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08話
しおりを挟む「姫君とは話すことがある」
殿下は新しい椅子を二つ持ってこさせると、私に座るように言いました。互いが椅子に腰掛けたところで、殿下が謝罪の言葉を口にします。
「恐ろしい思いをさせて申し訳ない。いろいろと混乱しているだろうし、まずは私のことから話しておこうか。私の本当の名はハルバート・ウィンザリー。この国の次期君主であり、先王の息子だ。五年前に父が病死し、私は王位を継ぐはずだった。だが叔父であるメルボーンによって戴冠式前日に呪いをかけられた。ウィンザリー王家とフィサリア王家は絶対使ってはいけない禁術の魔法がある。我が王家の禁術は、人を半精霊にする呪い。呪われた者は呪った相手が死なない限り一生隷属の身になるというものだ。私はメルボーンの命令で鳥かごから外へ出ることは許されず、国が傾いていくのを見守ることしかできなかった」
殿下は穏やかな表情で話してくれていますが、今日を迎えるまで五年もの歳月がかかっています。その間にメルボーンが起こした数々の戦争。民を顧みない行いを見て万斛の涙を注いだことでしょう。
私はふと一つの疑問が生じました。
殿下は彼を殺して呪いを解く前に人間の姿になりました。人間の姿にもなれるのに何故、今までずっと鳥の姿をしていたのですか?
私は彼の顔をじっと見つめて尋ねます。しかし、彼は肩を竦めて困ったような表情を浮かべました。
「申し訳ない。呪いを受けていた間の私は半精霊だったからあなたの考えが読み取れた。だが今はもうただの人間だ。魔法道具の万年筆を持ってこさせるから、それまで私が詳しく説明する。その後に質問してくれるか?」
今までと同じように接していることに気づかされ、私は慌てて頷きました。殿下は再び話してくれます。
呪いは満月の夜に限り、一定以上月の光りを浴びれば人間の姿に戻れるというものでした。呪いを受けた後、すぐにメルボーンによって鳥かごに入れられ、暗い部屋に閉じ込められたそうです。隷属の身になってしまった以上、相手の言うことは絶対。出ることが許されない鳥かごでただ時間だけが過ぎ、何もできない自分に絶望したそうです。
「虚無に心を呑まれ死を渇望し始めた時、姫君とエリクシス殿がやってきた。エリクシス殿はメルボーンの隣にある鳥かごを一目見て、中の鳥が私だと気づいていたようだ。彼はフィサリアでも五指に入ると言われる上級魔法使いだから。ただ、問題は鳥かごから救い出されたとしても、メルボーンの声を聞いたら、私は再び逆らえなくなってしまうこと。だからエリクシス殿に頼んで呪いの抜け道を使った。上級魔法使いである彼と半精霊である私だからできる、精霊契約だ」
呪いと違って精霊契約は精霊王の強い加護を受けられます。魂の結びつきによって呪いの主従関係よりも強い絆で上書きされるので、殿下は自由がきくようになりました。そして、旦那さまが作ったダミーの黒鳥を鳥かごに入れて脱出したそうです。殿下は王家の禁術を知っている宰相や一部の騎士たちによって、王位を取り戻すための計画を立てたそうです。
「もともとウィンザリー王家とフィサリア王家は傍系だ。だから互いの禁術なども詳しく知っている。互いが争って国を二つに分断したわけでもないからね。フィサリア王はこちらの状況を全て見抜いていらっしゃった。だからあなたがたをこちらに送り込んだんだ。国を救うために。そして――姫君に精霊歌を歌わせ、メルボーンを破滅させるために、ね」
丁度、宰相が万年筆を持ってきてくれたので、私はそれを受け取って質問しました。
『フィサリア王家の禁術、歌魔法とは一体どういったものなのでしょうか?』
「歌魔法は精霊歌を歌って、対象者を破滅へ導く呪いだ。しかし、歌を途中で終わらせてしまうとそれは歌った本人とその周囲に跳ね返るという制約つき。一年前の事故は、あなたが途中で歌をやめたから起きてしまった」
一年前の事故、それは私が記憶と声を失った事故のこと。殿下の話から、あれは私が起こしてしまったことになります。
どうして歌をやめてしまったのでしょう。
記憶をなくす前の私は自分の行いで、どれほどの人が傷つくか分かっていたはずです。
自身の身勝手な行いに胃が握りつぶされるような痛みを覚えました。
額に冷や汗をかいて、私は膝の上に乗せた拳をきつく握りしめます。
「話は最後まで聞くように。途中で歌えなくなったのは、エリクシス殿が影で妨害したからだよ。姫君を救うためにね」
私を救うため?
