ソレイユの秘密

紺乃 藍

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純愛リフレイン

隠密事情 ~ 純愛 ※

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※ 毒親(毒母)表現があります。苦手な方・つらいと感じる可能性がある方は、閲覧には十分ご注意下さい。



 あなたになら、閉じ込められてもいいと思った。

 あなたとなら、逃げ出してもいいと思った。

 私に光の色と温度を教えてくれた
 ―――あなたになら。


あおい、スマホ鳴ってる」
「……うん」

 知っている。聞こえているけれど、出ようとは思わない。相手が誰かも知っているから、余計に気が滅入る。

 日が昇って久しい。月明かりが美しかった昨夜、カーテンを半分だけ開けて明るい夜を楽しんだ。そしてそのまま眠りについた。だから今朝の部屋の中は一段と朝日がまぶしい。そんな室内の明るさを感じながら、手を動かしてスマートフォンの画面を確認する。

 相手は案の定、葵の母。

 彼女は今月もまた、葵に自分のところに戻って来いと懇願するのだろう。いっそ着信拒否にしてしまおうと何度も何度も考えたが、千里せんりがそれだけはするなと葵をたしなめる。

 葵の母は月に1度こうして連絡をしてくるが、電話は必ず1度しかかけてこない。出ようが出まいが、それだけで終わる。けれどもし本当に大事な用事があるとしたら、1度だけではなく2度も3度もかけてくるはずだ。

 着信拒否にしてしまったらそれすら気付けなくなってしまうから、葵が本当に母と全てを断ち切りたいと思っているわけじゃないのなら、それだけはしない方がいいと千里に引き留められている。

 おかげで月に1度、不快な目覚めを味わう事だけはどうしても避けられない。

「千里……今日は休みだよね」
「あぁ、昨日『明け』だったから」

 不快感を振り払うように首を動かして、千里の腕の中に戻る。

 裸のまま抱き合って眠った恋人同士が、目覚めてすぐに触れるのはお互いの肌の上。

「や、っ、ぁあ…」
「葵…」
「んん、んー…ッ!」

 不安な心を闇の中から救い出すように、千里の指が全身に熱を灯す。消防士さんなのに身体の中の奥まで焼こうとするなんて矛盾しているよ? なんて思わない。むしろもっと、嫌なことも忘れるぐらいに、強烈に奪って、熱く穿って、全身を焦がして欲しい。なんて、少しはしたないかな。

 雨のように降るキスを受け止める。
 唇で、肌の上で、指先で。

 そうして落ちてきたキスの余韻を残した瞼をひらくと、ひどく真面目な眼をした千里と視線がぶつかった。

「俺は必ず、葵の母親に、俺たちの事を認めてもらう」
「……うん」

 力強く宣言した千里に、葵もそっと頷く。

 千里には目標がある。千里が自分の進路を選択する岐路に立たされた高校生の時、担任には『人の役に立ちたい』と述べていたし、今もその考え方自体は変わっていない。

 けれどそれだけでは足りない。目標とは平たく言えば出世だが、一定以上の階級に上り詰めなければ葵の母を認めさせる要素になりえない。そう気付いてからは、人が変わったように日々の勤務にも昇任試験の勉学にも励んでいる。

「でもまだ足りない。今の俺じゃ、まだ認めてもらえない」
「いきなり無理するのはよくないよ」
「それは、葵もだろ」

 葵にも目標がある。それは幼い頃から『お前は私がいなければ何もできない』と呪いのような暗示をかけ続けた母親を見返してやること。

 『何もできない』と刷り込まれた呪いを否定し、自分の力だけで800万円を貯めて、それを自分の母親に突き出してやること。高校を卒業するまでに自分にかけた教育費だと言われた金額をそっくりそのまま突き返す事で、母親からの呪いを否定する。それでもダメなら完全に離縁するまでだ。

 母親は葵を身体的に虐待していたわけではない。食事も清潔感も満足に得られ、洋服も勉学に必要なものもちゃんと買い与えられた。けれどその反面で、葵の精神を極端に縛り付けた。葵を自分の身体の一部であるかのようにコントロールし、支配しようとした。

 高校2年の通学途中に交通事故に遭って右足の一部を失ってからは、その束縛はより顕著に激化した。『葵は何もできない』と日に100回同じ台詞を叩きこまれ、自分でもそれが正しいと信じて疑っていなかった。

 22歳の時に隣の住民の火の不始末が原因でアパートが火事になり、駆け付けた消防士である千里に助け出される―――その瞬間までは。

「見つかれば、やっぱり連れ戻されるのかな……」
「葵……」

 しかるべき機関に事情を説明し、法的措置の1歩手前の状況まで来ているのを理解しているから、葵の母も今は慎重になっているだけ。本当は探偵や興信所を使えば、葵の母はそれほど苦労することもなく葵に近付いてこれるだろう。だからこれが、ままごとのような『かくれんぼ』だと、千里も葵も気付いている。

 けれど本気で奪いにくるつもりなら。
 本気で、逃げるだけ。

「俺は葵を手放したくない。このやり方が間違っているのは、わかってるが……」
「ううん」

 千里の言葉に、首を横に振る。

 間違ってない。葵はもう成人しているし、自分で収入も得ている。必要な手続きをして内容閲覧制限をかけてはいるが、住民票だってちゃんとソレイユに転居している。

 きっかけがなくてあの牢獄から出る事が出来なかっただけで、今の葵は自らの意思で母親から逃げ出した。別に千里が犯罪を犯しているわけでもない。あとはいつか向き合わなくてはならない、心理的な戦いに勝つか負けるかの差に過ぎない。

 だから、間違ってなんかいない。

 あなたになら、閉じ込められてもいいと思ったのは私の方。あなたとなら、逃げ出してもいいと思ったのも私の方。

 私に光の色と温度を教えてくれたあなたになら、全てを変えられてもいいと思ったのも私の方。

 その狂おしいほどの感謝と、信頼と、敬意と、執着と、心酔を混ぜ合わせたそれに名前をつけるとしたら。

「ただの、純愛、だよ」

 だから魔女と対峙するその日まで。
 この太陽ソレイユに身を隠して、何度でも愛を重ね合おう。

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