「オレの前に、おまえを跪かせてやる。」~最凶の式神と最強の陰陽師~

火威

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第三幕

「オレの前におまえを跪かせてやる。」~最凶の式神と最強の陰陽師~

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第三幕

「…まだ、続けるのか?」
 森に響いたのは、低く艶やかな美声。しかし、呆れているような、馬鹿にしているような、からかっているような、聞いている方の神経を逆なでする口調だ。
 螢惑けいこくは、太い木の幹に背を預けで腕を組み、ぜいぜいと肩で息をしている疾風を半眼で見下ろす。
 中天にさしかかった太陽の光を浴びて、銀髪が目を射る輝きを放っている。白い着流しの肩には、銀糸で織りだされた彼岸花がまばゆく浮き上がる。
 真紅の双眸は、明るい光の中では明度と彩度を増して、炎を内に閉じ込めた宝玉のようだった。
 均整のとれた、すらりとした長身の、人では有り得ない、計算しつくされた麗姿。
 その美貌を、疾風はやてはキッとにらみつけた。
「当たり前だろ!」
 昼近くになって、早朝の刺すような冷気は和らいだが、肌を撫でる風は依然として冷たい。
 それなのに、疾風の額には、大粒の汗が浮かんでいる。
 ふ、と螢惑は珊瑚色の唇をつり上げた。
「もう限界のくせに、よく言う。」
「誰が限界。」
 疾風が言葉を途切れさせたのは、螢惑が火の玉を投げつけてきたからだ。
 白の王祖をいともあっさり呑みこんだ炎。
 疾風は転がってよけたが、螢惑はにいと笑みを深める。
 ついっと、螢惑が指を振る。
 火の玉は、それに合わせて軌道を変える。
 回避は不可能と直感し、疾風が人差し指と中指をピンと立てた。
 刀印を結んで、宙に五芒星を描く。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク!!」
 五芒星が輝き、炎を受け止める。
 だが。
 ゴウッ!
 炎がその威力を増した。
 五芒星が呑まれる。
 疾風は、続けて九字を切る。
「臨める兵闘う者、皆陣やぶれて前に在り!」
 格子状の光が、炎の前に立ち塞がるのと、五芒星が燃え尽きるのが同時。
 九字による障壁が完成するのが一瞬でも遅かったら、五芒星もろとも、疾風自身が焼き尽くされていただろう。
「防いだか。」
 螢惑が、小さく笑う。賞賛よりも嘲笑が勝るのは、その後に
「かろうじて、だがな。」
と続くせい。螢惑の手中に、新たな炎が生まれたのを見て、疾風がカードを投げた。
「有翼獅子召喚、急急如律令!」
 風を切って飛ぶカードから、翼をもつ唐獅子が出現する。
 疾風がその背に飛び乗ると、有翼獅子は主を乗せて空へ翔ける。
 疾風がふう、と息をついたとき。
 螢惑の双眸が物騒な輝きを放つ。
(有翼獅子なら、螢惑の炎はよけられるはず…。)
と思いつつも、本能が危険を察知して鳥肌が立つ。
 しかし、螢惑は炎を放ちはしなかった。
 ひょいと、跳躍する。
 たいして溜めもない、無造作な動きで。
 螢惑は、有翼獅子のいる場所まで跳んだ。
「!?」
 螢惑と目が合った瞬間。
 疾風は、有翼獅子の背から、蹴り落とされた。
 空中に投げ出された体が、まっさかさまに落下する。
 真言も式神の召喚も間に合わない。
 疾風は思わず目を閉じた。
 しかし、地面に激突する衝撃はやってこなかった。
 ぽすっと、軽い、どこか間の抜けた音。
 おそるおそる目を開ければ、ごく近い位置に、すっかり見慣れてしまった美貌がある。
 疾風は、螢惑に抱えられていた。
 背中と膝裏に、螢惑の腕が回されている。
(こいつ、オレを蹴り落としといて、オレより先に着地したのかよ…!)
