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番外編

一途な恋 後編 (エドアルド視点)

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 小さい頃の夢を見た。あねさの嘘に騙されて、納屋に閉じ込められてしまった時の夢だった。
 怖いとは思わない――暗くて狭い場所なんて、おらにとっては日常と変わらない。
 けれど、意地悪をされたことは悔しくてたまらなかった。おらはすっかり惨めな気分になって、泣いてしまった。
 ばあばにようやく助けてもらえたときは、恥ずかしげもなくばあばにすがりついて、あねさにやられたと訴えた。……でも。

「泣くんでね、すず。おめさんは泣いちゃならね。芸をする人間は、人様に涙なんぞ見せねえもんだ」

 ――ああ、やっぱりそう言うんだ。夢の中のおらは、ばあばの態度に失望した。
 ……考えてみれば、ばあばはおらのことを一度も慰めてくれたことがなかった。
 どんなに泣いても、この人はおらを慰めてくれない――それが分かったから、おらはばあばに甘えることを、早いうちから諦めたのだった。

「悲しむ姿など人に見せるな。自分より脆いと思えば、人は簡単におめさんを虐める。面倒なやつだと思えば、人は簡単におめさんを捨てる。いつだっておめさんは気丈に振る舞わんばねえ」

 それでも素直に言うことを聞いていたのは、ばあばが正しいと思っていたからだ。いや、今でも正しいと思っている。
 人は、自分より弱い存在を簡単に虐げる――あねさがまさにそうだった。
 だから、悲しくても悲しくないふりをした。つらくても気づかないふりをした。嫌なこと、悔しいことはすべて『どうでもいい』の呪文で飲み込んで、蓋をした。

「神様だけは、いつでもおめさんを見ていてくださる」

 ばあばのその言葉だけを信じて、そんなことを繰り返していたら、本当にすべてがどうでもよくなった。ちょっとやそっとのことでは動じなくなったし、他のことを考える余裕もできた。
 些細なことに文句を言い、癇癪を起こすあねさが馬鹿のように見えてきて、大半のことは受け流せるようになった。
 ばあばの教えは、結果的に生きる上で大いに役に立ったのだ。
 ――けれど。

「明るい目があれば、こんげ苦労もせんかったろうに」

 結局、すべてはそれに尽きるのだ。
 おらもあねさのように思い切りわがままが言えて、癇癪を起こすことができていれば、どんなに楽だったか。
 ああ、悔しいったら。憎たらしいったら。
 目が明るいくせに甘ったれてばかりのあねさも。
 あねさだけちやほやする馬鹿な村の人たちも。
 みんな消えていなくなってしまえばいいのに。


 *


(……嫌な夢)

 ズキズキ痛む頭を押さえながら、すずは目を覚ました。
 今まで見ないふりをしていたものを、まざまざと見せつけてくるような夢だった。
 誰にも見せられないほど真っ黒く濁った、心のおり。後ろめたいモヤモヤ。

「もうどうでもいいねっか、そんげの」

 ここにはもう、意地悪な姉も、村人もいない。もう終わったことじゃないか。
 すずは自分に言い聞かせながら、胸に湧き上がるものに蓋をする。
 煩わしい気持ちで寝返りを打つと、周囲の空気がわずかに動いた。沈香のほのかな残り香がふっと鼻をかすめて、夢とうつつをさまよっていたすずを現実に引き戻す。

(……大神様のお部屋? なして、おらはこんげところで寝て……?)

 少しずつ覚醒してくる頭で、すずは記憶を思い起こす。
 街に物の怪が出て、大神と別れた後。自分はなにをしていた?
 ……そうだ、薬屋のあやかしに変な薬を飲まされたのだ。動けなくなったところを、どこかへ連れていかれそうになって。
 ああ、あれは抵抗のしようもなくて、すごく怖かった……。
 けれど、すぐに大神が助けてくれて、それから――そこから先が、はっきりしない。

(……馬鹿なことをした。よく考えれば、あんげの端から怪しかったねっか)

 以前のすずであれば、得体の知れない薬など絶対に口にしなかっただろう。ここ最近は親切で優しいあやかしたちに囲まれていたから、すっかり油断していた。

(大神様に迷惑をかけてしまった……あんげ楽しそうにしていたのに、まだまだたくさん遊べたはずなのに、おらのせいで全部台無しにしてしまった)

