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3章 Side:愛梨
1話
しおりを挟むいつものように弘翔と終業時間を合わせ、揃って退社する。手には飲食店検索アプリを開いたスマートフォン。夕食は愛梨の好きなもので良いと言われたので『今日は何がいいかなぁ』と呟きながら、気になるお店を検索する。
1階でエレベーターを降りて数歩進んだところで、前を歩いていた弘翔が急に立ち止まった。スマートフォンの画面に気を取られて油断していた愛梨は、そのまま弘翔の背中にぶつかってしまう。
「ちょっと、どうしたの?」
衝突した弘翔の背中から身体を離して文句を言う。エレベーターから降りてきた他の社員たちが出入り口付近で停止した2人を邪魔くさそうな顔をしながら避けていくので、目が合った人には目礼で謝罪する。
「弘翔? 後ろつかえてるってば」
「お疲れ様です」
立ち尽くした背中に更に文句を言うと、弘翔の向こう側から別の男性の声がした。何処かで聞いたことがあるような声だと思い、正面を覗き込むように身体を横に傾けると、弘翔の目の前にいる人物とばちりと目が合った。
「!」
にこりと微笑まれる。成長に伴い、昔とは声の質が変わってしまった幼馴染み。
「待ち伏せするなんて、少し悪趣味なんじゃないですか?」
直立不動になっていた弘翔がようやく発した言葉は、随分トゲのある物言いだった。思わず悲鳴に似た声が出そうになったが、弘翔を咎めていいものなのかは咄嗟に判断できない。
弘翔の言い方から察するに、たまたま鉢合わせた訳ではなく、エレベーターを降りたらそこに雪哉が待っていたと思われる。スマートフォンの画面を見ていた愛梨は気付かなかったが、恐らくホール内にあるベンチにでも座って。
それが事実であれば、悪趣味とまでは言わないが弘翔が不快感を表す気持ちも分かる。確かに相手に好印象を与える行為ではないから。
視線を上げると、2人が纏う空気がヒリついている。見上げた弘翔の顔は小さく歪み、不快感を隠そうともしていない。対する雪哉はにこやかだった。
「所属部署まで赴いてもよかったのですが、お仕事の邪魔をするのは忍びなかったので、ここで待たせてもらいました。ご不愉快に思われたなら、申し訳ありません」
待ち伏せた経緯を添えて詫びられると、弘翔が少しだけ怯んだ気配がした。見えない得点盤が2人の会話の優劣を表示しているような気がして、愛梨は弘翔の背中に隠れたまま1人でおろおろと視線を彷徨わせた。
「改めまして、河上雪哉と申します。ご存じかもしれませんが、上田さんとは幼馴染なんです」
雪哉が笑顔のままで名乗る。
今までの人生で雪哉に名字で呼ばれた経験はなく、肺の中を直接撫でられたような奇妙な呼吸苦を感じたが、今はそんな事を気にしてる状況ではない。弘翔の身体がピクリと反応する。
「先日、上田さんとカフェで偶然お会いした時に立ち話をしたんですが…」
何も言わない弘翔を前に、雪哉が言葉を続ける。『え、その話、弘翔にするの!?』と焦ったが、もう遅い。
個人的に会わないで欲しいと言われ、愛梨もその言葉に同意した手前、雪哉から暴露されてしまうと心臓に冷や水が流れ込むような心地がした。けれど雪哉は説明の中に『偶然』『立ち話』というワードを混ぜてくれていた。弘翔がちゃんとそこを掬い上げてくれればいいけれど。
「懐かしい話がとても楽しくて。もう少しお話したいと思ったのですが、上田さんに『恋人に誤解されたくないから』と断られてしまったんです」
雪哉の言葉に、思わず息を飲む。
雪哉がちゃんと弁明してくれたことは有難かったが、明確に『もう少し話したい』と言われてしまい、思わず動揺してしまう。そう言えばカフェで会ったとき、『1度ゆっくり話したい』と言われていた。
「ですから、恋人である貴方にちゃんと許可を頂いて、改めてお話する機会を頂きたいと思っているんです。もちろん、その席にご一緒して頂いても構いませんので」
やましいことは無い、という証明書を貼り付けて更に踏み込んできた雪哉に、愛梨だけではなく弘翔も動揺したようだった。ビジネスバッグを握る手にグッと力が込められたのを、至近距離で感じ取る。
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