4 / 34
春うさぎはたまごを食べない
後編
しおりを挟む「おいリル。もう夜だ、起きろ」
「ふぁっ!?」
身体を揺らされたリルはその振動に驚いてびくっと飛び上がった。
ふかふかのベッドの中に起き上がって辺りを見回すと、すぐ傍に仁王立ちするシヅキの姿があった。リルが寝ぼけた頭で『起きてすぐ綺麗な顔を拝めてありがた~い』などと考えていると、さらに近付いてきたシヅキにじっと顔を覗き込まれた。
「? シヅキさん?」
「夜も働いてもらうって言っただろ。とりあえずこれ飲め」
「え……?」
シヅキの命令じみた強い口調に驚きつつ、これ、と手渡されたものに視線を落とす。彼がくれたものは、グラスに入った緑色の液体――小松菜やバナナを細かくミキシングしたスムージーだった。確かにこれならば野菜や草しかない食べない上に、起きたばかりであまり食欲がない状態のリルでも栄養を取れる。
「ボス~~ッ!」
しかしどうしてこんなに丁重に扱われているのだろう……と首を傾げたところで、リルの思考に知らない男性の大声が割り込んできた。
大きな音に驚く暇もなく、今度は複数の足音が遠くからバタバタと響いてくる。その声と足音の主たちは慣れた様子で寝室までやってくると、シヅキの姿を見つけてすぐにニッと笑顔を作った。
「おはようございます!」
「失礼しますッ!」
「うっせーな、もう少し静かにしろ。あと二階まで上がってくんなっていつも言ってるだろ」
「すみません、ボス!!」
シヅキをボスと呼んでピシッと敬礼したのは、リルよりも少し年上……おそらくシヅキと同じ年頃と思われる、二人の狼の獣人と一人の獅子の獣人。併せて三人の男性だった。突然の乱入者に驚くリルだったが、シヅキが驚いた風はない。
「えっ! ボス、姐さんがいるじゃないですか!」
「ヤッたんすか!?」
「デキたんですか!?」
「うるせえ。殴るぞお前ら」
「あ、あの……?」
リルの姿を見つけてぎゃんぎゃんと喚きつつも楽しそうに詰め寄る男性たちに、シヅキがやや辟易したようにこめかみを押さえて息をつく。何が何だかわからないリルは困惑の表情を浮かべることしかできない。
ふとシヅキと目が合うと、彼はにやりと笑顔を作った。
「リル。お前には今夜から、この獣人街を取り仕切るハル=ファミリイのマム役を担ってもらう」
「…………。……はい?」
「ハル=ファミリイは知らないか?」
「し、知ってますよ。獣人街の自警団、ですよね?」
リルは毎日、朝から晩までたまごを売るために獣人街を歩いていた。情報通というほどではないが、人並み程度にはこの国や街を取り巻く状況を理解しているつもりだ。
もちろん荒くれ者や粗忽者が多い獣人街を取り仕切り、警察や政治家と対等に渡り合うことができるほどの実力を持つと言われている獣人街の自警団『ハル=ファミリイ』のことも知っている。ただし普段は関わることがないので、あくまで名前だけではあるが。
ハル=ファミリイのボスの顔や名前は一般人には秘匿されているため、詳しくは知らない。獣人街を取り仕切っているにも関わらず、実は人間族だという噂は耳にしたことがあるが。――まさか。
「シヅキさん、売れない作曲家では……?」
「は? どこ情報だよ。そんなわけねぇだろ」
「ボスは歌めっちゃヘタクソっすよ」
「黙れ」
そうだ。リルはそう聞いていた。シヅキ本人に確認したことはないが、この屋敷に住むのはいくら曲を作っても売れない作曲家だと……誰かの幸福と平和のために、一銭の稼ぎにもならない仕事をしている変わり者の青年だと。
「たまごなんて議会堂のレストランに持っていけばどうとでもなる。なんせ恐ろしい勢いで食う奴がゴロゴロいるからな」
シヅキの説明を聞いたリルは、ようやく彼が今まで購入していたたまごの行き先を知る。ファミリイのメンバーが集まり、街を守るための作戦会議や活動報告をする議会堂には食事処が併設されていて、そこに持っていけばたまごなどいくらでも消費が可能らしい。
「いつまでも一つのたまご屋から買い続けるわけにもいかないと思ってたが、お前があの店を辞めるなら関係ないな」
「え、あ……あの」
「つーか、店の売り子を変な商売に斡旋すんなよな。取り締まり対象だ」
「まかせろ、ボス!」
「は? え、いや、おいっ。俺はまだ何も指示してな――……早ぇよ!」
シヅキの独り言を聞いていた部下たちは、命令される前に自分たちの役割を理解したらしい。屋敷をバタバタと出て行く彼らが指示を受ける前に行動することは、果たして優秀な証なのか無能の印なのか。
そんなことを考えていたリルの目の視界に、一枚の紙が滑り込んできた。
「というわけだ、リル。ここにサインしろ」
「……? 婚姻届って書いてますけど……」
「永久就職用の契約書だ。大丈夫、絶対クビにしねえから」
「え、えっと……ぉ」
いつになくいい笑顔を浮かべるシヅキに、リルの身体はカタカタと震え出してしまう。もちろんシヅキのことが嫌いなわけではない。彼が以前から今も変わらずリルを気に入ってくれていることは、十分わかっている。自警団が危ない組織ではないことも一応理解はしているつもりだ。
しかしシヅキは昨日、とんでもないことを口走った。あっさりとした口調ではあったが、彼は『うさぎ【も】性欲は強いんだよな?』と言った。リルはそれを聞き逃していなかった。
「わ、私、たまごが好きなのでやっぱりたまご屋さんに戻」
「嘘つけ、リルはたまご食わねぇだろ」
「!」
言い訳を遮るシヅキの言うとおり、リルはたまごを食べない。小さな嘘は一瞬で見破られてしまう。
「今夜から俺の花嫁だ……逃がさねぇからな?」
ぽつりと呟いた言葉はともかく、その視線があまりに鋭すぎる。
怖いお兄さんに捕らわれたうさぎに、一途な恋の罠から脱走する術はない。
10
お気に入りに追加
158
あなたにおすすめの小説


マッサージ
えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。
背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。
僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
続・上司に恋していいですか?
茜色
恋愛
営業課長、成瀬省吾(なるせ しょうご)が部下の椎名澪(しいな みお)と恋人同士になって早や半年。
会社ではコンビを組んで仕事に励み、休日はふたりきりで甘いひとときを過ごす。そんな充実した日々を送っているのだが、近ごろ澪の様子が少しおかしい。何も話そうとしない恋人の様子が気にかかる省吾だったが、そんな彼にも仕事上で大きな転機が訪れようとしていて・・・。
☆『上司に恋していいですか?』の続編です。全6話です。前作ラストから半年後を描いた後日談となります。今回は男性側、省吾の視点となっています。
「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しています。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる