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嘘愛スパイラル
隠密事情 ~ 嘘愛
しおりを挟む「なぁ、コレどーすんの?」
「も、申し訳ございま……」
「あんたの安い給料なんかじゃ、とても弁償できると思えないんだけど?」
そう言った瀧 彩斗は、確かにテレビや雑誌の中で見る整った顔立ちと低くてよく通る甘ったるい声をしている。けれどその目と口調は、テレビで見る印象とは全然違う。
明らかに蔑んだような冷ややかな視線。
人を見下すような暴言。
その傍若無人な態度と好きでしている仕事を貶す発言に、ついカチンときた。そして相手がここ数年人気上昇中の若手俳優だという事も忘れて、言い返してしまった。それがそもそもの間違いだとも気付かずに。
「大変申し訳ございませんでした! まさか足元にこんなものが置いてあるなんて! 思いもよらなくて!」
深月が働くカフェ『Blanc』は白を意味するフランス語が由来で、名前の通り天井も壁も床も調度品も、全てが白で統一されている。
だから足元に小さな白い紙袋が置かれている事には気付けず、グラスを下げようと近付いた時に、床色と同化した紙袋を誤って踏みつけてしまった。まさかその中に、1本300万円もする新品の高級腕時計が入っているとは思いもよらずに。
「あんたさ、人の大事なもん壊しておいて『こんなもの』って何?」
「別に大事なものじゃないだろ。どうせ女に貢がせたくせに」
「うるさいよ、青山」
俳優でありモデルでもある彩斗は、その人気に比例するように女遊びが激しいことでも有名だ。壊れた時計にさほど思い入れがないと知って余計に腹が立ったが、それでも彩斗の所有物を深月が壊してしまったことは間違いがない。
「申し訳ありません」
「謝り方がおかしい。普通、もっと丁寧だろ」
「大変申し訳ございませんでした!」
「なんでキレ気味!? 土下座ぐらいしろ」
「いえ、申し訳ないとは思っていますけど! 土下座はないんじゃないんですかっ!?」
「誠意を見せろ、誠意を」
「誠意を込めて謝罪してるじゃないですか!」
「ぶはっ」
途中から言い合いになってしまって自分でも失礼な態度だとは思ったが、彩斗の方が数倍失礼だ。隣で見ていた彼のマネージャーが盛大に噴き出す。
「いやぁ、彩斗が女の子扱いしない女の子、珍しいな。もしかして気に入ったの?」
「はああぁ!? なんで俺がこんな地味な女を!」
「あの、どういう意味でしょうか!」
そういう事は普通、思っていても口に出さないものだ。地味なのは自分でも認識している。だから本当の事を言われたようでつい苛立ってしまう。
けれど意外だった。実は彩斗は1年前からこのカフェの常連で、深月も今までに何度も接客していた。女遊びが激しいのは知っていたが、性格は穏やかで優しく、ここまで高慢な人だとは思っていなかったのに。
「ねぇ、君。僕と取引しない?」
そんな事を考えていたら、彩斗の所属する芸能事務所のマネージャー・青山が深月に驚きの提案を持ちかけてきた。
「入手経路はどうあれ、この時計実際300万円するんだよ」
「えっ、嘘……」
「ホント。でも君、弁償できないでしょ? だからその費用とりあえず僕が立て替えるから」
「え。いやでも、そんな高額……」
立て替えられたところで払えるわけがない。いや、頑張ったら払えないこともないが、今の給料から生活費を引いた額で返済していくとして、一体どのぐらい時間かかるのか……。
「うん、だから取引」
困惑する深月に、青山が笑顔を作る。
「君に、彩斗の『恋人』になって欲しいんだ」
「!?」
「はあぁ!?」
突然ぶっ飛んだ『取引』の内容を提示してきた青山に、深月以上に彩斗の方が驚く。だが豪快に立ち上がった彩斗を横目にしても、青山の笑顔は一切崩れない。
「君も知っての通り、このバカほんとに節操なくてさ」
瀧 彩斗が女優・モデル・アイドルと余すことなく手を出しているというのは割と信憑性の高い噂だ。最近は政界や経済界の令嬢にまで手を出していると週刊誌は面白おかしく書いているけれど、彼のマネージャーが認めるというのなら、それはあながち嘘でもないような。
「ほとんどデマだぞ? 実際そこまで手は出してない」
「お前、いま意見言える立場にないからな」
「いや、ほんとだって。先月社長に呼び出されたのだって、あれ未遂で……」
