約束 〜幼馴染みの甘い執愛〜

紺乃 藍

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後日談・番外編

後日談 ヒョウとライオンの答え合わせ

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*本編 最終章23話と24話の間のお話

*男同士の後日談、雪哉視点
 愛梨(ヒロイン)は名前のみ





 成程。友理香ゆりかから『月末の食堂は遅い時間ほど混む』と聞いていたが、本当だった。既に13時を回っている今なら空いているだろうと高を括っていたのに、むしろいつもより人が多いぐらいだ。

 混雑する食堂の中で、何処かに座る場所はないかと視線を動かす。あいにく雪哉ゆきやはこの会社の正社員ではないため、知り合いらしい知り合いもいないし、相席できるような人もいない。

 困り果てているところで、とある人物と目が合った。

 いずみ弘翔ひろと

 彼は2人掛けテーブルに座り、遠目から見てもわかるほどの山盛りのA定食を食べるため、右手に箸を持ったままこちらをじっと見つめていた。

「……」

 時間にして1~2秒、視線を合わせる。遠くから雪哉を見つめる彼はいま何を考えているのか。そんな思惑を始めた瞬間、弘翔が突然左手をあげて手招きしてきた。

 ――ここに来い、という意味だ。

 一瞬、迷う。彼は雪哉の恋人である愛梨あいりの『元彼氏』だ。愛梨とちゃんと付き合うようになってから弘翔と面と向かって接した事はない。変に近付けば何か嫌味を言われるか、最悪殴られるかもしれない、と思う。

 だがよく考えればここは会社の社員食堂だ。雪哉は派遣されている立場だが、彼にしてみればここが自分の職場なわけで、それならいきなり殴られることはないかと思い至る。

 無視するという選択肢もあったが、どうせ他に座る場所もない。それなら腹を括って嫌味の1つでも聞くべきかと思う。どうせ自分は『勝った』側だから、何を言われても聞き流せる自信がある。

「お疲れさまです。いいんですか、ここ」
「どーぞ?」

 近付いて声を掛けると、弘翔が目線で向かいの席をすすめてきた。トレーをテーブルに置いて席に着くと、弘翔が苦笑しながら話しかけてきた。

「混んでるでしょう。月末はどの部署も忙しいので、正午ぐらいの方が逆に空いてますよ」
「……はぁ」

 だから来月末はその時間を選んだ方がいい、と教えられる。そして座った瞬間に何か嫌味や暴言を言われるかと思ったが、そんなこともない。

 その後は何も言わずに、生姜焼きと一口がやけに大容量の白米を交互に口に運び、もくもくと咀嚼する。豪快で男らしい食べ方だ。小食の雪哉には真似出来そうにない。

「……お人好しって言われませんか」
「うん?」
「俺、愛梨の今の恋人なんですけど」
「あー、まぁ、そうですね」

 愛梨はこういう男らしい人が好きなのだろうか、と思うと、つい自分から禁断の話題に触れてしまう。今の愛梨の恋人は自分で、愛梨に選ばれたのも自分だと分かっているのに、この余裕を前にするとどうにも焦ってしまう。

「あ、名前出さない方がいいですよ。ウチの社員、みんな噂好きなんで?」

 にかっと笑うその笑顔まで眩しい。
 思えば彼には最初から余裕がある。普段関わりのない専務に横柄な態度を取られても、自分の恋人とプライベートで会いたいと他の男に許可を求められても、彼はずっと余裕だった。最初から1ミリも余裕のない雪哉とは違って。 

「敬語じゃなくていいですよ。同い年でしょう、確か」
「あぁ、それもそうだな。じゃあ遠慮なく、雪哉」
「……」

 下の名前で呼んでもいいとまでは言っていない。いや、いいけど。駄目だとは言わないけれど。

 弘翔は人見知りをしない、人懐こい性格らしい。どこまでも適う要素がないと改めて思い知らされる。

 愛梨に対する気持ちの強さは誰にも負けない。それだけは自信を持っているが、それ以外はすべて弘翔には勝てないと思う。

 今、彼が本気で愛梨を口説いたりしたら、愛梨は揺らがないのだろうかと思ってしまう。もちろん疑っている訳ではない。彼女が簡単に他の男に靡くような軽い性分だとも思っていない。けれどただ――自信がない。

