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番外編
一途な恋 前編 (エドアルド視点)
しおりを挟む◆ 本編より四年前の過去話です。
◆ 本編のネタバレを含んでおりますので、お読みの際はご注意ください。
その日エドアルドは、数年前に卒業した王立学院の廊下を歩いていた。
すれ違う人々は、それが自国の第二王子であるとは思いもしないだろう。音楽堂の横をすり抜ける時、入り口横の銀の装飾に見慣れない自分の姿が映り込んだ。それを見て、再度『まぁ気付かないだろうな』と感心する。
サファイアブルーの瞳はそのまま何も変わっていない。しかしプラチナホワイトの頭髪は正反対の黒色に変えられている。光が当たると青みがかった印象に反射するが、言われなければほとんどの者が黒髪だと答えるだろう。少なくともこの国の第二王子、エドアルド・スーランディア・ノルツェであるとは誰も気付かないはずだ。
「ご機嫌よう」
「……ああ、こんにちは」
また一人、学院生の少女とすれ違う。彼女も他の人と同様、エドアルドを疑うことはない。上着の前襟に来院許可証であるラペルブローチを着けていれば、行き交う学院生たちはエドアルドをただの来客だと認識する。
特に怪しまれることもなくそのまま廊下を進み、教室棟や課外活動棟、中庭や学生食堂や運動広場などを見てまわる。エドアルドは多くの学院生と挨拶を交わしたが、ここに来た理由ーー先程から探し求めている人物の姿はどこにも見当たらなかった。
講義が終わり友人たちと街へ遊びに行ってしまったのか。寮の自室へ戻ってしまったのか。彼女の行動パターンを把握しているわけではないので、この時間何処にいるのかは全くわからない。
折角姉のメイナに頼み込み、魔法で姿を変えてまで王立学院にやってきたのに。一時間以上学院内を探しても会えないので、今日はもうこのまま会えずに終わる気配さえ感じ始めてきた。
けれど簡単には諦められない。やっぱりもう一度会いたい。一言でもいいから話がしたい。今この王立学院にいるはずの初恋の想い人に、どうしても会いたい。
今まで秘めていた欲求を抑えきれなくなったきっかけは、兄である王太子セリアルドの代理で『王立学院創立記念式典』に出席したことにあった。
王族である以上、公的な行事への参加は避けられない。基本的に式典や祭典などの行事には王太子のセリアルドが出席しているが、今回はどうしても都合がつかなかった。だから代わりにエドアルドが予定を調整して出席することになったが、そこで思いもよらない事実に巡り合う。
創立記念式典の式次第にあった『在学院生による聖歌披露』――その中にエドアルドの初恋の人の名前があったのだ。
聖歌が披露される間、エドアルドは一人の少女の姿に釘付けになっていた。彼女は式次第に記載された通りの位置に並び、しゃんと背筋を伸ばして聖歌を奏でていた。エドアルドはその姿をただ夢中で見つめ続けた。
リリア・フローラスト。幼い頃に恋をして以来、ずっと会う事が出来なかった想い人。
そのリリアが、すぐそこにいる。想像していた通りに可愛らしくて、あの日よりも伸びた髪は邪魔にならないよう一部を後ろで結んでいる。成長した彼女の姿に、エドアルドは二度目の恋に落ちた気分を味わった。
聖歌が終わると、リリアは他の少女たちと同じようにぺこりとお辞儀をして、すぐに大聖堂を出ていってしまった。
特等の来賓席に腰を下ろしたエドアルドは、幸運に遭遇した驚きと感動から魂が抜けた心地で創立記念式典の残りの時間を過ごした。後から思い返せば式典の内容はほとんど何も記憶していなかったが、そんな事はどうでも良かった。
セリアルドの代理で王立学院の行事に参加するまで気が付かなかった。この十二年間、遠方のフォルダイン領に足を運ぶ機会には恵まれず、もちろん未成年のリリアが自ら王宮にやって来ることもなかった。
けれど今のリリアは、貴族の子息子女が通う王立学院の学院生だ。王都に――こんなにも近くにいるというのに、そのことをすっかりと失念していた。
無論、知ったところで公務を投げ出して学院に通い詰める訳にもいかない。けれど知ってしまった以上リリアと会って話をしたいという欲求は日毎に増すばかりで、エドアルドはその日から仕事での失敗が散見されるようになっていた。
考えた末の行動は早かった。創立記念式典から数日後、魔法院の魔女室を訪れたエドアルドは、魔女である姉メイナにある依頼をした。
「姉上……変身魔法、使えましたよね?」
