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第三幕

「おまえはオレのものだ。だから、オレもおまえのものだ。」~龍神少年 参~

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第三幕

 緋皇ひおう翡蓮ひれん、玻璃、瑠璃の四人は、庄屋の屋敷を出て、村はずれにある湖へ向かっていた。
 十年に一度、生贄の娘は湖のほとりで八岐大蛇やまたのおろちを待つ。自らの命を差し出して、村に水の恵みを得るために。
 四分の一刻ほど歩き、庄屋の屋敷から二分の一里ほど離れた辺りで。
「緋皇。ちょっと話がある。」
と、翡蓮が足を止めた。
 まっすぐに緋皇を見る目が、いつもより厳しい。
「あ?なんで今?やっぱり着替えたいとか言い出すなよ。似合ってんだからいいじゃねーか。」
 緋皇が、翡蓮の雰囲気の変化を敏感に感じ取り、ふざけて流そうとしたが、翡蓮はそれを許さなかった。
「緋皇。」
と、重ねて呼ぶ。珍しく、緋皇がかすかに怯んだ。
「…。」
 玻璃が空色の瞳をふっと翳らせた。
「ボクたちは、先に行ってるね。」
と声をかけ、返事を待たずに歩き出す。
「ほら、瑠璃、行くよ。」
と、弟の手を引いて。
「え、ちょっと、玻璃、なんで?」
 瑠璃は、わけがわからないまま、玻璃に連れられて行く。
 緋皇たちの会話が聞こえない距離まで離れたところで、瑠璃が
「ちょっと、どーいうこと?玻璃。」
と自分そっくりな兄の顔をのぞきこんだ。
 玻璃が軽く肩をすくめる。
「だって、ボクたち邪魔でしょ?瑠璃だって、ホントはわかってるくせに。」
「それは、わかるけどさあ…。」
 瑠璃は、納得しかねる色を、玻璃よりも濃い青の目に浮かべている。
 入り込めない空気。
 お互いしか目に入らない絆。
「なんか、緋皇、ズルイよ。ついこの間まで、翡蓮のことなんか大嫌いって態度だったくせに、」
「今は自分が翡蓮の一番なのが当然って思ってるのが、気に入らない?」
 さすが双子、と言うべきか。
 自分の考えを正確に読み切って言い当てた玻璃に、瑠璃が大きく頷く。憤懣やるかたない、という気持ちが、ありありと浮かんだ表情で。
 玻璃は、ため息混じりの苦笑を返す。
「まあ、しょうがないよ。事実だもん。翡蓮にとって緋皇は別格。最初からね。」
「でもさあ。ボクたちだって、翡蓮の仲間だし、友達だよ?」
「友達にもいろいろあるから。」
 玻璃はあっさりと言い放つ。瑠璃は、ムッと頬を膨らませた。常よりもさらに幼い印象になる。
「瑠璃にはボクがいるでしょ?」
 玻璃は、にこ、と微笑んで、つないだままだった手を、ぎゅっと握った。
(玻璃の、こういうとこ、スキだけどキライ。)
 周囲の誰もが、自分たちを何もかもそっくりな双子だと言う。容姿も、性格も。年齢よりも稚く、無邪気だと。
(ボクだって、いつもはそう思ってるけど。)
 けれど、ふいにのぞかせる、「兄」としての顔を見ると、玻璃は一歩とは言わないまでも、半歩は自分の先にいるような気がして。ちょっと悔しくて、でも、本当は。
(スキだけどキライ。でもスキ。)

「緋皇。守るべき無辜の民を、侮辱したり傷つけたりする発言は慎め。」
 案の定、翡蓮の口から出たのは叱責だった。
 生真面目で頑固な、<宝珠>の顔をした翡蓮から、緋皇は視線を反らす。ふて腐れた顔で。
「ふん。そんなカッコで凄んだって、迫力なんかねーよ。」
「緋皇。」
 翡蓮の声は冷たくはなかったが、緋皇の心に突き刺さる鋭さがあった。
 緋皇が、翡蓮に視線をもどした。
 バチッという音がしそうなくらい、強く視線がぶつかり。
「オレは、間違ったことは言ってねーぜ?」
「オレもおまえも、飢えたこともなければ、苗を植えたことも、稲を刈ったこともない。植えた苗が日照りで枯れた経験も、収穫前の稲が水につかるのを見ているしかなかったことも。」
 稲作は、水の恵みに左右される。そして稲の出来次第で、永らえる命の数が決まる。