 ちゃんと警戒していれば、少しは大神に楽しい思い出を作ってあげられたはずだったろうに。すずがドジを踏んだせいで、早帰りをするはめになってしまったのだ。

「……この馬鹿たれが」

 情けなさのあまり、すずは小さく自分を罵倒する。

「すずちゃん、おきた?」
「ぶわぁ!?」

 突然、子供の声が近くで聞こえて、すずはバネに吹っ飛ばされたように上半身を起こす。すると、布団に潜り込んでいたらしい鬼火たちも「きゃー!」と一緒に吹っ飛ばされ、壁や床を跳ね回った。

「おはよう?」「おそよう?」「こけこっこー」「よるですよー」「ほーほー」

 思い思いに挨拶する鬼火たちに、すずは

「わああっ、ごめんなさい! いると思わんねかったんだ!」

 と律儀に頭を下げる。
 しかし、吹っ飛ばされた鬼火たちは全く気にしていないらしい。逆に、小さな目ですずを心配そうに見上げていた。

「すずちゃん、やだやだしてた」「やなゆめ?」「こわいゆめ?」「だいじょうぶ?」「こもりうた、うたう?」「ねーんねーん」

 寝ている間のこととはいえ、しまった、とすずは後悔する。鬼火たちには、嫌な夢を見ていたことなどとっくに悟られているようだ。

「だ、大丈夫だよ。もう何見てたか忘れたすけ。心配しないで。ね?」

 笑顔を見せて取り繕おうとするすず。けれど、鬼火たちは、

「がまんはないない」「がまんはたいてき」「すずちゃん、つらそう」「よしよし、するする?」

 と言いながら、すずの肩や手の上に集まってくる。

「おやかたさま、ふすまのむこう」「ただいま、ねんねちゅう」「やしきのみんなも、ねんねん」「だから、ひみつ」「みんなでちゃんと、しーってするからね」

 肩から頭の上に登ってきた一体の鬼火が、小さな手ですずの頭を撫でている。他の鬼火たちも、すずの手をさすったり、頬にきゅっと抱きついたりしていた。

(みんな、おらを慰めてくれようとして……?)

 もしかして、鬼火たちはすずがどんな夢を見たのか、知っているのだろうか。彼らがしようとしているそれはまさしく――夢の中のすずが欲していたものじゃないか。

「いいこ~いいこだ~」「すずちゃん、いいこ~」「な~でなで」

 すずの頭や肩や手をさすったり、子守歌のようなものを歌い始める鬼火たち。本人たちは真剣そのものだろうけれど、その様子を想像してみるとなんだかおかしくて、すずは笑ってしまう。

「ふふっ、ありがとな、鬼火さん。……そうだね、ほんのちょびっと聞いてもらおうかな」

 さすがにすべてを話すことはできないけれど、彼らの優しい想いも尊重したい。すずは、ここ最近の不安について、ぽつぽつとこぼしてみた。

 ――自分は、本当にここにいていいのだろうか。
 ――先日の親子の物の怪といい、街で出た物の怪といい、自分は物の怪を引き寄せがちだ。
 ――隠世の優しいあやかしたちを危険にさらしてしまうのが怖い。
 ――今日は大神にも迷惑をかけてしまった。迷惑ばかりかけてしまう自分が嫌で仕方ない。
 ――いっそ、自分などいない方が、大神たちも楽なのではないか。

 つい考えてしまう不安の数々を、鬼火たちは相づちを打ちながら聞いてくれた。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」「すずちゃんがつらいの、みんなしってる」「いやだねえ、つらいねえ」「すずちゃん、わるくない」

