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恋獣の章
夜道散歩 ①
しおりを挟む「お嬢ちゃん、こっちも注文頼むよ!」
「はーい! ただいま参りますねー!」
「ステラ、これ五番テーブルに運んで!」
「わかりました~!」
想像していた通り、皇帝と皇妃の六回目の婚姻を祝う『聖天祭』は朝から大忙しだった。いつもの常連客に加えて、周辺の街や遠方の国から足を運んでくる観光客が増えるためだろう。食堂の忙しさはお昼を過ぎても、お茶の時間を過ぎても、夕方になっても続き、自分の昼食すら厨房の隅で手早く済ませなければ手も回らないほど大繁盛だった。
若い娘たちや子どもたちが広場に飾られた聖花を持ち帰り、代わりに大量のランタンに灯りが点される頃になって、ようやく客足が落ち着いてきた。このまま夕食の時間さえ乗り切れば、酒を求める大人たちは酒場へ流れていく。そうすれば食堂の忙しさも少しは落ち着くだろう。
あと少し! と自分を鼓舞しながら、けれど決して表情には出さずに、カウンターの席へ出来立ての食事を運ぶ。後ろ姿を見るだけで明らかに常連客ではないとわかる若い男性に近付くと、火傷をしないように大きめの声で注意を促した。
「お待たせしました! こちらソーセージと野菜のドリア………で、す……」
しかしちゃんと元気よく振舞っていたつもりの声が、意図せず語尾に向かって小さくなってしまう。
無理もない。
常連客じゃないのなら当然知り合いではないと思っていたのに、振り向いた青年は確かに見たことがある人だったのだから。
「ふわっ!?」
「あれ? 君、昨夜の……」
「わーっ! わああぁっ!」
不思議そうな青年の声を遮るように、ステラの声が食堂の中に響き渡る。思ったより大きな声が出たことに自分でも驚いたが、驚いたのは他の給仕娘や料理人たちも同じだったらしい。
「なんだ? どうした、ステラ?」
「ううん! 何でもない! 何でもないです!!」
カウンターの向こうからマスターに問いかけられて、慌てて手と首を振る。そのまま本当に何でもないことを装って、カウンターにいた青年と目を合わせないようその場を離れる。
どう考えても『何でもない』とは言い難い反応をしてしまったが、他にどうにも誤魔化しようがなかったのだから仕方がない。
ステラは確かに、彼と面識があった。
昨日の夜。
暗い宵闇に月明かりしかない場所での遭遇だったが、さわやかに整った顔立ちを見間違うはずはない。否、視覚からの情報よりも明確に、振り返った時に感じた彼の香りが昨晩会った人物と一致していた。
チーズがとろける香ばしい焼き立てのドリアの匂いにも負けない、さわやかなハーブと落ち着いたアンバーを調和したような香り。
その香りに誘われるようにサーシャと彼の相棒との交わりを思い出してしまい、思わず声が出てしまった。だからステラはその光景を思考の外に追い出して『何でもない』と言うしかない。
ステラが離れた後も、男性の視線が自分の姿を追っていることは気配で感じ取っていた。だが意地でもそちらに顔は向けずに、黙々と食器を片付けたりテーブルを拭いたりと仕事にいそしむフリをした。
やっとの思いで今日の仕事を終えると、厨房の後始末をするマスターや料理人に先駆け、食堂の裏から大通りへ出る。
「あ、仕事終わった?」
「ひえっ!?」
店の入り口の真横を通過すると、積んであった酒樽に寄り掛かっていた例の青年が、待っていましたと言わんばかりにステラに声をかけてきた。
「な、ま、待ち伏せ……っ!?」
「ごめん。少し、話がしたくて」
一瞬、一緒に仕事を終えて反対方向へ帰って行った給仕娘の仲間たちに、助けを求めようかと考えた。けれどステラに声を掛けてきた青年の声には不快感もいやらしさも毒々しさも感じられなかったので、ステラは警戒しながらも彼の出方を窺った。
仮に何かをされそうになっても、今日は聖天祭で人が多い。大声を上げればどこからでも知り合いがすっ飛んで来そうなこの環境ならば、いざという時はどうにでもなる気がした。
「昨日は本当に悪かった。ディアンも、普段はあんなに見境ない奴じゃないんだけど」
「い、いえ……。以後気を付けて頂ければ、本当に」
昨夜の事を再度謝罪してきた青年に、ステラはふるふると首を振ることでこれ以上の謝罪を遠慮した。
もちろんステラとしては怒りやら恥ずかしいやらで色々と思う所はあったが、当のサーシャに全く気にする様子がないのである。
それどころか、いつもなら朝は弱いからと中々ベッドから降りないくせに、今朝のサーシャはやけに機嫌が良かった。
起きてすぐに自分の毛繕いを入念に済ませ、麦と果物のミルク浸しをぺろりと平らげ、ステラが仕事に出かけるよりも早く屋根の上に登って日光浴を開始するほど。昼寝日和だと言っていたから昼寝もしているだろうけれど、それにしたって今日の彼女は朝から活動的なのだ。
原因が昨夜の出来事だとしたらステラは不満を感じてしまうが、何だかんだでご機嫌な相棒の様子を見れば何も言えなくなってしまう。
「家まで送るよ」
「大丈夫です、すぐ近くなので」
「祭りの時期は変な奴が多いから。さっきも、お尻触られそうになってただろ」
青年にそう言われて、う、と言葉に詰まる。
食堂のマスターは雇っている従業員の年齢や性別を問わず、全員を大切に扱ってくれる。特に給仕娘たちに不埒ないたずらをする輩に対しては、どれほど常連でも思いきり怒鳴りつけてあっさり出入り禁止にしてしまうほど気をかけてくれるのだ。
マスターが怒ると怖いことを知っているこの街の人は給仕娘たちに手を出そうとはしない。だが、祭りのために出入りしているよその街や他国の人にはそれがわからない。
だから確かに、今日だけで三回口説かれて、四回手を握られて、二回お尻を触られた。未遂も含めるともっとあるだろう。彼はその様子をちゃんと見ていたらしい。
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