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05話
しおりを挟む「珍しく忘れ物をしてしま、って……シェリル?」
泣き腫らした顔をおもむろに上げれば、出かけたはずの旦那さまが息を切らして帰ってきていました。
彼は視線を動かして状況を把握しようとしています。やがて、私の側に落ちている手紙に気づくと、ばつの悪い表情をしました。
「シェリル、それ……」
『ごめんなさい 内容 読みました』
私は震える手で落とさないように万年筆を握り締めます。
『ここに書かれていることは 本当ですか?』
涙が出るのを堪えるように唇を噛みしめ、旦那さまから答えが返ってくるのをじっと待ちます。
「…………ごめん」
「っ!」
彼は口元に手をやって、私から視線をそらしました。
「仕事場へ持って行って処分しようと思ったのに。忘れて取りに戻れば一足遅かったみたいだね。その手紙を読んで分かったと思うけど、俺がシェリルを利用しているのは事実だよ。本当にごめん」
『どうしてこんなことをしたんですか?』
「それは、その……」
『私をここに連れてきたのは 私がシェリエーナ姫だからですか?』
すると、旦那さまからばつの悪い表情ががすーっと消えていきました。この間の新聞記事の時と雰囲気が同じです。
「……一体、どこでそれを知ったんだい?」
優しさが一欠片もない、冷たい声。旦那さまは私に近づくと、しゃがんで視線を合わせてきます。
「知られてしまったから変に言い訳せず、本当のことを話しておくね。どうでもいい相手とのごっこ遊びはそろそろ限界だったんだ。……君はフィサリア王国のシェリエーナ姫。ウィンザリーへ嫁ぎにやってきたんだけど、王宮内で起きた事故に巻き込まれて瀕死の状態で倒れていたんだ。だから事故のどさくさに紛れて俺が浚ったんだよ。目の前に金のなる木が転がっていれば、誰でも手に取るよね?」
彼の口から直接聞かされた内容は、手紙よりも残酷でした。傷をさらに深くまで抉られたみたいに胸の痛みに鋭さが増します。
『私を浚って懐柔させたのは お金欲しさからですか?』
金のなる木でしか、旦那さまの私は存在価値がないのでしょうか?
今まで頑張って覚えてきた家事は、旦那さまの喜んだ姿を見たかったから。私を助けて支えてくれた彼に、恩返しがしたかったから。
あの優しい旦那さまも全部嘘だったのですか?
目に涙を溜めて見上げると、旦那さまは困ったように笑い、私の頭に手を伸ばします。
「……そういうことになるかな。大丈夫だよ、シェリル。逃げようとしなければ、怖い思いはせないし、ちゃんと最後は無傷で解放するから。大人しくここにいて。何も不自由はさせない。君が望むなら、愛の言葉も囁くよ?」
「……っ!」
私は彼の手を払い除けて寝室に駆け込み、鍵をかけると泣き崩れました。
そんな言葉をかけて欲しかったわけではありません。それは優しさではなく、ただただ残酷な言葉です。
それから丸一日、私は寝室に閉じ籠もって一度も外に出ませんでした。ずっと部屋の隅で飽きもせず泣いていました。
あれから旦那さまは、一度も訪ねにきてくれません。ごっこ遊びは限界だったと言っていたので、私と顔をあわせるのも嫌なのでしょう。
彼のことを考えただけで胸が痛みます。でも、ずっとこのまま閉じ籠もっていても仕方ありません。
最後に話し合ってけじめをつけなければ……。
私はいい加減、涙を拭いて部屋の外へ出ました。
廊下に出ると家の中はしんと静まりかえっていて、ラプセルさんの姿もありません。今なら簡単に逃げられるのでは? ともう一人の自分が語りかけます。けれど、彼は上級魔法使い。
逃げられないよう対策を施しているはずです。そうでなければ、大事な金のなる木を自由にさせたりはしません。
未だズキズキと痛む胸を押さえながらキッチンへ水を飲みに向かいます。すると突然、家の中も外も真っ暗になりました。バリバリと何かの崩れる音が響き渡り、やがていつもの明るさに戻ります。
何が起きたのか分からず身を竦ませていると、窓のガラスが音を立てて割れ、黒い塊が床に転がり落ちました。
――それは、力なく倒れているラプセルさんでした。
「シェリル……あいつらが来る、隠れて……」
ラプセルさん! 何があったんですか!?
私は尋ねましたが、彼はそれだけ言うと、意識を失ってしまいました。と、同時に玄関のドアがこじ開けられ、複数の騎士が中に入ってきました。
「シェリエーナ姫がいらっしゃったぞ!」
「まさかフィサリアの秘宝をこんな辺境に隠していたなんて。……あの魔法使いも独占欲の強いことだ」
私は二歩ほど後ずさると、急いで寝室まで走りました。けれど、私の動作に気がついた騎士に行く手を阻まれます。
「姫様、怖がらなくても大丈夫ですよ」
敵意のない目から、あなたたちが危害を加えようとしないことは知っています。
「我々はあなたを救いに参ったのです」
分かっています。探しに来てくれてありがとうございます。
でも、ここを離れてしまったら、私は旦那さまと二度と会えなくなる気がします。あんな酷いことを言われても、あの人に会いたいんです。会ってちゃんと話をしたいんです!
「――シェリル!!」
いつの間にか、私と騎士の間に旦那さまが姿を現しました。彼は私の腰に手を回して抱き寄せました。
恋というものは恐ろしい。彼に名前を呼ばれ抱き寄せられて、こんな逼迫した状況なのに、不覚にも私の心臓はドクドクと脈打ちます。嫌われていようと利用されていていようと、そう簡単に私の心から旦那さまの存在は、消えてはくれないようです。
旦那さまは騎士たちに向かって威嚇魔法を放ちながら声を荒げます。
「どうしてだ! 話が違うじゃないか!」
「話が違う? 何のことだ? いつまでも我々が身代金の要求を素直に呑むとでも思ったか?」
旦那さまは舌打ちをして、手を前に突き出しました。再び魔法を発動させます。が、それが放たれるよりも先に、屈強な騎士に背後を取られ、手刀で気絶させられてしまいました。
「……っ!」
瞳には、ゆっくりと倒れていく旦那さまが映りました。私は彼に駆け寄って身体をゆすります。けれど、彼は何の反応も示しません。
「大丈夫です。ただ気絶しているだけですから。退いてください」
旦那さまに近寄ろうとした騎士を前に、私は柳眉を逆立てて立ちふさがりました。
旦那さまを助けなければ。その想いに突き動かされて、両手を広げます。
咄嗟に出た行動に自分でも驚きました。あんなに残酷な真実を突きつけられ、傷つけられたのに。さっきまであんなに泣かされていたのに。
どうして……?
自問自答すると答えはすぐに見つかりました。
だって彼は一度だって私に酷いことはしませんでした。いつだって私のことを大切に扱ってくれました。慈しんでくれました。彼の愛が嘘だったとしても、私を大切にしようという思いやりの心は本物でした。だから私は旦那さまを助けたいのです。
「姫様は懐が深い方のようですが、この罪人に同情する必要はありません。国王陛下から然るべき裁きを受けてもらいましょう。――暫くの間、大人しく眠っていてください」
「!!」
騎士はいつの間にか手に布を持っていて、それを私の鼻と口にあてがいました。途端にふわりとした嗅いだこともない甘い香りに包まれます。
それを吸い込んだ私は、誘われるように深い眠りに落ちてしまいました。
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