私が二度目を瞬けば、殿下は分かるように言いました。
「歌魔法は相手を破滅に導けたとしても、その代償として歌った本人は命を奪われてしまうんだ。フィサリア王はそれも承知であなたを送り込んだ。姫一人の命とウィンザリー王国の国民の命。それを天秤にかけ、後者を選んだ」
私は目眩を覚えて椅子の背に身体をつけました。
記憶をなくして、フィサリア王がどんな人なのか思い出せません。けれど、彼が良き君主であることは確かです。私が王様なら、少ない犠牲の方を取ります。合理性に基づけば誰でもきっとそうするはずです。
それならどうして旦那さまはそうしなかったの……?
心の中で疑問を呟いていると、殿下は答えてくれました。
「エリクシス殿は歌を止めた。それはどんな形であれ、あなたには死なずに生きて欲しかったからだ。私も、姫君を犠牲にしてまで王位を取り戻したくはなかった。だから、彼の考えに乗ることにした。王位を取り戻す計画には資金も必要だったから。姫君を浚って身代金を要求する形にしたんだ。宰相に頼んで、姫君の精霊歌はなんでも願いが叶う力があると吹聴しておいた。おかげで、ある程度はスムーズに動いたな。最後はエリクシス殿とこちら側で相違があって揉めた。無理矢理決行したけどね」
『どうして 揉めたのですか?』
「……それは姫君、エリクシス殿がこのままあなたを危険な目に遭わせずに事態を終わらせたいと言ったからだ。私からすれば姫君をメルボーンにぶつけなければ決着はつかないと考えていた。意見が違ったんだ。彼にとって最優先事項は、姫君の安全。毎日熱心に精霊の加護のおまじないをしていたのも宮廷魔法使いに気づかれないためだ」
あの毎日のおまじないには目くらましの効果があったようです。いつも熱心にされると思っていましたが、そういった経緯があったのですね。
「それから彼の最後の望みは、姫君が幸せになること」
殿下は言い終わるが早いか席を立ち、突然私の前で胸に手を当てて跪きました。
私はその光景に青ざめました。
これは、精霊王の名の下に男性が女性に誓いを立てるときの姿勢。つまり、結婚を申し込む時にするものです。
「私は救世主であるエリクシス殿の願いを聞き入れなくてはいけない。彼の望みは、私がシェリエーナ姫と結婚すること。何不自由なく心穏やかに過ごせることを誓う」
殿下の言葉を聞いて、全ての謎が解けたような気がしました。
旦那さまが妻として迎え入れてくれても、一向に触れてこなかったのは私を傷物にしないため。
全部、私の将来のためだったのです。私が殿下と問題なく結婚できるように。幸せになれるように。
ここで一つ思い出したことがあるんです。旦那さまは何か隠しごとや嘘を吐くとき、口もとに手を当てるんです。
手紙を読んで、旦那さまに酷いことを言われたときは気が動転していました。でも今思い返せば、旦那さまは口もとに手を当てていました。
私は嗚咽を漏らしながら、涙を流しました。
旦那さまの嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき。
金のなる木だから浚ったとか、どうでもいい相手とのごっこ遊びとか。わざと遠ざける言葉を選んでいた。
全部私の幸せを思って吐いた嘘。
そんなの、全然嬉しくありません。全然幸せになんてなれません。
記憶をなくした私はもうシェリエーナではありません。シェリルです。
私が、私が一緒にいたいのは従者じゃないエリクシスさまです。私の旦那さまのエリクシスさまです。
おばあさんになっても一緒にいたいのは、旦那さまだけなんです。
ボロボロと涙を流して泣いていると、殿下が私の手を取って柔和な表情で言いました。
「ねえ、シェリル。これは私からの提案なんだけど――」
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