 つたない言葉で変わるがわる励ましてくれる彼らに、胸がじわっと温かくなる。

「あのね、すずちゃん」「ぼくたち、すずちゃん、すきすき」「ここにいてほしい」「すずちゃんは、ぼくたち、すきすき?」

 鬼火たちはすずに頬を寄せながら聞いてくる。まるで甘えん坊の子供たちを相手にしているようだ。けれど、子供のように純粋な彼らだからこそ、言葉はすっと胸に入ってきた。

「うん。おらも鬼火さんたちが大好きだよ。あやかしさんたちのことも大好きだから、ずっとここにいたいなって思ってるよ」

 すずも素直に思いを言葉にすると、鬼火たちは「わーい」「やったー」などと喜んで、すずにぎゅっと抱きついてくる。

「すずちゃん、すきすき~」「いっしょにねんね~」「いっぱいすやすや」「からだはおだいじに」「ね~ん!」

 布団から転がり出ていた鬼火たちは、再びすずの布団の中へすぽすぽ入ってくる。布団の中がこたつのようで、冷えていたつま先までじわじわ温まってきた。

「そうだね、具合悪くしたっけ、早う治さんばならんね」

 すずは手の上に乗っていた鬼火たちをぬいぐるみのように抱きしめて、もう一度布団の中に潜り込んだ。
 再び眠りに落ちるまでは、一分とかからなかった。


 *


 翌朝、すずの体調は無事に回復した。朝食も問題なく平らげたすずを見て、大神と薊はほっと胸を撫で下ろす。

「すずちゃん、ふっかーつ!」「よかったねえ、よかったねえ」「げんきでよしよし」

 すずの肩や頭の上でぽんぽん跳ねながら、回復を喜ぶ鬼火たち。
 寒さの厳しい鉈切山の中、鬼火たちは常にすずの周りについて温めてくれているが、昨夜はいつもよりたくさんの鬼火たちが集まってくれていたようだった。

「ありがとね。鬼火さんたちが温かくしてくれたすけ、早く治ったよ~」

 すずは鬼火たちの頭を指で撫でて、お礼を言う。

「大神様も薊先生も、ありがとうございました。私が不用心だったばかりに迷惑をかけて、申し訳ありません……」
「仕方がねえよ。あんなことされるなんて、普通は思わねえだろうしさ。にしても、薊が即行で解毒薬を作ってくれたのには吃驚したぜ」
「お館様が丸薬を回収してくださったのが幸いだったのです。あれがなければ、薬の分析にかなり時間をとられていたでしょうから」
「そういえば、あの丸薬は何だったんですか?」

 すずが尋ねると、薊は少し言いよどんでいたが、やがて重々しく口を開いた。

「……今後のためにあえて言いますが、婦女に狼藉ろうぜきを働く者たちがよく使う代物です」
 
 それを聞いたすずは、唖然とした。大神もあからさまに顔をしかめている。

「違法なやつじゃねえか。あの狸野郎、俺の領地で売りさばいてやがったのか」
「小悪党とはいつどこにでも湧くものですよ」

 薄々感じていたが、やはり、自分は危うく乱暴されるところだったのだ――改めてそう認識したすずは、背筋が凍るような思いだった。

(けど、あの薬屋は誰のところにおらを連れていこうとしたんだろう)

 話を聞くところによると、薬屋の狢はあの後、あやかしの里の自警団によって御用となったらしい。今は街から離れたどこかの牢屋に留置され、尋問を待つ身とのことだった。
 すずはさらに大神へ尋ねる。

「捕まったのは、薬屋だけだったんですか?」
「ああ。店の奥まで確認したが、他には誰もいなかったって、自警団からは聞いてる」

 薬屋はあの時、『あのお方なら治してくれる』と言っていた。彼の発言を額面どおりに受け取るならば、あの時、店の奥には共犯者――狢よりも格上の存在がいた可能性がある。
 その人物が明らかになっていない点が、今回の出来事の後味を悪くしていた。

「すず殿、あまりご無理はなさらず。少なくとも今日一日は、安静にしていてください」
「はい……」

 なんにせよ、今、すずにできることはない。少し落ち着いたら、あの薬屋の発言について、大神に相談してみよう。
 すずはそう決めて、自室に戻ろうとした。

「すず。ちょっといいか?」

 すずが背を向けたところで、大神がすずを呼び止める。

「今すぐじゃなくていいから、都合のいい時に俺の部屋に来てくれないか?」
「お館様のお部屋に? えっと、毛づくろいですか?」
「うんにゃ、違うよ。なに、特段緊張するようなことじゃないさ。渡したいものがあるってだけ」
「渡したいもの?」

 もしかして、また『報酬』を渡すつもりなのだろうか。いや、この状況ならば、『見舞い』と言って来るのだろうか。どちらにせよ、すずはもうお腹いっぱいだ。しかし、すずがそれを言う前に、大神は

「んじゃ、いつでも待ってるぜ」

 と言って、さっさと去ってしまった。
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