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王女様の婚約者
Main Story, Side Loretta. 前編
しおりを挟む突然ですが、私ロレッタは今とても困った状況にいます。それはもう身体は動かせないし、声は発せないし、心臓の音はバクバクうるさいし、どうやってこの状況を切り抜けていいのかわかりません。
でも同時に嬉しい状況でもあります。なぜならこの狭い空間に一緒に隠れた相手が、密かにこっそりお慕いしていた相手――この国の宰相閣下の御子息であるコンラッド様だからです。
どうしてこのように狭く暗い場所に、そんな高貴な方とただのメイドでしかない私が二人一緒に隠れる羽目になったのかというと、原因は私が仕えるご主人様でこの国の第一王女であるアナベル様にあります。
私がこの第三書庫へ本を探しに来たとき、書庫内にはすでにコンラッド様がいらっしゃいました。アナベル様に所望された本が中央書庫に見当たらなかったのでここに来たという経緯を説明すると、同じく資料を探しに来たというコンラッド様が本探しを手伝うと言って下さいました。
私たちは他愛のない雑談を交わしながらお互いの目的の本を一緒に探していたのですが、そこに主人であるアナベル様が恋仲にある王国騎士団の若い騎士バルトロメオ様と共にやってきて、突然いちゃつき始めてしまったのです。
――隠れました。
しがないメイドの私にただならぬ雰囲気の二人を邪魔することなど出来るわけがなく、咄嗟に隠れてしまいました。それがいけなかったのかもしれません。
最初は本棚の後ろに身を寄せる程度でしたが、手を繋いだ二人がさらに書庫の奥まで進んできたので、私とコンラッド様は部屋の奥にある重要書類を保管する資料棚の中に身を隠したのです。そこは思ったよりも狭い場所でしたが、どうにか二人ぐらいならば入れるだけの空間がありました。
しかし扉を閉めると狭いし暗いし、古い本のカビっぽい匂いはするし、とても落ち着ける環境ではありません。どうして最初に身を隠してしまったのだろう、と思うものの、一度隠れてしまったからにはもう出るに出られません。
「……バルテル、積極的だな」
「……」
バルテル、というのはアナベル様が想いを寄せる相手、バルトロメオ様の愛称です。本棚の隙間から漏れ聞こえるふたりの会話を聞いて悔しげに呟くコンラッド様の言葉に、私はなんと返事をしていいのかわかりません。
コンラッド様はとても悔しいことでしょう。なぜなら彼は宰相閣下の御子息であると同時に、私が仕えるこの国の第一王女・アナベル様の婚約者でもあるのです。
国の頂点に君臨するのは代々『女性の王』――すなわちアナベル様は次期女王陛下になられるお方で、コンラッド様は未来の王配となる方です。しかもコンラッド様は単に政略的な婚姻ではなく、本当の意味でアナベル様を好いていらっしゃいます。何度も求愛しては曖昧にあしらわれ、それでもずっと一途な愛情を貫いていらっしゃるほどにアナベル様に恋焦がれているのです。
もちろん他の女性との浮いた噂を耳にすることは一切ありません。だからコンラッド様は、自分がアナベル様を追い求めれば求めるほどにアナベル様の心が離れ、さらに婚約者という明確な約束を持たないバルトロメオ様の嫉妬心に火をつけていることに気付いていないのかもしれません。
コンラッド様は日々アナベル様の元へやってきては花やお菓子や流行の宝飾品を贈り続けていますが、アナベル様はいつも作りものの笑顔で適当に受け流してしまいます。
最初はそんなコンラッド様を不憫な気持ちで見ていました。けれどいつもは明朗快活なコンラッド様の悲しげな表情を観察しているうちに、彼はどうしてその感情を他の方に向けないのだろう、と思うようになりました。
確かにコンラッド様は宰相家の御令息ですが、二人はまだご結婚はされていません。正式なご夫婦にはなっていないのですから、今ならまだ引き返せるはずなのに、コンラッド様は頑なにアナベル様から離れようとしないのです。
アナベル様も成人され、コンラッド様も宰相閣下の力を頼らず自分の手腕で地位と財力と政治力を身に着けつつあります。王城に仕えるアナベル様のお気持ちを知らない人々の間では『ふたりの結婚はもうすぐだ』と囁かれていています。確かにこれが正式な婚約として発表されれば、あっという間に結婚まで話が進んでしまいます。
母君である女王陛下の決定を覆すことは、王女であるアナベル様でも難しいでしょう。そうなると王国騎士団の第二師団副長でしかないバルトロメオ様との恋は永遠に叶わなくなってしまいます。
