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番外編

王子殿下も愛でられる 後編

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「最悪だ」

 機嫌がいいのはリリアだけだった。
 エドアルドは終始不機嫌だった。

 王殿の大浴場は、春季から秋季までは必要なとき以外、湯舟に湯を張らない。普段はお湯を身体に注ぐように流すだけで終わってしまう。けれどしんしんと雪が降り、庭に出るだけで身体が凍える今の季節は毎日のように湯が張られる。

 その大浴場の洗い場で、身体にタオルを巻いてエドアルドの後ろにしゃがむと、背中を泡綿で優しく擦る。

「申し訳ありません、痛かったですか?」
「いや……そうではなく」

 これでもかなり優しく扱っているつもりだったが、エドアルドは痛みを感じてしまったかもしれない。そう思って恐る恐る問いかけると、エドアルドは『違う』と頬を膨らませてきた。

「せっかくのリリアと一緒の風呂なのに……はぁ……」

 残念そうな声を発し、意気消沈しているエドアルドの背中に湯を流す。

 案の定自分では髪も身体も上手く洗えずに困ったような顔をするエドアルドは、顔がゆるんでしまうほど可愛かった。その姿を十分に堪能したあと、リリアは彼の洗髪と洗身を手伝った。

 泡を綺麗に流されたエドアルドは、しぶしぶといった様子で大きな湯舟の中へ浸かった。エドアルドの身体と一緒に自分の髪や身体も洗い終えたので、リリアもその中へと身体を滑り込ませる。

 花の蜜と花びらが含まれたお湯に満たされる贅沢は、あまりにも幸せすぎてそのまま眠ってしまいそうなほど心地よかった。

「この姿じゃ、何も出来ない」

 隣でボソリと呟いたエドアルドに、ふふっと笑う。

 何も出来ないとわかっているから、一緒にお風呂に入れるのだ。大人のエドアルドと一緒に入浴なんてしようものなら、それこそ何をされるかわからない……いや、わかる気がするから、普段は入浴を共にしないのだ。

 けれど何もされない絶対的な保証があるのなら、こんなに快適なことはない。エドアルドとは逆に、リリアは機嫌が良かった。

「リリア、俺に口付けてくれ」
「……え?」

 お湯に浮かぶ花びらを撫でていると、隣からエドアルドの真剣な声が聞こえた。驚いて顔を上げると、声と同じように真剣な顔をしたエドアルドがすぐ傍まで寄ってきていた。

「だめです。大人が小さな子どもに悪戯をするなんて、いけない行為です」
「う……」

 身に覚えがあるらしいエドアルドは、言葉に詰まって少し身体を後退させた。

「だ、だが口付けなければ戻れない!」

 一瞬たじろいだものの、エドアルドははっきりと言い切る。彼は自分がどうすれば元の姿に戻れるのか、ちゃんと理解しているようだった。

 メイナから正解を聞いたわけではないが、リリアも薄々気付いていた。

 夜会でのリリアとエドアルドの姿を見た貴族たちに所望された、魔法道具。国民の誰もが読んだことがあるおとぎ話の再現。王子と呪われた令嬢が見せたそれは、確かにロマンティックで夢のある瞬間だっただろう。ある種、見ているものに憧れを抱かせるワンシーンだったかもしれない。

 もしあの夜の出来事を羨んで、同じ瞬間を味わいたいと欲するのならば、当然メイナは魔法の解き方も同じように設計するはずだ。

「……って、ちょ、エドさま!」

 湯舟の中で膝を抱き寄せて考え事をしていると、エドアルドが至近距離まで顔を近付けてきた。そのまま口付けようとリリアの頬に触れるので、慌てて身を引く。

「だめです……いけません」
「大丈夫だ、夫婦なんだから」
「ま、まだ婚約者です」

 急いで言い訳をすると、エドアルドは本気の目をして逃がすまいと更に迫ってきた。プラチナホワイトの髪からぽたっと水滴が落ちる様子を、間近で眺める。その直後、背筋に冷たいのか熱いのかわからない痺れが走り抜けた。

