私たちはケダモノだもの

紺乃 藍

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愛獣の章

星空遊戯 ②

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「わぁ、星が綺麗……」

 アルシスと一緒に医務院から出ると、完全に陽が落ちて街灯りも消えた天空を見上げる。星屑を散りばめた満天の夜空は先ほどよりも闇色が深まり、その分、星灯りが大きく煌めいているように感じられた。

「ラグーシェンとエルドミックだと、微妙に星座が違う気がするな」
「空は広いですよね……」

 恐らくアルシスの言う通りだろう。空に国境はないが、すべてが同じという訳ではない。星座は見る場所によって少しずつずれていて、きっと季節や時間によっても見え方が異なる。だからこそ儚くも美しい。生命の営みと同じだ。

「ディアンさん、ずっとサーシャの傍にいてくれてるんですけど……」

 つい先ほど会ってきたサーシャの姿を思い出して、ぽつりと呟く。

「サーシャが邪険にしちゃうので、ディアンさんがかわいそうです」
「ディアンはちょっとしつこいからな」

 ステラの呟きに、アルシスが苦笑する。相棒が邪険に扱われていることを嫌だと思わないのかな? と思ったが、アルシスは可笑しそうに笑うだけだ。自分とは対等な関係で喧嘩も普通にするのに、サーシャにだけは従順なディアンの姿を見ているのが楽しいのかもしれない。

 対するステラは少し不安だった。いつも美しくて気高い相棒のサーシャは、今は少し元気がない。

 ステラには経験がないが、妊娠するということは身体に大きな負担がかかるのだろう。医者が言うには少し経てば落ち着いてくるので、入院するのも一晩か二晩だけで、あとは自宅で普通に生活してもいいとのことだ。

 それに多少の個体差はあるが、基本的に魔獣の妊娠期間は人間の約半分ほどらしい。ぼんやりしているとあっという間に家の中が賑やかになりそうだ。

 サーシャのお腹の中に何人の子がいるのか、性別はどちらなのか、サーシャに似ているのかディアンに似ているのかはまだわからない。けれどピーピーと鳴く魔獣の子どもたちのお世話は、今からステラも楽しみにしている。考えるだけでつい楽しくなってしまう。

「ステラは?」

 ふふふ、と妄想を楽しんでいると、アルシスに名前を呼ばれた。

「恋人が重たいのは嫌じゃない?」

 顔を覗き込まれたので、え?と目を見開く。そう言えば、直前にしていた話は『ディアンがしつこい』だった。

 しかしアルシスの視線から、今話題にしているのが『サーシャとディアンの話』ではなく『ステラとアルシスの話』であることに気付かされる。その瞳にはステラの心の中を覗き込むような、誘うようでいて確認するような色が含まれている。

 じっと見つめられると少しだけ恥ずかしくなったが、ステラは笑顔ではにかんだ。

「むしろ羨ましいです。あんな風に一途に大事に想われたら、きっと幸せだと思うので」

 ディアンはサーシャが大好きだ。ステラもサーシャのことが好きだが、ディアンの感情とはちょっとだけ違う。その違いは以前同調魔法を使った時に気が付いたが、きっとあの繋がりがなくても分かってしまったかもしれない。

 そのぐらいわかりやすい。羨ましくなるぐらい、恥ずかしくなるぐらい、ディアンはサーシャのことを好いている。サーシャの後ろ姿をてけてけと追いかけて、じゃれついては邪険に扱われて、けれど絶対に離れない。まっすぐに、懸命に、ひたすらに想われている。

 その関係が微笑ましいと思う。素敵だなぁと感じている。もちろんそれをアルシスに求めるつもりは――

「そっか。よかった」

 ……なかった。
 ないはずだった。 

「……よかった?」

 納得したように首を縦に振るアルシスの姿を見ると、自分の認識がどこかで間違っていたのではないかと思わされる。

 歩いている最中にステラの肩を抱き寄せ、耳元に夜の内緒話を告げるその声はひどく甘ったるい。その熱で心臓が焼け焦げてしまうのではないかと思うほどに。

「俺は今まで、この街では余所者だったからな。だからステラの恋人だって主張するのも遠慮してた。けど、仕事が安定して生活の地盤が固まったら、もう遠慮する必要はない」

 アルシスはきっと、ステラが見えないところで相当の努力をしている。元々高い魔法の技能を有していて、さらに勘も働く。けれどそれだけじゃない。アルシスはその上に知識を重ね、技術を磨く努力をしている。