「そうだ、聞いてみたい事があったんだ」

 席に着くまで弘翔の言葉の全てを受け流せると思っていたのに、食事の一口目を口に入れる前から敗北の味ばかりを感じている。そんな雪哉の耳に、弘翔の疑問符が届いた。雪哉の方から禁断の話題に触れたので、弘翔も遠慮をしないことにしたらしい。

「諦めようと思わなかったのか? 普通、恋人がいたら諦めると思うけど」
「……好きなら諦めない」

 彼の視線と声のトーンから『本当は愛梨の事を諦めて欲しかった』という気配は感じない。単純にただの疑問といった様子だが、仮に敵意剥き出しに同じ事を聞かれても、雪哉は同じ回答をしたと思う。

「結婚して子供がいたら諦める。流石に家庭崩壊はさせたくない」
「え、子供いなかったらどうすんの?」

 雪哉としてはごく当たり前の事を言ったつもりだったが、箸を下ろした弘翔の顔を見ると、少し呆れたような困ったような表情を浮かべている。

「状況にもよるけど、多分諦めない。寝取った恋は寝取られて終わるって知ってるから卑怯な真似はしないけど。毎日連絡して、毎日好きって言う」
「発想が怖ぇよ。それストーカーだろ」

 ひくっと頬が引きつった弘翔に、にこりと笑顔を返してやる。

 そんな人聞きの悪い事はしない。雪哉の愛梨に対する感情は、15年前からずっと変わっていない。ただ好きで、振り向いて欲しくて、幼馴染以上の関係になりたくて、自分の事だけを見て欲しかった。もし愛梨が結婚してしまっていても、その気持ちだけは捨てられなくて、諦められないまま一生後悔し続けたんだろうな、と思うだけで。

「一途」
「いや、違う。絶対違う」

 弘翔が真顔で突っ込んでくる。意外と面白い男だ。だから愛梨ともノリが合うんだろうな、とまた悔しい思いをしてしまう。

「じゃあ俺も、聞いていい?」
「ん?」 
「なんでプラトニックな関係でいられた? 手出したくならなかった?」
「ぶふっ…!? ……あ、あのなぁ。いま昼間だぞ? ここ会社だぞ?」
「固有名詞は出してない」
「そういう問題?」

 これは本当に疑問だった。

 正直、愛梨が弘翔と付き合って3か月だという話は、最初は全く信じられなかった。あんなにも仲良く睦まじい関係になるには、余程の年月をかけて信頼関係を構築してきたのだろうと思っていた。全てを知り尽くして、愛し合っていたからこそ得られた関係だと認識していた。それなら当然、2人の間には深い関係があるとばかり思っていた。

 もちろん実際は自分が初めての相手だという事が嬉しかったのは言うまでもない。だが彼は愛梨に何も感じなかったのだろうか、と疑問に思う。

 自分なら、耐えられない。恋人なのに手を出さずにいる事なんて出来ない。自分の方だけ見て、自分の名前だけ呼んで欲しい。全て愛して、乱して、所有したいと思うのに。

「まぁ正直、結構耐えた。あの子は最初から最後まで俺を友達としか見てなかったから。何度も意識させてやろうって思ったけど」
「……」

 自嘲する弘翔の言葉には、身に覚えがありすぎた。雪哉のアプローチをかわす愛梨を見て、恋人に染められていない、とも、そう教育されているのかも、とも思ったが、答えは前者だった。愛梨はやっぱり恋愛事に対して鈍感なのかもしれない。睦まじくて羨ましいとさえ思っていた愛梨と弘翔の関係も、愛梨としてはただの友達関係の延長だったのかもしれない。

