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真夜中のシークレット・フリル
Secret Frill 前編
しおりを挟む「えっ!? 初夜に失敗した……!?」
「お、お姉さまっ! 声が大きいです!」
姉アリーシャが仰天の声と共に立ちあがると、テーブルの上にあるティーカップと焼き菓子を乗せた皿がカチャカチャと高い音を鳴らす。それを遮るようにミーシャが声をあげると、ハッとしたアリーシャはすぐに猫足のガーデンチェアに腰を下ろした。
姉の嫁ぎ先である伯爵邸の中庭は、今日も彩り豊かな花々や草木で溢れている。木漏れ日のティータイムに誘われたミーシャは喜んでアリーシャの誘いに応じたが、その一方で気持ちはどんよりと落ち込んでいた。
「なんで? 何かあったの?」
「わ、わかりません……私がお聞きしたいぐらいです」
アリーシャが前のめりになって訊ねてくるが、この件に関しては姉以上にミーシャの方が困惑している。
「エミリオ様、もしかして他に好いた女性がいらっしゃるのかも……」
「何言ってるのよ、そんな訳ないじゃない。あなたたち新婚でしょう」
姉の指摘に『うぅ』と情けない声が出る。確かにミーシャと夫エミリオはまだ新婚だ。しかも婚礼を執り行ったのはほんの二週間ほど前。一般的にはまだまだ新婚と呼ぶ時期である。
「あのエミリオがミーシャ以外の相手なんて……」
アリーシャの眉間に皺が寄る。
ミーシャの夫エミリオ、姉アリーシャ、そしてアリーシャの夫である義兄セインは皆、同い年の友人同士だ。全員が伯爵家の子息令嬢ということもあり公的な場では社交的に接しているが、私的な場では遠慮もなしに言いたいことを好きなように言う間柄である。
学園時代から仲が良かったアリーシャとセインが結婚し、最近になってミーシャとエミリオが結婚した。ミーシャは以前から姉の友人であるエミリオを好いていたし、エミリオも好意的な態度でミーシャに接してくれていたので、結婚後も良好な夫婦関係を築けると信じていた。
しかしエミリオは婚礼式の夜も、その次の夜も、同じベッドで眠るミーシャに触れてはくれなかった。
最初の夜にベッドに入ったときにちゃんとキスをしてくれたので、嫌われているわけではないとは思う。けれどミーシャのナイトドレスに手をかけたはずのエミリオは途中でその手を引っ込め、『今日は遅いから寝ようか』とミーシャを抱きしめてそのまま眠ってしまったのだ。
その後タイミング悪くミーシャに月の障りがやってきてすっかりとタイミングを逃したせいか、毎晩ベッドを共にしているのに結局キス以上のことはされない。これではいつ寝室を分けようと言われてもおかしくない――ここ数日、同じことでずっと悩んでばかりだ。
ミーシャの落胆を悟ったアリーシャが大きく息を吐く。くだらないことに悩んでいる自分を嘆いているのかと思ったが、立ち上がったアリーシャは、
「わかったわ、ちょっと待ってて」
と言い残すと、ミーシャを残して屋敷の中へ戻ってしまった。
姉の嫁ぎ先という勝手のわからない場所に一人取り残されたミーシャだったが、不安になる暇もなくアリーシャが中庭のテラスへ戻ってきた。そのアリーシャがずいっと差し出してきた白いシルクの包み袋に、ミーシャはつい首を傾げてしまう。
「お姉さま、これは……?」
「エミリオをその気にさせる秘密道具よ。ミーシャにあげるわ。あ、ここで開けちゃダメだからね」
「?」
アリーシャはミーシャに包み袋を押し付けると、そのまま元の席に腰を下ろしてしまう。もらった袋の感触から布製の何かが入っているのだろうと思ったが、アリーシャと目が合っても『健闘を祈るわ』と頷かれるだけ。
それ以上何も言えなくなったミーシャは、姉からの贈り物を素直に受け取ることしかできなかった。
* * *
「……これは」
アリーシャとのお茶会を終えて屋敷に戻ったミーシャは、受け取った包み袋の中を確認して一人混迷を極めていた。
(可愛いです。デザインはとっても素敵……ですけど!)
