上 下
3 / 3

【三】

しおりを挟む
 婚約破棄を交わした身とはいえ、いつまでも一人身でいるわけにはいきません。
 残念ながら、それが世の習わし――そして私が自身で選び、生きてゆくと決めた世界です。

 今日はあれから幾度目かの、殿方との縁談を兼ねた会食です。
 今回のお話はお家同士の繋がりの縁であり、お家柄もあり話が進み予定された、私たち自身に面識はないという奇特な機会のご縁でした。
 聞いたことのない顔合わせです。
 どんなお方がお見えになるのかと、少しだけ緊張して会食の場に赴くと――現れたのは、むすりとした表情が特徴的な、長身に短い髪が似合う、清楚感のある殿方でした。

「レイヴン・エヴァンスです。本日はよろしくお願い致します」

 儀礼的な口調――というより、ただ端的なように聞こえる言い方で、彼は挨拶を口にしました。

「カメリア・アルベリアです。本日という日を楽しみにしておりました。どうか、よろしくお願い致します」

 挨拶を返すと、彼はむすりと礼をして、きびきびとした所作で席に着きました。

 その後の会話も儀礼を越えるものはなく、会食は粛々といった様子で進みました。
 真面目なお方。でも、彼の人間性は見えない。

 会食ももうすぐお終いという頃合いのことです。

 ふと、魔が差したのか――私は、こんなことを聞いていました。

「レイヴン公爵、『愛』についてどう思われますか?」

 我ながら、なんだろうという問いでした。
 しかし、口をついて出てしまったのです。

 レイヴン公爵はその唐突な問いに驚きの表情を浮かべましたが、すぐに、常時の淡泊な表情に戻り、答弁を返してくれました。

「愛ですか」

 頭に手をやりながら、至って真面目な口調で彼は応えました。

「いつか何かの本で、「真実の愛」というものが綴られていました。曰く、それは損得の勘定がない、人間にあるはずの打算を越えた狂気である――らしいです」

 いつか何かの本で――。
 今度はその偶然に、私が驚きの表情を浮かべる番でした。

「が、そんなものが、本当にこの世に存在するのでしょうか……?」

 頭を掻きながら、顔を渋めるでもなく、純粋な疑問を口にするように――文言の内容とは真逆な、まるで少年のような表情を浮かべながら、彼はそう述べました。
 その食い違ったような純粋な表情は、なんだか可愛かったです。

「少なくとも、私は信じていません」
「そうですか……」
「貴方は、愛というものを信じているのですか?」
「どうでしょう……? そうであると信じていたものが、紛いモノであった事情を見たばかりですから、そうですね、信じていないかもしれません」
「そうですか」
「ええ」

 ――その、端的な会話に。
 何故か、気が楽になる心地を感じました。

「仮にですが」

 彼は少し何かを考え込んだのち、私を見つめて――こんなことを、言ってきました。

「仮にですが、私たちが婚約を結んだとしたのなら。きっと、その「愛」というものを見つける連れ合いになりそうですね」

 大真面目な表情で、彼はそう言ったのです。

 それを聞いた途端。
 フッと口から息が漏れ――自然と、微笑みが浮かんできました。

「仮に、ですね」
「ええ、仮の話です。――貴方は、その愛についてどう考えているのか……お聞きしても?」
「私は――」

 私は大仰に考え過ぎていたのかもしれません。
 愛という、誇大表現の表しに対して。

 ちょっとズレたところのある彼と話していると、なんだか気持ちに安楽が生まれる。
 そして彼と婚約を結ぶかは、また別のお話。
 仮の話です。

 その程度の捉えでよかったんだ。

「――それは、大変な事情でしたね。幼馴染、ですか。これは茶化すような言い方になってしまいますが――やはり愛とは難しいですね。幼馴染に身ぐるみを剥がされ素寒貧にされることが愛なら、ちょっと私には理解できそうもないです」
「フ、フフっ」
「しかし――貴方は強いですね」
「私がそう決めただけです」
「そうですか。――強いですね」
「ふふ。ありがとう」