 どれだけの身体能力なのかと、空恐ろしくなる。
 血の気が引きかけているのを悟られたくなくて、疾風はわざと喧嘩を売るような物言いをする。
「オレの命なんて、機嫌一つとか言うけど、助けてるじゃねーか。やっぱり、異界にもどりたくなんかねーんだろ。」
「助けられている自覚があるくせに憎まれ口か。礼儀を知らん小僧だ。」
 螢惑は、鼻先でせせら笑う。
「蹴り落としたのもおまえのくせに、恩着せがましいこと言うんじゃねーよ。」
「これは心外だ。小僧が強くなりたいと言うから、鍛えてやっているのだろう?恩ある相手への口の聞き方も知らんとは、怒りを通り越して、哀れすら覚えるぞ。」
 疾風は、ぐっと詰まった。
 霊力を上げるには、実戦を重ねるのが最適だ。だから、それに近い形で螢惑が相手をしてくれているのは、本当ならばありがたいことのはずなのだ。
 だが、螢惑の攻撃は容赦が無さすぎて、本当に殺す気かと、疾風は半ば本気で疑っている。
「それは、おまえが。」
 言いかけた文句が、宙に浮く。
 疾風は、どすんと尻餅をついた。
「いってえ…。」
 いきなり落とすな、と怒鳴りかけて、そうではないと気づく。
 螢惑の体が透けている。
 肉の身を失い、霊体にもどっている。
 それは即ち、疾風の霊力が尽きたことを示す。螢惑は、術者の、つまり疾風の霊力で実体化しているのだから。
 疾風が、半眼で霊体の螢惑を見上げた。
「霊体になる前に下ろしとけよなあ…。おまえ、まさか、わざとタイミング合わせたわけじゃねーよな…。」
「小僧の霊力が貧弱だから、こういうことになるのだろう?己の無力さを棚に上げてよく言う。」
 馬鹿にしきった螢惑にそう返されて、疾風はぎりっと奥歯をかみしめる。
 悔しそうな疾風の顔がよほど面白かったのか、螢惑は声をたてて笑った。
 空気を震わせることのない笑い声、疾風の魂に直接響くそれは、嘲笑ではあったが、意外に無邪気で、ごく普通の少年が笑っているかのようだった。
 疾風は、毒気を抜かれ、怒りを忘れて螢惑を見つめた。

 風が渡る。
 常緑樹の葉を揺らして。
 冷たいが、清々しい風が、疾風の汗ばんだ肌を冷やした。
 不浄を祓うような、清涼で心地よい風だ。
「…いい風だ。」
 霊体の螢惑にも感じられるのか、独り言のような呟きだったが、疾風は言葉を返した。
「ここ、神域だからな。もうちょっと奥に社がある。」
「小僧は、鎮守の森で暴れているわけか。」
「いいんだよ。天璃うちの氏神なんだから。」
「ほう。これは、龍神の気配だが。」
「ああ。やっぱり、そういうのわかるんだな。」
と頷いた疾風は、ごく簡単に来歴を語った。
 天璃あまりの祖先の陰陽師が術比べを挑んだ相手の正体は、龍神だった。当然ながら、人の身で龍神に勝てはしなかった。しかし、龍神は、その強さを認め、彼に力を授けた。天璃の祖先は、その礼として龍神を祀り、祖先の力は、子孫に受け継がれた。
 そこまで聞いて、螢惑は納得したように頷いた。
「なるほど。小僧の目が時折青くなるのは、龍の力の顕現か。」
「…気づいてたか。」
 疾風が複雑な表情になった。
「青の聖眼つーんだってさ。一族の中で、強い力を持っていることの証明だ。オレの場合は、感情が高ぶった時だけだけど、雪比古ゆきひこはずっとだぜ。」
 兄のことを口にするとき、疾風の口調はいつも苦い。瞳がうっすらと青みがかかる。今は、黒に近い、濃い藍。夜明けの空の紫紺。
「そうか。色が変わる方が、俺は見ていて面白いが。」
「え。」
