上 下
62 / 95
6章 Side:雪哉

2話

しおりを挟む

 下階行きのエレベーターが7階で停止すると、ポーンと音がして扉が開く。顔を上げるとそこには愛梨と恋人のいずみ弘翔ひろとが並んで立っていた。今日は定時で仕事を終えたらしく、まだ18時を過ぎたところなのに2人とも上着を着てバッグを持っている。

「お疲れ様です。丁度良かった……上田うえださん、少しお時間頂けませんか?」

 仲良く並んで帰るのか、と思うとそれだけで羨ましさから溜息が出そうになったが、その感情をどうにか押し殺して笑顔を貼り付ける。恋人である弘翔に警戒されないよう名字で呼ぶと、愛梨が少し傷付いたような顔をしたのが分かった。

「あぁ、俺、席外した方がいいですね?」
「申し訳ありません。すぐ終わりますから」

 それに対して弘翔は、さわやかな笑顔で自分のポジションをあっさり明け渡してくる。彼はすっかり雪哉を『いい人』だと思い込み、愛梨と雪哉の関係を再会した『ただの』幼馴染み同士と認識しているようだった。人の良い笑顔は他人を疑う事を知らない性格であることを物語っていて、雪哉としては都合がいい。

「愛梨。俺、待ってる間にショールーム行ってくるから」
「えー。私も欲しかったのに……」
「いいよ。愛梨の分も貰ってきてやる」

 そう言うと7階で降りた雪哉と入れ替わりに、1階へのエレベーターの中に弘翔の姿が吸い込まれていく。

 2人の会話から、先ほど見た社内メールの内容を思い出す。そこには店舗から引き下げた旧パッケージの入浴剤の在庫品を、欲しい社員にショールームで無料配布すると記載があった。どうやら2人はそれを貰って帰るところのようだ。

 通訳のお三方も是非どうぞ、と言われて、浩一郎が『嫁が喜ぶわー』と言っていた。バス用品を1番喜びそうな友理香は、今日は出勤日ではない。

「愛梨。この間は友理香が迷惑かけて本当に悪かった」

 弘翔の姿が完全にその場から居なくなったことを確認すると、愛梨に向き直って謝罪する。今度は名字ではなく名前で呼ぶと、愛梨は少し俯きながら、

「ううん、大丈夫」

 と呟いた。

 雪哉に叱られ、友理香はかなり反省したようだった。だから浩一郎の年の功と、愛梨の望みと、雪哉の考えを総合的に鑑みた結果、結局本社への報告はしないことに決めた。

 それが良い事なのか悪い事なのかは考えるまでもないが、物事の判断はいつだって状況により変化するものだ。

「愛梨が望まない対応はしないから安心して」
「ん。わかった」

 全てを説明しなくても雪哉の考えを察したらしい愛梨が、ほっと息を吐いた。その表情を見て、雪哉もそっと安堵する。

 愛梨はいつも優しい。周囲とすぐに打ち解けて、正義感が強くて、義理堅くて、誰にでも笑顔を向けることが出来る。昔から変わらないその優しさを、早く自分だけに向けて欲しいと願うのはわがままなのだろうか。

「やっぱり、彼氏と仲良いな」
「え…?」
「妬ける。俺の方が、愛梨の事好きなのに」

 1歩近付いて耳元で囁くと、愛梨はその耳も、顔も、首まで赤く染めて下を向いてしまう。その可愛らしい反応に、また少しだけ満足する。


 本当は、少し前から気付いていた。
 愛梨はきっと、いや、間違いなく雪哉の事を好いていた。

 愛梨の深層に眠る感情に決定的に気付いたのは、資料室で転びそうになったところを助けた時だった。抱き起こした愛梨と見つめ合うと、その瞳はガラス細工のように光を反射し、涙で潤んで揺れ動いていた。

 それは紛れもなく『恋する表情』だった。

 困った仔犬のように雪哉を見つめて揺れる瞳が、切なく恋焦がれる15年間の歳月を投影しているように感じた。その表情ははじめてキスをした後に見た、15年前のあの日と同じ。愛梨の瞳は雪哉の『約束の答え』を欲していた。

 その瞳を見て気付いた。きっと自分と同じぐらい、愛梨も切ない年月を過ごしていた。
 15年は――やはり長すぎた。


 けれど愛梨は、まだ自分の本当の感情きもちに気付いていない。恐らく認めたくないのだと思う。

 愛梨の実家で約束を忘れたのかと問いかけた時、最初は上手くはぐらかされてしまった。けれどその後、彼女は「迎えにくるから待っててって言ったのに」と自分から呟いた。その矛盾に、気付かない訳がない。愛梨は本当は雪哉との約束を覚えていた。雪哉が誓った台詞までちゃんと覚えていたのに、その時は忘れたフリをした。

 はぐらかされた理由が、最初は分からなかった。けれど資料室で見つめ合った時に、気が付いた。

 愛梨はきっと『雪哉を裏切った』と思っている。『後ろめたい』と感じている。本当の気持ちに気付くことが雪哉にも弘翔にも不誠実だと思っている。だから感情に蓋をして、わざと気付かないようにしている。

 それならいくら言葉で言っても、愛梨は自分の恋心を認めない。自分からは、行動できない。

 だから雪哉の腕の中で上目遣いのまま動き出せずにいる愛梨に、少しずつ理解させるための魔法を掛けることにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。

昨日、課長に抱かれました

美凪ましろ
恋愛
金曜の夜。一人で寂しく残業をしていると、課長にお食事に誘われた! 会社では強面(でもイケメン)の課長。お寿司屋で会話が弾んでいたはずが。翌朝。気がつけば見知らぬ部屋のベッドのうえで――!? 『課長とのワンナイトラブ』がテーマ(しかしワンナイトでは済まない)。 どっきどきの告白やベッドシーンなどもあります。 性描写を含む話には*マークをつけています。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
2021 宝島社 この文庫がすごい大賞 優秀作品🎊 24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

甘々に

緋燭
恋愛
初めてなので優しく、時に意地悪されながらゆっくり愛されます。 ハードでアブノーマルだと思います、。 子宮貫通等、リアルでは有り得ない部分も含まれているので、閲覧される場合は自己責任でお願いします。 苦手な方はブラウザバックを。 初投稿です。 小説自体初めて書きましたので、見づらい部分があるかと思いますが、温かい目で見てくださると嬉しいです。 また書きたい話があれば書こうと思いますが、とりあえずはこの作品を一旦完結にしようと思います。 ご覧頂きありがとうございます。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...