バルトロメオ様がもうすぐ派遣される予定の戦で武勲を立てて位が上がれば、まだ可能性はあるのかもしれません。現騎士団長はそろそろ引退を考えているとの噂も耳にします。もしバルトロメオ様が武勲を立てられれば、一気に騎士団長まではいかずとも、第一師団長ぐらいにはなれる実力がある人です。
彼がコンラッド様の政治力に匹敵するほどの軍事力を持ち、さらにアナベル様が自らバルトロメオ様を望めば二人の結婚が覆らないとは言い切れません。そうすれば、アナベル様の恋は叶うかもしれないのです。
明るく心優しいアナベル様には、好いた男性と結ばれてほしい気持ちはあります。私がコンラッド様に憧れる気持ちも否定はしません。けれどアナベル様とコンラッド様の結婚は内定しているのです。
「予想はしてたけど、やっぱりアナベル様はバルテルが好きなんだな……」
私の身体を抱くような体勢で密着したコンラッド様がぽつりと呟きます。薄々感づいてはいたようですが、これで彼も確信したでしょう。人の少ない書庫で秘密の逢瀬をする様子をみて二人が恋仲にあることに気付けないほど、コンラッド様は鈍感な方ではありません。
「コンラッド様……」
「ロレッタはアナベル様の専属メイドだもんな。ってことは、君も二人の関係は知ってたのか?」
「……」
悲しげに呟くコンラッド様に、私はなんと声をかければいいのでしょうか。
問いかけを肯定する言葉や彼を慰める言葉をかければ、アナベル様が本当は別の男性との結婚を望んでいることを認めることになります。けれどコンラッド様は、アナベル様のことが好きなのです。
「あぁ……出て行ったみたいだな」
考え事をしているうちに、アナベル様とバルトロメオ様の逢瀬が終わったようです。と言っても二人は気持ちを確かめ合うように抱擁して、手を繋ぎながらお互いの近況報告をするのみです。友人以上の関係であることは一目瞭然ですが、昼間の書庫なのでふしだらな状況にはなりませんでした。
「ごめんな、ロレッタ。苦しかっただろ。ここ結構カビくさいよな」
「……いいえ」
そうは言ってもコンラッド様には辛い状況に違いありません。まだご結婚はされていないとはいえ、想い人であり婚約者でもあるアナベル様が、他の男性と抱き合って手を繋いでいるところ目撃してしまったのですから。
ふたりがいなくなったことを確認して資料棚からひっそりと抜け出した私たちは、埃っぽくなってしまった服を手で払いながらそっとお互いの顔を見合わせます。目が合った瞬間に苦く笑うコンラッド様に、先ほどまでとは違う意味で心臓がきゅう、と締め付けられます。
「コンラッド様……」
名前を呼ぶと、コンラッド様がそっと肩を揺らしました。
彼は大好きなアナベル様の元へ毎日自ら贈り物を携えてやってくるわけですから、当然、メイドである私ともほぼ毎日顔を合わせています。心を通わせ合っているわけではありませんが、お互いに考えていることはなんとなくわかります。私の心配と不安の気持ちを、きっとコンラッド様も見抜いたのでしょう。
そのコンラッド様が再び笑顔を浮かべます。野心に満ちた宰相閣下の面影もあるのに、それとは違う何かを悟って諦めたような物憂げな表情です。その仕草があまりに儚く、私は一瞬見惚れてしまいます。
「やっぱり俺はこの先、一生結婚できないんだろうな」
「え……な、何故ですか? アナベル様と結ばれなくても、他の女性と結婚することは出来るのでは……?」
コンラッド様の言葉を汲み取った上でその疑問をぶつけることは、コンラッド様に失恋の事実を突きつけることを意味するでしょう。頭のどこかでその無礼はわかっていましたが、人生を諦めたような表情をするコンラッド様の真意を訊ねずはいられませんでした。
「法的には可能だろう。けど、この国は女王陛下が統治する『女王国』だ。アナベル様に選ばれなかったからといって、未来の女王陛下と一度は婚約した俺が、他の女性と結婚することはできない。もし俺がアナベル様以外の女性を選べば、俺がその女性を女王陛下よりも優れていると認めたとみなされる。女王を軽んじた無礼者だと言われるだろうな」
「そんな……」
「そういうもんだろう。女王国の威信と威光を損なわないために、俺は一生をかけて彼女を崇め続ける必要がある。必要な判断だ」
「……」
「アナベル様の婚約者になった時点で――いや、アナベル様を好きになった時点で、俺の負けだったんだ」
コンラッド様の言葉を聞いた私は、唖然としたまま動けなくなってしまいます。
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