 螢惑が深い意図なく返した言葉に、疾風はぴしっと固まってしまった。
 真っ青になった瞳で螢惑を見返し…何かがほどけたように、ふわりと笑う。
 今度は、螢惑が目を瞠る番だった。
 疾風の笑みが、ひどく明るく、素直に嬉しそうで…ふだんの彼とはかけ離れたものだったので。

 やたらと速くてやかましく、何の楽器で奏でられているのかもよくわからない音楽がかかっている。やけに人が多い。
 疾風は、珍しく螢惑を自分から実体化させたのでーふだんは、螢惑が疾風の霊力を勝手に喰らう形で受肉しているのだー近くに妖でもいるのかと思ったが、そんな気配はない。何だ?と怪訝な顔をする螢惑に、疾風は
「だって霊体じゃ他の人間に見えねーだろ。そこ座ってろ。場所取り。」
と、空いた席を指さす。
 土曜日の昼時、大型ショッピングモール内のフードコートは、混みあっている。鎮守の森は神域であり、いつもよりも霊力の回復が早かった。回復した霊力をこんな目的で使うのは自分でもどうかと思うが。
 螢惑は怒るかと思ったが、逆に、噴き出した。ツボにはまったらしい。
最凶の式神この俺を場所取りに使うとは、いい度胸だな、小僧。」
「オレはおまえの主なんだから、おまえをどう使おうが、オレの勝手なんだよ。」
 疾風は、螢惑を御するには力が足りていないことがよくわかっている。だから、螢惑は好き勝手に振る舞う。勝手に実体化するのがその何よりの証拠だ。だから、言葉の上だけでもそう言い切る。
 疾風のそんな心境はお見通しなのだろうが、螢惑は気まぐれなのか憐れみなのか、言われた通りに籍に座る。
 疾風がトレイを手にして戻ってくるまで、螢惑はちゃんとそこにいた。
 人間離れしたー人間ではないのだがー造形美を極めた完璧な美貌、白銀の髪に真紅の瞳、さらに極上の絹の着流しの少年が、フードコートのテーブルに肘をついている様は、人目を引く。
 カシャ、とシャッター音がした。マナーのなっていない輩が、隠し撮りしたのだろうか。
「なに、あれ?ヘンなカッコだけど、すごい美形。」
「映画の撮影とかじゃねーよな?」
「何かのコスプレ?」
 ただ、螢惑の異様な迫力は、人間の生存本能に訴えかけるようで、近くに寄って来る命知らずの猛者はいない。それが正解だ。螢惑がその気になれば、フードコートにいる人間どころか、ショッピングモールごと廃墟と化す。
 疾風が、螢惑の正面に座ってハンバーガーを食べ始めると、螢惑がちらりと視線を投げてくる。
「変わった食い物だな。」
 そういう台詞は、やはり五百年前の式神だなと疾風は思う。
「いるか?」
と差し出すと、螢惑は、かすかに目を瞠った後、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。そこでやっと気づく。
 式神は、自然の気を取り込むことで糧とする。そもそも、式神の肉体は仮のものなのだ。食べ物を消化したり、栄養を吸収したりする器官があるわけではない。
 疾風がちょっと気まずい気分で、「だって、そーしてると、人間と変わらねーし。」とぶつぶつ言っていたら。
「あっれー、天璃?」
「ここで会うのってめずらしーな。」
 と呼びかけられた。顔を向けると、私服姿の中学生たち。同じクラスのやつも、そうでないやつも。映画のパンフレットを手にしていたり、UFOキャッチャーの景品らしいぬいぐるみを持っていたり。
 シネマコンプレックスやゲームセンターがあるフロアなので、見回してみれば中高生の姿が多い。顔見知りがいても不思議ではない。そう言えば、人気アニメ映画の封切の日だった。
