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【 第5章 ”彼”の怒りを鎮める方法 】

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ある夜のことだった。ヴィクトルが執務室で報告書に目を通していると、部屋の灯が揺らぐ。そこにいたのは、いつものように意地悪な笑みを浮かべるエリク神だった。

「それ、隣国の報告書だね。聞いたかい?あの国では未知の毒を1人の町医者が解決してしまったのさ。ただ、厄介なことにその薬は隣国の中でしか流通していない。自分たちの国にもし毒が広がったら…そんなことで悩んでいるんだろう?」

そう話すエリク神は小さな瓶に入った液体を持っていた。


「何が条件だ?」
「ははは、話が早くて助かるよ。ちょっと見てほしいものがあるんだよね」

その瞬間、ついさっきまで執務室にいたヴィクトルの意識はどこかへと切り替わる。見覚えない場所と、騒がしい人々の声。そんな中、ヴィクトルが目を惹かれたのは人々が集まる広場の端に座る1人の女だった。


周囲から遠巻きに見られているのは、女があまりにも妖艶に微笑むからだろう。目の前で一緒に酒を飲んでいる小柄な丸眼鏡の男だけでなく、ちらちらと他の男たちからも視線が集まっている。腰まで伸びる艶やかな栗色の髪は生花が編み込まれ、細い腰が目立つ黄色のドレスに身を包んだ女性…。


「見覚えあるだろう?」

エリク神からそう告げられて、ヴィクトルはふと1度だけ温室で顔を合わせたジャスミンのことを思い浮かべる。いやしかし、彼女はこんなにも美しい女性だっただろうか?


「…俺には関係ないことだ」

少し前、彼女が住んでいた山小屋が火に包まれ、中から素性の分からない炭になった死体が出てきたとき、ヴィクトルはなんとも言えない不安に襲われた。しかし、宰相であるアレクセイからの報告によれば、彼女はこのままでは殺されると事前にエリク神から話を受けていたのだという。

そんな彼女が、簡単に殺されるのだろうか?

しかし、炭となった死体からは”ジャスミンではない”という証拠も出ず、ヴィクトルはずっともやもやとした不安を抱えていた。


犯人は隣国の兵士たちであることも掴んでいるが、やはり隣国の動きは不審なものばかりだ。リーリエを狙って毒を混入させてきたり、ジャスミンのことを狙ってきたり…。ただし、それらが全てヴィクトルを不安にさせるものだとしたら納得ができる。

隣国とは戦争も近いかもしれない。そう感じてピリピリとした日々を過ごしていたヴィクトルだからこそ、余計に何も不安がない様子で笑っている彼女の姿に心苦しさを感じさせるのかもしれない。

…ジャスミンと言う女は、ヴィクトルの悩みなんて一切知らずにあの場で幸せに暮らしている。もしかしたら、親し気に過ごしている男はジャスミンの恋人なのかもしれない。


…いや、だったら何なのだろうか。彼女の生活など、今は自分に関係ない。ヴィクトルだって最近は、国内の貴族の令嬢との結婚を勧めている。この国のため、自分が跡継ぎを残して確かな教育を行う必要がある。

そう…わかっているはずなのだが。


「くくっ…あはははは、その顔が見たかったんだよ、ヴィクトル。悔しいだろう?苦しいだろう?いやぁ、本当にお前たちは最高に楽しませてくれるよ」
「…悪趣味なことだ」
「そうかい?まだまだ足りないと思うけどなぁ」

そう笑ったエリク神がジャスミンの元へと視線を向ける。つられて、ヴィクトルも彼女の元に視線を向けると、彼女に近づく不審な男たちの影に気付くのだった。


「あれは?」
「ここからが、ショータイムだよ。ヴィクトル」
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