 龍神国は、七柱の龍神の恩恵により、餓死者が多く出るほどの飢饉は滅多にないが、皆無ではない。品種改良や肥料の質の向上により、収穫高は毎年増えているが、完全に安定しているわけでもない。自然を相手にしている以上、絶対はない。
 けれど、手に入らないはずの「絶対」を、得ることができると知ってしまったなら。
 一体どれほどの人間が、その欲望に抗えるだろう。
 神の誘惑に。
 それが堕ちたる邪神だとしても、恩恵をもたらすのなら。
「この村の人たちだって、好きで生贄を差し出してきたわけじゃない。」
「…。」
 緋皇は、真紅の目を眇めた。
 緋皇とて、翡蓮の言っていることが、理解できないわけではないのだ。
 六つの歳までは、この国の半分を統治することになる日嗣の君として、民の苦役も学んできた身だ。
 それでも、緋皇にも譲れないことがある。
「気に入らねーんだよ。」
 紅玉の瞳には、烈火の怒りがある。
 そして、怒りの奥には。
「オレだったら、この国が滅びることになっても、おまえを絶対に渡さない。たとえ、本当の神を敵に回しても。」
「っ。」
 翡蓮の呼吸が止まった。
 息の仕方を忘れてしまったように、胸が苦しい。
 数瞬遅れて。
「…神官候補生として、その発言はどうなんだ…。」
 ようやく、翡蓮が口にできたのは、そんな言葉で。
 緋皇は、チッと舌打ちした。
「あのな…。」
「ごめん。本当は、おまえがそんなこと言ってくれるなんて、うれしい。でも、神官候補生としては、よろこんじゃダメかなって。」
 翡蓮は、ふわっと笑う。花がほころぶように。はにかむように。そこへ。
「おまえだって、同じだろ?」
 と、緋皇がたたみかける。
「…うん。」
と、翡蓮は、小さくかすかに、けれど確かに頷いた。
 緋皇は、それで満足したのか、
「じゃあ、行こうぜ。あんま待たせると、双子、ぎゃぎゃー言うだろ。」
と促した。
 翡蓮が頷いた時。
 近づいて来る灯りが、二つ三つ、視界をよぎった。
 妖の気配はない。
 緋皇と翡蓮は、目配せを交わす。
 提灯を持って闇から現れたのは、庄屋と二人の村人だった。
「見届けさせていただきたい。あなた方の戦いが、この村の命運を分けることになる。」
 重い響きだった。
 翡蓮が首肯する。
「はい。」

 生贄や人身御供が、神の花嫁という形をとるのは珍しくはない。この白無垢は、神に捧げる花嫁のために、十年ごとに、特別にあつらえるものだと聞いた。花嫁本人さえ、儀式の当日に初めて身にまとうのだと。そして、それが最後になる。蛇神に喰われて、命を終えるのだから。
 翡蓮は、誰も袖を通したことのなかった、真新しい白無垢をまとい、綿帽子をかぶって、金髪を隠している。
 広大な湖のほとり。水のにおい。かすかに混じる、甘い金木犀の香り。草木も眠る丑三つ時。盛りを過ぎた虫の音が、寂しげに響く中、翡蓮は息をひそめて待っている。赤い毛氈の敷布に腰を下ろして。
 心細くはない。
 姿は見えないが、近くの茂みには、緋皇が身を潜めている。玻璃と瑠璃も。
 ただ、よぎるのは琥珀の言葉だ。
 ここに来る前、龍眼で琥珀に連絡を取った。マヨヒガの件があるので、無許可で勝手に動くのは躊躇われたのだ。緋皇は「黙ってりゃ、わかんねーよ。」と反省の欠片もない台詞を吐いていたが。
 琥珀は「罪なき無辜の民の命がかかっている、緊急の案件なので許可しますが、くれぐれも油断しないように。神官候補生に回す仕事は、それぞれの小隊の力量を考えて割り振っています。ですが、今回はそうではないことを、肝に銘じなさい。」と厳しい表情で告げた。
 翡蓮は、湖に目を向ける。
 水面は、鏡のように凪いでいる。傾きかけた十六夜の月が、くっきりと映りこんでいる。
 水面の月が割れた。
 湖に立つさざなみ。
(風が変わった。)
 涼気よりも冷気を多く含んだ、冬の気配を帯びた風ではなく。じっとりと生温い、生臭い風。同時に空気に満ちるのは、どす黒い瘴気だ。
「四級神術発動、翔風絶壁。」
 翡蓮は小声で唱え、周囲に風の壁を築く。瘴気をはね返すだけの小規模な風なので、金髪が揺れる程度だ。
 緋皇たちも、それぞれ神術を発動させて、瘴気を防いでいる。
 防いでいても、瘴気の濃度が一気に増したのがわかる。
(来る!)