 エドアルド、外見年齢五歳。
 五歳でこの色気はどこからやってくるのだろうと思ってしまう。中身が二十六歳だからだろうか。

 小さな手がリリアの手首をぎゅっと掴まえる。どうしても嫌か? と湯舟の縁に手をついて顔を覗き込んでくる。

 そのまま唇が触れてしまうのではないかと感じて、小さな体を手で押し返した。あまり力を入れるとエドアルドに怪我をさせてしまうかもしれない。だから無理には振り解けない。

 困ったリリアは思わず叫んだ。

「だ、だめですってばー!」
「で・ん・か!!」

 その直後、頭上でパメラの怒声が聞こえた。

 王族とその妃になる予定の人を上から叱るなんて、普通なら許されることではない。けれどリリアはその瞬間『助かった』と思った。リリアの焦りを労わるように、パメラが母親のような口調でエドアルドを窘める。

「リリアさまに無理強いなさいませんように、と普段から再三申し上げているではありませんか!」
「む、無理強いなどしていない……」
「それでは、その手をお離し下さいませ。リリアさまが逆上せて体調を崩されたら、本日は寝室をお分けしますからね!」
「う……それは嫌だ……」

 割としっかり、怒られた。





   *****





「いつまで気落ちしてらっしゃるんです?」

 ベッドに寝転がってふてくされているその顔を覗き込む。リリアが膨らんだ頬をぷにぷにとつつくと、エドアルドは更に面白くなさそうな顔をした。

「パメラさんに怒られたからですか?」
「……ちがう」

 幼い頃からお世話になっている侍女に怒られれば、それはショックだろう。身体は小さくても中身はちゃんと大人なのだから。しかも怒られた理由が、婚約者を可愛がりすぎるというどうしようもない理由で。

 視線を動かしたエドアルドが、添い寝をしていたリリアの瞳をじっと見つめてくる。身体は小さくても美しさは変わらない、サファイアブルーの瞳で。

「リリアはすごいな」

 感心の言葉を耳にして、リリアはそっと首を傾げた。

「毎日こんな不便で辛い思いをしていたのかと思うと」

 幼い姿に変えられたエドアルドは、その不便さと辛さを身をもって味わったと語る。

 体調はさほど悪くはないが、周囲の者に必要以上に心配される。大人になったはずなのに子ども扱いされる。食事も綺麗に食べられない。風呂も満足に入れない。

 当たり前に出来ていたことが、ある日突然できなくなってしまう。その不快感と周囲に対する申し訳なさは、経験してみないと本当の意味では理解できない。これが未来永劫続くのかと思うと、呪いとは確かに厄介なものだ。

「でも、悪いことばかりではないと思いませんか?」

 エドアルドが『すごい』と褒めてくれた言葉は素直に受け取りつつも、実はリリアには別の感情もあった。

「両親や周囲の人が注いでくれる愛情って、小さい頃は気付けないと思うんです」

 その問いかけに、エドアルドの眼が少しだけ見開く。その驚いた表情も可愛らしい、と言ったら失礼なのだろうけれど。

「私も幼い姿になったときは困惑しました。お恥ずかしい話、最初は泣いてしまったんです。けれどその分、父が心配してくれました。母が慰めてくれました。お世話になっている使用人たちが元気づけてくれました」

 小さくなったエドアルドと半日間一緒に過ごして、思い出した。

 リリアも呪いにかけられた最初の頃は恐怖でいっぱいだった。エドアルドの言う通り、不安だったし、不快だったし、申し訳ないと思っていた。自分の身体に対する嫌悪感すらあった。

 けれどその度に、大好きな家族たちがリリアの不安を取り除こうとしてくれた。あたたかな温もりと愛情に包まれて、呪われた身でもこのまま生き続けていいのだと教えられた気がした。それは生まれてからずっと変わらなかったはずなのに、悲しいかな気付いたのは呪いにかけられたお陰だった。

