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5章 Side:愛梨
14話
しおりを挟む愛梨が語る内容には、少し嘘が混ざっている。けれどほとんどは本当の事だ。現状、社内で愛梨と雪哉が幼馴染みであることを知っているのは弘翔と玲子のみ。他の人が知っていても得はしないので、余計なトラブルを回避するために黙っていただけだ。
だから友理香が知らなかったのも無理はない。それに愛梨は、雪哉の事を好きなわけではない。
「友理香ちゃん、前に言ってたでしょ。私が彼氏とラブラブなんだって」
「う、うん」
「ほんと、そうなんだ。私、弘翔の事が好きなの。だから河上さんとどうこうとか、絶対にないから。――絶対に」
「愛梨……!」
それまで黙って聞いていた雪哉に、鋭い声で制止される。顔を上げると、少し焦ったように雪哉の表情が歪んでいた。直接『連絡しないでほしい』『彼氏を不快にさせてしまう』と言った時よりも、今の方がよっぽど傷付いた顔をしている。そしてその焦りを吐露する様に、雪哉は小さく息を洩らす。
「勝手に話を収めないで欲しいんだけど。個人でどうにかなる問題じゃないって言ってるのがわからない?」
友理香が謝罪しやすい環境を作り上げている途中で、雪哉がそれを壊すような台詞を吐いた。折角友理香の意識をこちらに向けることに成功したのに、と苦虫を噛んだような気分になったが、愛梨は無理にでも笑顔を作る。
「大丈夫だよ。だって今ならまだ、ここにいる3人しか知らない」
これが社長や専務のような、全く英語を話せない重役たちが相手だったら大問題だろう。けれど愛梨はただの平社員だ。取引先の外国の男性は少し困ったような顔をしていたが、それで大きなトラブルに発展した訳でもない。
「お願いします。友理香ちゃんがいないと困るの。それは河上さんも同じでしょう」
新規事業の成功のためには、雪哉の力も、友理香の力も必要だ。もちろん派遣社員に何らかのトラブルがあれば、派遣元会社は新たな通訳を送り込んでくるだろう。
けれど友理香はもうこの会社に馴染んでくれている。雪哉が友理香の『出来心』を黙ってくれる事で、全てが円滑に済むのならそれが1番に決まっている。
「はぁ」
じっと見つめると、雪哉は観念したように溜息を吐いた。
「とりあえず、一旦保留にさせてもらう。友理香は仕事に戻って。俺も次の予定があるから、もう行かないと」
雪哉は呆れたように話を打ち切ると、踵を返して静かに通訳室を出て行った。向かった先はわからないが、きっと昼食を取り損ねたはず。それはちょっと可哀そうだな、と思ったが、視線を動かすと隣にいた友理香が今にも倒れそうなほど青ざめて震えていて、空腹よりもこっちの方が余程可哀そうだと思えた。
「河上さん、怒ると怖いね?」
茶化すように笑うと、顔を上げた友理香と目が合った。美人は泣いても美人のままで、瞳いっぱいに涙を溜めて震えているのを見ると、雪哉をもう1回叱ってやりたくなる。
「愛梨。ごめん、なさい……」
「大丈夫だよ。でも私、ホントに日本語しか喋れないから、もう放置しないでね?」
「う、うん。もうしない」
ごめんなさい、ともう一度謝られる。
確かに困りはしたが、愛梨は最初から怒ってなどいなかった。だから再び俯いてしまった友理香の頭を撫で、もう1度『気にしないで』と呟く。
(ユキのばか。こんなに可愛い子を、あんなに追い詰めて怒ったりして)
友理香は純粋で真っ直ぐだ。だから可愛らしい嫉妬心から、愛梨を困らせてやろうとちょっとした悪戯をしたつもりだったに違いない。そしてそれが、思わぬ事態に発展してしまっただけのように感じる。
社会人としてやってはいけない事をしたのは間違いないし、相手を間違えれば大問題だとは思うが、友理香の心情を思えば雪哉が怒るほどの事ではないようにも思う。
(甘いのかな、私)
雪哉と友理香の正確な関係性や、数日前の通訳室でその後どんな会話があったのかはわからない。けれど友理香は自分の心に正直で無垢であるが故に、実年齢より幼稚な悪戯に失敗して、その結果社会の道理から少し外れてしまっただけのように思える。そんな可愛らしい失敗を、目くじらを立てて責める気持ちにはなれない。
それに社会の道理からの逸脱程度なら、雪哉のほうがよほど盛大にコースアウトしている気がする。
と言うのを口に出す事は出来ないけれど。
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