 もちろん、お家の事情で婚約を結ぶことはあるけれど。
 けれども、結局それも自身が決める選択のお話。いざということになれば――私はそこまで温情に溢れていません。

 あらゆる意味で。

 そんな世界でよかったんだ。
 ふと、婚約破棄の騒動を見つめ直して、そんなことを思いました。

「今日は楽しかったです。またぜひお話を交わしたい」
「私も楽しかった。またお会いしたい。色々なお話をしましょう」

 ――レイヴン公爵とは、その会食を機に良い友人となり、その関係がずっと続いて――。
 そして本当に長い時間をかけて、やがて婚約を結ぶ仲になりました。

 その長い長い道中で、私たちは一つの答えを見つけました。

 それだけのこと。
 大仰からは、かけ離れた答え――。

 愛とは。
 互いが笑い合う、最小限の単位であると。

 
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

妻は従業員に含みません

夏菜しの
恋愛
 フリードリヒは貿易から金貸しまで様々な商売を手掛ける名うての商人だ。  ある時、彼はザカリアス子爵に金を貸した。  彼の見込みでは無事に借金を回収するはずだったが、子爵が病に倒れて帰らぬ人となりその目論見は見事に外れた。  だが返せる額を厳しく見極めたため、貸付金の被害は軽微。  取りっぱぐれは気に入らないが、こんなことに気を取られているよりは、他の商売に精を出して負債を補う方が建設的だと、フリードリヒは子爵の資産分配にも行かなかった。  しばらくして彼の元に届いたのは、ほんの少しの財と元子爵令嬢。  鮮やかな緑の瞳以外、まるで凡庸な元令嬢のリューディア。彼女は使用人でも従業員でも何でもするから、ここに置いて欲しいと懇願してきた。  置いているだけでも金を喰うからと一度は突っぱねたフリードリヒだが、昨今流行の厄介な風習を思い出して、彼女に一つの提案をした。 「俺の妻にならないか」 「は?」  金を貸した商人と、借金の形に身を売った元令嬢のお話。

寄付するお金を奪う婚約者、でもその寄付先は…。

coco
恋愛
「お前の金は、婚約者である俺の物だ!」 待って、それは大事な寄付金よ。 そんなことして、あなたはただじゃ済まないわ。 だって、その寄付先は…。 金に細かい婚約者は、もうすぐ自滅する─。

婚約破棄されて国外追放を言い渡された男爵令嬢は、異国の王子に出会う

空月 瞭明
恋愛
いっぺん書いてみたかった婚約破棄モノ、書いてみたらこうなった。 異国の褐色王子×婚約破棄され令嬢

【短編完結】婚約破棄なら私の呪いを解いてからにしてください

未知香
恋愛
婚約破棄を告げられたミレーナは、冷静にそれを受け入れた。 「ただ、正式な婚約破棄は呪いを解いてからにしてもらえますか」 婚約破棄から始まる自由と新たな恋の予感を手に入れる話。 全4話で短いお話です!

婚約破棄されました。あとは知りません

天羽 尤
恋愛
聖ラクレット皇国は1000年の建国の時を迎えていた。 皇国はユーロ教という宗教を国教としており、ユーロ教は魔力含有量を特に秀でた者を巫女として、唯一神であるユーロの従者として大切に扱っていた。 聖ラクレット王国 第一子 クズレットは婚約発表の席でとんでもない事を告げたのだった。 「ラクレット王国 王太子 クズレットの名の下に 巫女:アコク レイン を国外追放とし、婚約を破棄する」 その時… ---------------------- 初めての婚約破棄ざまぁものです。 --------------------------- お気に入り登録200突破ありがとうございます。 ------------------------------- 【著作者:天羽尤】【無断転載禁止】【以下のサイトでのみ掲載を認めます。これ以外は無断転載です〔小説家になろう/カクヨム/アルファポリス/マグネット〕】

殿下、貴方にだけは言われたくないのですが

富士山のぼり
恋愛
「ノエリア、君との婚約を破棄させてもらう。」 「えっ?」 「考えてみたまえ。君は特に一番に秀でた所が無いではないか。」 「どういう事でしょう。」 「わざわざ言わせるな。  君の学業成績はリネア嬢、美しさで言えばカリーネ嬢に劣るではないか。  ついでに身分で言えば君より家格が高い令嬢もいる。」 『殿下、そういうあなたは何なのですか?』ノエリアは心の中で呟いた。

婚約破棄!?全てを捨てて、私も捨てると?分かりましたハルト様さようなら

仰木 あん
恋愛
ショートショートです。

処理中です...