約束 〜幼馴染みの甘い執愛〜

紺乃 藍

文字の大きさ
上 下
70 / 95
最終章 Side:愛梨

7話

しおりを挟む

「最初に卑怯な事をしたのは、俺の方なんだ」

 ふと弘翔の唇からそんな台詞が零れた。言葉の意味が分からずに首を傾けると、弘翔が困ったように苦笑いする。

「本当は愛梨の心が河上さんあの人のものだって、最初からわかってた。でも愛梨に俺の事を見て欲しくて、振り向いて欲しくて、愛梨が寂しがってる所に付け込んだんだ」

 新卒で同じ部署に配属された当時、弘翔はボーイッシュな外見の愛梨の事を、異性としては一切意識していなかった。

 けれどお酒の席で『12年片思い中なんだ』と微笑んだ愛梨を見て、弘翔は会った事もない雪哉を心底羨んだ。男の子のような外見からは想像出来ないほど可愛らしい笑顔で『ずっと恋してるの』と呟いた愛梨を見て、自分もこんな風に誰かに一途に想われたいと思った。それがいつしか、愛梨から想われたいと願うようになった。

 他に好きな人がいる子を好きになってどうするんだ、と何度も自問自答した。けれど愛梨の想い人は愛梨の傍にいない。何処にいるかもわからない。それなら自分にもチャンスはあるはずだと思った。玲子の花嫁姿を見て羨ましそうな顔をした愛梨を見て、今なら愛梨が手に入ると思った。

 長い片思いをしている人を横から攫うなんて、卑怯だとわかっていた。幼くて拙いとは言え、愛梨とその想い人は結婚の約束までしていた。だから最初から入り込む隙なんてある筈もなかったのに、寂しそうな愛梨を見ていると、自分ならそんな思いなんてさせないのに、と思ってしまった。好きだと言わずにはいられなかった。

 そう語った弘翔の顔に、じっと魅入る。

「でもまさか、付き合って1か月後に会社に来るなんて思わないだろ」
「確かに、思わない……」

 そう言われて、エレベーターの中で会った通訳が愛梨の幼馴染みだと告げた時の『嘘でしょ』を思い出した。愛梨は弘翔以上に『嘘でしょ』と思ったが、その心情を聞けば、弘翔も愛梨と同じぐらいの気持ちだったかもしれない。

「でも正直、河上さんはずっと前に愛梨の事を忘れてて、今はもう好きでも何でもないと思ってた」

 最初にエレベーターの中で会った時に、追いかけてこなかった。愛梨の事を名字で呼んでいた。愛梨だけじゃなく自分にまで連絡先を教えてやましい事はないと示した。それが全て、愛梨の事を何とも思っていない証拠のように思えた。

「愛梨に対してすごくあっさりしてたから、2人で会う事も許した。何なら、河上さんにもう気持ちがないことを突き付けられて、愛梨が完全に諦めるきっかけになるんじゃないかとか、本当に卑怯な事も考えてた」
「弘翔……」
「けど好きじゃないどころか、この前見た河上さんの目は『愛梨は俺のものだ』って言ってた。『早く返せ』『奪ったのはそっちだ』って言われてる気がした」

 想像するに容易い。雪哉は人の良い笑顔を貼り付けて完璧に仕事をこなしているようだが、時折、野性的な視線を向けられる事がある。その瞳は氷河のように冷たいのに灼熱のように熱く、口よりも余程自分の感情を表現しているように見える。隠している内心が、滲み出るように。

「あの人、見た目優しそうなイケメンだけど、ちょっと腹黒いよな?」
「あ、弘翔もそう思うんだ……」

 いつものような冗談交じりの笑顔を向けられて思わず笑いが零れそうになる。けれどそんな優しい時間も束の間、弘翔の口からは愛梨が1番聞きたくなかった言葉が紡がれてしまう。

「愛梨。一回、元の関係に戻ろう」

 その言葉に、呼吸が、時間が、ピタリと止まる。表情がそのまま固まってしまう。

 ドラマなんかでよく聞く台詞。それを自分が言われると、こんなにも悲しいなんて。まるで命綱をしていない状態で空中に放り出されてしまったように、急激な不安に襲われてしまう。怖くて辛くて、また涙が出そうになるほど不安な気持ちを知ってしまう。

 けれど、これが弘翔を不安にさせてしまったことによる裏返しなんだと気付くと、愛梨には拒否することは出来ない。黙って受け入れるしかない。そう思っていたのに、弘翔はやっぱり優しかった。