「でも無理強いしようとは思わなかったな。泣かれたくなかったし」

 そんな弘翔の言葉が、わからないわけではない。雪哉も『嫌われたくない』『泣かれたくない』と、中学のときは思っていた。愛梨に距離を置かれたくなくて、幼馴染み以下の存在になるのが怖くて、結局渡米する直前まで自分の気持ちを打ち明けられなかった。

 けれど指を咥えて見ているだけでは、手に入らない現実を知ってしまった。自分の感情を表現しないと、気付いてすらもらえないと知ってしまった。だから何度でも言うし、抱きしめてキスもするし、それ以上の事もする。逃がすつもりはないと、他の男に目移りなんかさせないと、ちゃんと教え続ける。

 愛梨にそれをしなかった弘翔は――

「よかった、が優しい人で」

 優しい、のだろう。

 弘翔はきっと、雪哉と同じように何度も自分をオトコとして認識させようと葛藤した筈だ。けれど結局、自分の独占欲や執着心よりも愛梨の感情を優先した。それができるほどに弘翔は優しい。相手が弘翔じゃなければ、愛梨はとっくに男の味を知らされていたのかも、と思うと背筋が薄ら寒い。

 けれど結局、愛梨は雪哉だけのものになった。それが全ての事実だ。

「……雪哉、腹黒いって言われるだろ」
「言われない」
「嘘だー、思ってても周りが言わないだけだと思うぞー」

 いや、言われてるけど。

 でも本当に腹黒いわけではない。愛梨のことが好きなだけ。それを表に出さないようにしようと思っても、結局いくらか外に出てしまうから内と外で矛盾しているように見えるだけで。

「弘翔も優しすぎるって言われない?」
「そう? 別に優しくはないぞ?」

 そう言った彼は、自分の人柄には無頓着らしい。最後の白米と味噌汁を流し込んだ弘翔が、箸をおいてじっと雪哉の顔を見つめる。まだほとんど食べていない雪哉のトレーの上を見た弘翔が、何かを思いついたように顔を上げた。

愛梨あの子の作った飯、食った事ある?」
「……いや、ないけど」

 愛梨、ご飯なんて作れるのだろうか。そう言われてみると料理を食べたことは無いし、作っている姿を見たこともない。けれど愛梨と約3か月間恋人同士だった弘翔は、その味も姿も知っているようで。

「好きなもの言ってみたらいいよ。何でも作れるし、結構美味いから」
「……」
「っていう元カレ面する程度には、俺も優しくないよ?」

 どこが優しくないって?
 ……十分に優しい。

 弘翔と話すまで、自分は『勝った』側だと思っていた。だが、話してみてわかった。雪哉は弘翔に『勝った』訳ではない。愛梨の事を思って『勝ちを譲られた』側だ。

 それを悔しいとは思わない。愛梨に選んでもらえたなら過程など些末事だ。ただまた1人、その優しさに焦燥感を覚えるだけで。

「あ、そうだ。再来週から始まるビジネス語学講習会。プロジェクトメンバー以外でも受けれるって聞いたから、俺も希望出して受けることになったから」
「は……?」
「読み書きはある程度なら出来るけど、全く話せないんだ、俺。だからお手柔らかに頼むな、雪哉?」
「……」

 笑いながら立ち上がって、颯爽と去っていく背中を見送り、更なる焦燥感を覚える。

 泉 弘翔は、余裕があって優しい。
 包容力の高い男性だ。

「愛梨は優しい人が好きだからな……。俺も優しくしてるつもりだけど……」

 弘翔には適わないと思う。
 だから今、愛梨を泣かせたり傷付けたりしてそこに弘翔が手を差し伸べたら、今度こそ本気で愛梨を奪われてしまう気がする。もちろん愛梨が簡単に靡くような軽い女の子だとは思っていない。けれど。

(喧嘩だけはしないようにしないと……)

 つい苦笑いが零れる。彼のような男性が自分の恋人と同じ職場にいるというのは、中々気が抜けないから。

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