「天璃は映画か?買い物?」
「そんなにハンバーガー買って食いきれんの?」
「その人誰だ?おまえの兄さんって、もっと年離れてたよな、確か。」
「なんで着物?モデルとか?」
「確かに、すっげーイケメン!どういう知り合い?」
 えーと、と疾風は言葉に詰まる。螢惑がどんなカッコしていようが「コスプレ」と見てもらえるからいいや、と考えて実体化させていたが、知り合いに関係を訊かれると困る。全くの他人なら、兄弟とか、部活の先輩後輩とか、勝手に想像してくれるのだろうが。
「…友達。」
 逡巡の末、ぶすっと答える。答えになっていない答えだ。しかし、学校にあまり顔も出さない疾風にも、気軽に声をかける気のいい少年たちは、何か事情がありそうだと察してくれた。
「じゃ、オレたちこれからカラオケ行くから。」
「また学校でな。」
「もうサボんなよー。」
 手をふりつつ、少年たちが離れて行くと、疾風はふうと肩の力を抜いた。
「いつから、俺と小僧は友達になった?」
 螢惑が頬づえをつき、にやにや笑いながら言ってくる。疾風が焦っている様が面白かったらしい。
(性格悪いよなコイツ。)
 疾風はしかめっつらのまま、ハンバーガーをほおばる。何だか食欲が失せてしまった。腹が減っていたので、結構な量を買い込んでしまったが、食べきれるだろうか。
 疾風は、公安の仕事をこなしているせいで、金回りがいい。自然、金遣いが荒くなる。それが、今回は裏目に出てしまった。

 ずらりと並ぶ灰色のデスク。壁を占領するスチールロッカー。パソコンと向き合ったり、受話器に向かったりと、せわしない様子の、スーツ姿の男女。
 キーボードを打つ音。次々と紙を吐き出すプリンター。
 それだけなら、どこにでもある都会のオフィスだ。しかし、モニターに向かっていたオペレーターが発した報告にも、それに応える指示にも、
「新宿区にて、瘴気の発生を確認。濃度はレベルC。該当地区をモニターに出します。」
「現時点での、異形の発生なし。」
「近くの陰陽師を向かわせて、瘴気の浄化を。」
「了解。連絡をとります。」
「渋谷区にて発生した鵺、消滅を確認。」
 ごく普通のオフィスでは使われることのない単語がいくつも含まれていた。
 公安、第零課。
 霊的案件を秘密裡に処理する、警察のトップシークレット。警察内でも、最高級幹部以外は存在さえ知らされない。
 疾風は、兄に呼び出されて、そんな警察の暗部とも言える部署を訪れていた。疾風にとっては兄の職場であり、彼自身の職場でもある。しかし、多忙すぎてもはや、「暮らしている」レベルで職場に拘束されている雪比古とは対照的に、仕事の依頼も報告も、電話かメールで済ませられる疾風は、ここを訪れる機会はあまりない。
 疾風に求められているのは陰陽師としての能力のみだ。正式な職員でもないので、書類の提出を求められることも、ほとんどない。兄と顔を合わせたくない疾風にとっては都合がいい。
 雪比古のデスクは空だった。会議室にいると教えられ、そちらに向かう。
 カツン、カツンと、自分の足音が、廊下に反響する音に、静かだなと思う。
 螢惑が話しかけてこないからだ。それどころか、姿も見えない。
 螢惑は、陰陽寮に語り継がれた、伝説の式神。一国を滅ぼした危険な式神が復活したと知れれば、零課が総力を挙げて調伏に乗り出す。
 だから、疾風は螢惑に穏行を命じて、零課を訪れた。螢惑の穏行は完璧で、主である疾風にも、今はその存在を認識できない。
 疾風が教えられた会議室の扉の前に立つと