 全ては他でもない……ステラに認めてもらうために。ステラが生まれたこの国で、ステラが生活するこの街で、自分もその隣に立てるように。本人にも周りにも、この街でステラと一緒に過ごす人物に相応しいと証明するために。

 ――追い抜きすぎだと思う。
 ステラはすっかり置いてけぼりだ。

 民間という範囲内とはいえ、まさか帝国で二番目の魔法使いの地位に登り詰めるとは思いもしない。余所者だから頑張った、と胸を張っている姿は微笑ましいが、ついてきた結果があまりに大きすぎてステラはびっくり仰天である。

「とりあえず食堂に来る常連客たちを牽制するために『二番目』の称号は遠慮なく利用させてもらおうか」

 ふんす、と鼻から息を漏らして意気込んでいるアルシスだが、その心配をしなければいけないのはステラの方だ。

 元々さわやかな好青年で、性格も優しくて人当たりが良く、依頼を忠実にこなす完璧な人物なのだ。その上で社会的地位を得られたら、周りの女性たちは今までよりも一層アルシスに興味を示すだろう。不安を感じなければいけないのは、間違いなくステラの方である。

 しかしアルシスの目は至って本気だ。全く必要のない牽制に必死である。

「あるしすさん、こわい」
「怖くないって」

 すすす、と距離を取ろうとしたら、にっこりと微笑まれた。肩を抱く手にもう一度力を入れられ、離れる前に元の場所に戻される。

 そのついでに、耳元に別の内緒話を吹き込まれた。

「それと、もう処理魔法は使わない」
「え」

 処理魔法――というのは、この世界では男性のみが使える特殊系統の魔法だ。

 人にも魔法生物にも、男性の精の中には子種となる成分が含まれている。これを意図的に消すことができるのが処理魔法で、難易度もそれほど高いものではないらしい。恋人同士の間では、お互いに申告がなくてもこの処理魔法を使うのがマナーとされている。

 ちなみに魔力が高い女性の中にはこの処理魔法を打ち消す別の魔法を扱える者もいるらしい。もちろんステラにはそんな高度な魔法は使えないけれど。

 処理魔法を使わないという申告。その意味に気付いたステラは、その場に足を止めてアルシスの顔を凝視した。おそらく驚きすぎて目が真ん丸になっているだろう。

「さっきは勘違いしたけど、俺だってステラとの子どもが欲しい。ディアンが羨ましい」

 普段はさわやかな印象しかないアルシスが、突然駄々っ子のような事を言う。しかも他人に聞かれたらびっくりされるような内容の。

 じわじわと顔が熱くなる。夜の風が頬に触れても、まったく冷たさを感じない。

「近いうちにステラの伯父さんと伯母さんに会いに行こう。ちゃんと挨拶して許可を貰わなきゃ、ステラに求婚出来ないからな」

 これはもう、決定事項だ。先に相手に求婚してから親やその代わりとなる人に挨拶に行く恋人たちもいるらしいが、親の許可を得てから求婚する人も多い。比率としては半々ぐらいだろうが、アルシスは後者のようだ。

「あるしすさん、こわい」
「怖くないって」

 実際には怖いとは思っていない。けれど普段はあまりストレートに愛情表現をしないアルシスが、急にゼロ距離まで詰め寄ってきたので、ステラはただ驚きに目を剥くしかない。

 火照った顔を隠すように俯くと、アルシスの指先に頬を包み込まれた。近付いてきた唇が、耳元で小さな疑問を呟いた。

「ステラは知らないのか?」

 吐息と共にそっと問われる。じ、と見つめ合うと、アルシスがふわりと破顔した。

「ケダモノの愛情は、重たいんだ」

 その爪に捕まれたら、その体躯に押さえつけられたら、その瞳に囚われたら、あとはもう食い尽くされるのを待つしかない。黙って受け入れるしかない。

 弱肉強食、とは少し違う。より愛情の深い方へ、ただ飲み込まれるのみ。それが獣の世界のルール。

 しかしそれは、お互い様だ。すでに敗北しているような気配もするが、もしかしたら逆も――ステラの愛情の方が強い可能性もある。その点については、実はアルシスに負けている気がしないと思っている。

「じゃあ私の重たい愛も、受け入れてくれますか?」

 ステラの問いかけに、アルシスが『もちろん』と短い返事をくれる。だから安心して、そっと目を閉じる。

 星空の下の夜道で密かに口付けが交わされる。誰も知らない宵闇の中のキスは、今夜もまた甘い戯れを呼び起こすだろう。


 ――Fin*

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