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33話
しおりを挟む『池の中へ行けば良いよ。水を飲ませてあげて。ニルヌの根は解毒成分があるから』
少女のような高くて可愛らしい声に驚いて、私は周辺を見回した。けれど、人影はどこにもない。
心労による幻聴かと眉を顰めて首を傾げると、今度はハッキリと聞こえた。
あらあらまあまあ。やはり私は疲れているみたいですね。
だって、胸に下げている月長石が強弱をつけて淡く光る度、頭の中へ直接言葉が入って来るのだから。
一体どこから突っ込めばいいのか正直なところ私には分からない。衝撃を受け、彫像のように動けなくなっていると再び声が聞こえた。
『お願い。シンティオを池へ連れて行って。急いで!』
私は我に返るとすぐにシンティオに声を掛けて池まで行くように誘導する。
よろめきながら歩くシンティオに寄り添おうと手を伸ばすも、慌てて伸ばしかけた手を引っ込めた。今は刺激しないように見守るしかない。
荒い息をしながらシンティオは苦痛の表情を浮かべ、自力で池の縁に辿り着いた。そのまま大きな音を立てて、水飛沫をあげながら池の中に倒れ込む。その勢いで咲き誇っていたニルヌの花が散ってたくさんの花弁が水面に浮かんだ。
私は池の縁まで駆け寄ると、膝をついて覗き込んだ。意外にも池は深いらしく、シンティオの身体は水面下に沈んでいる。
池から上がったシンティオが寒くないように少し離れた場所で私は火を起こすことにした。落ちている枝を拾い集めて一塊にすると持っていた火打石で火をつける。
池周辺のためか、集めた枝は湿り気を多く含んでいて、ついた火の勢いはなかなか安定しなかった。
やっと火が安定すると私は一息吐き、再び池へ足を向けた。
火が安定するまで数十分は経っている。いくら何でも上がって来るのが遅い。
もしかして爬虫類やめて両生類にでもなったの?
両生類に退化したから霧吹きで数刻お気に湿らせてくれとか言われたら蹴り飛ばしてやるんだから!
いつまで経っても上がって来ないシンティオにやきもきしつつも、私の足は不安な気持ちのせいで徐々に速くなっていった。
池の縁に立ち、まじまじと眺めると中心付近でコポコポと空気の泡が水面に上がって来ているのが見える。それでも肝心のシンティオは上がって来ない。
本当に無事なのか私がさらに身を乗り出しそうとしたその時、腹底に響く轟音と水飛沫が派手に上がった。
咄嗟に水飛沫が掛からないように私は脇に立っている木の後ろへと逃げ込んだ。
スカートの裾に水が掛かったけれど、聞こえてくる地面を叩き付ける激しい水の音と比べればこれくらいたいしたことないようだ。
暫くすると音が止み、木の陰から顔を出せば、水面にはシンティオが現れていた。
水煙が漂う中、全身が濡れていることも気にせずに私はやっと現れた白い竜に駆け寄った。
「シンティオ」
シンティオはゆっくりと目を開けてこちらへ向く。そして私と目が合うや否や、今までにないくらい早口で捲し立てた。
「やっと治った! ニルヌの花粉にこのような成分があるとは知らなかったのだ! 運の悪いことに花粉の飛散する時間とここへ来る時間が重なってしまったようだ。我のせいで大変なことになり、迷惑を掛けて本当にすまぬ。だが、今はもう根を食べ池の水も飲んだ故、花粉を浴びても問題ない! だから、そのっ……!!」
私は手を上げて制すと、慌てふためくシンティオに微笑んだ。
「シンティオだけが悪いわけじゃない。薬師なのにニルヌの成分を覚えていなかったから、私にも非はあるよ。それにシンティオが正気に戻ったんだからそれで良……」
そこでシンティオがいつになく張り詰めた声を上げて私の言葉を遮った。
「良くないのだ!! ……我はルナを襲わなかったか? 酷いことをしなかったか? 途中から記憶が曖昧で覚えておらぬ」
記憶が曖昧ということはあの時私に向けて言ってくれた言葉は記憶にないのかもしれない。
そう思うと気落ちしてしまったけれど、言ってくれたことは事実だ。
今の私にはそれだけで十分だ。私は胸に手をあて、小さく息を吐くと口を開いた。
「シンティオが私に酷いことしたことは一度もない。私たちの間にはなにも起きてないから安心して」
「そうか……何もなくて良かったのだ。――もしも事に及んでいたのならば、我はあの者に示しがつかぬ」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもないのだ」
そう言ってシンティオは池から上がると、水気と身体に纏わりつくニルヌの花弁を払った。
ひと段落着いたところで、安堵と共に私の頭の中ではある疑問が湧いてきた。
頬に貼りついた髪を耳に掛けると私はシンティオに質問を投げかける。
「……ところで訊きたいんだけど」
首に下げている指輪を持ち上げ、先ほど起きた不可解な出来事について話した。
あの少女のような声は一体何か。おかげで窮地を脱することができたけれど、よくよく考えれば薄気味悪いことこの上ない。
月長石には不思議な力があると分かっていても、生き物でもない石が喋るなんてどうも私の中では納得がいかない。
とどのつまり、これは心労による幻聴なんだろうか。最悪の場合、医者に診てもらった方がいいのかもしれない。
腕を組み、眉間に深い皺を寄せて悩んでいるとシンティオがきょとんとした顔で私に言った。
「何を言うかと思えば。ルナよ、石は喋るぞ?」
「はあ?」
さも当たり前のように言われて今度はこっちがきょとんとした顔になる。
「とは言っても、石はそうそう喋らぬから聞けただけでも凄いのだ! ただし、その辺に転がっているものは喋らぬ」
「はあ……」
その説明では腑に落ちない。もっと分かりやすい説明を所望する。
そう口を開きかけたが、口を結んだ。
シンティオが足踏みをし出したのを見て私は慌てて池と反対方向を指さした。
「あっちで焚火の用意をしているから、早く身体を温めよう」
「すまぬ。水の中に長居し過ぎて冷えてしまったのだ」
私はシンティオに寄り添うように隣に立つと、焚火へ向かった。
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