「入っておいで。」
と、中から雪比古の声がした。疾風は特に驚かない。兄なら、疾風の気配くらい感じ取るのは造作もないことだ。
 疾風は部屋に入り、ガンと乱暴にドアを閉める。
「何の用だよ。」
 窓の外、傾きかけた日射しを浴びたオフィス外を眺めていた青年が、くるり、と振り向く。背中の中ほどまで伸ばされた、艶やかな黒髪が、蛍光灯の光を弾いた。
「おまえに会いたかった、じゃ、駄目かな?」
 にこ、と笑って返す、秀麗な美貌。
 大輪の花のような、人目を惹く美形だった。
 すらりとした長身に、仕立てのよいスーツを着こなしている。抜けるように白い頬に、長いまつ毛が影を落とす様は、どこか悩ましげで危うい色香さえ漂う。体つきも細身なので、男装した女性のようだ。
 双眸は、澄み切った海のような青で、それは、天璃の血に連なる陰陽師としての力を示していた。
 疾風は、ハッと鼻で笑う。
「ふざけてんなら、帰るぜ。」
「帰さないよ。おまえが正直に話すまでは、ね。」
 雪比古が、机を回って弟に近づく。疾風は兄をにらんで身構えた。
「おまえに話すようなことなんざ何もねーよ。」
「嘘は駄目だよ、疾風。」
 にこ、と雪比古が唇に笑みを刻む。弟を溺愛している雪比古が浮かべる、甘ったるい笑み。けれど、その奥にあるものは、いつもとは違った。
「おまえは、禁忌を犯したね。」
 疾風の背中を、一筋、冷たい汗が伝う。
 けれど、表情には出さなかった。ふてぶてしく笑う。
「はあ?何のことだ?」
(螢惑の穏行は完璧だ。いくら雪比古でも、螢惑の姿は見えてないはず…。)
 雪比古は、青い目を、つ、と細めた。整った美貌は、それだけのことで、印象がひどく冷たくなる。
「おまえは、零課を舐めすぎだ。ここにいる間だけ、穏行させれば済むと思っていたのかい?」
 雪比古が、スーツのポケットから、写真を取り出した。白く細い繊細な指に挟まれている写真には。
 フードコートのテーブルで頬杖をつく螢惑の姿が、はっきり写っている。
 ごくり、とつばを飲む音が、やけに大きく響いた。
 雪比古が、写真から手を離した。ひらり、と床に舞うのに任せて。
「疾風。」
 雪比古が、疾風の両肩に手を置く。細いが、その力は成熟した男のもの。成長しきっていない、華奢な疾風では、ふりほどけなかった。
 吐息のかかる距離から。
「いいんだよ。わかっている。一時の気の迷いなんだろう?おまえは、魔が差しただけ。」
 頑是ない子どもを教え諭すように。
「私にはわかっているから。おまえは、本当は賢い子。私の自慢の弟だ。狂った陰陽師が生み出した、災厄の化身がどれだけ危険か、理解できないはずがない。」
 五百年前、世の権力は、とうに貴族から武士に移っており、陰陽寮はその影響力を失っていた。しかし、鬼や妖が消えたわけではなかった。だから、心ある陰陽師たちは、認められずとも、歴史の影で彼らを滅し続けた。無辜の民のために。
 しかし、劫炎はそれをよしとしなかった。並はずれた力を持つ陰陽師であった彼は、それを認めない世界が許せなかった。
 彼は、時の権力者に己を売り込んだが、相手にはされなかった。そして、陰陽師からは、民を守ることよりも虚栄心を満たすことを選んでいると、眉をひそめられた。
 誰にも受け入れられなかった孤独と絶望が、劫炎を狂わせた。そして、彼は、螢惑を生み出した。この世を地獄の劫火で焼き尽くし、滅ぼす力をもった、最凶の式神を。
 伝説は真実だったと、その存在を目の当たりにした雪比古は思い知らされた。カメラを通してさえ、伝わってきた。彼自身が一流の陰陽師だからこそ。
