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4話
しおりを挟む居住まいを正して座り直すと私は白い竜の話を聞いた。竜は翼の付け根と右足を負傷しているらしく、歩くことも飛ぶことも困難だという。
私が落ちた穴からこの竜が落ちるなんて不可能。一体どこから入って来たのか。怪訝そうな顔をしていると、竜は察したのか応えてくれた。
「出口は我の後ろにある。だが、翼が折りたためずつっかえて出られぬのだ。傷が治ればここから出られるが……」
竜の言葉に私は両手を合わせて満面の笑みを浮かべた。
「あら、そうなの! じゃあ私はここから出られるのね!! 良かった、これで黄金のリンゴを探しに行けるわ!!」
「おい、我を見捨てる気か……? なんて薄情な。それと黄金のリンゴを見つけたとしても其方がそれを持ち帰ることは出来ぬぞ」
なんと白い竜は黄金のリンゴを知っていた。しかもその存在が至極当然のような物言いだ。見つけられず、少し不安だった黄金のリンゴが私の中で一気に確信へと変わる。しかし、持ち帰れないとは一体どういうことなのか。
私が問いただせば、夜が明けてから洞窟を出てみるといいと告げてそのまま黄金の瞳を閉じた。
「…………あの」
震える両手を擦り合わせてきつく握ると私は暗闇をしげしげと見つめた。
「なんだ?」
黄金の瞳が再び闇に浮かび上がった。私は唇を舐めると先ほどの配慮のなさを謝った。一身上の都合で切羽詰まっていたにしても負傷したものを助けないなんて薬師としては失格だ。
私は自分の身の上を洗いざらい竜に話した。勿論、爬虫類が苦手なことも。話した理由はきっと不安や寂しさ、恐怖など負の感情を吐き出したかったからだと思う。ただ、それと同時に薬師として助けたいという気持ちは確かだった。
竜は私のことを勝手だと思うかもしれない。現にその黄金の瞳が鋭くなっている気がする。
「腐っても私は国家公認の薬師。あなたの傷は私の作った薬で治す。こんな暗くてじめじめしたところ早く出たいでしょ?」
その言葉に黄金の瞳が大きく揺れた。けれど、それはほんの一瞬で竜はすぐに私から目を逸らした。
「……別に情けなど受けぬ」
どこか物憂げな言い方に少し不信感を覚えたけれど、詮索することはしなかった。その裏で違う感情があることに気づいたからだ。
「……夜が明ければ、断りがなくても勝手に怪我の手当てをさせてもらうから。いくら爬虫類とは言え、怪我をした生き物を放っておけるほど私は悪人じゃない」
「高尚な竜を爬虫類と一緒にするでない! はあ、もう良い。其方の好きにしろ。あと、我の名はシンティオだ。其方は?」
「私はルナ」
名を聞いて満足したシンティオは再び目を閉じた。暫くすると規則正しい寝息が闇間から聞こえてくる。
私は鞄から大きい布を取り出してくるまると旅灯の火を消した。柔らかい土の匂いを感じているとやがて深い眠りに落ちていった。
次の日、私は日の光を頼りに竜の身体を縫う様にして出口へ向かった。光に照らされて輝く竜の鱗を至近距離で見るのは総身が粟立つ。ついでに言えば腹の底がむかむかとしている。
ヒィィッ、これは一体何の罰ゲーム? あ……シンティオごめん、私はもう無理だ。
「おい、何か酸っぱい変な匂いがするがどうした?」
「……うぎっ。気のせいよ! いいから、動かないで絶対に」
何ごともなかった様に私はハンカチで口から出てしまったものを拭う。早く此処から出なければ。そうでなければ私の身が持たない。
漸く光の下まで辿り着くと、今まで見たこともない景色が目に飛び込んできた。思わず私は感嘆の声を上げる。
そこは一面花が咲き誇っていた。色とりどり花に覆われた野原。その先には崖があり、てっぺんからは滝が流れ落ちている。さらに視線を走らせていると、あるものに目が留まった。
「あれは!」
私の心の奥底から興奮と歓喜が溢れ出る。仄かな金色を纏う樹木、黄金色の葉、昔母と見た通りだった。
探し求めていた黄金のリンゴの木はひっそりと佇んでいた。しかし、リンゴの実だけは白く金色になっていない。熟せば金色になるということか。
辺りをぐるりと一周して見終えた後、私は昨日シンティオが言っていた理由が何か分かった。
これは一度シンティオと話さなければいけない。竜の力を借りなければ私にはどうしようもないことだからだ。となると――
私はこの後取らなければいけない行動を想像して青くなった。強張った身体に鞭を振るい、踵を返してもと来た場所へと帰る。
嗚呼、また口から何か出そう。
「リンゴを持ち帰れないのは野原が高い崖で覆われているからでしょ? シンティオの怪我を治さなきゃ飛べないから、出られないってわけね」
「その通り」
無事に帰還すると鳥肌が立ちながらも会話で誤魔化し、シンティオの怪我の手当を始めた。もう胃の中は全て吐ききっているのでこれ以上出るものはない。それなら今のうちにやってしまえばいい、というかもうこれ以上失態をおかしたくない。
「リンゴがまだ熟してないようだけどあれは本当に黄金になる?」
「あそこまで育てば直に輝く。あと満月を二回数える頃には色をつけるが、それでは其方の期日に間に合わぬな」
満月をあと二回、つまり二ヶ月必要ってこと?! それだと私、店を取られてしまうんだけど。
「そんな顔をするな。秘策はある。だが、我の傷が治らなければ必要なものも用意できまい」
「分かった。今は傷を治すことに専念するわ」
右腕を手当した後、背に乗ってもいいか訊くとシンティオは頭を垂れて乗りやすい体勢を取ってくれた。翼のつけ根は化膿して酷くただれていた。こんな時に身体を温める為に持ってきた葡萄酒が役に立つとは。
短剣を旅灯の火で炙り、皮膚を切り裂いて膿を出し切ると、葡萄酒で消毒して薬草と共に煮詰めておいた布を貼り付ける。
手当が終わってシンティオの身体から滑り降りると、恨めしそうな目でこちらを睨んでいた。
「其方、容赦なくザクザク切るな」
「え? 痛がってなかったから大丈夫なのかと思って」
「いや、呻いていただろう?!」
え、あれが? 猫みたいにゴロゴロ喉を鳴らすような声が呻き声なの?
痛がっているんじゃなくて気持ちいいのかと思って竜ってドエムな種族なのかって認識してました。はははは。
「ごめん、気づかなくて」
「もう良い。暴れるとルナが落ちて怪我をするかもしれぬからな。それより腹が減った。もう三日何も食べておらぬ。何かないか? ほら、白くて柔らかい小麦のパンとか! 小麦のパンとか!!」
爛々とした表情のシンティオ。何故私が普段買えないところを奮発して買った小麦のパンに気づいたのか。
嗅覚か? 爬虫類を飛び越えて犬なのか?!!
現に、尻尾をぶんぶんと左右に振っている姿は幼い頃に飼っていた犬、パトラッシーを彷彿とさせた。
……不覚にも爬虫類が、いや、竜が可愛いと思ったのは内緒にしておこう。
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