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第01話
しおりを挟む王国北部の辺境にあるマクライエン領。のどかな風景に馴染む領主邸宅では、朝の澄んだ爽やかな空気とは裏腹に殺伐としていた。
「いい加減にしてくださいませ! 約束もなしにこう何度も来られては仕事になりませんわ!!」
ロッティは玄関前で眦を決し、威嚇するように大声を張り上げていた。令嬢には似つかわしくない長剣を握り締め、その切っ先はおじであるアレクに向けている。
アレクは剣を向けられているにも拘らず、にたにたと笑みを浮かべた。まるで物陰に隠れて警戒する猫でも呼びよせるように指先を動かす。
「ロッティ、そんな態度を未来のマクライエン子爵の俺にするもんじゃない。さあ、剣を下ろせ。わざわざ王都からこんな辺境地まで出向いてやったんだぞ」
「出向いてくださらなくて結構ですわ。それより、アレクおじ様にマクライエン子爵を名乗る資格がどこにありまして?」
わざと嫌みったらしい言い方をするロッティは首を傾げる。
「おまえの両親が半年前の事故で死んだ以上、次の継承権は俺にある」
「次の正当な継承者は弟のジャンよ。だって、あなたは亡くなったお祖父様から勘当されて既にマクライエン家の者ではありませんもの!」
おじのアレクは祖父の再婚相手の連れ子だった。とはいっても血統を重視している家系ではないので血すじでなくとも彼が爵位を継ぐ権利は充分にあった。
ところが若い頃から賭博好きで酒に溺れ、果てには祖父の貯金に手を出して派手に遊び回っていたために勘当されてしまったのだ。
自業自得だというのにアレクは祖父を逆恨みして、虎視眈々と爵位を狙ってきた。義兄である父もいなくなった以上、待ちに待った絶好の機会なのだ。
ロッティの言い分が癪に障ったのかアレクはやや気色ばんだ。それも束の間、彼はやれやれと首を横に振って肩を竦めてみせた。
「よく考えてみろ。ジャンはパブリックスクールを卒業するのにあと数ヶ月はかかる。それまでの間、領地の管理は誰が? 交易路の莫大な工事費と相続税でいよいよ首が回らなくなったそうじゃないか。使用人すら雇えなくなってこの屋敷にはおまえ以外誰もいない。これだとジャンが卒業するまでに没落するな」
小馬鹿にするように鼻を鳴らすアレクに、ロッティは悔しげに唇を噛みしめた。
半年前、他領とこの領を繋ぐ交易路で大規模な雪崩が発生した。想定している量を遥かに凌ぐ積雪のために補強工事では防ぐことができなかったのだ。かといってこのまま交易路が使えない状態だと領民の生活が困窮してしまう。
ロッティの両親は領民たちの生活を守るため、除雪作業と補強工事に要する日数を見積もりに現場へ向かった。――その最中、二度目の雪崩は起こった。
巨大な雪煙を立てて山の木々を次々となぎ倒し、雪崩は両親一行をのみこんだ。誰一人として助からなかった。
「確かに昔の俺は道楽息子だった。だが領地の管理・経営は手伝っていたし、今は王都で起業して成功している。それなりに経験も実績もある。素人のロッティには荷が重すぎるだろ?」
これはもっともな言い分で、先祖代々受け継いできた領地をロッティ一人が管理するのは限界だった。
両親が死んでから、毎日捌いても捌ききれない量の仕事を一人でこなしてきた。不幸なことに父の右腕として長年働いてきた者たちもくだんの事故でこの世を去ってしまった。助言を与えてくれる人間もいない中、父や祖父の書類や記録を頼りになんとかここまでやってきたのだ。
しかし、目下の問題は領地管理だけにあらず。なにしろこの屋敷にはロッティの世話をしてくれる使用人が誰一人としていないのだ。
両親亡き後、数十人いた使用人たちが表向きは一身上の都合を理由に次々と辞めていった。十中八九アレクの差し金にちがいない。
幸い、商家の娘であった母によって家事は一通り身につけている。家事ができれば生活には困らないし、寝床もあるから大丈夫だろう、と当初は高を括った。
ところが、使用人ゼロというのはじりじりと効果を現し始めた。なにしろ由緒正しいお屋敷はメンテナンスをしないとすぐに雨漏りや風の吹き込みが発生する。広い庭園は雑草が好き放題に生え、樹木も枝葉が伸び放題の無法地帯となった。手が回らないロッティはただ黙殺することしかできない。
おかげで古式ゆかしい伝統的だった邸宅は廃墟のごとく無惨な姿となってしまった。
「賢いロッティならどちらにメリットがあるか気づいているはずだ。いい加減俺の慈悲を受け入れろ」
アレクは上質な上着の内ポケットから小さな四角い箱を取り出した。開ければ、たちまちキラリと光るダイヤの指輪が現れる。
もう何度も見たアレクの求婚シーンである。
ロッティは嫌悪感を露わにすると震える唇から声を絞り出した。
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