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5章 Side:愛梨
4話
しおりを挟む「な、んで…?」
その視線に強烈な色気と恐怖を感じてしまい、思わず目を逸らす。だが視線からは逃げても口からはちゃんと非難の言葉が出てきた。
「なんでこんな酷いことするの!?」
「……酷い事してるのは、愛梨の方だ」
けれど雪哉には動じる様子もない。
雪哉は濡れた唇を指の背で拭うと、離れた愛梨に近付いて再び身体を引き寄せる。今度は乱暴なキスではない。肩を抱き寄せると、耳元に唇が近付く。そして言い聞かせるように囁かれる。
「いい加減、俺のこと『男』として意識して」
「……は…? な…、なに…」
「愛梨にキスしたいと思ってるって、彼氏に嫉妬してるって、『ちゃんと』理解して」
少し掠れた声で、甘える子供のように呟かれる。耳元で喋られると髪が短いせいで遮るところのない首筋が、ぞくっと痺れたような気がした。
言葉と力を失い、その場に崩れ落ちそうになっていた身体を急に押された。バランスを失った身体は、資料がぎっしりと収められた棚に簡単に縫い付けられてしまう。驚いて目を見開くと、再び距離を詰めてきた雪哉が棚に腕を付いて、愛梨の逃げ道を奪い取った。そのまま至近距離まで顔を近付けられ、指先に荒々しく唇を撫でられる。
「理解できないなら、もう1回する」
「やめて!」
恐怖と驚愕で力が抜けた身体は、背中に支えがあっても徐々にずり落ちて来る。
慌てて足に力を込めるが、背中には棚が、眼前には獲物を追い詰めたような目をした雪哉が立ち塞がり、体勢を立て直すことすら適わない。横から抜けようと思った行動は直前に見破られ、雪哉の左手は逃がすまいと愛梨の右手を捕らえた。
「こ、こんなの、浮気だよ…。なんで…」
「そうだよ」
逃げ道を失い涙目のまま睨むと、雪哉にあっさりと肯定されてしまった。
突然だったとはいえ、弘翔を裏切るような行為を許容してしまい自分で自分が許せない。なのに。
「でも、そのぐらいで丁度いい」
雪哉は、その方がいい、と悪魔のような台詞を何でもない風に口にする。あまりに傍若無人な発言に驚いて雪哉を睨むと、彼はふっと笑みを浮かべた。
「傷付けると思って言わなかったけど、愛梨は俺との約束破ってるんだよ。俺を待ってるって約束したのに、彼氏なんか作ってた」
雪哉の静かな怒りが、淡々とした口調の中に混ぜられている。怒りと悲しみが不明瞭になった複雑な感情をぶつけられれば、愛梨のショックと悲しみは少しだけ薄められ、口を噤むしかなくなってしまう。
それでも、雪哉の非議は終わらない。
「幼稚園の時に約束は破っちゃダメだって先生に教えられただろ。愛梨はちゃんと知ってたはずだ。約束を破ったら、罰を受ける事ぐらい」
確かに、約束を破ってはいけないと教えられた。そして約束を破ると何らかの罰を受ける事も、知っていた。
懐かしい幼少期の『よい子のきまり』を目の前にぶら下げられて、胸の奥で羞恥心と罪悪感が混ざり合い、複雑な模様を作っていく。
「だからちゃんと罰を受けて。俺との約束を破った罰。すぐに別れてくれたら許したのに、まだ俺より彼氏を優先してる罰」
複雑な感情の模様の中に、毒物のような苦しみが混ざって溶け出し始める。地を這うような低い声で愛梨を責める雪哉が、一切間違ったことを言っていないように思えてくる。
けれど。そうだとしても。
約束を破ることが悪いことだとは理解していた。けれど、それでどうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのだろうか。大好きな恋人を裏切ることを強要される、罰を。
「愛梨と彼氏の間に恋人同士の『秘密』があるのと同じ。愛梨と俺の間にも、彼氏に言えない『秘密』が出来た」
そして無理矢理、秘密を共有させられる罰を。
こんな罰を受けなければいけないと知っていたら、一緒に資料室まで来たりなんかしなかった。その前に、交わした約束から逃げなかった。そもそも、あんな約束なんてしなかったかもしれない。
「弘翔に、浮気だって勘違いされたり、責められるようなことはしないって……言ったのに……」
「愛梨が黙ってれば、勘違いも責められもしない。『秘密』っていうのは、そういう事だ」
更に非情で冷徹に言い放った雪哉の言葉を、これ以上聞いていられる気がしなかった。
約束を簡単に破っているのは、雪哉の方だ。『困らせるような事はしない』と言っていたのに、こんなにも苦しい思いをさせて。『嘘はつかない』と言っていたのに、簡単に嘘をついて。
でもその態度も、嘘をつく事も、はじまりが15年前に交わした約束を一方的に反故にした愛梨が悪いと言われてしまったら。返す言葉もない、けれど。
「ユキのばかぁ…! 大っ嫌い!!」
こんなのは、あんまりだ。
雪哉の身体を力任せに押し退けると、依頼された資料もそのままに、資料室を飛び出した。
溢れ出した涙で、前が上手く見えなくて途中で1度誰かにぶつかって謝った気がした。だが後から思い出そうと思っても、それがどこの誰なのかは、まったく思い出せなかった。
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