 水面が大きく盛り上がった。
 バシャアッッッ!!
 水があふれ、濁流となって押し寄せる。
 翡蓮は、翔風絶壁の勢いを強めて、水をはね返したが、神術を使っていなければ、びしょ濡れになっていただろう。
 そして出現したのは。
 その目は鬼灯のごとく、一つの体に頭が八つ、尾が八つ。体に生えるは、苔、檜、杉。
「八岐大蛇…。」
 翡蓮が、呆然と呟いた。さすがに、八つの谷、八つの山に渡るほどの長さはないだろう。しかし、人など一呑みにできるあぎとだ。シュウッとのぞく赤い舌でさえ、人の胴体に巻き付いても余るほどの幅がある。
 翡蓮は、この村を訪れる前に滞在した宿で、美貌の若者から聞いた伝承を思い出した。
 百年ほど前、この辺りの村の井戸が枯れ、一人の娘が、その身を自ら差し出した。八岐大蛇は、娘の願いを叶え、井戸の水を満たしたが、人の肉の味を覚えて狂い、それが堕ちる原因になった…。
 あの伝承の村は実在した。この村の現在いまは、伝承の続き。堕ちた蛇神は、その後、十年ごとに生贄を喰らい続けて今に至るのだ…。
 翡蓮は、白い袖に隠れた拳を握りしめる。
(ここで断ち切る。この村のために。何より、晴太くんのために。)
 かろうじてこちらを視認できる、遠く離れた位置に、庄屋と二人の村人も隠れており、この戦いの行方を見守っている。一つの村と、そこに生きる人々の命運を背負った戦いだ。
 鎌首をもたげた八つの頭が、しゅるっと翡蓮に近寄って来た。
 瘴気の濃度が増す。
 翡蓮は、ちらりと、緋皇たちが隠れている茂みに視線を流す。
 ガサ、と揺れたところを見ると、おそらく、飛びだしかけた緋皇を、玻璃と瑠璃が止めたのだろう。
(まだだ。)
 囲まれた。
(もう少しがまんしろよ、緋皇。)
 怯えたふりで俯いたまま、翡蓮は心の中だけで呼びかけた。
<今回の贄か>
 その声は、頭に直接響いた。
 翡蓮が、かすかに顔を上げる。
 間近で見ると、背筋が寒くなるほど巨大だった。
 濁った朱色の瞳でさえ、翡蓮の頭ほどの大きさがある。
 翡蓮が、腹に力を入れた。
 風切る勢いで立ち上がり、綿帽子をはね上げる。
「おまえに贄を捧げることは、二度とない!!」
 素早く、宙に図形を描いた。常より長い袖が優美に翻る。織り込まれた銀糸が、十六夜の月光に煌めく。
「三級神術発動、風翼飛翔!」
 翡蓮は、風をまとって、高く飛んだ。八岐大蛇の首も届かぬ上空へ。
 そして、高らかに叫ぶ。
「緋皇、今だ!」
「焦らしすぎだっつーの!」
 間髪を入れず、緋皇が応える。
 ぎりぎりまで引き絞られ、ようやく放たれた矢のように飛び出した。
 銀髪が、ザッとなびき、月光をはじく。
 緋皇は、何の躊躇もなく、八岐大蛇に飛び乗った。
 まるで体重を感じさせない身軽さで、駆け上がっていく。
 大蛇にとっては、羽虫にまとわりつかれた程度のことなのだろう。反応は皆無。八対の目が追うのは、上空に逃れた獲物だけだ。
 天に吹く風に、金髪をなびかせ、翡蓮が声を張る。
「瑠璃、玻璃、頼む!」
「「任せて!!」」
 双子の声がぴたりと重なり。
「四級神術発動、流雨祓邪!!」
 瑠璃が、浄化の雨を呼ぶ。水煙が白くけぶるほどの、滝のごとき豪雨。
「四級神術発動、凍結氷華!!」