王都随一の一流ドレスメイカー〝フルールリア〟は下着も種類豊富に取り扱っている。貴族婦人御用達店のランジェリーやナイトドレスは、どれもデザインの美しさや刺繍の繊細さが感じられる。それに緻密に編み込まれたレースや満開の花を思わせるフリルの量、リボンの長さや巻き具合まで高級感がありエレガント――賞賛の言葉以外は出てこないほどの逸品ばかり。しかし。
(でもこのナイトドレス、透けすぎです! それに丈が短くて、ショーツの布も少ないです!)
広げてすぐに布の量が少なすぎると思った。いくらなんでも肌の露出が激しすぎることには気付いていた。
でも、もしかして着用してみれば案外気にならないのかもしれない。少し薄いだけで、それほど透けないのかもしれない。――と、一縷の望みを抱いて着替えてみたがやはりそんなはずはなく。
(見えてます……! 大事なところが隠せてません……!)
胸の中心部分とアンダーラインに位置するリボン以外は、ほぼすべてが透けて見える素材で作られている。胸を支えるリボンを首の後ろで結ぶホルターネックのデザインは可愛いが、これが解ければ胸が丸出しになってしまう。アンダーライン下のリボンからふんわりと広がる裾のフリルの中には同一素材からなるショーツを身に着ける。だがやはりこれも布地が少なく透けている。お尻のリボンなど、もはやただの飾りでしかない。
寝室には鏡がない。ミーシャは自分の姿を確認すべくレースのカーテンを少しだけ横に退けて窓ガラスを覗き込んでみた。しかし透明なガラスに映った自分の姿にぎょっとして、思わずカーテンを思いきり閉じてしまう。
(さ、さすがに破廉恥では……っ?)
ここは三階でバルコニーの囲いも高いので、外に誰かがいても姿は見られていないと思う。だが窓ガラスに映る痴態は『上品に、貞淑に、慎みを持って』と教えられて育った令嬢の姿とは思えない。防御力はないに等しい。安心して眠れる気がしない。
(でも、これでエミリオ様がその気になってくださるなら……!)
しかしアリーシャは安心して眠るためにこの衣装を授けてくれたわけではない。あくまで夫エミリオとの初夜に失敗し、夫婦の関係が結べないまま二週間が経過してしまったミーシャを後押しするために、これを譲ってくれたのだ。ならばミーシャも腹を括るしかないだろうか……
全身が発火して発熱したような心地のまま悶々と悩んでいると、ふいにコンコンコンと高い音が聞こえた。
「ひゃっ……!?」
油断しているところにドアのノック音が響き、思わず過剰に反応してしまう。驚いたミーシャは傍にあったガウンを羽織り、下着同然のこの姿を隠すという選択をした。
「ごめん、ミーシャ。明日の準備に手間取って遅くなった」
「い、いいえ……」
ほどなくして入室してきたエミリオが、謝罪の言葉を口にしながらベッドへ近づいてくる。
城勤めで毎日忙しいエミリオは、朝早くに出かけても帰宅するのはいつも夜遅い時間だ。だから翌日の準備を前日のうちに済ませてから就寝するのが、彼の日課になっている。
そんな忙しい夫を労うのも妻の役目だ。エミリオを毎朝玄関先で送り出し、帰宅したときは必ず出迎え、朝も夜も食事は共に摂り、彼の前では笑顔を絶やさない。もちろん無理をしているわけではなく、昔から憧れていたエミリオと結婚できて毎日楽しく過ごしているので、自然とそれが生活習慣になっているのだ。
「さ、寝ようか」
けれどこのままでは友人の妹、という今までの関係と何も変わらない。一緒に住んでいるだけで満足しているようでは、いつかエミリオはミーシャに興味を示さなくなる。昔なじみの延長線上に甘んじていてはいけないのだ。
「……ミーシャ?」
部屋の照明を落としたエミリオがミーシャの沈黙に気付いて首を傾げる。その声を聞くと、カーテンの傍でガウンを羽織ったまま動けなくなっていたミーシャの足が自然と動いた。
勇気を出してエミリオの近くまで歩み寄ると、ベッドに座った彼の前に立って羽織っていたガウンの前を開く。すると身体のラインに沿って滑ったガウンが、乾いた音を立てて床の上に落ちた。
「エミリオさま……」
「え……えっ?」
いつもと違う装いに――月明かりに透けるナイトドレスに身を包んだミーシャに、エミリオが困惑の声を上げる。
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