「ちょっと黙ってろ」
青山が少し苛立ったように彩斗を制止する。そして何か言いたそうにしている彩斗を放置して、青山は再び深月に微笑んだ。
「とまぁ、見た通りのバカでね。ただ実力はあるし、今潰されるのは事務所としては結構痛手なんだ」
青山の笑顔の奥に、彼の真意を掴み取る。確かに彩斗ほど人気のある人を、事務所は失いたくないだろう。
けれど自由奔放な彼のプライベートを完全に掌握して律するのも難しいようで。事前対策が出来ないなら、事後処理を徹底しようという魂胆は、業界に詳しくない深月にも透けて見えた。
「私に『捨て駒』になれって事ですか」
「外聞は悪いけど、ま、そう言う事だね」
悪びれもなく肯定した青山に、深月も息を飲む。
青山は、篠田 深月を人身御供として300万円で買い取ると提案する。彼が不祥事を起こしたら、その相手の情報は深月の情報に挿げ替えられる。一般人の深月相手であれば、彩斗の事務所が追う責任は最小限に抑えられる。
けれどその提案は深月にとってはあまりにもハイリスクだ。いくら300万円の大金と引き換えにしても、自分の個人情報をマスコミに晒す可能性がある『取引』なんて。
「もちろん事務所的にもそんな不祥事は起こらないのが1番だ。だから君は、自分の身を守るために、こいつが余計な事をしないように監視してくれればいい」
「え……監視……、って何すれば」
「そうだね、……一緒に住んでもらうってのはどうかな」
「はああぁ!? 何でだよ!?」
彩斗が明らかに迷惑そうな大声を出す。人が少ない時間帯だからいいが、その声はよく通るし響くので結構迷惑だ。だがそんな彩斗に対して、青山は至って冷静かつ冷酷だった。
「だから、お前に拒否権ないの。来週出るはずだった記事、あれ消すのにその時計何本分の金使ったと思ってんの?」
「……」
何本分、って。最小公倍数が300万円ってどういう規模の話なんだろ。
いやいや、それよりも。
「あの、いくらなんでもそれはちょっと……」
「あ。別に2人で住めとは言わないよ?」
……それはそうだろう。
そもそも彩斗のスキャンダルが原因と理由なのに、そこで女性と2人きりで住ませるという発想には、普通はならない。彩斗が深月を女として見ていないから丁度良い、とでも言い出すのだろうか。そんな馬鹿な。
けれど青山の言葉を聞けば、成程と納得する反面、下手に2人きりで同棲するよりも面倒な状況なのではないかと思ってしまう。
「僕の知り合いにカップル限定で入居できるシェアハウスを営んでる人がいるんだ」
*****
「今日からこの牢獄生活かー。ほんっとツイてねぇ……」
それはこっちの台詞です。
青山との取引を要約すると『彩斗に女遊びを止めるよう注意と監視を徹底する』『何か問題が起きたら報告する』この2つを3年間継続すると300万円の借金は帳消しになる。
ただし3年の間に彩斗が不祥事を起こせば、『その時点で取引終了、残りの借金を青山に返済』『不祥事が報道される場合は一般人という形で極力伏せはするが、相手の個人情報の代わりに深月の個人情報が使われる可能性がある』というトンデモ契約だ。ちゃんと契約書まで書かされたぐらいにして。
って、これ罠でしょ。絶対。
はぁ、と溜息が出たところで、ヒヤリとした冷たい指先が耳に触れてきた。びっくりして振り返ると、至近距離に彩斗の顔がある。
「な、何……!?」
「いや、だってここにいる人たちに、カップルだと思われなきゃいけないんだろ?」
業界には、彩斗に『捨て駒』がいる事がバレてはいけない。
世間には、2人が付き合っている事がバレてはいけない。
ここの住人には、2人が付き合っていない事がバレてはいけない。
「部屋の中でその演技は必要ないでしょ」
「……つまんねー女」
そして彩斗には、深月の下心がバレてはいけない。
常連としてBlancに足を運び始めた1年前から、深月が彼に惹かれて憧れていた事は。こんな事でもなければ芸能人である彩斗に近付けないと思ってしまった気持ちは、気付かれてはいけない。
だから上手に嘘をついていく。
誰にも知られず、青山との取引が終了するその日まで。
この太陽に身を隠して、秘密の嘘に嘘を重ね続けよう。
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