「今まで通りの毎日では気付けなかった感情に気付いて、知らない景色を見て、新しい発見をするんです。……ね、悪いことばかりじゃないでしょう?」

 もちろんそれは呪いが解けた今だから言えることだ。あのままずっと、大人と子どもの間を行き来する朧気で不確かな存在だったら、そんな事は考えなかったのかもしれない。

 けれどその呪いは解けた。愛する人とその家族たちが、リリアにまた新しい感情と景色を見せてくれた。きっと、これからも。

「それに、そのお陰でエドさまに恋をしました」
「……そうだな。リリアの言う通りだと思う。確かに俺は今日、色んな発見が出来た」

 リリアが笑うと、エドアルドもようやく表情をゆるめてくれた。

「いつもと違う景色を見たからこそ、早くいつもの日常に戻りたいと思うのかもしれないな」
「そうですね…………ん?」

 ところが、聞こえた言葉は予想とは少し違った。リリアは『小さな姿でも素敵な日々』を語ったつもりだったのに、エドアルドは『小さな姿と同じぐらい素敵な大人の日々』にすり替えたようだ。あんまり伝わってなかったのかな、と思う暇もなく。

 リリアの肩に手を乗せたエドアルドがにこっと笑った。王妃に言われたにこーって笑うのよ、は、どう考えてもこの笑顔ではないと思う。

「ちょ、エドさ」
「悪いな。俺は早くリリアを可愛がりたい」

 可愛がられるだけは性に合わない――そう呟いたエドアルドは返答の言葉を探している間に、リリアの頬に自分の唇を押し付けてきた。ちゅ、と小さな音を立てて。

「ひ、ひどいです……!」

 顔を離したエドアルドにじっと見つめられ、思わず涙目で怒ってしまう。しかししっかりと抗議をする暇もなく、エドアルドの身体は光の渦に包まれた。

 メイナの魔法はいつも光り輝く粒子を帯びている。魔女に良いも悪いもないと思うが、王宮の魔女の魔法はいつも神々しくて力強い。その光の粒子の中のエドアルドは、気が付けば大人の姿に戻っていた。

「ああ……戻れたな」

 ふ、と笑ったエドアルドに頷き返そうと思って気が付く。さっきまで男の子用の夜着を身に着けていたはずなのに、リリアの上にのしかかるエドアルドは何故か裸だった。

「やはり呪いと魔法は違うな。服の大きさまでは変わらないか」

 魔法というものは適応範囲が広く汎用性が高い代わりに、細部は大雑把なものが多い。特定の人物にぴたりと合致するよう緻密に計算されてかけられる呪いとは違う。つまりメイナがつくった魔法道具による幼児化は、都合よく服まで伸びたり縮んだりしないという事だ。

 それを知っていたのだろう。身体の拡大に伴って皮膚に衣服が食い込んでしまうことを嫌ったエドアルドは、痛みを伴う前に自らの服を魔法で裂いたようだ。

 自分でも裸であることは認識しているが、特に恥ずかしいとは思わないらしい。むしろ何かの手間が一つ省けたと言いたげに笑うのみ。

「幼児化の魔法を欲するのは個人の自由だが、全員が魔法を使えるわけじゃない。急に戻ると危ないな」
「エドさま……え、あの、っちょ」
「やはりこの魔法道具を世に出すのは難しいだろう。姉上には開発を止めるように伝えなければな」

 さっきまで困ったようにスプーンを扱っていた指が。背中を洗えずに格闘していた手が。

 独り言を呟きながら、リリアの夜着のリボンにかかる。

「そしてリリアには、キスを拒まれ続けて傷付いた俺の心を、この身体で癒してもらう事にしよう」
「!?!?」

 大人に戻ったエドアルドには、可愛さなどひとつも見当たらない。


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