 ただそこにいるだけで、戦慄が走る。それほどの力。それほどの邪悪。
 雪比古は、声の震えを抑え込み、弟に呼びかける。
「今、それを手放せば、罪には問わないよ?おまえは、唆されただけだろう?」
 蕩けるように甘い声音。
「いい子だから、私の言うことを聞きなさい。」
(螢惑。)
 疾風は振り返った。
 疾風の目には、完璧に穏行した螢惑の姿は映らない。わかっていて、探してしまった。
「そこかい?」
 それを見逃す雪比古ではなかった。
 疾風から手を離し、懐から取り出した短剣を抜き放つ。
「五臓を切り破り、血をあやし、血花に咲かせ滅する、影もなし、即滅そばかと切って離す!!」
 短剣が伸びた。銀色の刀身は、漆黒へと変じ。
 漆黒の剣が、空間を縦横無尽に切り刻む。
 ざんっ。
 何もないはずの空間に突き刺さった、と見えた時。
 そこに、螢惑の姿が現れる。
 漆黒の剣に、串刺しにされた状態で。
「螢惑!!」
 疾風が叫んだ。
 霊体の状態の螢惑は、血の一滴すら流していない。しかし、雪比古の術が螢惑にダメージを与えているのははっきりとわかった。自身を貫く剣をそのままにしているのが、何よりの証だ。
「最凶の式神とは言っても、この術からは簡単には抜け出せないよ。これは本来禁呪だからね。こちらは、事前に相当の準備がしてあったということだよ。」
 雪比古は、自身と螢惑をつなぐ漆黒の剣を、ぐ、と握り、弟を振り返る。
「さあ、疾風。契約を解きなさい。そして、おまえが異界に送るんだ。おまえは一度異界の地を踏んでいる。路をつなぐのはたやすいだろう?」
 疾風に、もう少しでも冷静さが残っていれば、雪比古がそこまで調べ上げていることに驚いたかもしれない。しかし。
 疾風は、雪比古の言葉を聞いてはいなかった。
 ただ、螢惑だけを見つめていた。
 青くなった疾風の視線と、螢惑の真紅の視線が強く絡む。
 雷に打たれたように、疾風は思った。
(ちがう。)
と。
 螢惑が、こんな風に繋がれているのは、間違っている、と。
 最強の鬼の一人、白の王祖でさえ、鮮やかに倒してみせただろう、と。
 同時に、螢惑の笑った顔が、いくつも浮かんだ。
『いつから、俺と小僧は友達になった?』
 あれを、最後になんて、したくないと。
 疾風が腹の底から吠えた。
 喉が裂けるほどの絶叫。
「幣立てし、ここも高天原なれば、あらゆる不浄を吹き清め給え!!」
 嵐のような突風が吹き荒れた。
 窓ガラスが割れて飛び散る。机も椅子もなぎ倒し、スチールロッカーが倒れてファイルがなだれ落ちる。
 そして、螢惑に突き刺さる漆黒の剣すら、聖なる風が吹き飛ばした。
「螢惑召喚、急急如律令!!」
 疾風が、実体化した螢惑の手首をつかむ。
 渾身の力で握りしめて、引き寄せた。
「来い、螢惑!!」
 螢惑が、真紅の瞳を見開く。
「小僧。」
 貴様、なぜ、という表情に、疾風は無性に腹が立った。
 わかれよ、と思う。
「おまえは…おまえは、オレの式神ものだっ!!」
 螢惑の紅玉の瞳が、大きく揺れた。
 疾風の手から、カードが飛ぶ。
「有翼獅子召喚、急急如律令!!」
 割れた窓から身を躍らす。螢惑の手をつかんだまま。
 カードが、翼を広げた唐獅子に転じる。
 疾風と螢惑が、その背に跳び下りた。二人を乗せて、有翼獅子は真冬の風を切って飛んだ。
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