 玻璃が、極寒の凍気を呼ぶ。あふれた水が、見る間に凍てついていく。
 大蛇の胴体を、尾を氷で覆う。
 下半身の動きは封じた。
 八岐大蛇が、八つの口から瘴気を吐き出す。シャアアアアッッッと、激怒を示すように。
 危うげなくそれをかわし、緋皇が、一つの首の頭上に到達する。
 そこに瘴気を吐いても、牙を向けても、自らの首を傷つけることになる。八岐大蛇は目を血走らせながらも、動けない。
 緋皇は上空を見上げた。
 翡蓮と、視線が強く絡む。
 緋皇が、ためらわず飛ぶ。
「三級神術発動、風翼飛翔!」
 緋皇の背中に、天空を翔るための羽が広がった。
「「二級神術発動!!」」
 寸分違わず、二人の声が重なった。
「紅蓮焦土!!」
「神皇息吹!!」
 視界の全てを白く染め上げて。
 灼熱の塊が落とされる。
 炎が、爆発的な勢いで、一気に燃え広がった。
 全てを薙ぎ払う、野分のごとき烈風に煽られて。
 同時に、瑠璃と玻璃は、それぞれの神術を解除している。
 氷に勢いを減じられることなく、猛々しい炎が、八岐大蛇の全身を蹂躙した。
 轟音と衝撃。
 舞い上がった土埃が、視界を覆い隠す。ジュウジュウと、肉の焼ける音。煙に瘴気が混じったにおいに吐き気がする。
 それが薄れたとき。
 七つの頭が、一か所に集まっていた。身を寄せ合うように。
 そのどれもが、黒く焼け焦げ、ところどころ、肉がずるりと崩れ落ち、骨をのぞかせている。
 ドサッ。
 そのうち、一つの頭が地に落ちる。
 ドサッ。
 ドサッ。
 ドサッ。
 ドサッ。
 ドサッ。
 ドサッ。
 七つの頭が堕ちた。
 その奥に、残っていた。
 無傷の、最後の、八番目の頭が。
 怒り狂った、一対の鬼灯色の眼が。
「一つ残っちまった。邪神っつっても、そこいらの妖とは違うってか。」
 トン、と大地に下りた緋皇が、いつでも神術を放てるように、刀印を結んだまま言う。
「まだ仕掛けるな、緋皇。」
「風翼飛翔」を保ち、空に留まったまま翡蓮が言う。翡蓮の中で、高速で思考が駆け巡る。それが、この小隊の司令塔としての自分の役割だと熟知している。
(なぜ、頭を一つだけ守った?他を犠牲にして。)
「あの頭は、特別なのか?他にはない力がある?」
 翡蓮が呟いた時。
 八岐大蛇の最期の頭が、大きくあぎとを開いた。
「四級神術発動、翔風絶壁!!」
 翡蓮が、自分と緋皇の前に風の壁を築く。
 ゴウッ!
 吹き渡る清風。金銀の髪が大きくなびき、袖が翻る。枝がこすれ、葉が弾け飛ぶ。
(いや、足りない!)
 察知したのは、本能か、経験か。
 シャアアアアアアアアアア!!
 大蛇の口が、瘴気を吐く。
「緋皇、下がれ!」
「チッ!」
 緋皇は、舌打ちしながらも、翡蓮の警告には従う。
「四級神術発動、滝流降雨!」
 瑠璃が、翡蓮と緋皇の前に滝のような雨を降らせ。
「四級神術発動、凍結氷華!」
 玻璃がそれを凍てつかせて、氷壁と為す。
 風と氷の二重壁。
 それでかろうじて、瘴気を防げた。
 飛び散った瘴気が、一瞬で大樹を腐らせ、大地を溶かす。
 八岐大蛇の体から、常に放たれていた瘴気とは桁が違う。
 ゾッとしながらも、翡蓮の思考は止まらない。
(濃い瘴気を吐けるから、この頭を守った?)