そう問いかけると、薬の調合表に羽ペンの先を走らせていたメイナの手が止まった。顔を上げて視線を合わせると、メイナは呆れたような表情を浮かべた。だがエドアルドは構わずに自分の話を続けた。
「一日だけで構いません。俺の髪の色を、別の色に変えてくれませんか?」
スーランディア王国では、プラチナホワイトの髪色は王族にしか発現しない。つまり頭髪を見れば、エドアルドの正体は全ての学院生や教師に知られてしまう。だから公的な用事でないならば、この色は隠すしかない。隠さず学院に赴けば騒ぎになるには目に見えている。
だからリリアに会っても自分の正体を明かすことは出来ないが、話をすることが出来るなら今はそれで構わない。そう思ってメイナに頼み込んだ時のエドアルドは、きっと今までにないほど必死の表情をしていただろう。その自覚はあった。
ふと廊下の奥に、懐かしい扉を発見した。
図書室だ。王族として人よりも広く深い知識を持つことを求められたエドアルドは、図書室にも相当通い詰めた。リリアを探すあてもなかったので、突き動かされるように図書室の扉を押し開ける。
木製の棚の隙間から午後の光が入り込む本の森は、テーブル席と窓辺にぽつぽつと人がいる程度の静かなものだった。
エドアルドは懐かしい景色と独特の雰囲気が漂う空間の中をゆっくりと歩いていった。本棚はどれも床から天井までの高さがあり、配列は迷路のように入り組んでいる。各テーマごとに分けられた格子状の小空間にはぎっしりと書籍が詰め込まれ、棚の境目には分類表示のプレートがかけられていた。
自分の知っている景色と変わらない空間を懐かしく思いながら進んでいくと、ふいに左側から小さな影が飛び出してきた。上を見上げて歩いていたエドアルドは反応が遅れ、やってきた人物とそのまま衝突してしまった。
「ふわっ……!?」
相手も前を見ていなかったようで、すぐ近くで驚いたような声が聞こえた。左腕に小さな衝撃を感じると同時に飛び出してきた影がぐらりと傾いたので、思わずサッと手を伸ばす。掴まえた相手が顔を上げた瞬間、エドアルドははっと息を飲んだ。
(リリア……!)
学院内を歩き回ってひたすら探し求めていた相手が。数日前に学院の音楽堂で聖歌を歌っていた彼女がーーびっくりしたような顔でエドアルドを見上げていた。
「も、申し訳ありません。人がいると思わなかったので……失礼いたしました」
「いや……」
ぽうっと顔を赤く染めたリリアは、そのまま視線を外してぱっと顔を背けてしまう。その仕草を間近で見たエドアルドも、慌てて掴んでいた腕を離した。
「えっと、卒業生の方ですよね?」
「え……? あ、ああ、……そうだな」
エドアルドの胸元を見たリリアが、確認するようにぽつりと呟く。制服を着ていないことから学院生でもなく、見た事がないことから教師でもない。見慣れない人物にぶつかってしまったリリアは、エドアルドに大して小さな不安を感じたようだ。
このブローチは身分証明証代わりだ。王立学院の責任者に身元と身分を認められた何よりの証拠となる。例え本当は王族だとしても、これが無ければエドアルドはただの不審者である。
「何かお探しですか?」
リリアににこりと微笑まれ、また鼓動が大きな音を立てる。ふわりと可愛らしい笑顔に見惚れていると、リリアが制服の胸ポケットに着いたピンズを見せてきた。
「私、図書管理委員なんです」
そういえばそういう制度もあった。卒業して四年の月日が経過し、しかも在院中に管理委員になどなったことがないエドアルドは、すっかりとその存在を忘れていた。
必死に記憶を引っ張り出していると、他の利用者を気にして声量を落としたリリアが、にこにこと説明を追加してくれた。
「卒業生の方が以前読んだ本を借りにいらっしゃったり、学問に使う資料を閲覧しに来られることも多いんです。私でよければ、探すのをお手伝いしますけれど……」
「いや……いいんだ。本を探しに来たわけじゃない」
「……?」
探していたのは、本ではなくて君なんだ。
と素直に白状する訳にもいかず、エドアルドはただドキドキと鳴る自分の心臓音だけを聞いていた。リリアの表情が疑問の色に変化したことはわかったが、言葉にはされなかった。
「えっと……では私は受付にいますので、何かあればお声かけ下さいね」
リリアはそう呟いて、そのまま踵を返してしまう。
待って。
もっと触れたい。
もっと話したい。
見つめるだけでいい。
いや、傍にいるだけでいい。
あと少しでいいから、リリアと接していたい。その想いは声にならず、代わりに手を伸ばした勢いで再び腕を引っ張ってしまった。
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