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春うさぎはたまごを食べない
前編
しおりを挟む「はぁ? クビになった?」
リルの唯一の顧客であるシヅキは、ここ獣人街に住む者の中では珍しい『人間の男性』だ。目付きが悪く、口も悪く、性格も粗雑。噂によると仕事も売れない作曲家らしい。
住んでいる屋敷はかなり立派である。しかしリルがベルを押すと使用人ではなく主のシヅキが自ら出てくるところを見るに、人使いが荒いのかもしれない。きっと使用人が長続きしないのだろう。
人相と愛想が悪いシヅキは今日も不機嫌そのものだ。リルの報告に対する返答は、言葉も声も表情もすこぶる絶不調である。
リルがびくびくしながら、
「せ、正確にいうと、これからなるんですけど……」
と呟くと、呆れた様子でため息をついたシヅキが、
「同じだろバーカ」
と悪態をついた。いかにも不愉快そうな様子のシヅキに、リルは返す言葉も見つからない。
うさぎの獣人であるリルの仕事は、養鶏場で毎朝採れる新鮮なたまごを獣人街で売る『たまご売り』だ。
以前は養鶏場の主人が自らマーケットや住宅街や契約先の飲食店に足を運んで販売していたらしい。だが売れ行きが好調なので鶏の数を一気に増やしたところ、世話と販売の両方に手が回らなくなったようだ。
そこで獣人街に住む若者を従業員として雇って、たまごの売り子をさせたのがはじまり。そこから販売形態や範囲が徐々に変化し、最初は決まった場所のみに卸していたたまごをマーケット全域で売るようになり、各々の売り子が己の得意先を見つけ、ついには顧客の独占と縄張り争いが始まった。
そしてリルはその縄張り争いに負けてしまった。以前はリルからたまごを買ってくれていた贔屓の客もいつの間にか別の売り子から買うようになり、とうとう目標の個数を売り切れずにたまごを余らせてしまうようになった。その結果、リルを待ち受けていたのは雇い主からの解雇宣告である。
「というわけで、シヅキさんにたまごをお届けできるのは明日で最後になります。今まで本当にお世話になりました」
「おいおい、待て待て待て」
そんなリルからただひとり毎日のようにたまごを買ってくれていたのが、このシヅキというガラの悪い男性だ。
とはいえ彼は表情と話し方が粗野なだけで、外見そのものは驚くほど整っている。すらりとした高身長と端正な顔立ち、流れるような長髪を肩の傍で結んで前に流した姿はどこか中性的である。男性であって女性のような美しい見た目のシヅキは、悪態をつきながらも毎日のようにリルからたまごを買ってくれるのだ。
そんなシヅキに怒りの形相を向けられたリルは、思わず後ずさってしまう。うさぎ獣人の特徴である長い耳がふるふると震える。リルはロップイヤー種なのでもともと大きな耳は垂れ下がっているが、怒ったような声や表情を向けられると、さらにしゅんとしてしまう。
シヅキが肩を掴んだままムスッとした表情を向けてくる。外見の美しさゆえか、怒ると凄みは倍増だ。
「お前、そんでたまご屋を辞めて次はどこで働くつもりなんだ?」
「たまご屋さんです」
「……は?」
「たまご屋さんが、新しいお仕事先を紹介して下さったんです」
商品をまともに売れないリルは明日で売り子をクビになってしまうが、だからといって仕事を失って路頭に迷うわけではない。
母を病気で、父を事故で亡くして以来天涯孤独となったリルは、自ら仕事をして自分で生活を成り立たせなくてはならない。だから職を失うのは困る、と主に訴えたところ、別の職場を紹介してくれると言うのだ。しかもやり方によっては今よりも稼げるかもしれないとのこと。
最低限生きていければ給料は高くなくても良い。とりあえずたまご屋をクビになっても生きていける目途が立つのならば、リルには主の提案を受け入れるしかない。
「ええっと、震えるたまご? を売るお仕事らしいです」
「はぁ?」
「でんげん? を入れるとぷるぷるって震えるたまご? を男の人に売るんですって。たまごが小さくなるのと、涼しい制服が支給されるのと、働く時間が昼から夜になること以外は今までと同じみたいです」
「そんなわけあるか! お前どんだけ世間知らずだ!? それ風俗じゃねえか!」
「ふーぞく? ってなんですか?」
「……本物のバカか?」
養鶏場の主から聞いた説明をシヅキに伝えると、彼は整った顔を歪めてさらに怒り出してしまった。
「とにかくド天然なお前にその仕事は無理だ。今からでも止め――」
「できません」
何故か怒っているシヅキだったが、リルには選択の余地はない。たまごを目標数まで売れない以上仕事をクビになるのは仕方がないし、仕事ができないリルのためにわざわざ用意してくれた紹介を断ることも申し訳ない。
それにリルにはもう一つ懸念があった。それは他でもない、シヅキのことだ。
「私、シヅキさんがたまごをいっぱい買って下さるからギリギリ許してもらって、お給料をもらえていたんです。でもシヅキさん、ひとりでたまご十個も食べないですよね?」
「!! そ、それは……」
この大きな屋敷にシヅキ以外の人が住んでいる気配はない。彼は独身のようだし、親やきょうだいと同居もしていない。使用人の姿も見たことはないし、恋人がいる様子もない。シヅキはいつもリルから十数個のたまごを買ってくれるが、一人で作曲に勤しんでいると思われるシヅキがその全てを食べきれるとは到底思えない。
粗雑な態度と裏腹に心優しい彼は、リルの最低売り上げ目標数に毎日貢献してくれている。だがおそらく、そのせいで彼に無理をさせているのだ。
リルはうさぎの獣人なので野菜や草があれば生きていける。しかしシヅキは人間だ。リルから買ったたまごだけを食べ続けていると、栄養が偏って身体に変調をきたすに違いない。それに肉や魚も食べたいだろう。
けれどリルがたまご売りを続けている限り、彼は無理をしてでもリルからたまごを買ってくれようとするに違いない。その負担を減らしたい、という意味でも、やはりリルはもうたまご売りをやめるべきなのだ。
「だから、その……これまで本当にお世話になりました!」
「あ……おいっ!」
シヅキの手から力が抜けていることを確認すると、腕を振りほどいて距離を取る。シヅキはまだ何かを言いたそうに焦った声を上げたが、リルは踵を返すとそのまま全力疾走でシヅキの屋敷を後にした。
「……あのバカ!」
通りの角を曲がる直前に門扉の近くからシヅキの苛立ったような声が聞こえてきた。だがたまごが入ったバスケットを持ったまま走って追いかけてくるという行動は選ばなかったらしい。
シヅキの屋敷から離れたリルは、胸の奥から溢れてくる寂しさと、赤い目から零れてくる涙をぐっと拭ってその場を後にした。
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