袋を取り出す。腕を捲って、集めていた枝葉に火をつけた。
鍋がぐつぐつと煮えたぎる頃、アンスさんがのっそりとテントから出てきた。相変わらず毛むくじゃらで熊みたいだ。
「おはよう。遅くまで眠ってしまったみたいですまないねえ」
「いいえ。アンスさんは怪我していますし、無理はしないで下さい。もうすぐ朝ご飯ができるので、顔を洗って来て下さいね」
アンスさんはシンティオに手伝ってもらって近くの川へ顔を洗いに行った。
二人が帰って来ると、私は木椀に鍋のそれを注ぎ、スプーンを添えて先にアンスさんに手渡した。
同じようにシンティオにも渡すと、彼はギョッとした顔で手に取った木椀と私を交互に見た。
「ル、ルナよ。この白くてドロドロした液体は何なのだ? これ、本当に食べられるのか?」
木椀の中のものをシンティオは半眼で睨むと鼻を近づけてクンクンと嗅ぐ。
「あの独特な匂いはせぬが、これはどう見ても精え……ぶっ!」
朝の爽やかな空気を台無しにするな!!
いかがわしい言葉を言い終える前に、私は咄嗟に持っていたおたまを投げつけた。
勿論顔面にクリティカルヒット!
「下品なこと言ってないで食べる!」
私がシンティオを叱っていると、傍でアンスさんが木椀のそれを一口食べた。
前髪と髭で表情ははっきりとしないけど、どことなく哀愁が漂っている。
「これ、オートミール粥だね。久々に食べるけど……うん。やっぱり美味しくないね」
「ははは。……ですよねえ」
そう、最後に残っていた主食とは栄養価も高く腹持ちも良い万能食でありながら味は激マズで有名なオートミール。
食糧危機や金欠の時に大変お世話になったけど、やっぱりこの独特な味には慣れそうにない。
シンティオは二人の会話を聞きながら、恐る恐るオートミール粥を食べた。
「うむ。こ、個性的な味なのだ……」
口では称賛していたけれど、その死んだ魚のような目が「頗る不味い」と物語っていた。
流石のシンティオもオートミールの味はお気に召さないようだ。
それでも皆、大事な栄養源とあって意地でも残さなかった。
空になった鍋と木椀を片付けていると、アンスさんが顎髭を撫でながら嬉しい提案をしてくれた。
「町へ下りたら、お礼に何か奢らせてくれ。肉でも魚でもなんでも買うよ」
「それならふっわふわの白パンが良いのだ!」
相変わらずの執着ぶり。
パン屋へ行けば棚に陳列された白パンを全て買い占めそうな勢いだ。
「シンティオ君は白パンが良いんだね。私のお勧めは白パンの生地にたっぷりのクルミの蜂蜜漬けを乗せて焼いたものだね。あれはとっても甘くてふわふわでクルミの食感が良くて美味しいよ」
「なっ! 白パンにクルミの蜂蜜漬け!? 甘くてふわふわ!? なんたる嗜好、なんと罪深き白パンなのだ!!」
今にも口から涎を垂らしそうなシンティオの表情に私は苦笑した。
貴族の関係者とだけあってお勧めの白パンがとても贅沢過ぎる。クルミの蜂蜜漬けなんて庶民じゃ食べるどころか手にすることもできない。
そもそも、町のパン屋にそんな高級なパンは売られていない。
シンティオの白いパンへの情熱をアンスさんは知らない。パンがないって分かった時、アンスさんはどうするんだろう。
がっくりと肩を落とすシンティオの姿しか想像できない。万が一にもその白パンがあれば良いけど。
楽しそうに話す二人に水を差すことができない私は、一人で悶々としたのだった。
空は雲一つない青空が広がっている。
昼につれて強くなる日差しに照らされて、肌がじりじりと焼けるのを感じる。
山を下り進めれば少しは日差しも楽になるものの、額には汗が滲んでいた。
私は一度立ち止まると汗を拭った。
ずれかかった横掛け鞄を掛け直すと、先を歩く二人に目をやる。
シンティオはテントや鍋の入った重たいリュックを背負い、アンスさんに肩を貸して支えながら歩いている。
すらりとした身体なのにどこからそんな怪力が?
もとが竜だからポテンシャルは高いかもしれないけど、見ているこっちはいつよろけてしまうか冷や冷やした。
たまに休憩を挟みながら山道を進めば、日が高くなる頃には無事に白霧山を下山できた。
麓の森を抜け、草地を下る頃には町の教会から正午を告げる鐘が鳴り響く。
すると、前を歩いていた二人が立ち止まった。
一体どうしたんだと不思議に思いながら二人の前に出る。
「なにあれ……」
私は目に飛び込んできた異様な光景に目を見開いた。
町の入口からその先の丘まで見たこともない数の荷馬車がずらりと並んでいるのだ。
シンティオに目をやると、彼は目を細めてじっと蟻の行列のようなそれを観察していた。
「ふむ。どうやら商人みたいだぞ。荷物は……皆麦束だな」
「え? この時期麦はいろんなところへ売られるはずだよ。一ヵ所に集まるなんておかしい」
私は肩眉を跳ね上げた。
麦は夏から秋にかけて収穫期を迎える。早く刈り取られた麦はその年の初物として各地へと高い値で売られるのが習わしだ。
それがどうしてこの町に押し寄せるように集まって来ているのか。
「……商業組合が何か企んでるんじゃ」
あの元恋人がまたろくでもないことを考えているんじゃないか。
嫌な予感がして、背中に悪寒が走る。
それは私に対する嫌がらせじゃなくて、もっと大事になりそうな何か。
不安になって唇を噛んでいると、アンスさんが穏やかな声で言った。
「とにかく、まずは町に入ろうじゃないか。シンティオ君、もう少し歩くの手伝ってね」
ここで思い悩んでも仕方ないよっというような声色だ。
そうだ、今何も分からない状態であれこれ悩んでも仕方ない。
私は不安を吐き出すように息を吐くと、二人と並んで町へと向かった。
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