「愛梨が戻って来てもいいように、俺は待ってるから」

 弘翔は、愛梨を待つと言ってくれる。雪哉との関係をはっきりさせるまでの間、自由にすると言ってくれる。そんな優しい言葉に、つい頷きそうになってしまうけれど。

「ううん。ダメだよ、弘翔……待つのは、辛いんだから」

 けれど待つのは辛い。だから待つ約束なんてしない方がいい。約束は破ってはいけないし、約束を破ると罰を受ける。できない約束なんてしないほうが良いと、よく知っているから。

 だからその言葉に縋りたい気持ちをぐっと堪えて、首を横に振った。

「愛梨が言うと重みあるな」
「……うん」
「でも俺は15年も待たないから。その頃には、愛梨の名字はとっくに『河上』か『泉』になってるよ」
「え……どういう意味?」

 瞠目すると、弘翔にまた笑われてしまった。愛梨が大好きな、優しい笑顔で。

「1回は自由にしてあげるけど、次に掴まえたらもう逃さないって事」

 そう言った弘翔の目の色は、少しだけ雪哉の目と似ていた。形は全然違うけれど、その奥の中で揺れている感情が何となく似ている。子猫というより黒ヒョウのような。いや、弘翔にはライオンの方が似合う気がする。

 その鋭い視線を発見して驚いていた愛梨の身体を、弘翔は1度だけ抱きしめてくれた。もうキスはしなかったけれど、それだけで不思議と不安な気持ちが消え去っていく。

 友理香のいうように、弘翔に心臓が苦しいほどのドキドキはしないのかもしれない。

 けれど安心できる事も、大事な感情のカタチだと思う。それは『恋』ではないのかもしれないけれど。

「ありがとう、弘翔」

 ちゃんと大事にしてくれているとわかっているから『1回は自由にしてあげる』と言った弘翔の言葉に、少しだけ甘えることにする。

 本当は手放したくない温もりが、自分の本音と話し合うことの大切さを教えてくれる。

 だから愛梨は、自分の気持ちとちゃんと向き合ってみようと思う。恋愛経験が不足している自分がどんな答えが導き出せるのかは、まだわからないけれど。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

次期社長と訳アリ偽装恋愛

松本ユミ
恋愛
過去の恋愛から恋をすることに憶病になっていた河野梨音は、会社の次期社長である立花翔真が女性の告白を断っている場面に遭遇。 なりゆきで彼を助けることになり、お礼として食事に誘われた。 その時、お互いの恋愛について話しているうちに、梨音はトラウマになっている過去の出来事を翔真に打ち明けた。 話を聞いた翔真から恋のリハビリとして偽装恋愛を提案してきて、悩んだ末に受け入れた梨音。 偽恋人として一緒に過ごすうちに翔真の優しさに触れ、梨音の心にある想いが芽吹く。 だけど二人の関係は偽装恋愛でーーー。 *他サイト様でも公開中ですが、こちらは加筆修正版です。 性描写も予告なしに入りますので、苦手な人はご注意してください。

偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以
恋愛
あらすじ  俵理人《たわらりひと》34歳、職業は秘書室長兼社長秘書。  女は扱いやすく、身体の相性が良ければいい。  結婚なんて冗談じゃない。  そう思っていたのに。  勘違いストーカー女から逃げるように引っ越したマンションで理人が再会したのは、過去に激しく叱責された女。  年上で子持ちのデキる女なんて面倒くさいばかりなのに、つい関わらずにはいられない。  そして、互いの利害の一致のため、偽装恋人関係となる。  必要な時だけ恋人を演じればいい。  それだけのはずが……。 「偽装でも、恋人だろ?」  彼女の甘い香りに惹き寄せられて、抗えない――。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

そんな目で見ないで。

春密まつり
恋愛
職場の廊下で呼び止められ、無口な後輩の司に告白をされた真子。 勢いのまま承諾するが、口数の少ない彼との距離がなかなか縮まらない。 そのくせ、キスをする時は情熱的だった。 司の知らない一面を知ることによって惹かれ始め、身体を重ねるが、司の熱のこもった視線に真子は混乱し、怖くなった。 それから身体を重ねることを拒否し続けるが――。 ▼2019年2月発行のオリジナルTL小説のWEB再録です。 ▼全8話の短編連載 ▼Rシーンが含まれる話には「*」マークをつけています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...