 その間にも、大蛇は瘴気を吐き続ける。
 ピシッ。
 風の壁の外側、氷の壁に亀裂。
「時間の問題ってやつじゃねーの?」
 見極めた緋皇が、翡蓮を見る。
 翡蓮が頷いた。
 緋皇が叫ぶ。
「二級神術発動、天裂炎槍!」
 大蛇の首の真下の大地から、炎が噴き出す。
 灼熱に炙られ、大蛇がのたうつ。それでも、瘴気は吐き続ける。
 二重壁を強化したいが、維持が精いっぱいだ。特に、瑠璃と玻璃の術力は、緋皇どころか翡蓮と比べても半分ほどしかない。
 根競べだと、誰もが思っていた、その時。
 危険に最も早く気づいたのは、翡蓮だった。
 背後で、ボコボコッと、不気味な音がした。
 水面から、なにかが湧き出てくるような。否、それは肉が盛り上がり、再生する音。
 翡蓮がハッと振り向いた時には。
 焼け落ちた首のあった場所に、新たな首が生えていた。鱗が月光にぬらぬらと光る。
 新たな首が、ガアッとあぎとを開く。奥で、二つに割れた舌が蠢く。
 残っていた首を燃やし尽くすことに集中していた緋皇が、最も無防備で、そして八岐大蛇にとって、最も目障りだった。
 吐き出される瘴気。
「緋皇!!」
 翡蓮だけが動けた。
 緋皇を突き飛ばす。
 翡蓮が、瘴気をまともに浴びた。
 翡蓮の身代わりになって。
「うあああああああっ!」
 翡蓮の全身が、どす黒い瘴気に包まれた。漆黒の炎に閉じ込められたように。
「三級神術発動、清焔浄化!」
 緋皇が、神術を放つ。翡蓮に向かって。邪悪だけを焼きつくす、浄化の炎。
 一瞬で瘴気が焼き払われて、跡形もなく消え失せる。
 けれど、翡蓮の目は開かない。
 儚く崩れ落ちた翡蓮を、緋皇が受け止めた。
「翡蓮、おい、翡蓮!!翡蓮!!翡蓮!!翡蓮!!」
 狂ったように、翡蓮を呼び続ける緋皇。
 その間にも、大蛇の二つの首が、鎌首をもたげている。
 とっさに動けたのは、玻璃だった。
「四級神術発動、天泣吹雪!!」
 縦横無尽に暴れ回る、極寒の烈風と氷雪だが
(ボクの力じゃ、足止めしかできない…。)
 玻璃が叫ぶ。
「しっかりして、緋皇!!」

 全てが、遠かった。
「翡蓮…?おい、冗談やめろ…。」
 緋皇の目に映るのは、ぐったりと目を閉じ、自分の腕の中で身動き一つしない翡蓮の姿。金の長いまつ毛ですら、ぴくりとも動かない。
 音をたてて血の気が引く感覚。
 そして逆流し、全身の血が沸騰する。
「翡蓮、ふざけんな!!そばにいろって言ったのおまえだろ!!」
 意識が飛んだ。
「一級神術展開、紅龍逆鱗!!」
 八岐大蛇が消し飛んだ。

 高熱に、八岐大蛇の二つの頭も、尾も、胴体も、全てが蒸発したかに見えた。
 しかし。
 首が一つ、ごろんと転がり。
 ボコッ。
 ボコボコッ。
 再生を始める。
「瑠璃、水を!」
 玻璃の指示が飛ぶ。
「四級神術発動、清水流祓!」
 噴き出した大量の水を使って。
「三級神術発動、封印氷棺!」
 玻璃が、巨大な氷の棺に、周囲の全てを閉じ込めた。八岐大蛇の破片の全てを覆う、凍てついた奥津城。
 玻璃が崩れ落ちるように膝をつく。緋皇や翡蓮はやすやすと扱う三級神術だが、玻璃には負担が大きい。肩で大きく息をした。
「玻璃!」
 瑠璃が慌てて駆け寄った。
「すごい、玻璃。これで八岐大蛇は。」
「こんなの、時間稼ぎだ。もって半日。」
 玻璃が蒼ざめた顔で首を振る。
「とにかく今は撤退。翡蓮を。」
 玻璃と瑠璃がふり返る。
 気を失った翡蓮を抱きしめたまま、凍りついた瞳で座り込んでいる緋皇を。
 緋皇の珊瑚色の唇が震える。
 獣のように吠えた。
「翡蓮!!」
 それは、血を吐くような慟哭。
 緋皇の腕の中、翡蓮の顔は、紙のように白い。白一色の装いが、まるで死装束のようだった。

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